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BLOG TOSHIBOUZ

大阪発全国向け。世の中を俺なりに分析させていただきます。同感するも良し反論するも良し。

サービス精神に欠けるとはこのことだ

2007-06-17 22:54:12 | コラム・批評
日曜のNewsJAPANを見るたびに思います、桜井・安藤・モナの女の戦い(笑)。「この女、ほんとにアナウンスの起訴が出来てないんだから!」「もういい歳なんだから早く引退すればいいのに…」「もう時代は桜井さんじゃないですよね、安藤さん(嘘)」みたいな。ども、TOSHIBOUZです。


最近、年金問題とかも騒がしくなってますが、そんな最中用事で社会保険事務所に行ったんですよ(割としょっちゅう行く)。ここ最近は本当に混んでたりするんですが、そんな中での一幕をご紹介。

年のころは60手前とおぼしき中年?の男性が受付に来た。目的はどうやらもうすぐ切れる厚生年金保険を国民健康保険に切り替えたく訪れた様子。

「すいません、この保険が今月で変わるので更新に来たんですが…?」
「ちょっとお見せいただいてよろしいですか?…そうですね、今月で28日までになってますね。」
「はい、なので切り替えの手続きに来たんです。」
「ですが、これは28日以降にならないと必要書類が揃わないので…」
「え?28日以降になっちゃうんですか?でもそしたら…」
「○○市役所に行けばその書類はすぐにもらえますよ(ニコリ)!」
「…」

えー、まぁ間違ってはないです。ちゃんと手続きの方法も示唆したし、それなりに親切なんじゃないでしょうか?う~ん、でもなんか違う。

恐らく、その方は今月の28日で定年退職されるかなにかで厚生年金保険の対象から外れるのでしょう。そして恐らく考えられるのは「現在医療機関に通院中」なのでしょう。そこで彼は医療機関で保険証を提示するにあたって、今度切り替わることを予期して「先に手続きしておこう!」と考えたのだと思う。つまり、「人に迷惑を掛けない様に今のうちに手を打っておこう」と考えたのだと思う。非常に民度の高い人です。

実際の手続きとしては、確かに今のルールだと受付の女史の言うとおりである。だが、彼の本当の意図は全く理解せず事務的に答えただけ。彼はきっと「28日に切れてその足で市役所へ行ってすぐに切り替えてもらって…」などと考えているに違いない。だが、残念ながら新しい健康保険証はその場で発行してくれない。彼は途方にくれるに違いない。

「健康保険証は切り替わってなくても医療機関で『今、手続き中です』と言って前の保険証を見せれば『じゃ、次回持ってきてください』と言われるので大丈夫ですよ!きちんと保険料さえ納めていれば遡って対象になりますから!」とさえ言えばよいのに。

ま、そんなことしなくても医療機関の方で「保険該当者なし」としてレセがはねられて返ってくるから、大した問題じゃないんやけどね。

叩きすぎです

2007-06-17 10:40:40 | コラム・批評
久しぶりに土曜休みました。意外とヒマをもてあましますね。ども、TOSHIBOUZです!


えーっと、今回のネタはグッドウィルグループです。少しビジネスでも近しい感覚がありまして、非常に問題意識が高い訳です。

でもね、

叩きすぎやと思います。

確かにコムスンはアカン事をやってたとは思います。でも、介護事業ってそもそもは国がやりきれないから民間に開放してというか「丸投げ」した業種じゃないですか?なのに連日メディアは批判ばかり。ちょっと不公平やと思う。

仕事柄医療関係の人と会うことは結構多くて、多くの人たちは確かに意識が高くてかなり自己犠牲の精神が強い。でも、日本っていう国は高度に発達してしまった国家で、とうちゃんかあちゃん仕事で国民全体のニーズをカバーなんてやりきれない。企業家だとしたら利益を追求するのは当然やし、ましてや上場してるんだから利益を上げ続ける使命がある。そういう意味で折口会長の「仕事」はある意味まともやと思う。実際、かなりの数のユーザーが居る訳で、その人たちはそれなりにサービスに満足してるんやと思う。そんな人数の満足を得ることがどれほど難しいことかを考えたら、多少の必要悪は考慮されるべきやと思う。折口会長の贅沢な暮らしみたいなものもクローズアップされるけど、会長でしょ?オーナーでしょ?あんたの会社の社長が「ほな、俺帰るわ!」て言って午後3時に退社して咎める奴なんて居る?

