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BLOG TOSHIBOUZ

大阪発全国向け。世の中を俺なりに分析させていただきます。同感するも良し反論するも良し。

なんか懐かしい感じ

2006-08-12 12:01:01 | コラム・批評
お盆休みですね、何も予定がありません。ってか会社行こうかしら(ダメ?)? ども、TOSHIBOUZです!

最近よくCMで流れているのが「DSお料理ナビ」。結局のところDSも持ってないし、お料理ナビされなくても適当に作っちゃうし、失敗も次回の糧にできるタイプなんで、特に欲しいというわけじゃないんだけど、DSってなかなかデバイスの性能を駆使したソフトが出てるよね。ブツモリもどんどんユーザー増えてきてるし。

「DSお料理ナビ」のCMを見ていて思うのが、音声認識技術とかが進んできているんだなぁ、という事。もちろん数年前からカーナビとかでも実現していた訳で、目新しい技術というよりは正確性が上がってきているんやなぁ、という感じなんやけど、あんなコンパクトな筐体にそんな技術が埋め込まれているのはなかなかショッキングやと思う。

それと、あのDSのナビする声(音?)がなかなか感慨深い。その昔、Macを使用していた時に、日本語テキスト文章を読み上げるフリーウェアで「D Talker」というのがあって、インストールしてはバカバカしい文章とか官能小説の文章をPCに読み上げさせるというくだらない遊びをしていて喜んでいた時代を思い出した。当時としてはなかなかの優れものだったんだけど、あまりにも無機質でロボットチックな読み方はなかなか笑えるものやった。DSのはCM聞いている限り多少の抑揚とかもあって、あの時代よりはずいぶんと進化した気がする。(でもどう聞いても人間のものと間違うほどではないけどね)

味付けとか煮込み時間なんかは材料の量や季節によっても違うし、料理は結局センスやと思ってるんで必要性は全く感じないけど、なかなか優れもののソフトやと思うし、これで世の中で「料理の出来ないヲンナ」が減ればいいことやと思う。ま、残念ながら「料理のできるヲトコ」が増えるだけかもしれんが(汗)。

さて、休日やし、なんか手間のかかる料理でも作ろうかな?

社会派ラブワゴン

2006-08-09 00:51:45 | コラム・批評
だったら市役所職員がプールの監視してた時に、市議会で「プールの監視を職員がやるだなんて非効率もいいとこだ!民間委託すべきだ!」という発言は抹殺しなくてはいけないと思う。可哀想だけどアフリカじゃもっと低レベルな理由で人が死んでる。 ども、TOSHIBOUZです!


自宅でテレビを見る場合大抵BS7かCX(←業界風!)が多いのですが、実際のところフジの番組って結構キライな奴多いのね。その中でも長寿番組かつキライな番組の代表と言えば「あいのり。」な訳。あれって面白いかなぁ、正直全然わからん。なんか無理矢理男女を押し込めて、そこで起こる恋心の動きを外から楽しむったって、結構悪趣味じゃね?って言うか、男女何人だか忘れたけどほんの数名で一緒に時を過ごしたからって、ラブラブしてる話になるだなんて、人間の浅はかさを見せ付けられてるだけの気がする。ただ自宅で垂れ流してるので、何となく見てる場合が多いのさ。

で、昨日(もう一昨日か、汗)、なんとラブワゴンの行き先は「ボスニア・ヘルツェゴビナ」。銃痕の残るサラエボの街とか内戦で肉親を惨殺された人にインタビューとか、内容が超オモイの。当然の如く純粋な(←アタマが弱いとも言う)メンバーは悲しみに心を打たれて、、、みたいな展開。んで、君らの恋愛はいずこ?みたいな(汗)。超バカっぽいイラスト解説なんかもあったりして「バカでも分かるボスニア紛争」みたいなつくり。



ってか、無理ありすぎっす。



制作スタッフの中にはドキュメンタリー志向の人でもいるのだろうか?いやいや「あいのり。」なんて番組やらされてる奴とか。ホントは報道がしたいのに…みたいな。その後の「NewsJAPAN」とのヒッチハイクでつか?無理だから、ホント。バラエティはバラエティでええのよ、無理矢理メンバーの純粋な一面とか引き出さなくても。あんなピンクのふざけたワゴンで移動してる若い日本人どもがしみじみ泣いたって道化だっちゅうねん!

