陶芸みち

陶芸のド素人が、その世界に足を踏み入れ、成長していく過程を描いた私小説です。

その63・天国にいちばん近いフィールド

2010-02-11 09:03:32 | 日記
 さて、訓練内容は厳しかったが、学校の校風はおおらかだった。生徒総数50人あまりの小所帯。気の合う者同士が引かれあい、集まって、休み時間に活動する卓球部やテニス部、野球部、それに農作業部などが自然に生まれた。
 農作業部は、熱いナチュラリストたちのコミューンだった。オレが朝に登校すると、校舎わきの敷地を耕してつくったムチャな畑に、必ず彼らの姿があった。麦わら帽子のツバを寄せ合って、一心に草をむしったり、種をまいたり、心細い発芽にビニールをかぶせたりしている。農業の経験者、ひたすら緑を渇望していた都会人、将来はいなかで半農半陶・自給自足の暮らしを営もうと夢見る者・・・そんな連中の知識と実行力は、ついに粘土質な地土を肥沃なものに変質させ、豊穣な実りを実現した。キュウリやトマト、サツマイモなどを調理して昼休みにふるまう彼らは誇らしげで、やはりそれはそれで創作家の顔をしていた。
 テニス部や卓球部は、学校がおわると地元の体育館に集団で移動し、青春チックな部活動っぷりを展開していた。
 オレはというと、数少ない同世代の男子たちに交じって、昼休みのグラウンドで野球のまね事をする程度だった。以前やっていた草野球では、俊足巧打・強肩のキャッチャーとしてちばてつやリーグに名をとどろかせたが(ウソ)、ここでは試合を組めるほどの人数はいない。放りっぱなし、打ちっぱなしといったのんびり練習が主だった。
 とはいえ、真昼のキャッチボールは気持ちよかった。丘の頂上をならしてつくられた広大な芝生のグラウンドは、日光をまっすぐに受けて緑濃く、周囲の林にはキジが鳴くという、都会ではありえないロケーションだ。部員たちは、午前の訓練が終わると急いでランチをかきこみ、それぞれにグローブとバットを持って丘の頂上にダッシュした。みんなそれほど親密なわけではなく、弁当の中身をさらし合って食べっこするような間柄でもないので、各自がてんでバラバラの方角から集まってくる。仲良しごっこをするには、少々片意地がこびりつきすぎている年代なのだ。ただしそんな仏頂面でも、いったんグラウンドに集まると、ボールはのびのびとその間を飛び交った。女子が外野で球ひろいをしたり、先生や事務員氏がノックに参加したりという光景は、遠い日の思い出のようで、どこか甘酸っぱかった。ひろびろと気持ちを開放できる空間。それがこの「天国にいちばん近いフィールド」だった。

東京都練馬区・陶芸教室/森魚工房 in 大泉学園