みんなの学校に建てられている、あの石像。みなさんはきっと、どんな人の像か知らないと思いますが、校長先生が少し時間をとってお話することにいたしましょう。
あのお方はと~っても偉い方。
日本の総理大臣になられた方です。しかも普通の総理大臣ではない。
日本の国、いや世界に平和をもたらした方なのです。
この方は、日本が世界大戦で敗れたこと、そしてそのあとも、国民が少しも、その戦争の教訓を汲み取ることなく、毎日の楽しさぱかりを追い求めていることを、大変嘆いておられました。
このままでは、またもや日本は他国を侵略して、自分の国だけを利する、堕落した国になってしまう。なんとしてもそれを国民に知らせなくてはならない。積極的に平和を作り上げる国にしなければならないと、いつもいつも考えていたのでした。
しかし、それはとても難しいことです。
彼にはお祖父さんが総理大臣だったという経歴はあるのですが、それがなにになるのでしょう。
考えて考えて考え抜いたあげく、彼は、人生をかけて国を変える妙案を思いつきました。この考えは、自分の人生を犠牲にすることです。
さっそく実行開始です。
彼は、さっきも話したように、祖父が総理大臣だということを利用して、また努力も重ねて、日本の総理大臣に上り詰めることができました。
さて、大変だったことは、それからです。自分の周りには、戦争好きで、口の軽い人を侍らせ、さらに、日本が世界中で戦争ができるような法律を国会に、国民に提案しました。
あとは、彼の苦渋の演技が始まります。
この法律を通すために、昔の裁判の判決を出してきたり、政治家の判断でいかようにも戦争に参加することができるのだという答弁をしたのです。賢い彼です。計算通り、国民から猛烈な反対の意見が出されました。
アンポ反対って聞いたことないでしょうねえ。このときより、もっと昔に、ものすごい国民の運動、あ、体育じゃないです、があったのですが、それに匹敵するくらいの反対の運動がわき起こったのです。いままで政治に関心の薄かった若者まで、毎日のように国会を取り囲みました。テレビや新聞でも、この法律は戦争を防ぐのではなく、かえって人を殺し、殺される関係を作り出すものだとして、連日報道されました。
彼もまた頑張ります。「今、反対しても、いずれは、これでよかったと思える時が絶対にきます」「これしかない、私の信念です」と一歩も引きません。このころは、与党の議員さんたちも、自分のことしか考えない、堕落した政治家ばかりでしたから、誰も何も言いません。
彼の思惑通り、この法案は国会で、多数決により、法律として成立してしまいました。
彼は満足した顔をして、周りの取り巻きと握手をしました。
このときには、新聞社の世論調査では、彼を支持する国民が、世論調査史上初の0、7%にまで下がっていました。
これでよかったのだ。彼はこの法律の成立後、議会を解散して、自らは立候補しない旨を明かします。
このあとの展開は、教科書にも載っていますから、だいたいのことを知っている人もいるかもしれませんね。
彼のいた政党は、選挙で1議席も当選するとこなく、消滅してしまいました。
国民は、平和を願う市民団体、文化人、学者、政党などが結集して、すべての選挙区に、「前の国会で成立した戦争法案を廃止するためだけの公約をもった候補者」を一人だけたてて戦ったのです。
私も涙が出るくらいに感激しましたが、すべての選挙区で当選。
選挙後の国会で、先の法律が、衆議院、参議院ともに、満場一致で法律をなくすことができたのです。
議員さんは、互いに抱き合い、握手をしあい、それはそれはすばらしい光景でした。
そして議員さんは、全員が議員を辞職して、また自分の仕事にもどっていきました。
さて、あの総理大臣。
彼もきっと国会の中継を見ながら、満足して涙していたにちがいありません。
あれだけ憎まれ、そして法律が成立したあとには、何も言わずに去っていった方なのですから。
もう国民は愚かではありません。
賢くもなり、平和を取り戻し、悪徳代官のような議員も排除することができたことは、自分が汚名を着せられ、罵倒され続けてきた彼のおかげだということは、容易に想像がついたのです。
彼にノーベル賞を、国民栄誉賞を、また総理大臣に、そんな声もたくさんあがりましたが、彼はそれに応じることはなく、一介の市民として普通に生きることを選択したのです。どこに今住んでいて、何をしているのかすら、だれにもわからないのです。
彼の自分の一生をかけた名演技によって、今の日本。つまりどこの国も敵にすることなく、どの国とも仲良くする。国と国との争いごとは、けっして武力で解決しない。話し合いを何度も何度も、粘り強く行って解決していく、そんな国にすることができたのです。
まあ、みなさんはこれが当たり前のこととして考えているし、いまや全世界の人たちが、このような約束でもって、平和な世界を保っているのですが、ちょっと前までは、戦争の起こらない年はないくらい、人と人とが殺し合う歴史を歩んできたのです。
この石像は、国民が贈った感謝の気持ちです。これすら、彼はいりませんと断っていたのですから、ちょっと押しつけがましかったのかもしれません。
