私は、1978(昭和53)年に、25歳に教員になりました。今から42年も前のことです。大学を卒業してから、新宿でバーテンをしたり、大学院に行き、すぐに中退してしまったり、塾の講師をしたり、埼玉で学校事務をしたり、玉川大学の通信教育で教員免許をとっていたりと、ふらふらした挙句の就職でした。
教員になりたてのころは、まだ携帯電話などあるはずもなく、公衆電話はテレフォンカードか、硬貨の続けざまの挿入の時代。もちろん、パソコンもなく、ワープロの登場も、それから数年を待たなくてはならない時代でした。このあたりのことは、また記事にすることがあるかと思います。
昨年、挫折した「職場新聞」の再チャレンジです。組合にぜひとも加入してほしいという願いもあるにはあるのですが、私の世代の仲間が、すでに大量に退職してしまい、若い教員に現場で「昔のこと」を伝える人が激減してしまっていることに危惧を覚えて。
「昔はよかった」などというつもりはないのですが、私にはどうも今の学校教育は、「よくなってはいない」と実感することが、たびたびです。
今、みなさんが勤め、子どもたちと向き合って学習している学校の様子も、私の入ったころと、大きく様変わりしてきています。
えっ? メーデーってしらないの?
ひとつ前の学校でのことです。4月の下旬に、同じ学年を組んでいる若い先生に、「あっ、5月1日はメーデーだから、1日クラスをお願いします。」と話しかけたところ、「えっ、先生。メーデーってなんですか?」と尋ねられたことがあります。そのときは、かなりショックでしたが、もしかして、今、その話をしたら、大半の若い先生が、「私も知りません。」と言うかもしれません。
去年のことです。教科等研究会での話し合いのときでした。私が、若い先生たちに、「みなさんは、学級会では、子どもたちとどんなことをとりあげて話し合っているの?」と尋ねたときです。先生たちから、一斉に「先生、学級会って、なんですか?」と、反対に質問を受けました。ああ、今の先生たちには、「学級会」という言葉は、もう死語になっているのだ。そして、学活では「係の活動」や「行事の準備」であけくれしているのだなと思いました。
そんな世代間のギャップというものについては、年を追うごとに数が増してきています。
もちろん昔のことは、知っていても役に立つものばかりではありません。しかし・・・
「今のあたりまえ」は、けっして「あたりまえ」のものではない
例えば、卒業式ひとつをとってみても、今の形が昔から「普遍的に」続いてきたものではありません。私が在職している40数年の間には、大きく変化して(されて)きています。
通知表も同じです。職員会議も・・・
そして、ここからは私の考えなのですが、それらの変化、改革は、便利になったり、よりよくなったりしているとはとうてい言えるものではなく、よくよく考えると、むしろ時代に逆行しているのではないかと思えるものが、たくさんあることが分かってきました。
今、みなさんが向き合っている「あたりまえ」のことを、「あたりまえではない」と、私なりに伝えていこうと思っています。
今、「働き方改革」と言われて推進している「勤務時間の移動」措置も、文科大臣の言葉を聞くまでもなく、すでに残業を減らす目的のものではないことは自明のことです。これについても、どこかで、分かりやすく説明をしていこうと思います。
伝えたいことは 山ほどあります!