実際、NPO法人とかで介護事業を頑張っている人たちも居て、メディアも「赤字でも頑張っているそういう人たちも居る」だなんて美談にしたてて言ってるけど、現実のユーザーからしてみれば、赤字で頑張られてもいつまで続くか分からないなんて会社なんて怖くて預けられない。ましてや介護は死ぬまで続く訳やから。「ごめんなさい、もう倒産なんでサービス続けられません」とか言われたものなら、たまったもんじゃない。だからこそ「安定性」「信用力」「企業規模」とかも評価されるんちゃうやろうか?

そもそも、この問題は医療行政に問題がある訳で、公定価格自体を引き下げられたら企業はたちまち影響を受ける。病院だってバタバタ倒産してる。あたりまえや、昨日までと同じ事してて、いきなり売上が5%とか落ちてみ?「5%引き下げられたので、皆さんの給与も一律明日から5%カットです」て言われて納得できる?介護事業とか人件費割合が半分ぐらいあるんやで?給与を落とさないとしたらその他で10%カットしないといけないんですよ?取引先に「明日から9掛けで!」、無理でしょ。

それより、業界最大手を「潰す」ってすごい事やと思うけど。なに考えてるねん、厚生労働省。ま、ニチイ学館あたりから圧力がかかったのは当然として、この業種も外資導入って訳やね。ま、ちゃんと機能するなら、生活者としてはどっちでもいいけど。折口さんも儲からない事業を叩き売ったと思えば良いんやないやろか?

採用基準

2007-04-06 00:38:19 | コラム・批評
ついに50歩以内にコンビニができて、超便利になりました。ども、TOSHIBOUZです。


さて、新年度始まりましたねぇ。東京とかでは雪とか降ったりしたみたいですが、基本的には花見・新人歓迎会な時期なんじゃないでしょうか?そうそう、新人で・す・YO!俺の居る会社は小さな所帯なもので、定期的に新卒が採用されたりする訳でもないので、別に4月だから…とか全く関係ないのですけど、今回たまたま募集の時期がこんな感じの時期になってたんですよ。一応事業部長職だったりする訳で(ま、小さい会社だから部長とか言っても大して部下が居る訳でもないけど)採用面接とかしちゃったりする訳ですね。さらに言うと、俺が決定した時点でほぼ決まりという感じ。

で、今回の募集では3名ほど面接したんですけど(応募はもう少し居たんやけど書類で落としたので…)、採用面接って結構疲れるんだよね~。大体、俺みたいなヒネクレタ奴が選考するなんて間違ってる訳で、どうしても「試してみたくなる」んだよね~。んで既に何度か採用面接はやってるので、大体の基準とか持ってたりする訳です。

まず落とすのは会話がオモロクない奴。これは一緒に仕事をする上で結構重要な要素。その次に人の目を見てしゃべらない奴。あと考えが小さい奴。この辺はとっとと落とす。スキルとか知識は後でも身につく訳で、そんな即戦力なんてそこらに居ない。必要なのは柔軟性と真面目さ、そしてスケールのでかさ。そんなところが採用ポイントだったりする。あとは「置かれた状況」。例えば親が亡くなって面倒を見る必要があるとか、そんな「必然性」のある奴は粘り強い。

ちなみに書類選考で落とすのは、転職歴が異様に多い奴とバブル入社組。後は「高校の学歴が低い奴」。これ経験値的に結構当たってて、大学は短期の詰め込み勉強とかで受かる奴はいるんだけど、中学・高校って結構ポテンシャルを示している。有名私立進学高校出てるくせに不釣合いな大学なんてのは結構アリな訳です。もちろん例外も居ると思うけど、結構正しいと自分では思ってる。プラスポイントは理系(笑)。俺自身は文系なんやけど、基本的にロジカルに物を考える力は理系の方が高い気がする。

でね、結局1人採用する事にしたんだけど、なんだかんだ言って決め手はなにかっつーと、可愛かったからだったりする(爆)。結局採用基準なんて所詮そんなもんなんやな~と自分で思ってしまった(汗)。あ~い、とぅいまて~ん!

