陶芸みち

陶芸のド素人が、その世界に足を踏み入れ、成長していく過程を描いた私小説です。

その170・ゆるみ

2010-07-06 08:55:43 | 日記
 それにしても今回ばかりは、これまでとは比べ物にならないほどの大事故だ。空手で殴られて前歯を欠かしたり、あばら骨を折ったり、妙なものをけとばして足の指を折ったり、交通事故に遭ってムチ打ちになったりなど、この一年のうちに彼が負った「かすり傷」とは格がちがう。重量級の大ケガだ。冗談半分に笑ってなどいられない。さすがにほんの少しだけ心配だ。彼が今すべきことは、一にも二にも、神社にお祓いにいくことだろう。・・・もちろん治療が先決だが。
 あたふたと走りまわっていたクラスメイトたちは、やがて事の真の重大さに気づきはじめ、凍りついていった。よりによって、右手の中指とは。陶芸は繊細な指先感覚の芸術なのだ。特に利き手の中指は、ろくろ挽きにも手びねりにもなくてはならない最重要な部位で、最も働かなければならない掛け値なしの要所だ。成形作業の道具としても、センサー機能としても、必要不可欠。力強さも敏感さも求められる、最前線のコンダクターといえる。指の形が右に曲がろうが左に曲がろうが、とにかく神経だけはつながっていなければ話にならない。この事故によって、彼は卒業までリハビリかもしれないし、下手をすれば、今まで学んだことがすべてチャラ。それどころか、社会生活にまで支障がでるという最悪の事態までありうる。だれもが声を失った。
 今さらながらに考えてみれば、作業場内はむき出しの凶器でいっぱいだ。ちょっとした油断が致命傷となる可能性はずっとあった。危険な工作機械に向かう態度がまるで甘かったのだ。作業に慣れ、利便性に満足し、愚直な丁寧さよりも効率を追う横着をおぼえた末の、これは必然の事故だった。しかもカレンダーの先に忘年会をにらみ、浮かれ気分で集中力を欠くこの時期のことだ。さらに不運なことに、いつも厳しいイワトビ先生が出張中で、代役である「あっちの」先生によるぬるい授業の片手間に道具づくりをしていた最中の出来事だった。思えばこの日は、一年中で最もだらけた一日だった。
「だから言ったでしょう、いかなー」
 というその先生の一言は、決定的な反感を買った。彼もまた管理者としておびえているようだった。
「保険に入ってたからいいようなものの」
 このひとの言葉が本質的だったことは、ただの一度もない。あきれ果てて、返す言葉もなかった。

東京都練馬区・陶芸教室/森魚工房 in 大泉学園

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