陶芸みち

陶芸のド素人が、その世界に足を踏み入れ、成長していく過程を描いた私小説です。

その183・徳利

2010-07-20 12:44:18 | 日記
 とにかく訓練校は、原石を宝石に磨きあげてくれた。なにも持たない人間を、価値を生みつづける超人に変身させてくれたのだ。その教育によって、自分がいったいどこまでできるようになったのか、試してみたい気分だ。そして、今はそれが許される時期だった。
 オレは茶陶制作の後、大皿、ツボ、フタ物、香炉、急須などをつくってきたが、最後に徳利に挑戦していた。徳利の成形は、ろくろ挽きでいちばんむずかしい。つくるプロセスとしては、まず高い高い筒型を挽く。次に口べりを内側にたたんでかかえこみ、袋形をつくる。それからエゴテと呼ばれる大きな耳かきのようなコテを袋内に突っこみ、胴部をふくらませる。最後に口べりをつぼめて外に折り返し、首をしぼり、おちょぼ口に整えて完成だ。
 なにがむずかしいって、なんといっても作業行程が矛盾に満ちている点だ。筒挽きで背が低ければ胴をふくらませたときに丈が縮んでしまい、高ければエゴテの作業のときに芯が狂いやすくなり、口をせまくつくれば内部の細工がしにくくなり、広くつくればおちょぼ口にならず、胴部をふくらませて薄づくりにすれば口をつくるときにヨレやすくなり、厚づくりにすればずっしりと重くなり・・・あらゆる二律背反が混ぜこぜになっている。しかし逆説すれば、徳利さえつくれるようになったらなんでも挽ける、といえはしまいか。オレはこのステージのクリアを卒業前の最後の課題とし、毎日朝から晩まで徳利づくりに取り組んだ。
 はじめのうちは苦労したが、理屈とコツをつかんでからはきちんと挽ききれるようになった。きちんと挽けるようになってからは、どんどん薄く、どんどん高く、どんどん丸く、どんどん首を長く(鶴首という)、極端なものをつくった。ハードルを上げていくわけだ。最終的にオレは、クラスでいちばん徳利挽きのうまい男になった。まあ、徳利を挽いている変わり者など相手にされないので、自慢にもならないのだが。
 ただ同じ頃、同じように徳利挽きをしていたライバルがひとりいた。あるとき、彼がオレの挽いた徳利をこっそりと手に取るところを、ふと目にしてしまったことがある。彼はオレの視線に気付かない。彼は徳利を手に、ギョッとした表情をしていた。
「いやあ、びっくりした。あまりにも薄づくりで軽かったから・・・」
 そんな彼の言葉をひと伝えに聞いたとき、心の中でうっしっしとほくそ笑みたい気分だった。校内でのろくろ挽きは、いつも勝負だ。だが、勝ち負けなど今さらどうでもいい。去来したのは、卒業に間に合った、という感慨だ。つまり「世間で通用します感」を客観的な審査で裏付けてもらった気がして、安堵したのだった。

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その182・自由自在

2010-07-19 11:51:46 | 日記
 学校の訓練もいよいよ最終コーナーを回って、最後のホームストレッチ。あとはゴールに向かってラストスパートだ。
 課題が自由制作に移ってからというもの、クラスメイトたちの作業内容はバラバラに散らばっていった。ヤジヤジは一心に粉引きを追求し、相変わらず窯を焚きまくってデータを採っていた。あっこやんは多彩な物体を挽いて表現のバリエーションをひろげていく。代々木くんは不自由な指を操って、若葉家直伝の茶陶を追求していた。
 ツカチンもついに吹っ切れたような顔で、見上げるような巨大ツボを挽いていた。ろくろ成形したふたつの大ツボ(片方は底抜け)を、柔らかいうちに口同士合わせて接着し、それをまたろくろ挽きして一体化するという方法だ。人目をひく派手な仕事だったが、周囲には目もくれず、無心に土に向かう。モテようという邪心はやっと捨てたようだ。それもそのはず、ヤツは観念して、ひとりの女の子を彼女にしたのだ。長い放浪の旅を終えた心持ちだったかもしれない。あるいは、彼女のためにがんばる、という新たな邪心によるモチベーションがかもされていただけかもしれないが。いずれにしても、オレは相変わらずヤツに敗北した気分だった。
 一方、ストーブから半径2mの地を領土として占有する位高き人々は、陶芸と名のつく一切の行為を放棄し、ティーカップに沈む茶葉の芳香を楽しんでいた。なんと優雅な光景であることか。比してこちとら寒村の貧民。身を立てるには、休みなく動くしかない。時間がない、一分一秒が惜しい、やりたいことが多すぎる、そんな焦燥に駆られて、ひたすらろくろのアクセルを踏みこんだ。
 いろんな種類の抹茶碗を挽いて身につけたテクニックで、今度はゴツい水指や背の高い花入を挽いた。直線的なものが挽けるようになったら、次段階では意図的にイレギュラーな操作を加える。どんな形でも自在に挽けるように練習した。不定形を空間の中に落ち着かせるには、それを「ゆがんだ」ものにしてはいけない。「ゆがめた」ものにしなければ。結果ゆがんでしまったものと、主体的にゆがめて挽いたものとは別物なのだ。雲泥の差だ。有機的なフォルムの中の堅固な存在感は、ゆがみをコントロールし、不定形の長所を用いました、という明確な意志によって生まれる。少なくとも、オレの作品はそうであらねばならない。偶然に挽けてしまったものになど、この時期の自分にとっては意味がない。意思によって土を操ることこそ、最終的な目標なのだから。
 そのためにはなににもまして、整った形を正確に挽ける基本技術が不可欠だ。学校が指導してくれていたのはこれだったのか、と今になってようやく思いいたる。かえりみれば、学校はべつに整った作品が欲しかったわけではない。そんな製品を二束三文で何百個何千個と売りさばいたところで、訓練生全員分の学資などまかなえるわけがない。それよりも学校は、自由自在を実現する腕前をこそ欲しがった。そんな人物を製陶所に送ったほうが、地域の未来をつくることができる。つまり学校は、ひとを育てて売る「合法的ゼゲン」なのだ。