脱着メロ着うた宣言

2007-03-14 23:44:08 | コラム・批評
NTT西日本のCMキャラクターの長澤まさみがかなりデブって見えるんですけど。「大好きです!」とか言われても愛せないから。ども、TOSHIBOUZです!(久しぶりの癖に普通に始まってみた)


さてさて、MNP以来(いつの話題ぢゃ!)キャリアを変更された方も多いかと思います。世の中の潮流としてはアウンコに流れていっているようです。ま、それはどーでもいいのですが、着メロ着うたの類って正直必要です?もちろんサービスが始まった当初は俺もマメに「あいつからのはこの着メロでぇ、あいつからはこれでぇ」とかやってました。それなりに楽しかったです。今でも「着うたフル」などと携帯キャリアのサービスの一つとして非常に重要なポジションだと思いますが、俺は現在一切使ってません。

ってかさ、基本的にバイブなわけですよ、オリジナルポジションが。これでも一応サラリーマンな訳で、会議中だったりプレゼン中だったりする訳で、そんな時に「笑点」のメロだったりしたら仕事もありゃしない。ま、「笑点」は極端だったとしても、倖田來未だろうがドヴォルスキーだろうが、着信の「強引に話題に割り込んでくる」感性は似つかわしくない(掛けた相手に罪はないが)。さらに言うと、用を足している途中に鳴ったりしたら悲劇です(「すいません、今ちょっとトイレで…」とかキツイやん?)。

その上、いくら着うたフルだったとしても、それを最後まで聴く事なんてほとんどない訳で、結局CMのBGMと同様「おいしいとこ」だけしか聴けないよね。これはこれで冒瀆のような気もする。ま、そもそも最初から最後まで聴くに値する音楽があるかどうかも難しい訳ですけど。音楽が聴きたければiPodとかで聴けばいいわけだし、わざわざ貧弱な再生装置で聴く必要があるのだろうか、と。

そんな訳で俺は全く使ってないんですけど、そのかわり仕事中でもブルると携帯をチラ見しては「ニンマリ」してたりするのは秘密です(笑)。

社会実験

2006-11-28 21:38:06 | コラム・批評
わ~い、月記だ!ってか気付いたらもう結構寒くなってきてるし(汗)。気付いたらヌーボーの時期は過ぎてるし。 ども、TOSHIBOUZでっす(←ちょっと気合入れてみた)!


さてさて久々の「月記」な訳ですが、この前不思議なものに出会ったわけですよ。「社会実験」とやらの名称で、御堂筋の側道に自転車道を設置するという「実験」。ご存知だと思いますが、大阪の御堂筋というのは違法駐車の見本市みたいなものでして、よく報道なんかでも「大阪の二重駐車」なんて言われたりしますよね。恐らく、それの解消方法の一つとしての「実験」なのでしょう。

なるほど、自転車が側道に仮設された専用道路を軽快に飛ばしていきます。その専用道路の存在のおかげで側道自体の幅員が幾分狭くなっておりまして、結果として側道に駐車できない(というかすると通れない)。ついでに歩道を自転車が通らない事で歩行者もなかなか優雅に歩いていらっしゃる。カルティエの前も少しは優美な雰囲気です(ホントか?)。

と、ここまで考えた時に、御堂筋が今の形になったのっていつ頃だろー?とか思った訳ですよ。んで、調べてみると、現在の御堂筋が開通したのは昭和12年、当時の写真を見ると、既に側道があったんですね~なんて想いにふけってみたり。んで、南行き一方通行になったのが昭和45年。ってか、昭和12年の時点ですでに44m道路だったそうな。んで、現在の側道の部分は歩道だったんだな、要するに。そう言えば「駐車しごろ」の中途半端な幅員なんですわ。2車線と考えるには狭い…みたいな。結果として駐車ができる側道みたいな位置づけになって、渋滞の原因になるという状況。ま、当時の関市長がまさか「21世紀の自動車の幅」まで考えて設計したとは思えないから、仕方ないわな。そんな訳で、御堂筋の違法駐車は「発想が新しすぎた当時の市長の置き土産を、二次利用した結果産まれた悪影響」な訳ですな。