別に怒ってるわけでもないんやけどさ、少し萎えた(笑)。

拝啓 村上さま

2006-08-04 12:50:28 | コラム・批評
拝啓 村上さま

暑い日が続きますがいかがお過ごしでしょうか?
シンガポールは日本よりもっと気候が厳しそうですね。

さて、村上様がいらっしゃらない間にも日本国では様々な経済活動が活発に行われております。先日も王子製紙が北越製紙に対して買収攻勢を始めたばかりです。村上様のお得意の「敵対的買収」も開始されておりまして、メディアも連日てんこもりで報道しております。業界第2位の日本製紙も登場したりと、業界をあげて秩序維持とプレゼンス強化が渦巻いております。

幸いにも村上様のこれまでの努力のおかげで、やれ第三者割当増資やらホワイトナイトやら専門的な株式ワードにも慌てることなく、日本国民は非常に手際よくそして冷静に対処することが出来ています。これも全て村上様のこれまでのご尽力のおかげかと思われます。シンガポールにいらっしゃる村上様にも、日本国民の成長ぶりを頼もしく感じていただけているものと存じ上げます。村上様の仰っていた「日本人の株式概念を変える」事も少し成功したのではないかと思われます。

ところで、宮内様とはその後いかがでしょうか?ジュンジュンがこの秋に引退されるとのことで、慌てて規制改革・民間開放推進会議の中間答申を出されていましたが内容が少々薄弱で、以前の勢いが感じられないのが少々心配です。かつての盟友の村上様の影響も少しはあるようです。福井様もかなり厳しい境遇にいらっしゃるようですが、シンガポールの村上様の耳には入っておられますでしょうか?一度ご連絡を取られてみてはいかがでしょうか?電話口にはなかなかお出にならないかもしれませんが、内心ではきっと喜んでいただけると思います。

それと、村上様が手がけられていました阪神電鉄ですが、阪急HDへの統合はなかなかのアイデアですね。これで阪急HDも弱体化しつつあった阪急東宝コンテンツ(とは申しましても実質は小林さまのおもちゃでしたし)の代わりになるものも手に入った訳ですし、鉄道の営業エリアはもちろん不動産やリテール・金融など含め相当のカロリーになりまして、これからの展開に期待が持てますね。世間の野球オタクどもはまたもや「球団の保証金」などという些細な事で騒いでおりますが、球団自体の成績も好調ですので、数十億円の預託などそう影響ないと思うのですがね。そのあたりも含めて上場を検討されていたというのは、さすが村上様の慧眼といったところでしょうか?

話は変わりますが、村上様がシンガポールに移住なさってから六本木は少々静かになってきているような気がします。堀江様も大変残念な結果になってしまいましたし(後任の方には良くも悪くも無理でしょうね)、村上様もご心配なさっているのではないでしょうか?懸念しているのは、最も風評被害を受けた森さまからの刺客が村上様の方へ行かないかという事です。地価も下がってしまったでしょうし、防衛庁跡地開発もある訳で、少々ピンチかもしれません。最もあのビルは、回転トビラで挟まれたりして、実質は使いにくかったですけれども。


以上、とりとめもなく書いてしまいましたが、日本国民もずいぶんと成長しましたので、どうぞご心配なさらずにシンガポールでゆっくりとご静養くださいませ。

敬具

上手に坊主が嘘をつく

2006-07-26 15:59:44 | コラム・批評
博多空港で空弁を買う時に「いわし寿司」と「さば寿司」を死ぬほど迷って結局「さば寿司」買って機内で開けてみたら中身が「いわし寿司」だったよ。迷い時間返せ~! ども、TOSHIBOUZです!