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その181・背中

2010-07-17 09:02:37 | 日記
 太陽センセーは、いつも全身全霊を自分の信ずる道に注ぎこむ。不借身命、一意専心。そして周りにも、そうあることを求める。だからセンセーが全力で教えてくださることは、こっちも全力で吸収しなければならない。つまり、対決、勝負なのだ。オレは、センセーがオノを振り下ろす姿を見つづけた。
 なぜか、ふと思いだした。あるときろくろで、筒型の挽き方を教わったことがあった。これはただの筒ではなく、型で成形するための筒挽きだ。つまり、あらかじめ石膏でつくっておいた四角柱の型に、ろくろ挽きした筒をすっぽりとかぶせ、外から叩き締めて四角形ののぞき向こう付けにする、という方法だ。前項で紹介した型成形技法の発展形といえる。
 この筒挽きのむずかしい点は、石膏型にぴったり合うサイズの筒をイメージし、その通りに挽かなければならない、という点だ。センセーが実際にろくろでお手本を見せてくださった。唐津仕込みの左回転で、特殊な自作ベラを使って挽く。筒はたちまち立ち上がり、石膏型のサイズぴったりに仕上げられた。センセーは三度だけそれをくり返すと、
「やってみよ」
とこちらにうながす。
「はいっ」
 もう以前のような恥はかけない。ろっくん相手にさんざん左回転で練習してきたのだ。三回も見れば、ヘラの扱いも指の操作も制作プロセスも、完全に解析とフィードバックができる。一発で寸分たがわぬもの(自分なりに)を挽いてご覧に入れた。横からセンセーに見つめられながら挽くのはものすごいプレッシャーだったが、だからこそ異常な集中力が発揮できたのだ。
 オレは何度も何度もそれを挽き、センセーはそのたびにオレの指先を凝視した。ただ、食い入るようにじっと見つめるばかりで、なにも言ってはくださらない。
 いつか火炎さんがこう話してくれたっけ。
「親父が作品をほめてくれるのは、まだまだってときなんだ。仕事をけなされるようになってからが、やっと師弟関係のはじまりだね」
 だけど結局、センセーはオレに、ただの一言も声をかけてはくださらなかった。ほめることもなく、ましてやけなすこともない。認められるには、まだまだ腕前も経験も、なにより見識も足りないのだ。認められるどころか、指導していただくことさえおこがましい立場なのだ。一言もなくて当然だろう。
 オレが太陽センセーから直接ろくろの指導を受けたのは、このときと、夏の夜に蚊柱の中で片口型ぐい呑みを挽いたあのときの二度きりだ。センセーはオレの挽いたものに関して、ついに何一つ評価を下してはくださらなかったが、オレは、全力の視線を手元に投げてもらっただけで十分にうれしかった。そして思う。センセーはいつも、教えるよりも、示してくださっていたのだ。
 オノが丸太を打つこだまはいつまでもつづいた。東の空がしらじらと明けて星を飲みこみはじめても、センセーはまだ丸太を打ちすえていた。意固地で負けず嫌い。それ以上に、彼の美意識が後退を許さないのだ。オレは人生の師の背中を見つづけた。重いオノをヨロヨロと振り上げ、ヨロヨロと叩きつける。見ちゃいられないが、止めることもできない。ただ、見つづけた。
 オノを一千回振り下ろして、ついにあの太く重い丸太が、真ん中からまっぷたつに断ち切られた。切られたというよりも、それは砕き割られた。
「どうじゃっ、みたか。かっかっかっ・・・」
 汗まみれで破顔一笑する。センセーにとっては、当然のことをあたりまえにやり遂げただけなのだ。
 泣きそうになる。センセーがいつも示してくださったのは、この姿勢だった。このひとの造形以上に、このひとの生き様をこそ見習いたい。何者かに打ち勝ったセンセーは誇らしげで、このひとを仰ぐオレもまた、誇らしかった。
 ・・・明けて翌日、センセーは筋肉痛で、寝床から一歩も起きあがれなかった。窯はセンセーの熱を飲みこみ、上々に焚きあがった。

