南部吟遊詩人の写真館

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サムトの婆(ばば)伝説

2012年01月30日 16時01分48秒 | 遠野小景

遠野物語の八
「黄昏に女や子どもの家の外に出ている者はよく神隠しにあうことは他の国々と同じ。
松崎村の寒戸というところの民家にて、若き娘梨の樹の下に草履を脱ぎ置きたるまま行方を知らずなり。
三十年ばかり過ぎたりしに、ある日、親類知音(「ちいん」・知り合いのこと)の人々
その家に集まりてありしところへ、きわめて老いさらぼいてその女帰り来たれり。
「いかにして帰って来たか」と問えば
「人々に逢いたかりし故、帰りしなり。さらばまた行かん」とて
再び跡を留めず行き失せたり。その日は風の烈しく吹く日なりき。
されば、遠野郷の人は今でも風の騒がしき日には、
「今日はサムトの婆が帰って来そうな日なり」という。

というのがサムトの婆伝説。

この碑から六角牛山を望むと、こんな風に見えます。

少し、アップに。

六角牛山の神様は女神なので、話相手でも欲しかったのでしょうか…。

ちなみにこの碑は、なにもない河原にポツンと建っています。
でも、実は、
この碑の立つ場所はその話の現場となった家の近く。
詳しくはその家の希望で述べませんが、
なんで

こんな何もない河原に

このように碑がたつのか不思議でなりませんでしたが、
遠野物語研究所」(市内の「遠野昔話村」というところの一角にある施設。月曜休み。だいたい10時から15時まで)
というところに聞きに行ったところ、教えてくださいました。

このハナシ、事実だったんですね…。
この碑はもともとその家に作ろうとしたんですが、その事件のあったその家の次の代の方がそれを嫌がって(あんまりいいお話じゃないですからね…。田舎の人ってそういうのすごく気にするんですよ。)、仕方なくその近くの河原に作ったそうなんです。

ですから、このページを見て、
「ここがサムトの婆伝説の家ですか?」
など無神経に聞かないようにお願いします。

【撮影日:2011/12/26】

↓↓↓【サムトの婆伝説の場所はこちら】(地図が表示されます)

川を渡ってすぐ右側のところです。



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