えーっと、俺は仕事で結構嘘をつきます。といっても、誰かをハメるとかそういった類のものではなく(←そんなコワイ仕事ぢゃないです)、仕事を円滑に進める為に気付かれない程度に嘘をつくという意味です。この「嘘をつく」という行為はなかなかテクニックが必要でございまして、簡単そうで意外と難しいものでもあります。そして嘘がバレた時には必ず今まで以上に紛糾すること間違いなしです。そういう意味でもかなりデリケートなテクニックとも言えます。

一つ嘘をつくと必ずそれに対応するものが影響を受ける事になり、それの変化も織り込んでおかなくてはなりません。そしてその次が変化するとまたその次…きりがありません。もちろん最後までやり切るのはできない訳でどこかで落としどころやゴマカシや軌道修正が必要となってきますが、このポイントは「相手の洞察力」によりけりです。つまり、相手のレベルが高ければ高いほど、嘘をつく範囲が繊細かつ広範囲になってしまう訳です。どちらが相手の考えの及ばない範囲まで想像することが出来るか、というゲームなのです。そんな嘘をついても労力に見合わない対価だったり、つききれないと思われる時は、たとえ小さな嘘でもついてはいけません。その小さな穴から堤防が決壊するのはそれほど難しくないからです。

上手くまとめきった時は会心の仕事になるし、相手も気分を害していないのですから、お互いに気持ちよく仕事に励むことが出来るし、モチベーションも向上します。結果として最良のものを得ることが出来るでしょう。ところが、これを失敗すると大抵泥沼化します。友達を失ったり、大切なビジネスパートナーの信頼を失ったり、つくろう為に余計なコストを要したり、なだめる為に時間がかかったり…散々です。結果として両者気まずい仕事になってしまうでしょう。つまり「嘘をつく」行為は簡単でも「嘘をつき切る」のはなかなか難しいのです。


これを世間では「Win To Win」のスキームと言います(←ウソ)。

喋り方が気に食わん

2006-07-24 14:53:32 | コラム・批評
昨日、実は微妙に人気がないことに気付きました。 ども、TOSHIBOUZです!


元極楽トンボの山本圭一氏が「ヤッちゃって」以来、色々なところに波及が来ておりまして、メディアの芸能コーナーでは連日報道されている訳ですが、中でも「欽ちゃんの茨城ゴールデンゴールズの解散」問題が非常に気味が悪い。というか、単にあの欽ちゃんの喋り方が気持ち悪いだけなんですけど、もしや俺だけですか?「野球のクラブチーム文化が…」とか「茨城県民の誇りが…」とか「野球を諦めきれない人たちが…」とか「個人の不始末を連帯責任負うのは…」とか、そういう論評はどうでも良いのです。是々非々はあれど存続したらええと思います、ってか正直あまり興味がない。ただ気持ち悪いのは「欽ちゃんの喋り方」に尽きます。

萩本欽一という人物について、実のところあんまし知識がない。テレビで大活躍していたとされている時期は俺自身まだちょっと幼かったのだろうか?コント55号にしても、あまり印象が強くない。ググッてみたら、「バンザ~イな~しよ!」とか「どっちらけ」とか、「言われてみれば」的ギャグも多いんだけど、自分自身の中ではあまり印象が強くない。「欽ドコ」とかも見ていたハズなんだけど、正直「おれたちひょうきん族」とか「ドリフ」の方がイメージが残っている。

