管理職も行政も教えてくれない 学校の「今のあたりまえ」 若い教師に伝えたいこと

今当たり前と思っていることも、よくよく考えてみれば、問題だらけ。若い人には、ぜひ読んで、考えてもらいたいものばかり。

新担任としてやってみたいこと その3

2018-01-08 09:14:34 | 勉強、授業
⑥ 指導書に頼らない

 私は、指導書をほとんど見ない。
 まずは、今、目の前にいる子ども達が、この内容で、何を知ってほしいのか、分かってほしいのか、
何ができるようになってほしいのかを考える。
 何回も何回も、教科書の文を読む。

 それから、そのためには、どのように授業を組み立てていったらいいのかを考える。
 まず、子ども達に考えさせる時間を作るのか。そうならば、どうやって「考えてみようか」という意欲が湧くのか。
 いやいや、話し合って、意見を出し合ってみてはどうか。
 ノートに自分の考えを、まず書かせよう。
 ヒントは必要か。資料を提示してみよう。映像がいいかもしれない。
 意欲的に「学んでみよう」とするための工夫は。

 などなど。

 獲得させたい力(知識・技能)→授業の形態、展開

 3点目は、「獲得の遅い子」にどうするか。
 これが肝心。たいがいの人は、これを抜かして「全員ができた」的な自己評価をする。
 お隣さんが教える、援助する。
 できた子から「先生役」として手伝ってあげる。
 私が直接、個別に指導する。
 など・・・

 獲得させたい力(知識・技能)→授業の形態、展開→全員ができる(分かる)ようにするための工夫

 そして、自分の出来栄え、到達度、理解度を測る工夫を考える。

 知識的なものなら、ミニテスト風に。技能的なものなら、実際に作ってみる、書いてみる、発表してみる。
 感想に書いてみるなど。
 

 獲得させたい力(知識・技能)→授業の形態、展開→全員ができる(分かる)ようにするための工夫→自分の到達度を知る。

 最低この4つがてきていれば、まず授業は「大崩れ」はしない。

 自分の頭で考えることこそ大事なことだ。
 心配なら、そこで「指導書」を見てみるといい。「私のほうが、きっといい授業になる」と思ったら、しめたものだ。

 はじめは、なかなかうまくいかないまでも、「場数を踏む」ことで、何かが見えてくるものだ。

 指導書はあくまで「標準」のものだ。眼前にいる子ども達は、「標準」ではないのだ。
 それぞれが個性を持った子の混合集合体である。

 指導書をせめて後回しにすること。
 あなたの指導力、授業力は、自分の頭を使わない限り、身につくものではない。

コメントを投稿