教師として生きていくことは、とても楽しく、やりがいのあるものです。民間の営業職と違って、すぐに結果が出てくるものではない職業ですが、子どもたちの卒業後に、噂で「○○さんは、今、医者になりたくて猛勉強している」とか、「■■くんは就職して、初任給の際に、両親を旅行に招待したらしい」といった活躍や成長を聞いたり、子どもたちが学校に遊びに来たりして思い出話に浸ったりするときなど、教師になってよかったと思えるものがたくさんあります。(私だけの影響ではないはずなのに・・・)
先生たちがゆとりを持って働き、また専門職として尊重され、教育を司ることができ、しかも家庭や地域でも一家庭人、社会人として貢献できるようになる日は、残念ながら、私の在職時代には来なかったようです。幸い、私の息子も教員になりました。そんなに教育論議をしている親子ではないのですが、彼にも父親の思考(思想とまではいきません)の変遷を残しておこうと思っています。
この春休みに、「若い先生に伝えておきたいこと」をリストアップしてみたところ、おそろしいくらいの数になりました。しかし、どれをとっても、絶対に語っておきたいものなのです。どこまで描くことができるか、1年をかけて書き続けていこうと思います。そして、私の考えは決して絶対ではないことは、自分でよく分かっています。40年教員をしていても、「理想の教育ってどんなものですか」などの質問に、ただたじろぐ私です。異論、反論は、ぜひ私まで。私も、もっともっと学びたい。
以下、連載予定のテーマです。どこまでできるか、今年のチャレンジのひとつです。
1.縛られている卒業式 2.ブラックは加速している 給特法について 3.あゆみ、要録、テスト、
評価 4.義務教育は無償なのに 私費負担について 5.村田栄一がいなかったら私は教師にならな
かった 6.宿題の丸つけと教育格差 7.国民の祝日について 8.市教研と私たちの研修権
9.参考書は必要経費にならない? 10.PTAは、PAになり、下請けになりつつある
11.主幹、指導、主任 昔は? 12.学担はどう決まっていた? 13.はやりのスタンダードを、
よく検討してみよう 14.麹町中の取組をよく考えてみたら・・・ 15.道徳との向き合い方
16.仕えた校長の思い出 17.自己申告は何を目指すのか 18.職員会議 その変遷
19.担任の家によく行ったこと 居残り勉強 20.学級通信を出し続けること
21.「服務」という恫喝 22.もの言わぬ若手教師というけれど 23.運動会・組体操
24.組合について 25.性教育 萎縮している時代 七生養護学校の事件について
26.文学教材が貧困になっている 大学入試が大きく後退している 27.教員間のいじめのこと
28.プール、水泳指導はいずれ? 29.保護者とのトラブルが増えている理由
30.再任用は6割の給料! 31.教え子とのつながり 32.思い出に残る先生
33.思い出に残る子ども 気になっている子ども 34.学習指導要領との付き合い方
35.指導書、赤本は、とうとう使わなかった 36.「多数決」について 37.ユーモアは必需品
38.発達障害 インクルーシブ教育はうまくいっているのか 39.話し合い・コミュニケーション
40.教科書を選ぶのは? 41.苦い思い出 42.教室に本を大量に置くこと
43.なぜ管理職を目指さなかったのか 44.society5.0について
45.問題研究会で学んだこと 46.全生研、歴教協、児言研、仮説実験授業から学んだこと
47.オリパラ 副読本のまやかし 48.法則化運動と距離を置いて ・・・・・
これでも抑えたほうなのですが、逆に、これを1年間で描ききれれば、上々ですね。
1週間に1号を目指していきますが、なにせもともと「自堕落」な素質をもっている私です。残された少ない日々を意識しながら、自分に鼓舞激励していこうと思っています。よき読者(批判も大歓迎)となっていただければ幸いです。
教員になりたてのころは、まだ携帯電話などあるはずもなく、公衆電話はテレフォンカードか、硬貨の続けざまの挿入の時代。もちろん、パソコンもなく、ワープロの登場も、それから数年を待たなくてはならない時代でした。このあたりのことは、また記事にすることがあるかと思います。
昨年、挫折した「職場新聞」の再チャレンジです。組合にぜひとも加入してほしいという願いもあるにはあるのですが、私の世代の仲間が、すでに大量に退職してしまい、若い教員に現場で「昔のこと」を伝える人が激減してしまっていることに危惧を覚えて。
「昔はよかった」などというつもりはないのですが、私にはどうも今の学校教育は、「よくなってはいない」と実感することが、たびたびです。
今、みなさんが勤め、子どもたちと向き合って学習している学校の様子も、私の入ったころと、大きく様変わりしてきています。
えっ? メーデーってしらないの?
ひとつ前の学校でのことです。4月の下旬に、同じ学年を組んでいる若い先生に、「あっ、5月1日はメーデーだから、1日クラスをお願いします。」と話しかけたところ、「えっ、先生。メーデーってなんですか?」と尋ねられたことがあります。そのときは、かなりショックでしたが、もしかして、今、その話をしたら、大半の若い先生が、「私も知りません。」と言うかもしれません。
去年のことです。教科等研究会での話し合いのときでした。私が、若い先生たちに、「みなさんは、学級会では、子どもたちとどんなことをとりあげて話し合っているの?」と尋ねたときです。先生たちから、一斉に「先生、学級会って、なんですか?」と、反対に質問を受けました。ああ、今の先生たちには、「学級会」という言葉は、もう死語になっているのだ。そして、学活では「係の活動」や「行事の準備」であけくれしているのだなと思いました。
そんな世代間のギャップというものについては、年を追うごとに数が増してきています。
もちろん昔のことは、知っていても役に立つものばかりではありません。しかし・・・
「今のあたりまえ」は、けっして「あたりまえ」のものではない
例えば、卒業式ひとつをとってみても、今の形が昔から「普遍的に」続いてきたものではありません。私が在職している40数年の間には、大きく変化して(されて)きています。
通知表も同じです。職員会議も・・・
そして、ここからは私の考えなのですが、それらの変化、改革は、便利になったり、よりよくなったりしているとはとうてい言えるものではなく、よくよく考えると、むしろ時代に逆行しているのではないかと思えるものが、たくさんあることが分かってきました。
今、みなさんが向き合っている「あたりまえ」のことを、「あたりまえではない」と、私なりに伝えていこうと思っています。
今、「働き方改革」と言われて推進している「勤務時間の移動」措置も、文科大臣の言葉を聞くまでもなく、すでに残業を減らす目的のものではないことは自明のことです。これについても、どこかで、分かりやすく説明をしていこうと思います。
伝えたいことは 山ほどあります!