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その180・深夜+1

2010-07-16 09:14:48 | 日記
 竹林は暗闇に閉ざされ、あたりは沈黙に支配された。精霊も深い眠りに落ちる時刻。窯の中で熾きがはじけるパチパチという音だけが聞こえる。
 マキが心細くなってきたので、オレは明け方前の仕事に取りかかった。小屋にストックされた丸太を小割りにし、朝からの攻め焚きに備えるのだ。小屋に残っていた最強の大物を引っぱり出した。まずは自分の背丈ほどもあるそいつを輪切りにしたい。だが、この夜ふけにチェーンソーを使うのはさすがに気が引ける。母屋ではみんなが寝静まっているのだ。仕方なく、ノコギリで切りはじめた。
 じこじこじこじこ・・・
 丸太は胴まわりがひとかかえほどもある上に、みっしりと蜜を吸って重く、ノコ刃はなかなか噛み進んでくれない。それでも地道に挽きつづけた。
 じこじこじこじこ・・・
 30分ほどもそんなことをしていたろうか。やっと刃が半分近くまで食いこんだとき、ふと顔を上げると、目の前に神様が立っていた。神様は、よれよれのトレパンにスカスカのセーターという出で立ちで、白い息を吐いていた。
「太陽センセー・・・」
「やっとるの」
 センセーは窯の炉内温度を確認し、手持ち無沙汰に熾きをかき混ぜる。
「すいません、起こしちゃいましたか?」
「ええんじゃ。ちょっくら代わってみい」
 超ビッグサイズの丸太を見て、血が騒いだようだ。センセーは弟子の手からノコギリを奪い取る。ところがそれを一瞥すると、ポイと投げ捨てた。
「こんなもんじゃ焦れったいわ。オノでたたっ切ったらー」
 そう言うが早いか、両手のひらにペッペッとツバし、巨大オノをむんずとつかんだ。そのまま振りかぶって叩き落とす。丸太の切り口を見て、一撃でまっぷたつにできると考えたのだろう。
 ところがその一撃は、「ゴツンッ」と鈍い音を残して、小さな木っ端を散らせただけだった。刃は幹の表皮に食いこむが、まっぷたつとはいかない。オノはマキをたてに割るには便利だが、輪切りに切断しようとするとホネなのだ。しかしセンセーはかまわず、第二打、三打を叩きこんだ。
「こんなろー・・・」
 頭上で気をため、渾身の力で振り下ろす。が、丸太も弾んだりしなったりして、その強烈な打撃にあらがった。それでも打ちこみつづける。
 がんっ、ごんっ、ばかんっ・・・
 激しい音が山向こうにまでこだまする。チェーンソーを使えばもう少し静かに事が運ぶのだが、今さらそんなことは言いだせない。
 齢七十七。センセーは曲がった腰をめいっぱいに伸ばしてオノをかかげ、コロコロ小柄なからだの満身で丸太と闘った。つるつるの額に汗がにじむ。側頭部にわずかに残るほわほわの毛が逆立つ。

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その179・火を前に

2010-07-15 09:08:41 | 日記
 かぶと窯では、リベンジの窯焚きが行われた。一回目とちがって参加者もそう多くは集まらず、少人数が交代で窯番をし、各々が与えられた時間帯に責任を持つ形になった。
 オレはその夜、ひとりきりで火をつくっていた。凍りつきそうな夜気が首筋や袖口から這いこみ、じっとしていられない。マキを割ってはからだを内から温め、焚き口の炎にあたってはからだを外から温めた。窯を覆う屋根のせいで夜空は見えないが、きっとエントツの上には満天の星がまたたいている。そんな夜だった。
 深夜のひとりぼっちの窯焚きは、おそろしく静かな時間だ。そのうちにいつしか、この場所にはじめて足を踏み入れた日のことを思い出していた。
 春風の中、運命に導かれるようにここに来たんだっけ。竹がびっしりと根を張る土壌を切りひらき、一日中穴を掘ったっけ。
ーなつかしいな・・・ー
 すると、本当に走馬灯のようにこの一年間に起きた出来事がフラッシュバックしてくる。灼熱の盛夏には、ヤブ蚊に包囲されながら、ひたすらレンガを磨いた。つなぎのドベでどろんこになりながら、窯の壁を築いていった。いつも重いものをかついで、むやみに山をのぼったりくだったりしていた。お茶室で雑魚寝した。コタツ布団にくるまって寝た。酔っぱらって寝た。泥を練りながらうとうとと寝た。窯場で疲れ果てて寝た。窯のかたわらで飲むビールはうまかった。火炎さんの打ってくれるそばもうまかった。ラーメンもうまかった。電気窯で焼くピザもうまかった。なんでもかんでもうまかった。すき焼きの夜に「卵がない!」といって火炎さんと車で走りだしたはいいが、山中の一軒家から買い物先のスーパーまで片道1時間半もかかることにドギモを抜かれたこと。酔っぱらって山を下りると、駅では終電が出た直後で、代々木くんと二人で呆然と立ちつくしたこと。その後、火炎さんとはるみ夫人が駅まで迎えにきてくれて、ミニカーのようなツーシーター(二人乗り)車をオープンカーにして四人がぎゅうぎゅう詰めに乗りこみ、ボンネット上で風にさらされて帰ったこと。土をさがしに山深くに踏み入りすぎ、トゲトゲの植物に全身からみ取られて身動きできなくなったこと。あんなこと、こんなこと・・・そんなバカバカしいことをいろいろと思い出した。
 ひとは火を前にするといろんなことを考える。それは、言葉や文字やこざかしい社会性を覚える前から、人類が営々とつづけてきた作業だ。そうして窯の火はひとのいろんな想いを飲みこみ、器に焼きつけてくれるのだった。

