南部吟遊詩人の写真館

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遠野の碑(いしぶみ)

2012年04月01日 04時11分49秒 | 遠野小景
「路傍に石塔の多きこと諸国その比を知らず」(『遠野物語』前文より)と言われる遠野。
その石碑を写真で列挙してみました。


〈春〉
遠野市の郊外、宮守の軌道沿いから。

近づくと、

名もなき墓石群が

丘の上から、里を見下ろすようにたたずんでいます。



〈夏〉
寺沢高原に向かう山中にて。

山道に突然、鳥居が出てきます。

近づくと、「山神」と書いてあります。

ここはどうやら、

山神(顔が赤くて大きな人)出現スポットのようです。

〈秋〉
市内からカッパ淵に向かう街道沿いにて。

「西国巡礼」の碑です。
関西、中国地方へ行った記念か、行った気になるためのものでしょう。
しかし、
おもいっきり傾いています。もうすぐ倒れそう…。
直そうという気はないのかな…?


これも、その路上にて。

四国の「金毘羅山」(ワニの神様。海神)の碑です。


山崎のコンセイサマの近く。

すいません、逆光でした。
碑面は…、読めませんでした。



大槌街道跡。遠野の奥地、山口の近くです。

なんだか、あたりの石碑を集めたらしいです。道路工事のためでしょうか?

↓説明板です。残念なことに北川家は現在、見学できないようです。→当ブログの詳細ページへ。


遠野の奥地、山口にある墓石(?)群。道路のすぐそばにあります。
近くには「ダンノハナ」と呼ばれる集合墓地もあるのになぜ??と思ってしまいます。
そこにはこの地ならではの特殊な事情があるのかもしれません。

おなじく、山口の孫左衛門一家の墓。
ここは座敷わらしが離れたために、一家が滅亡してしまったという、遠野物語の舞台でもあります。



綾織の坂道にて。
いまの国道が整備される前のおそらく旧道の道沿いにありました。

拡大するとこんな感じです。

同じく、旧道と察せられる道沿いにて。
小さな滝がありました。その近くにある石碑です。

なにげなく通り過ぎてしまいましたが、…

近づくと、

達筆で読みづらいですが、おそらく「不動尊」と書いてあります。
滝には不動明王を祀るのが修験道の流儀。しかし、もともとは仏教なのに、鳥居があるとは、その習合ぶりもはなはだしい。


旧宮守村の塚沢というところにて。

おそらく、「塚」(土盛り)があって、「沢」(谷川)が流れているから、この地名なのでしょう。

「伊勢神宮」ほか、さまざまな石碑があるようです。




次は遠野の「ふるさと村」へ行く途中にて。
タイトルに惹かれたのですが…。

どこを探しても、

「見ざる 聞かざる 言わざる」などありませんでした…(残念)




以前も紹介しましたが、卯子酉神社の近く、愛宕神社のふもとの石碑群です。


ここは石碑のオンパレードって感じがします。


こちらは五百羅漢の奥にある程洞神社の石碑。
奥深い山の中にあるので「山神」が信憑性をもちます。

「金華山」信仰がここにも。



綾織の猿が石川、日影橋の近くの木。

よくみてみると…、

石碑が…、

なんと書いてあるのでしょう?

これも「山神」でした。実に遠野の人は信心深い。

これも、その近くの線路にて。




おそらく、ここも、「山神」の石碑があったんでしょうね。





先日も紹介しましたが、市内の多賀神社の石碑群。






これも市内。旧市役所の近くです。

こんなところにも「山神」信仰が残っています。



遠野の里の出入り口、「小峠」の坂の途中で。




ここもおそらく墓石群。
遠野は石碑が多いです。


この里ともしばらくお別れ…。



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