教師として生きていくことは、とても楽しく、やりがいのあるものです。民間の営業職と違って、すぐに結果が出てくるものではない職業ですが、子どもたちの卒業後に、噂で「○○さんは、今、医者になりたくて猛勉強している」とか、「■■くんは就職して、初任給の際に、両親を旅行に招待したらしい」といった活躍や成長を聞いたり、子どもたちが学校に遊びに来たりして思い出話に浸ったりするときなど、教師になってよかったと思えるものがたくさんあります。(私だけの影響ではないはずなのに・・・)
先生たちがゆとりを持って働き、また専門職として尊重され、教育を司ることができ、しかも家庭や地域でも一家庭人、社会人として貢献できるようになる日は、残念ながら、私の在職時代には来なかったようです。幸い、私の息子も教員になりました。そんなに教育論議をしている親子ではないのですが、彼にも父親の思考(思想とまではいきません)の変遷を残しておこうと思っています。
この春休みに、「若い先生に伝えておきたいこと」をリストアップしてみたところ、おそろしいくらいの数になりました。しかし、どれをとっても、絶対に語っておきたいものなのです。どこまで描くことができるか、1年をかけて書き続けていこうと思います。そして、私の考えは決して絶対ではないことは、自分でよく分かっています。40年教員をしていても、「理想の教育ってどんなものですか」などの質問に、ただたじろぐ私です。異論、反論は、ぜひ私まで。私も、もっともっと学びたい。
以下、連載予定のテーマです。どこまでできるか、今年のチャレンジのひとつです。
1.縛られている卒業式 2.ブラックは加速している 給特法について 3.あゆみ、要録、テスト、
評価 4.義務教育は無償なのに 私費負担について 5.村田栄一がいなかったら私は教師にならな
かった 6.宿題の丸つけと教育格差 7.国民の祝日について 8.市教研と私たちの研修権
9.参考書は必要経費にならない? 10.PTAは、PAになり、下請けになりつつある
11.主幹、指導、主任 昔は? 12.学担はどう決まっていた? 13.はやりのスタンダードを、
よく検討してみよう 14.麹町中の取組をよく考えてみたら・・・ 15.道徳との向き合い方
16.仕えた校長の思い出 17.自己申告は何を目指すのか 18.職員会議 その変遷
19.担任の家によく行ったこと 居残り勉強 20.学級通信を出し続けること
21.「服務」という恫喝 22.もの言わぬ若手教師というけれど 23.運動会・組体操
24.組合について 25.性教育 萎縮している時代 七生養護学校の事件について
26.文学教材が貧困になっている 大学入試が大きく後退している 27.教員間のいじめのこと
28.プール、水泳指導はいずれ? 29.保護者とのトラブルが増えている理由
30.再任用は6割の給料! 31.教え子とのつながり 32.思い出に残る先生
33.思い出に残る子ども 気になっている子ども 34.学習指導要領との付き合い方
35.指導書、赤本は、とうとう使わなかった 36.「多数決」について 37.ユーモアは必需品
38.発達障害 インクルーシブ教育はうまくいっているのか 39.話し合い・コミュニケーション
40.教科書を選ぶのは? 41.苦い思い出 42.教室に本を大量に置くこと
43.なぜ管理職を目指さなかったのか 44.society5.0について
45.問題研究会で学んだこと 46.全生研、歴教協、児言研、仮説実験授業から学んだこと
47.オリパラ 副読本のまやかし 48.法則化運動と距離を置いて ・・・・・
これでも抑えたほうなのですが、逆に、これを1年間で描ききれれば、上々ですね。
1週間に1号を目指していきますが、なにせもともと「自堕落」な素質をもっている私です。残された少ない日々を意識しながら、自分に鼓舞激励していこうと思っています。よき読者(批判も大歓迎)となっていただければ幸いです。