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その178・マル秘

2010-07-14 08:15:54 | 日記
「おい、いつまでやっとるんじゃ。ここはさぶすぎるわい。家ん中にはいろうや」
 最初から中でやればいいのに・・・。気まぐれにはじめ、途中から熱中してしまった挙げ句、最後はあきてしまった、と見えなくもない。だが信じる者には、センセーの行為はお釈迦様の施しのように思えた。ありがたい法話に、信者は一心に聞き入り、従い、全身で吸収する。若葉家の授業は、いつもこんな具合に進んだ。
 同様に、思いつきのように突如はじまった志野の高台づくりも、興味深かった。ろくろの上に固定してカンナで削るのではなく、松の木を割いてつくった刀でざくざくと造形する方法だ。削るというよりも、そぎ落として彫り刻むといったほうがいい。伝世の名品を見ても、その高台は刀で無造作に撫で切られたような印象だ。それでいて際立った存在感がある。
 センセーはオレに分厚い茶碗を挽かせ、水気が引いたところで裏返し、すっぱすっぱと土をそいでいった。
「ケンコンイッテキの気合いを一刀にこめよ」
 それはまるで、書の払いのように気持ちが乗った刀さばきだった。
「高台は茶碗の命じゃ」
 センセーは命を吹きこむ。悠然として、よどみなく、序から破、そして急へ。見事な高台が志野茶碗の底にあらわれる。つたない弟子は何度やっても高台を「こしらえて」しまうが、センセーは、そこにあるべきものを自然にそこに出現させる。こんな仕事を目の当たりにするとき、形をつくるという作業は、まさに心の表出だとつくづく感じ入らされる。
 そしてこんなときでもセンセーは、より深く、より重要な知性の伝授を忘れなかった。
「ここだけの話じゃがな、この高台はオナゴの○○○のかたちなんじゃ」
 ぼそり、真顔でそんなことをささやく。
「へっ・・・?」
「○○○じゃ。布団の底で見たことがあろう?」
 きょとんとしていると、その反応に満足した師は相好を崩して、うひひひ、と声低く笑うのだった。
「正真正銘の秘伝じゃぞ、マル秘、じゃ」
 うひひひ・・・
 なるほど、そうだったのか。オレは、わかりやすい形を茶碗の底に刻む。そして同じようにわらった。
 うひひひ・・・