決定的に生理的に受け付けないのがあの独特の喋り方。天才的な「素人いじり」テクニックとか、芸能人のコメディセンスを引き出すのがウマイ、と言われる所以もあの「喋り方」にあるのだろうけど、正直気持ち悪い。メディアを通じて「自分の事は(視聴者の)みんなが理解してくれている」「俺は(視聴者の)みんなの気持ちを代弁している」「(視聴者の)みんなが応援してくれるなら…」的な語り口。何となく勝手に土足で人の心の入って来て、無理矢理判断をさせられている感じがして居心地が悪い。恐らく「(視聴率)100%男」と言われていた時代に培った「俺は(視聴者の)みんなの代弁者」的な立ち位置なんだろうと思う。

正直悪い人じゃないと思うし、テレビ文化を形作ってきた重要人物だとも思うし、日本を代表するコメディアンだとは思うけども、何となく時代錯誤な感じがするのは俺だけだろうか?日本人の価値観がある程度集約化していた「高度成長期」の遺産のような気がしてたまらない。個人の趣味や嗜好が多様化し、選択と自己責任の時代に突入してきている今の時代において、彼の「無理矢理民衆の同意を得ようとする」語り口はどうしてもOut Of Fashionに思えて嫌悪感さえ感じる。

極めて合理的な宝くじ

2006-07-20 16:48:03 | コラム・批評
「心の底から盛り上がるドラッグ」とかいうコピーをテレビで聞いてドッキリしてみたら「ドラッグ」ではなく「トラック」でしたわ。何か欲求不満なのかしら(笑)。 ども、TOSHIBOUZです!


先週末テレビで、今人気爆発のセレブリゾート「ドバイ」の紹介を見たのですが、そこで紹介されていた宝くじがめっさ合理的な感じがしてちょっと笑ってしまった。簡単に言うと5000人に1人の割合で100万ドル(約1.2億)当るっつー話なんですけど、今更1.2億の宝くじなんて別に驚きやしないんだけど、問題は5000人に1人という部分。これってかなりの高確率やんなぁ。もちろん1口の掛け金が278ドル(約3.3万円)と高いから成立する訳なんやけど、日本の宝くじと違って「5000口応募が集まった時点で抽選を行う」という点で、なんかめっちゃ明白な感じでキモチよくね?つまり、

278ドル×5,000口=1,390,000ドル

の支払い原資に対して1,000,000ドルの賞金額という話なので、粗利率が約28%の事業となり、主催者は1回抽選するたびに390,000ドルの営業収入があるという訳だ。もちろん、抽選カード発行費用やら抽選会実施費用やら宝くじの販売手数料やら広告宣伝費なんかもあるだろうから、丸々利益になる訳ではないと思うけど、あまりにも単純な図式過ぎて笑ってしまった。

日本の宝くじを振り返ってみると、ジャンボ宝くじは年間3回(ドリーム・サマー・年末)開催されていて、その合計販売額は4,590億円、単純計算で1回あたり約1,500億円集めている事になり、300円券だから5億枚発行している事になる。確かに300円ぽっちで2億に化ける可能性があるんだからそりゃ夢はでっかいけど、なんか発行数が多すぎて胡散臭い。実際日本の宝くじは総売上に占める賞金総額の割合は45%程度だそうなので、72%還元しているドバイのくじよりは相当換金率が悪い。

そもそも日本の宝くじ自体が「くじで当って喜ぶ人を作る」のが目的ではなくて、「くじという名目で集めた資金を公共事業等の原資にする」モデルで30%ぐらいが寄付に回ってる訳やから、そう思うと100-(45+30)=25%の運営原資になるのでドバイのよりは効率的に運営されているというか、事業者の実入りが少ないモデルなんだろうけど、宝くじ買う人で「世の為人の為に役立つように宝くじ買うヨ!」なんて人は居ないと思うし、もしそうだとしたら使い道くらい決めさせて欲しいとも思う。というか、そんな金あるんだったらそもそも宝くじなんて買わないわな。

