管理職も行政も教えてくれない 学校の「今のあたりまえ」 若い教師に伝えたいこと

今当たり前と思っていることも、よくよく考えてみれば、問題だらけ。若い人には、ぜひ読んで、考えてもらいたいものばかり。

本末転倒 なにが1番大事なのか

2018-02-12 20:50:24 | 先生たち
来年度の教育課程を話し合う中で、私にとってはおそらく初めて聞くような発言が飛び出した。

1つ目は、こんな発言である。
「みなさんは時間にルーズです。会議の時間にきちんと集まっているのは、全体の3分の1。教員として恥ずかしいことです。」
「会議に遅れないように、例えば体育などは着替えの時間もあるので、授業を少し早く終わらせるようにして、会議に間に合うように子ども達を
下校させてください。」
前者は校長から。後者は、それを受けての教務主幹から。

その発言のあとに、私が発言。
「会議のために、子どもの授業を端折るということは、本末転倒ではないか。時間のない中で、少しでも早く会議を始めたい、講師がいる場合など失礼に
ならないかということは分からないでもないが、授業を軽く扱って、会議を優先的に考える発想はやめてもらいたい。みんなそれなりに会議に間に合うように努力しているのだから。無理ならばやむなく開始時間を繰り下げるしかないのではないか。」

2つ目は、明らかに「個人攻撃」とも言える発言が、堂々と出てきたこと。
「学年で打ち合わせしたことを守らない人がいて迷惑を受けた」的な発言が、学年主任から。
これは発言ではなく、書面で書いてものをまとめてプリントした中にあった。
幸いに同僚が、
「こんな個人的なものは、ここの話し合いにはふさわしくない。ここでこのように書くこと自体間違っていると思う。」
と発言してくれた。私も言うつもりでいたのだが、この発言につきる。
ただ本人が欠席していたので、どう伝わるか。または伝わらないかもしれない。気になる学年であり、学年主任が、2人の若い教師に対して、
1人には「寵愛」し、1人にはほとんど「無視」のような対応をしている。主任のわがまま、気ままを放置してきた私たちも反省しないといけない。

相変わらず若い人の発言がない。
従順とまではいかないにせよ、批判的な精神と、教師としての誇り、怒りを失っているかのようなふがいない彼ら、彼女らである。

もっともっと私たちの背中を見せていかないと。

「毅然とした指導」「強い指導」 を嗤う

2018-02-12 20:48:28 | 生活指導、学校のきまり
最近、「毅然とした指導」「強い指導」という言葉が、現場で行き交っている。
エスケープや非行など、教師側として「手に負えない」事態が進んでいるといった事情も、その背景にあるのだろうが、非常に違和感のある言葉である。
漠然とした言葉であり、その受け止め方は人それぞれで異なる用語であるが、簡単に言えば「有無を言わせぬ命令」とでも言うのだろう。
問答無用で、子どもを屈服させることは、教育の敗北を意味するものだろう。

しかし、それに対して異議を唱えるものは、ほんの一握りである。
もともと教員は「真面目」であるだけに、さらにやっかいである。その言葉を受けて、ひたすら子ども達に抑圧的に振る舞ってしまう。
違和感を覚えつつも、「これだけ熱意をもって指導した」とひた走るのである。
そうすると、ますます子どもとの距離は広がり、指導すればするほど、教室内の溝は深まっていくのである。

私の学校も残念ながら、管理職も生活指導担当も、一途に「きまりを守らせる」ことだけに突っ走っているようである。
「きまりだから守らせる」
そんな発想から抜けられないのである。

後日、さらに検討していこうと思う。

昨日は仕事をしてました 紀元節は私には存在しないので

2018-02-12 20:45:45 | その他
「建国記念の日(けんこくきねんのひ)は、日本の国民の祝日の一つ。2月11日。 神武天皇(その即位日だけでなく実在さえ現在の歴史学では、史実であるとは考えられていない)が即位した日を日本の建国された日として祝うこと(紀元節〔きげんせつ〕)は、戦後占領軍(GHQ)の意向で祝日から削除された。 しかしその後、紀元節を復活させようという動きが高まり、反対する動きを抑え建国を記念するための祝日を設けることになった。 その際「紀元節」から「建国記念の日」に改正され、1966年に国民の祝日に認められて、翌年から適用された。」(Wikipedia)

 休みの日というのは魅力的だが、平等という観点からして納得できない存在しての天皇の、しかも学問的にはなんの根拠もない「建国の日」を祝うほど、私はおひとよしでも愛国者でもない。
 前にも書いたが、天皇がらみの祝日には、自分に「仕事」を課している。
 