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その177・タタラ成形

2010-07-13 10:15:25 | 日記
 センセーは、この庭のどこになにがあるかを熟知していると豪語し、またそれらは作業をするのに最も効率よく配置されている、と言い張った。
「じゃ、さっそくはじめるか。まず向こう付けの型をさがすんじゃ」
「さがす・・・」
「そこいらにあったじゃろ」
 竜巻が過ぎ去ったあとのような庭で探索がはじまる。しかしセンセーの指差す方向を見ると、石膏や軟質な石でつくられた「型」がそこここに転がっていた。使い終えるとそこにポイと捨て・・・いや、置いておくのだろうか?とにかくその場に駆けつけ、ひろい集め、具合のいいものを選び、木机の上に並べる。菱形、筒形、扇形。どれもが土中の成分や雨水がしみこんで汚れ、砂利にヤスリをかけられて角を落とした年代物だ。その形をもう一度刃物で削り出し、磨きあげ、使えるものに仕立て直す。
「ヨシ。次に粘土を薄くのすんじゃ」
 粘土の左右両サイドに薄い木の板を置き、麺棒で伸ばすと、板と同厚の粘土板ができる。タタラ成形という技法だ。これをちょうどいい大きさに切って、さっきの型にはめこめば、器形になるいうわけだ。わたされた薄い板(タタラ板と呼ばれる)は、どこかの居酒屋の壁にかかっていたメニューらしく、「焼き鳥・550円」だの「クジラベーコン・800円」だのという景気のいい文字が踊っている。麺棒の代役は鉄パイプ。センセーは弘法と同じく、筆を選ばない。いつもながらシビレる。
「さてと、あれはどこにやったかな・・・?」
 突然気がついたように、センセーが辺りを見回しはじめた。
「そこいらに置いといたはずじゃが・・・」
「今度はなんすか?センセー。道具ですか?それとも機械?」
「いや、そうではない・・・おお、あったあった」
 センセーがトタン板の下から引っぱり出したのは、なんと片栗粉だった。この庭に無いものはない。そして彼は、そのすべての配置を記憶している。このときばかりは恐れいった。
 その片栗粉を型と粘土板の間にまぶし、くっつかないようにする。そして手で粘土を寄せて、型と密着させる。こうして成形したものに短い三本足を付ければ、向こう付けのできあがりだ。その後、緑釉と鉄絵をほどこして、織部にするのだ。

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その176・宝の庭

2010-07-12 09:01:00 | 日記
 卒業が迫ろうが何に追われようが、オレの若葉家詣ではつづいていた。学校で教われないことをこの場所で覚え、ここで学んだことを学校の、あるいは自分ちのろくろの上に持ち帰り、せっせと反復練習する。そうして腕を磨いた。
 太陽センセーに学ぶものは、知性だ。技術ひとつとっても、師のそれは単なる造形方法ではない。技法の奥にある「こころ」と「作法」をこそ伝えようとしてくださる。そして陶芸の奥深さと。その深みをのぞきこむのは幸せな時間だった。太陽センセーの一挙手一投足はいちいちサムライのたたずまいをもっていて、いつもその背中をうっとりとながめてすごした。
 寒い寒い休日の朝、センセーは前夜の酒精を漂わせるオレを庭に連れ出した。竹林から漏れる心細い日光の下に、粗大ゴミ置き場からひろってきたかと思われる木机があった。
「かぶせの向こう付けを教えてやろう」
 「向こう付け」とは、懐石で用いる様々な形をした小鉢のことだ。お膳の上でメシ碗と汁碗の向こうにあるので、こう呼ばれる。そして「かぶせ」とは、土を型にはめこんで造形する技法で、そろいものをつくるのに便利な方法だ。それを伝授してくださるという。ただし、なぜかこの冬のまっただ中に、この吹きっさらしの庭で。
「そ、外でやるんすか?」
「不満か?」
「いえ、その男前っぷりにほれぼれします」
 ところどころに雪の残る庭は、例によって散らかり放題だ。陶芸材料は天日にさらされ、謎の機械類は点々と身を横たえ、工具類はあちこちに散乱。荒れ果てた、と表現するのがぴったりだ。なんらかの事件に巻きこまれた現場のようにも見える。「keep out」のテープでも貼り巡らせれば、深刻にヤバい画づらだ。
 ところが、そのへんにぽつねんと置かれている破れバケツに蹴つまずいたりすると、
「こらっ!気をつけんか!中に鬼板(鉄分が大量に交じった泥状の陶芸材料)が入っとるじゃろが!」
などと叱られる。ズタズタのバケツをのぞきこむと、たしかに真っ茶色のドロ水・・・いや、天然採取した鬼板が入っている。それにしても、こいつと汚水とをいったいどう見分けろというのか?しかしこの庭では、ブルーシートに投げ出された原土、古バケツの中の液体、新聞紙の上の木片や鉱物・・・それらひとつひとつが、作品づくりに欠かせない大切な材料なのだった。なにしろセンセー自身が山を調査し、発見し、掘り出してきた天然素材。貴重品だ。そういう意味では、この庭は宝の集積地と呼ばなければならない。