そう考えると「宝くじ」なんて下品な事業は「アミューズメント」として捉えた方が良いわけで、ドバイシステムの方が公明正大でしっくりくるのは俺だけやろうか?事業者が罪滅ぼしに寄付したければ、その後で好きな額寄付すればええやん。3.3万円の掛け金が高いと言うけど、日本でも110枚くらい買っちゃう人はざらにいるから、そんなバカ高い気もしない。それで確率がきっかり1/5000なんだったら、そっちのほうが全然お得だ。

想像力の欠如

2006-07-12 23:27:50 | コラム・批評
くだんの寿司屋にまたまた一人で行ってしまいました。あいかわらず気持ちいい従業員です。個人的に眼に入れても痛くない存在であるT君と一度一緒に行きたいものです。彼は醤油とか和食とか苦手だけど(汗)。 ども、TOSHIBOUZです!


久しぶりに連続でブログを書く訳は、きっと「国家の品格」にインスパイアされているからだと思います。最近は仕事が結構忙しく、あまりものを書く気にならなかったのですが、何気に購入した「国家の品格」の影響は絶大ですね。寿司屋に行こうと思ったのもその影響かもしれません。

さて、仕事をしていて思うのは、想像力というか「想定力」が低下している人が多いということです。この前のブログと相反する理屈なのですが、最近はなんでも手軽に情報が入ってしまって「何となく理解した気になる」のは非常に簡単になってきたと思う。その反面「実感」とか「体験」という事に対する重要性について非常におろそかになってきている気がする。おかげで考えることがどんどん表面的になってしまってきている。

「国家の品格」に「欧米の庭師は言われたことを忠実にこなす、日本の庭師はそのまま従わない、『こっちの方が良い』などと提案してくる、自ら眼を細めあちこちに立ち位置を考えながら…」というくだりがある。「提案型営業」なんて言葉が跋扈しているけれど、ひょっとしたら日本人は元々持っていた概念なのかもしれない。知らず知らずのうちに失ってしまったプライドと感性、そして想像力なんだと思う。そしてその想像力は経験値と教養で養われるもので、合理的感覚とは対極にあるものなのだと思う。残念ながら世の中は資本主義社会で合理的であることが尊ばれる環境なので、そういった無駄なものを身につけるのはかなりの労力を要するんだろう。

最近「会社のビジョン」とか「社是」とか「社訓」とかそういったものの重要性をすごく感じます。若い頃は「そんなものバカらしい」とか思ってました。大概聞けば当たり前の話ばかりだし。でも違うんだね。事業を興した人々は「わざわざそんな事を文章にしなくったって分かり合える」んだけど、後から来た人たちにその熱意とか想いはなかなか伝わらない。結局、いざという局面でトンチンカンな判断を下す。そのブレを小さくするのが「ビジョン」とか「社是」とかそういったもの。歴史とか生い立ちとかそういう根源的なもの。そこがないとなかなか伝わらない。いくら言葉で上手く説明したとしても、根本で違ってくる。これも論理性の限界と同じ理屈だな、などと。

でも「社是」や「社訓」を作ったところで伝わらない人には伝わらない。何故かと言うと「社是」や「社訓」に書かれている事を、自分の仕事内容に投影する力が無いからなんだと思う。つまり想像力の欠如。そのせいで「指示待ち状態」になる。こちらとしては「そんなのちょっと考えればわかるやろ?」な話も、彼らには「全然気づかなかった」となってしまう。考える癖すら放棄してしまった感じすらする。

連日で仕事の愚痴っぽい話になってしまいましたが、このように悩む中間管理職33歳な訳でございます。誰か癒してください(爆)。

眼が覚める論理

2006-07-11 23:18:27 | コラム・批評
完全自炊モードに入ったのはいいのですが、どんどん大食化している気がします。ども、TOSHIBOUZです!