ごめんなさい、校長先生は、涙が出てきてしまいました。
あのお方はと~っても偉い方。
日本の総理大臣になられた方です。しかも普通の総理大臣ではない。
日本の国、いや世界に平和をもたらした方なのです。
この方は、日本が世界大戦で敗れたこと、そしてそのあとも、国民が少しも、その戦争の教訓を汲み取ることなく、毎日の楽しさぱかりを追い求めていることを、大変嘆いておられました。
このままでは、またもや日本は他国を侵略して、自分の国だけを利する、堕落した国になってしまう。なんとしてもそれを国民に知らせなくてはならない。積極的に平和を作り上げる国にしなければならないと、いつもいつも考えていたのでした。
しかし、それはとても難しいことです。
彼にはお祖父さんが総理大臣だったという経歴はあるのですが、それがなにになるのでしょう。
考えて考えて考え抜いたあげく、彼は、人生をかけて国を変える妙案を思いつきました。この考えは、自分の人生を犠牲にすることです。
さっそく実行開始です。
彼は、さっきも話したように、祖父が総理大臣だということを利用して、また努力も重ねて、日本の総理大臣に上り詰めることができました。
さて、大変だったことは、それからです。自分の周りには、戦争好きで、口の軽い人を侍らせ、さらに、日本が世界中で戦争ができるような法律を国会に、国民に提案しました。
あとは、彼の苦渋の演技が始まります。
この法律を通すために、昔の裁判の判決を出してきたり、政治家の判断でいかようにも戦争に参加することができるのだという答弁をしたのです。賢い彼です。計算通り、国民から猛烈な反対の意見が出されました。
アンポ反対って聞いたことないでしょうねえ。このときより、もっと昔に、ものすごい国民の運動、あ、体育じゃないです、があったのですが、それに匹敵するくらいの反対の運動がわき起こったのです。いままで政治に関心の薄かった若者まで、毎日のように国会を取り囲みました。テレビや新聞でも、この法律は戦争を防ぐのではなく、かえって人を殺し、殺される関係を作り出すものだとして、連日報道されました。
彼もまた頑張ります。「今、反対しても、いずれは、これでよかったと思える時が絶対にきます」「これしかない、私の信念です」と一歩も引きません。このころは、与党の議員さんたちも、自分のことしか考えない、堕落した政治家ばかりでしたから、誰も何も言いません。
彼の思惑通り、この法案は国会で、多数決により、法律として成立してしまいました。
彼は満足した顔をして、周りの取り巻きと握手をしました。
このときには、新聞社の世論調査では、彼を支持する国民が、世論調査史上初の0、7%にまで下がっていました。
これでよかったのだ。彼はこの法律の成立後、議会を解散して、自らは立候補しない旨を明かします。
このあとの展開は、教科書にも載っていますから、だいたいのことを知っている人もいるかもしれませんね。
彼のいた政党は、選挙で1議席も当選するとこなく、消滅してしまいました。
国民は、平和を願う市民団体、文化人、学者、政党などが結集して、すべての選挙区に、「前の国会で成立した戦争法案を廃止するためだけの公約をもった候補者」を一人だけたてて戦ったのです。
私も涙が出るくらいに感激しましたが、すべての選挙区で当選。
選挙後の国会で、先の法律が、衆議院、参議院ともに、満場一致で法律をなくすことができたのです。
議員さんは、互いに抱き合い、握手をしあい、それはそれはすばらしい光景でした。
そして議員さんは、全員が議員を辞職して、また自分の仕事にもどっていきました。
さて、あの総理大臣。
彼もきっと国会の中継を見ながら、満足して涙していたにちがいありません。
あれだけ憎まれ、そして法律が成立したあとには、何も言わずに去っていった方なのですから。
もう国民は愚かではありません。
賢くもなり、平和を取り戻し、悪徳代官のような議員も排除することができたことは、自分が汚名を着せられ、罵倒され続けてきた彼のおかげだということは、容易に想像がついたのです。
彼にノーベル賞を、国民栄誉賞を、また総理大臣に、そんな声もたくさんあがりましたが、彼はそれに応じることはなく、一介の市民として普通に生きることを選択したのです。どこに今住んでいて、何をしているのかすら、だれにもわからないのです。
彼の自分の一生をかけた名演技によって、今の日本。つまりどこの国も敵にすることなく、どの国とも仲良くする。国と国との争いごとは、けっして武力で解決しない。話し合いを何度も何度も、粘り強く行って解決していく、そんな国にすることができたのです。
まあ、みなさんはこれが当たり前のこととして考えているし、いまや全世界の人たちが、このような約束でもって、平和な世界を保っているのですが、ちょっと前までは、戦争の起こらない年はないくらい、人と人とが殺し合う歴史を歩んできたのです。
この石像は、国民が贈った感謝の気持ちです。これすら、彼はいりませんと断っていたのですから、ちょっと押しつけがましかったのかもしれません。
ごめんなさい、校長先生は、涙が出てきてしまいました。