んで、社会実験。あの手この手で渋滞解消を狙ってるな~って感じ。でも、ものものしい現場警備もどんなもんだろ~とか思ったり。でもさ、国土交通省のHP見たら、この「社会実験」て登録されてないんだわ。(「社会実験」の監督省庁が国土交通省ってのもどうかと思うが、、、字面的にはもっと意味が広くても良さげやけど、汗)どーいう意味?ひょっとして大阪市とかが「社会実験」と称して勝手にやってんのかしら(汗)。それはそれですげーかも(笑)。

許認可

2006-10-26 08:50:07 | コラム・批評
ほんの少しだけ仕事が落ち着いてきました。今日は家の近くで新しいバーを発見しました。同伴希望者募ってますので。。。ナンノコッチャ ども、TOSHIBOUZです!


またまた日記をサボっておりました。大分疲弊している様子でございます(汗)。ってな話はおいておいて、今回の話題は「許認可」という言葉のトリックについてです。

「許認可」というワードはそれなりにカジュアルに使っていますが、実は結構意味が深いということを最近知りました。つまり「許可」と「認可」の違いという話です。この2つの言葉を皆さんは正確に使い分けているでしょうか?俺の実感としてはなんとなく同一に取り扱っていました。でも、実はハッキリと意味合いが異なるんです。

「許可」「認可」いずれも「その後はその行為を行っても良い」という意味では同じですが、そこにいたるまでのプロセスが全く異なります。漢字から考えても分かるように「許す」のと「認める」のにはかなりの隔たりがあります。基本的にはNGで特別にOKとするという感覚が「許す」であり、一定条件を満たしていることが確認できることを「認める」という訳です。つまり「許可」は嫌々OKとするという話で、「認可」は条件クリアした事を保証するという考えです。曰く「運転免許」は「許可」ですから、基本線としては「車道を運転してはダメなんだけど、特別に許してあげる」という感覚なんですね。「許婚(いいなずけ)」も「基本的には結婚は許さんっ!でも、こいつだけには許可してやる!」というかなりの上から目線な訳です。




ん?そろそろ「認可」されないかなぁ?って思っている三十路ですw。

似合わない音楽

2006-09-23 18:40:29 | コラム・批評
えらい長い間お休みしてました。その間にヒゲに「本気白髪」(←根元から真っ白な奴)とかが生えてきました。要はそんな状態です(汗)。 ども、TOSHIBOUZです!


いや~、マジで忙しくってですね、ブログを書く気も起こらなければ、ネタをキャッチするヒマも無かった訳です。そんな事言いながらも、場面場面では呑みに行ったりはしててそれなりに遊んではいたんですけどね。ちなみにこの状態、もう数ヶ月続くと思われます(初めから言い訳)。趣味の音楽も実は休止しておりまして、月一レギュラーもトラ立てていただいております。そんな中でもやはり音楽というものに対してはそれなりに感度が高いらしく、お休み期間中もそれなりに音楽に接していました。というか、仕事しながらでも音楽って聴けるので、、、というのが理由とも思う。

まずはヒットソング批評からです。AIの新曲、ダサいです。完全に歌謡曲メロディ。初めてAIを知った時「なかなか本格的なR&B系シンガー出てきたな」とか思ったのですが、底の浅さ露呈です(単に作曲陣がダサいだけなんですけど)。FMで「AIのニューソング!今回はバリバリのヒップホップチューンですね!」とか紹介されてたけど「どこがやねん!アレンジだけの話やん!」と車の中で突っ込んでしまいました。そしてケミストリーの新曲。こちらもプーですね。マッキー作曲らしいけど(というかまんまやし)、やっぱマッキーの曲はマッキーに歌わせるのが良いです。ケミの歌い上げるスタイルではベタベタ感が強くて、気持ち悪い。

そんな中でマドンナ、行って参りました。ミクではアンコールないなんて…とか言ってましたけど、アンコール必要ないでしょ?マドンナのコンサートをショーとして見れないようじゃ失格ですよ。正直、めっちゃファンな訳でもなくて、知らない曲とかもあるんですけど、あのエンドの演出見てたら「ここが帰りどころやね!」て気付きます。13年ぶりという事もあって物足りないファンも居たのだろうけど、あの終末を受け入れられないようだと本当にマドンナの事が好きな訳ではないのじゃないだろうか…とか思ってしまった。それでも客と絡んだり往年のヒット曲もあったりして、十分にサービス満点やったと思いましたヨ、俺は。

