陶芸みち

陶芸のド素人が、その世界に足を踏み入れ、成長していく過程を描いた私小説です。

その61・実感

2010-02-09 09:08:08 | 日記
 窮屈な梅雨空がひらき、「夏近し」を思わせる強い陽光が射しはじめた。田園をゆくわがマドンナと用心棒の雨傘は、目にもあざやかなパラソルにとってかわった。その虹のように幻想的な風景は、毎朝ふらふらとチャリをこぐオレの寝不足アタマに潤いを与えてくれた。
 肉体的には疲れきっていたが、毎日がたのしくてしかたがなかった。投下した労力はウソをつかない。動けば動くだけ、考えれば考えるだけ、自分の中に育ちつつある果実がみずみずしく熟していく。ガキの頃に毎日感じていた成長の実感だ。
 作業場では他人の進み具合にまどわされず、手元の土の回転に意識を集中した。訓練に費やした時間は、すこしずつすこしずつ血肉になっていく。あわてない。暗闇の中を手探りで這いずりまわり、じょじょに足場を見つけては、ゆっくりゆっくりヨチヨチと進んだ。そうしてひとつひとつの小さなことを着実に取りこむことによって、足もとはほの明かりに照らされていく。ツカチンなどのトップランナーははるか前方をさらに加速しながら駈けていたが、追いつけないなどとはこれっぽっちも思わなかった。それを疑わせなかったのは、自分がだれよりも濃い密度で考え、高い意識で手を動かしているという確信があったからだ。もっとも、クラスのだれもがそのときそう考えていたかもしれない。だけどオレには、学校外でも膨大な仕事量をこなし、多様な経験をつみ、偉大なセンセーに薫陶を受け、実践の中で学び、それが自分の知識量を劇的に増やしているという確固たる自覚があった。
ーオレの伸びしろは他のだれよりも広いのだー
 成長の実感が、そんな買いかぶり気味の自信を支えてくれた。あるいは、途切れることを許さない集中力が、脳をハイにしていただけかもしれないが。

東京都練馬区・陶芸教室/森魚工房 in 大泉学園