「日本の品格」というベストセラーを読んでいます。「論理では全ては解決しない。論理的な思考を基本とした民主主義とか資本主義とか実力主義とか平等とかは両立しえず破綻する」という事を、非常に論理的に書いている数学者が著者の本です。そして日本が本来持っていた「論理的でないものを強制し許容する」という部分を礼賛するものでもあります。

こんなブログを書くくらいなので、俺は基本的に「論理的な思考を志向する人間」であることにある程度満足感も持っていたし、多くの場面においてその考え方は役立ってきたとも思う。でも、確かに「論理的な思考」では片付かない問題にも直面したりして、苛立ちながらも「適当に誤魔化して」生きてきたとも言える。半ば狂信的に「論理の優位性」を信じ、様々な考え方を無意識的に否定してきたかもしれない。

現実的な問題として「論理的思考」は「有効」だと思う。つまり「正しい」のではなく「有効」である。他人を説得する場面や行動を正当化する場面なんかでは実に「有効」だと思う。ストラテジックプランニングとかマーケティングなんかは「論理性のカタマリ」だと言える、というか論理性を基礎にしないと成立しない話でもある。そして自分の意見を押し通したい場面でも非常に役立ってきたとも思う。でもそれはひょっとしたら自己満足のための手法だったのかもしれない。

もちろん人の多様な考え方自体を否定していたつもりもないし、十分に配慮してきたつもりでもあったけど、よくよく考えたら「論破」する事に快感がなかったかというと自信がない。本文にも記述されているように「論理は基本的に気持ちいい」のだ。数学的に「○か×か」で規定してしまうことは、ある種の精神的な安心感をもたらす効果があり、他者を何かのパターンに収めてしまう事で「考え方が簡単になる」。

著作には「一見(実社会で)何の役にもたちそうも無い哲学や歴史や国語などの教養を持つ真のエリートが揺るがない価値観を有する」というくだりがある。そしてそれは「歴史を学び、文学に触れて」得られる品格でもある、と。確かに社会人になってからは実用書とか経済雑誌とかには積極的に触れてきたけれど、少々偏りが生じてきているのかもしれない。音楽活動は俺がほぼ唯一持っている感性を刺激する機会なのかもしれないけれど、それすら論理的に考える癖もあるかもしれない。

部下の育成方法も含めて少々反省だな。

知的好奇心とググり症候群

2006-07-10 12:37:33 | コラム・批評
ウィンブルドンを鑑賞していたせいか昨日はテニスが好調でした。「あれ?俺いつの間にナダルになったんやろう?」などと(←死ね)。恐らく雨続きでしばらくテニスから離れていたので、単に集中力が高かっただけだと思われます。 ども、TOSHIBOUZです!


はてさて、ほぼ毎日デスクワークをしている時間が長いのですが、最近ふと思う訳です。「俺はいつからこんなに検索依存症になってるんだろう?」と。正直、知らないキーワードが出てくると無意識的にヤフー検索とかしちゃってる訳です。それで一通り知識を得たらちょっと納得して安心できる、逆にピッタリとした説明がないと非常に気持ちが悪い。自宅でテレビを見ているときでさえPCの前から離れずに、ググったりしちゃう訳です。も~、ある意味ビョーキですな。企画とかをメインとする職業柄、豆知識とか雑学の類は多ければ多いほど引き出しが増えて便利なのは便利なのですが、年々情報を仕入れるペースが指数関数的に上がってきているような気がして、俺の脳内HDの空き容量はまだあるんだろうか…などと変な心配をしたりもします。

で、この症状はインターネット環境が整備されてきている現在、割と一般的に起こっている症状なのかと思いきや、実はそうでもない人の割合って意外と多いんですよね。同じフロアに社内システム管理の担当者もいたりして、間違いなく俺よりはそういうソリューションに敏感であってもおかしくない職種なのですが、意外と鈍感だったりする。むしろ古くからパソ通とか伝言ダイヤルなんてものをコミュニケーションを活用していた俺らは、異常なくらいその辺に対する感受性が高いのかもしれないね。つまりもともと限られた情報しか与えられなかった環境の為に、情報収集に対するアンテナが非常に高い、ということなんだろうか。