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その175・風景描写4

2010-07-11 08:18:40 | 日記
 訓練を終えた放課後は、みな思い思いにすごした。スポーツセンターに車を飛ばして部活動にいそしむ集団、チャリでたこ焼き屋「ちかちゃん」になだれこむ集団、居酒屋でかるく一杯ひっかけにいく集団、・・・そして、いそいそとレンタル窯に向かう集団だ。
 オレたち四人組のガス窯焼成は、相変わらずハイペースでつづいていた。経験を重ねるためにも、ひと月に一度か二度は必ず焚いた。どんどん予約をいれ、それにせっつかれるようにろくろを回す。ろっくんが回れば回るだけ、窯焚きのスパンは短くなる。ひっきりなしだった。あきることなどありえない。メンバー同士で刺激しあい、響きあい、追いつ追われつがたのしくてしょうがなかった。モチベーションがうまく循環した。
 ひとりきりで焚く冬の夜、トタン張りの窯小屋は、スネの芯まで凍りそうな寒さだった。窯に火を入れた直後は炉内温度もまだ低いので、底冷えをしのげるほどの余熱がもれてこない。しばらくは電気ストーブを抱くようにしてすごした。やがて炉内に炎がまわると、窯はペチカのように心地よい暖かさを放射しはじめる。こごえていた皮膚がほどけていく。ドラフトやダンパー、ガス圧などをたまにいじって炎をコントロールしつつ、ちびちびと酒をすすりつつ、目を血走らせつつ、同時に重いまぶたの下でまどろみつつ、とてつもなく長い時間とつきあう。じんわりとした熱を伝える窯の外壁に寄り添ってうつらうつらしていると、まるで温泉にでもつかっているような気分だった。そんなとき、たまに本当に「窯神様」が現れて、壁ぎわや天井を漂うことがあった。自分と窯とを見守っていてくださるのだ。うとうとしながらオレの視線は、色見穴から吹き出る炎の長さと、パイロメーターの数値、そして夢の中の窯神様のおぼろな影をいったりきたりした。
 雪が降ったり、とけたりをくり返す中で、風に春の匂いがまじるようになった。いよいよ卒業が間近に迫っていた。

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その174・風景描写3

2010-07-10 08:45:55 | 日記
 あっこやんがひとり息子のりょうちゃん(6さい)を連れてくることがあって、そんな日は実に楽しかった。彼はオレのことを「すぎヤーマさん」と外国人風に呼ぶ。オレがそう仕込んだのだ。
「すぎヤーマさん、あのね今日ね、高速道路にのってきたんだ」
「へー」
「ねぇ、あのスピードって、マッハどれくらい出てるの?」
「マッハ・・・そうだな、高速道路はマッハ0.1くらいかな」
「ちぇっ。なんだ、おっせーの。・・・じゃ、飛行機はマッハいくつ?」
「マッハ・1だな」
「ふーん。じゃ、ゆーふぉーは?」
「UFO・・・ふむ、あれはマッハ30程度と思われる」
「おーっ、はえー!じゃ、ほうき星は?」
「流れ星か?んーと、たしかマッハ300だったかな」
「うおー、すっげー!すぎヤーマさん、すっげー!」
 目が輝いている。もうとまらない。
「次はなんだ?ん?」
「じゃあね、じゃあね・・・じゃ、ウタセユは?」
「・・・ウタ・・・セユ?」
「うん、打たせ湯!」
 温泉にある打たせ湯?天井から落ちてくるヤツ?・・・いったい打たせ湯でどんな目に遭ったというのか、この少年・・・
「打たせ湯は・・・マッハ・・・でははかれない・・・」
 とにかく、こんな具合に会話がつづく。そして最後は、ギラファノコギリクワガタとヘラクレスオオカブトのどちらが強いか、という話をして、眠ってしまうのだった。子供は天才だ。

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その173・風景描写2

2010-07-09 09:17:58 | 日記
 たまに、みんなで木陰に隠れてビールを飲んだ。まやまカチョーが球技大会で配ってくれたビールは、実は校内では御禁制品で、「家に持ち帰るべし」と厳格なお達しがでていた。だが、そんな大好物を目の前にちらつかされて我慢できるはずがない。こっそりと茶色い油紙に包んで、回し飲みした。するといよいよレゲエっぽさが堂に入って、遠巻きにながめる製造科の連中はおろか、先生すらも他人のふりを決め込むのだった。
「ルールは破るためにある」
 不良オトナたちは、ほろ酔いの顔を突き合わせてくすくすと笑い合った。遅い青春まっただ中だった。
 また、野点(のだて)の真似事も行われた。野外でひらくお茶会である。デザイン科の数人もそれぞれにお茶を習っていたので、その稽古も兼ねて、中庭でお茶を点てるのだ。Mrs,若葉が亭主をつとめる日には、太陽センセー作の傑作茶碗、建水、水指などが並べられ、参加者たちのため息を誘った。敷布の代わりにブルーシート、というのが少々もの哀しくはあったけれど。しかしこれはこれで、侘びた趣き、極限まで装飾を排除した風情、ととらえることもできる。オレもたまにおよばれにあずかり、食後の一服をいただいた。昼休みは自由な時間でありつつ、勉強の場でもあった。
 雨が降ったり、雪が積もったりした日には、さすがのオレも作業場で昼メシを食った。ときには自作の土鍋をストーブにかけ、テキトーな具材の鍋をつくったり、ごはんを炊いたりして、実用性を実験した。土鍋は灯油のすすで真っ黒になったが、手持ち無沙汰な冬の日にいい仕事をしてくれた。また農作業部は、畑で採れたサツマイモを干し芋にしてストーブで焼き、みんなにふるまったりした。あったかくておいしくて健全で、しあわせな時間だった。

