陶芸みち

陶芸のド素人が、その世界に足を踏み入れ、成長していく過程を描いた私小説です。

その177・タタラ成形

2010-07-13 10:15:25 | 日記
 センセーは、この庭のどこになにがあるかを熟知していると豪語し、またそれらは作業をするのに最も効率よく配置されている、と言い張った。
「じゃ、さっそくはじめるか。まず向こう付けの型をさがすんじゃ」
「さがす・・・」
「そこいらにあったじゃろ」
 竜巻が過ぎ去ったあとのような庭で探索がはじまる。しかしセンセーの指差す方向を見ると、石膏や軟質な石でつくられた「型」がそこここに転がっていた。使い終えるとそこにポイと捨て・・・いや、置いておくのだろうか?とにかくその場に駆けつけ、ひろい集め、具合のいいものを選び、木机の上に並べる。菱形、筒形、扇形。どれもが土中の成分や雨水がしみこんで汚れ、砂利にヤスリをかけられて角を落とした年代物だ。その形をもう一度刃物で削り出し、磨きあげ、使えるものに仕立て直す。
「ヨシ。次に粘土を薄くのすんじゃ」
 粘土の左右両サイドに薄い木の板を置き、麺棒で伸ばすと、板と同厚の粘土板ができる。タタラ成形という技法だ。これをちょうどいい大きさに切って、さっきの型にはめこめば、器形になるいうわけだ。わたされた薄い板(タタラ板と呼ばれる)は、どこかの居酒屋の壁にかかっていたメニューらしく、「焼き鳥・550円」だの「クジラベーコン・800円」だのという景気のいい文字が踊っている。麺棒の代役は鉄パイプ。センセーは弘法と同じく、筆を選ばない。いつもながらシビレる。
「さてと、あれはどこにやったかな・・・?」
 突然気がついたように、センセーが辺りを見回しはじめた。
「そこいらに置いといたはずじゃが・・・」
「今度はなんすか?センセー。道具ですか?それとも機械?」
「いや、そうではない・・・おお、あったあった」
 センセーがトタン板の下から引っぱり出したのは、なんと片栗粉だった。この庭に無いものはない。そして彼は、そのすべての配置を記憶している。このときばかりは恐れいった。
 その片栗粉を型と粘土板の間にまぶし、くっつかないようにする。そして手で粘土を寄せて、型と密着させる。こうして成形したものに短い三本足を付ければ、向こう付けのできあがりだ。その後、緑釉と鉄絵をほどこして、織部にするのだ。

東京都練馬区・陶芸教室/森魚工房 in 大泉学園

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