最後は「あたいストリッパー」です(笑)。マドンナの前日、久々に関目のFLEXにお邪魔しまして、屋良&KUROコラボとか見に行ってきました。この2人、ゲイミュージシャンとしては有名なんやけど、ゲイゲイしいメソメソソングとかせつなソングとか得意じゃない様子で好感が持てます(偉そう)。シンセサイザーやらなんやらで作曲の作業自体はとてもカジュアルになってきてるんですが、彼らの音楽は非常にシンプル。見せ掛けのアコースティックスタイルは要りません。メロディセンスのクオリティはかなり高いよね。コール&レスポンスの煽り方も手錬感と場末感イパーイでオモロイ。

んな訳で、忙しくても細々と音楽は続けていこうと思う。腕が鈍らない程度に(爆)。

それではガンバ大阪のゲームでも見に行ってきます!バイ!

「二丁目には捨てるゴミは存在しない」のウソ

2006-08-26 01:03:34 | コラム・批評
久しぶりに「上にのった具が多すぎて麺にたどり着く頃にはのびている、しかもそれを防ごうと急いで食べると口の中が火傷する」という非常に困ったチャンポンを提供する「ひるね(看板の文字はきっちり左に90度傾いている)」でメシ食ってきました。 ども、TOSHIBOUZです!


さてさておなじみのマイミクセト氏の日記に「二丁目には捨てるゴミは存在しない」という極めてメジャーな格言(←というほどの事でもない)が取り上げられておりまして、この言葉に常々違和感を感じておりましたものでここらあたりで考察したいと思います。

この格言の元となっているものは「ゲイの嗜好は極めて多岐に渡っておりそれぞれにコミュニティが存在するため、一見どうしようもないブスでも需要がある」という前提から成り立っています。果たして本当にそうなのでしょうか?ノンケにはそのような多様性は存在しないというのでしょうか?俺はそうは思いません。松嶋奈々子のように清楚なお姉さんが好きな人もいれば、加護ちゃんが好きな奴も居るし、杉本彩ね~さんが好きな人もいる。中には熟女専もデブ専も居ます。つまり多様性がない訳ではないと思うのです。そしてその割合が決して偏在しているとも思いません。

では、なぜ「ゲイだけ」と感じるのでしょうか?俺は「Minority of Majority」に過ぎないからだと思うのです。つまり「ゲイ」という時点でかなりセグメントされています。その中で多数派だろうが所詮数は知れているのです。そういう意味で「違った嗜好を受け入れる体勢」が出来ているのではないでしょうか?つまり「俺はイケないけどああいったタイプが好きな人も結構居るよね!」と許容できてしまえるのではないかと思うのです。

さらに、例えばノンケが世の中に自分のタイプが5%存在したと仮定します。つまり1000人居たら50人好みのタイプが居るという確率です。そして仮にその人が今日20人の人間と出会うとします。確率上では1人好みのタイプが居るハズですが、実際は20人とも好みだったり1人も居なかったりする訳です。1人も出会わない日は「今日はブスばっかり会うなぁ」となり、逆だと「今日はカワイコちゃんばっかや!」となりますが、例え20人全員がタイプだったとしてもその20人を順位付けたりしますので「今日はカワイイ子ばっかり出会うけどやっぱその中でもあの子が…」となってしまいます。

ところがゲイの場合、同じく5%の確率でイケる場合でも事情が変わります。世の中にゲイ自体が5%の確率で存在するとしたら1000人の中にそもそも50人しか対象者が居ません。そしてその5%となると2人か3人しか居ない訳です。ところが二丁目にやってきて同じように20人の人間と出会うと考えた場合、今日だけで20/50の対象者に出会ってしまう訳で、2,3回2丁目に出ただけで「本理想」の人に出会えてしまいそうな気配です。つまりそもそも選択肢が少ないがために、いくら特殊な嗜好だったとしても好みのタイプに出会いやすい、という訳です。



さて、俺は何が言いたいのでしょうか?