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その172・風景描写1

2010-07-08 08:53:43 | 日記
 広い空一面から雪が落ちてきて、気がつけば何cmも積もっている。なのに雲がひらくと、半日もすればたちまちとけてしまう。周期的にそんなことがくり返された。夜は冷えこむが、昼間は潔い日光が降りそそいでくれる。こうして丘の上にも、冬がじょじょに浸透してくる。
 からりと晴れた昼休みにはずっとひとり、中庭の芝生ですごした。気温は低くても、頭上低くにいるお日さまがぽかぽかと照らしてくれて気持ちいいのだ。製造科のみんなはランチ後もストーブの前から動こうとしなかったが、オレはこんなにすてきな環境をもったいなく思い、いつも陽光の下で竹ベラを削り出したり、帯鉄にヤスリをかけたりしてすごした。それに飽きると、その場でごろりと寝そべる。空は輝き、雲はふわふわとたなびきわたる。夏のさかりに一本きり影を落としてくれていた幼い樹は、すっかり葉を落とした。骨のような小枝を寒風にひらいて、じっと春を待ちわびる。
 だけどオレは思った。
ー春が来なきゃいいのにー
 そうすれば、ずっとこの場所にいられるのに。もっともっとこの環境で修行をつづけたいのに。
 暖かい日にはたまに、デザイン科の何人かのガールフレンドたちが外に出てきて、怪しげなレゲエ男にデザートを恵んでくれた。オレは頭にタオルを巻き、カラフルなセーターを着、ソックスの中に作業ズボンのすそを入れるという出で立ちで、地べたに座りこんで道具づくりをしている。そのため、ほこ天で怪しげなアクセサリーを売っているラスタマンと瓜二つなのだ。彼女たちはおそるおそる、果物を差し出してきた。動物にエサを与える好奇心で近寄ってくるらしい。オレはもらったナシやリンゴを、研ぎ出した帯鉄でむく。そいつはちょっとサビの風味がして、オツな味だった。そんな果物片をお返しに渡すと、ガールフレンドたちは顔をしかめつつも、おそるおそる口に運んだ。

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その171・復活

2010-07-07 09:00:37 | 日記
 しかしこちらに気のゆるみがあったことも厳然とした事実だ。特に代々木くんは「めんどくせーから」といって、丸ノコの刃から指先を守る安全カバーを取り外して可動域をひろげ、木材を刻んでいた。勇敢と無謀とは別物だ。太陽センセーは道具をあれほどムチャに扱いながらも、「決してケガはせんように、身のさばきは考えとる」と言いきる。逃げ道をつくっておくのだと。危険な道具を使う以上は、そんな作法から学ばなければならない。今回はその謙虚な態度が欠けていたのだった。
ー訓練校で重大事故発生!ー
ー代々木、今季絶望!ー
ー利き指にメス、再起不能か!?ー
ー不死身のオオアリクイ、ついにノックダウン・・・ー
 新聞の見出しのような文言が頭をよぎる。いったい完治するのにどれほどの時間がかかることか・・・それが気がかりだった。
 ・・・ところが翌朝になると、代々木くんはひょっこりと作業場に姿をあらわした。すっとぼけた笑顔とまぬけな冗談で、いつものように周囲をほがらかな雰囲気にしてくれる。彼の利き腕は包帯でぐるぐる巻きにされ、首から吊られていたが、思えばそれもまたいつものことだった。
「だ・・・大丈夫なのか?」
「おー、平気平気。なんともない」
「指は?」
「もどったよ」
「心配させんなよー・・・」
 痛々しさを見せないのが代々木くんのやさしいところだ。昨日来、凍りついていた作業場の空気がほどけていく。
 脱臼した指関節を力づくで入れられた話を、オレたちは顔をしかめて聞いた。彼はそんな反応を見て満足げだ。骨にビスが入ったものの、指は元通りの形にもどったようだ。以後の社会生活にもさしさわりなく、問題があるとすれば空港の金属チェックのときくらいだという。クラス中がほっと胸をなでおろした。
 それにしても大変なのはこれからだ。包帯がとれて抜糸したとして、本当に以前のようにろくろが挽けるのか?握力は元通りに回復するのか?神経はつながっているのか?感覚はちゃんともどるのか?・・・痛みと不安とで、いかにのんきなオオアリクイといえど、眠れない夜がつづくことだろう。
 ・・・と思っていたら、彼は二週間後にはもうろくろに向かっていた。包帯が巻かれている指先は、ビニールで防水してある。そこは使えないので、両手の指を折り畳んでグーの形にし、ゲンコツの関節を使って大きな水指を挽いていた。ぶきっちょな姿だが、おかまいなしだ。
「前よりうまくなったかもしれん」
 心配するだけソンだ。図太いというか、脳があたたかいというか・・・とにかくこの男の精神構造はシンプルにできているのだった。

