陶芸みち

陶芸のド素人が、その世界に足を踏み入れ、成長していく過程を描いた私小説です。

その72・器の中

2010-02-26 08:49:19 | 日記
 登り窯づくりに参加したクラスメイトたちは、次々とリタイヤしていった。新しい労働力も補充されたが、しんどい作業に長つづきする者は少なかった。入れかわり立ちかわりのそんな中で少数の、しかし熱い中心メンバーが固定されていった。メンバーは、窯づくり作業それ自体を糧としていたが、その夜に太陽センセーが実地に示してくれる器成形の技術や、講釈をなによりもたのしみに通った。センセーからは、学校の勉強とは別次元の知識を教わることができる。手先の技能よりも、人間の根幹を形づくるような品位の高い見識を移植しようと心を砕いてくださるのだ。そんな珠玉の話を、むさぼるように体内に取りこんだ。
 太陽センセーは、桃山時代の茶陶にとりつかれたひとだ。桃山は、歴史上初めて日本オリジナルの陶芸を生んだ時代であり、空前にして絶後の文化的ピークである。桃山の製陶技術は、他の時代とは比べものにならないほどの高みに君臨しながら、またたく間に衰退し、その後ぷっつりと歴史上から姿を消した。だから謎だらけなのだ。土の在処も、成型方法も、釉薬の調合も、窯の焚き方もわからない。遠く時空をへだてた現代においては、もはや想像するしかない。だから誰もが必死にそれを探りだそうとする。推理、実験と比較、成果、そのフィードバックで陶芸の技術は革新し、同時に桃山という過去にもどっていく。最先端はすべて遺産の中にある。そのノウハウを盗んでやろうという途方もない熱意が、この分野のひとたちの意志の筋骨を形づくる。
 桃山時代の陶芸は深い精神性と結びついている。器の形そのものがダイレクトに美意識の本質を示しているのだ。だから自然と、桃山の陶芸に向かうひとたちはサムライの面構えになる。太陽センセーもサムライだった。
 ある日、センセーはこんなことをおっしゃった。
「器のつくり方はの、文献には記されてないんじゃ」
 失われた製法、それを探るのが陶芸家一生の命題。そんなひとの言葉だ。深くて重い。
「そうか・・・どこにも書き残されてないんですね?」
「いや、ところが、そうでもない。製法を書いたものは、今もいろんなところに、ある」
 瞳の奥に炎がひらめく。
「それはの、器の中に記されているのじゃ」
 センセーはそんな謎めいたことを口にした。先人は、秘伝をそんな場所に書き残したのだろうか?それとも器の中に文書でも隠したのか?頭をひねる。するとセンセーはカラカラとほがらかに笑って答えを明かすのだった。それは実にシンプルな方法論なのだ。
「つくり方など、割りゃあわかるワイ。陶片の断面を見ては想像してみりゃええんじゃ。俺が若いころは、よう古い窯跡で陶器を盗掘しては、がんがんと壊してまわったもんよ」
 内緒じゃがな、とひそひそ声でつけ足し、またカラカラと笑う。なんとやんちゃなサムライもいたものだ。
 それにしてもこの好奇心と行動力、やむにやまれぬ情熱ときたら・・・。破顔しておどけつつ野武士は、聞く者を静かに圧倒した。

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