そういえば約10年前広告代理店に居た時に、地元の不動産屋を集めて「インターネット上で物件を紹介してみてはどうか?」と企画し、無理矢理何社か参加させて強引にウェブを立ち上げ「大失敗」した経験があるのですが、気付いたら今や不動産(特に賃貸)なんて「ウェブ1st」やん…みたいな。(←ちなみにこういう「早過ぎた」企画は意外と多い)6年前にも「携帯ゲーム機とカーナビが配信デバイスになり得る」と予言したが、継続実行していれば今頃大金持ちやな。(もっともその時点でメーカーは開発を既に進めていたんでしょうが…)

と、まぁ、以前はこのような「早過ぎたアイデア」がビシバシ出てたのですが、最近あまり出ないんですわ。というかヒラメキもすぐにググってしまい「あ、なんや、既に同じこと考えている人おるんや~」とかなってしまい、それ以上掘り下げなくなってきたような気もする。おかげで知識と雑学とウンチクは死ぬほど増えたけれど、実行力が衰えてきている気がする。これもおそらく脳内HDの空き容量がピンチで作業領域が減ってきているのかもしれない(汗)。

皆様はどうかな?

ヒデイズム2

2006-07-04 10:23:22 | コラム・批評
博多行ったんすけどね、正直全然博多っぽい事しませんでしたわ(汗)。ま~さんざん呑んだくれてましたけど。ご迷惑かけました(←大して反省してません)。 ども、TOSHIBOUZです!


この話題はきっと今日は満載なのであまり触れたくなかったのですけど、まあ久々に書くネタとしては恰好だとも思いました。ずばり「ヒデの引退」ですね。

う~ん、どうなんでしょうか?普通に賛否両論なんですけど、俺的に言うとヒデってスーパーな選手だけどスペシャルな選手ではなかった気がする。代名詞になってる「キラーパス」なんかも実際に通って得点に繋がった記憶はあんましない。ジダンやロナウジーニョのような曲芸もできないし、ベッカムや俊輔みたいな飛び道具も持ってない。実際そんなような事は本人も語っていた訳で、サッカープレイヤーとしては「世界で何番目」的な選手ではなかったと思う。だが、彼は「恐ろしく勘がいい」のである。自分が何を求められてて、何を期待されてて、そういうのが人より先に分かってしまう才能。そしてそれを実現しきれない自分への葛藤。わかってて出来ないことの方が、知らずに出来ないよりも明らかにつらくてしんどいものだ。そして彼は「違う自分探しの旅に出る」という「逃げ」を選択した。(←批判覚悟)

語学をラクラクと習得し、インターネットを自ら駆使し、慈善事業を行い、社外取締役を務め、不動産投機をしながら、女優と浮名を流し、アグレッシブなファッションに身を包む…確かに多芸だとは思う。これからの予定はスタンフォードにMBAを取得しに行くとやら噂されている(MBAってところがなんとなく時代を感じるけど)。ま、個人所得としてはそれなりに稼いだとは思うので、少々「遊ぶ」には苦労しないと思うし、それなりにちやほやされるだろうから表面的には楽しいんじゃないだろうか?でもきっと虚無感を持つに違いない。最終的には「サッカー選手の中田」を超えるイメージが出来上がるまでは、逆に成功しただけに苦労が多いかもしれない。

ま、本当のところは分からないけど「飽きっぽくて実は寂しがり屋」な感じがするので、世間が忘れそうになったところでまた「人騒がせ」るに違いない、と思う。ファンに求められるのは、彼が今後成功したり失敗したり躓いたり躍進したりする事を、「元サッカー選手だから」と色目で見て妬んだり中傷しない事くらいやと思う。