東京都練馬区・陶芸教室/森魚工房 in 大泉学園

その170・ゆるみ

2010-07-06 08:55:43 | 日記
 それにしても今回ばかりは、これまでとは比べ物にならないほどの大事故だ。空手で殴られて前歯を欠かしたり、あばら骨を折ったり、妙なものをけとばして足の指を折ったり、交通事故に遭ってムチ打ちになったりなど、この一年のうちに彼が負った「かすり傷」とは格がちがう。重量級の大ケガだ。冗談半分に笑ってなどいられない。さすがにほんの少しだけ心配だ。彼が今すべきことは、一にも二にも、神社にお祓いにいくことだろう。・・・もちろん治療が先決だが。
 あたふたと走りまわっていたクラスメイトたちは、やがて事の真の重大さに気づきはじめ、凍りついていった。よりによって、右手の中指とは。陶芸は繊細な指先感覚の芸術なのだ。特に利き手の中指は、ろくろ挽きにも手びねりにもなくてはならない最重要な部位で、最も働かなければならない掛け値なしの要所だ。成形作業の道具としても、センサー機能としても、必要不可欠。力強さも敏感さも求められる、最前線のコンダクターといえる。指の形が右に曲がろうが左に曲がろうが、とにかく神経だけはつながっていなければ話にならない。この事故によって、彼は卒業までリハビリかもしれないし、下手をすれば、今まで学んだことがすべてチャラ。それどころか、社会生活にまで支障がでるという最悪の事態までありうる。だれもが声を失った。
 今さらながらに考えてみれば、作業場内はむき出しの凶器でいっぱいだ。ちょっとした油断が致命傷となる可能性はずっとあった。危険な工作機械に向かう態度がまるで甘かったのだ。作業に慣れ、利便性に満足し、愚直な丁寧さよりも効率を追う横着をおぼえた末の、これは必然の事故だった。しかもカレンダーの先に忘年会をにらみ、浮かれ気分で集中力を欠くこの時期のことだ。さらに不運なことに、いつも厳しいイワトビ先生が出張中で、代役である「あっちの」先生によるぬるい授業の片手間に道具づくりをしていた最中の出来事だった。思えばこの日は、一年中で最もだらけた一日だった。
「だから言ったでしょう、いかなー」
 というその先生の一言は、決定的な反感を買った。彼もまた管理者としておびえているようだった。
「保険に入ってたからいいようなものの」
 このひとの言葉が本質的だったことは、ただの一度もない。あきれ果てて、返す言葉もなかった。

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その169・訓練事故

2010-07-05 09:06:35 | 日記
「あ」
 と、背後で小さく声が漏れたので、オレはろくろから目を上げた。その声音には深刻な響きがあった。つづいて「やっちまった・・・!!!」と痛恨のつぶやき。悲鳴よりも切実に聞こえるその小さな訴えに、鳥肌が走る。
 振り返るとそこには、ぶるぶる震える右手中指を押さえた不吉の出席番号13番氏が立ちつくしていた。顔は、痛苦と悔恨にゆがんでいる。彼が押さえる指先は、ありえない方向に曲がっていた。慄然とする作業場。
ー事故・・・!?ー
 オオアリクイの野太い足もとが、みるみるうちに血の池になっていく。コテをつくろうと電動丸ノコで木材を切っていた彼は、ふとした拍子で木の節を回転にはじかれ、凶暴な鉄刃に中指から人差し指、親指をなでられたのだった。肉束はえぐられ、中指の先の関節が真横90度に折れ曲がっている。
「大変だ!また代々木くんがやっちまったぞ。看護士さん~!」
 代々木くんは顔面蒼白で、巨体をよじって苦しむ。幸いなことにクラスには医療現場の経験者が何人かいたので、すぐに応急処置で止血をした。クラス中で連携し、救急車を手配する。あっという間にサイレン音が作業棟に横づけされ、ストレッチャーが飛びこんできた。
 しかしケガ人がそこに寝かされた途端、はじまったのは、なんと記念撮影会だった。
「絶好のシャッターチャンスだ・・・俺を・・・俺を撮ってくれ・・・」
 それは驚くべきことに、バカ張本人の要望だ。代々木くんは真っ青な顔でうめきながら、カメラポジションを指定する。
「アップも・・・たのむ・・・」「きみはロングで・・・」「サイドからも・・・そう!そのアングル」「いいねいいね。はい、チーズ・・・イテテ」
 なんという剛胆。携帯カメラの砲列にとり囲まれ、まるでファッションモデルだ。
「救急隊員さん、いっしょに入って・・・」
 白衣の男たちにかこまれ、曲がった指でピースサイン。タフな男だ。彼はケガ慣れしすぎてしまったようだ。しかし土気色の顔に余裕の笑みはない。こうしてさんざん遊んだ末に、オオアリクイは生け捕りにされた。白塗りのオリに閉じこめられ、けたたましいサイレン音とともに連れ去られる。現場には騒然とした空気と血だまりだけが残った。

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