 日の丸、君が代のなしくずし的な許容の風潮もそうだが、戦争につながるだろうと思われる「芽」を感じたときには、それを丁重に固持する。そのくらいの矜持を持っていたい。

堕落した教育現場

2018-02-12 20:43:33 | 行政
ふつうの感覚なら、「~を愛する」「~に敬意を表する」かどうかは、まったくもって個人の信条にかかわるものである。日の丸、君が代を愛するかどうかは、個々の判断にまかせるしかないものである。まして、それが「愛国心」につながるかどうかについても、個々の判定を尊重するしかないものだ。
 私は、この歌や旗については、なんの感慨をもつことはなく、むしろ「侵略のシンボルだという、薄汚れた手垢のついた」ものだと考えている。そしてまた、これは新しい日本のシンボルとして、これからの日本の未来には必要なのだいう意見も、渋々とは言え、認める立場でもある。
 教育の現場に持ち込むかどうかについては、「棚上げ」しませんかと思う。
 それが次善の方法ではないだろうか。
 結果的には、現象面では、「反対派」の主張する「持ち込まない」ことになるが、意味合いはまったくちがう。

 残念なことに、私の異動した学校では、話題にも議題にもならないで、旗と歌は、堂々と会場に設置されている。教育としてどうかの論議もないことは、学校の、教員の堕落であろう。若いものは、都教委の通達すら知らないものもいることだろう。


「卒業式のシーズンがきました。子どもたちが自らの成長を確かめ合い、新しい旅立ちへと決意を新たにするときです。その門出をみんなで祝う式にしたいものです。子どもの思いを台無しに「日の丸・君が代」への起立・斉唱の異常な強制によって、子どもたちの思いが押しつぶされ、教職員が監視され萎縮するような事態が、各地で起きています。

 卒業生と在校生、保護者、教職員が向き合い、壇上には卒業生の作品が飾られる。そんな卒業式が、東京都では教育委員会の2003年の通達で認められなくなりました。壇上には「日の丸」を掲げ、全員がそちらを向かなければならないというのです。
異常な強制は他の地方にも広がりました。大阪府では府教委が13年に、校長らが卒業生をそっちのけにして、教職員が「君が代」を歌っているか口元を確認するよう通知しています。北海道では道教委が、「君が代」を「他の歌と同様」の大声で歌うよう子どもたちに指導しろと校長らに命じています。いったい何のため、誰のための式なのでしょうか。

 「日の丸・君が代」については多様な意見がありますが、それらが侵略戦争に突き進んだ日本のシンボルであったことは歴史的事実です。起立したくない、歌いたくないという教職員や子どもは当然います。宗教上の理由で「君が代」は歌えないという人、日本の侵略を受けたアジア諸国出身の人もいます。政府は1999年の国旗・国歌法制定時に「強制はしない」としていました。「日の丸・君が代」の歴史やそれに対するさまざまな思いを考えると重要なことです。だから03年以前は、式の前に「君が代」斉唱について、「内心の自由がある」ので強制ではないことを子どもや保護者に説明する学校がありました。ところが都教委はこれも禁止してしまいました。

 「君が代」斉唱のさいに起立せず処分された東京都の教職員が起こした裁判では、12年1月の最高裁判決以来、減給・停職の処分は重すぎるとして、取り消す判断が続いています。これらの判決は、強制を「合憲」とし、戒告処分を容認しているという問題はありますが、起立しなかったのはそれぞれの「歴史観・世界観」によるものだということを認め、自らの信念に従って誠実に行動する教職員を重い処分で追い詰めるやり方に、一定の歯止めをかけています。
ところが都教委は、裁判で減給などの処分を取り消された教職員に対して、改めて戒告処分を出して、執拗(しつよう)に強制を続ける姿勢をとり続けています。その執念深さは尋常ではありません。都教委は一連の裁判の結果を真摯(しんし)に受け止めるべきです。

教育に自由な雰囲気を
教育は人間的ふれあいを通じて営まれるべきもので、自由な雰囲気が欠かせません。そのかけがえのない自由を奪うことは許されません。卒業式や入学式は、それぞれの学校で子ども・保護者・教職員が話し合って、子どもたちの新たな出発にふさわしいものにすることが本来のあり方です。
憲法や子どもの権利条約が保障する思想・良心の自由、表現の自由、信教の自由を侵し、子どもたちのための式を台無しにする強制は、直ちにやめるべきです。」(赤旗)

これでは差はつきませんねえ

2018-02-12 20:40:27 | 先生たち
私の軽蔑する教師の言葉の中で、ベスト10にも入ろうか。
あ~、それ軽蔑してしまいますよ。
と私は吠えてしまうのですが。
テストを作って検討すると、必ずこう言う同僚がいる。必ず。
目当てにそった問題なら、みんなができたら万々歳じゃないの?
差をつけるために、あなたは存在してるの?
そうなら、あなたは道を誤ったよ。