陶芸みち

陶芸のド素人が、その世界に足を踏み入れ、成長していく過程を描いた私小説です。

その176・宝の庭

2010-07-12 09:01:00 | 日記
 卒業が迫ろうが何に追われようが、オレの若葉家詣ではつづいていた。学校で教われないことをこの場所で覚え、ここで学んだことを学校の、あるいは自分ちのろくろの上に持ち帰り、せっせと反復練習する。そうして腕を磨いた。
 太陽センセーに学ぶものは、知性だ。技術ひとつとっても、師のそれは単なる造形方法ではない。技法の奥にある「こころ」と「作法」をこそ伝えようとしてくださる。そして陶芸の奥深さと。その深みをのぞきこむのは幸せな時間だった。太陽センセーの一挙手一投足はいちいちサムライのたたずまいをもっていて、いつもその背中をうっとりとながめてすごした。
 寒い寒い休日の朝、センセーは前夜の酒精を漂わせるオレを庭に連れ出した。竹林から漏れる心細い日光の下に、粗大ゴミ置き場からひろってきたかと思われる木机があった。
「かぶせの向こう付けを教えてやろう」
 「向こう付け」とは、懐石で用いる様々な形をした小鉢のことだ。お膳の上でメシ碗と汁碗の向こうにあるので、こう呼ばれる。そして「かぶせ」とは、土を型にはめこんで造形する技法で、そろいものをつくるのに便利な方法だ。それを伝授してくださるという。ただし、なぜかこの冬のまっただ中に、この吹きっさらしの庭で。
「そ、外でやるんすか?」
「不満か?」
「いえ、その男前っぷりにほれぼれします」
 ところどころに雪の残る庭は、例によって散らかり放題だ。陶芸材料は天日にさらされ、謎の機械類は点々と身を横たえ、工具類はあちこちに散乱。荒れ果てた、と表現するのがぴったりだ。なんらかの事件に巻きこまれた現場のようにも見える。「keep out」のテープでも貼り巡らせれば、深刻にヤバい画づらだ。
 ところが、そのへんにぽつねんと置かれている破れバケツに蹴つまずいたりすると、
「こらっ!気をつけんか!中に鬼板(鉄分が大量に交じった泥状の陶芸材料)が入っとるじゃろが!」
などと叱られる。ズタズタのバケツをのぞきこむと、たしかに真っ茶色のドロ水・・・いや、天然採取した鬼板が入っている。それにしても、こいつと汚水とをいったいどう見分けろというのか?しかしこの庭では、ブルーシートに投げ出された原土、古バケツの中の液体、新聞紙の上の木片や鉱物・・・それらひとつひとつが、作品づくりに欠かせない大切な材料なのだった。なにしろセンセー自身が山を調査し、発見し、掘り出してきた天然素材。貴重品だ。そういう意味では、この庭は宝の集積地と呼ばなければならない。

東京都練馬区・陶芸教室/森魚工房 in 大泉学園

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