先月の北日本新聞で故郷の土合集落柳俣の地蔵堂が移転新築された記事があったので見て来た。
300mほど北に移転して立派な地蔵堂に生まれ変わっていた。写真の右の家は同級生のY家の家である。
地蔵堂を建築したのが富山市にある大工と庭師の専門学校「職藝学院」だが、どんな関係で建築を依頼したのか分からない。
土合集落には4つの地蔵堂があるので写真を撮ってきた。
次のは土合新の地蔵堂で小学生のころ地蔵祭り等の世話をした、前の道は土合神社に通じていたが新幹線高架橋が出来て神社は移転したので寂しい感じになった。
次は古川新の地蔵堂、移転して同級生のK君家の斜め前にあり既に冬の囲いがしてあった。
次は高土合の地蔵堂、Y家の前にあり後方には同級生のE家の家が見える。
小学校高学年になると地蔵様の賽銭集めや地蔵祭りの音頭を取ったりの世話をしたもんだ。
当時は賽銭と言わず「蔵さまの油代」と言って集めた。ローソクでは無くタンクロに油を入れて灯をつけていた。 地蔵堂も「おんぞはん」と呼んでいたし懐かしさがこみあげて来た。