「ま、結局どこかで妥協してるよね!」


そーいう事です(爆)。

お行儀が悪い

2006-08-20 10:34:02 | コラム・批評
ちょっと外食が続いております。ってか、毎日色々と企画多すぎ(汗)。全ての予定をこなすのが厳しくなってきた30代半ばでございます。 ども、TOSHIBOUZです!


昨日はマイミクで流しのホステス(笑)のBちゃんを誘って、恒例(だが客で行ったのは初めて)の"a-nation"に行ってまいりました。あ、もちろん大人のチケット手配を致しましたので、相変わらずイカツイ場所での観覧です(プチ自慢)。a社のアーティストは相変わらずで、大塚愛が思いのほか良かったなぁ、ぐらいなもんでした。意外と言えば「東方神起」なる韓国人ユニットが婦女子に結構な人気で、ルックスがいいのはわかるけど所詮心の通ってない日本語で歌われてそんなにアガれるもんなのだろうか?と変な事を考えてみたり…。個人的には毎年派手になってきているステージ演出に興味があったりしました。それにしてもついにステージに奈落作っちゃったのね…でも「あゆ」だけにしか適用されてませんでしたけど(汗)

で、サプライズゲストとして出演していた「FLOW」なんですが、少々お行儀が悪いと思ったんですね。あまり詳しくは知らないけど「FLOW」っていわゆるインディーズブームに乗っかって急上昇したグループですよね。今、ちょっと調べてみたら事務所はアミューズでしたが、いわゆるアーティスト主導型のパターン。「FLOW」のステージ自体は悪くは無かったし、むしろ思ったより面白かったし、ライブで鍛えたのであろうパフォーマンスもなかなか良かった。でも、お行儀が悪いと思ったのはスタッフ(ローディー)達なんですよ。

夏フェス系の弱点といえば「バラバラの事務所の色んなアーティストが出演する事によるリハーサルの少なさから生じる総合演出性」にあるんです。そういう意味でやっぱり本当にそのアーティストの良さを見るにはあまり向いてない。そんな中で"a-nation"とか"オーガスタキャンプ"とかは単一の事務所が主導なので、夏フェスにもかかわらず総合的な演出が効いてると思う。で、そこでのゲスト出演は「お呼ばれさん」な訳です。そこを理解できているかが問題。呼んだ側もお客ですから最大限のワガママは大目に見ると思うし出演順的にも配慮が効いてる。だから「礼儀正しいお客」にならないといけないと思うんです。

同じゲストの"mihimaru-GT""DJ OZMA"はそのあたりがプロだ。会場を暖める役割を果たしながら自分のキャラクターをしっかりとアピールし、そして「周囲に迷惑をかけることなく爽やかに去る」、これですよ。間違っても本番前にローディーが大音量でサウンドチェックしたり、本番中に客から見える位置でボーッと突っ立っていたりしてはいけません。もちろんその行為にそれなりの理由はあると思う。でも、それはイベントの特性を理解していないというだけやと思う。音が出るのがそんなに心配ならもっと綿密に打ち合わせをすべきだし、本番中のメンバーが心配だというならもう少し目立たないようにしろ、って話。

ま、ローディーもインディーズ時代からの知り合い・友達の類なんだろう。割となあなあにやってきたら、いきなりブレークしちゃったものでその辺の教育が行き届いてない。ひょっとしたらこれまでにも誰かが指摘してるかもしれないけど、旧友だったりするものであまり強く言えない。。。そんなところだろうか?勢いが売りのユニットなのは分かるけど、プロ意識というのはそういうところに現れるんだと思う。

勝ってたらどうなってるんやろう?

2006-08-16 16:56:14 | コラム・批評
久しぶりに麻雀しましたよ。どこぞのイカツイオサーン(某店ママ)がお客をかなりカモってましたよ。さんざん巻き上げた挙句、そのまま来店に誘導するテクニックを是非身に付けたいと思う。 ども、TOSHIBOUZです!


さてさて、世の中はジュンジュンの靖国神社参拝について賛否両論な訳ですが、やれ外交カードがどうだの、戦争責任がどうだの、戦没者に対する儀礼がどうだの、次期キャビネットの方向性がどうだの論じられておりまして、正直「どの意見もそれなりに道理がある」訳です。ま、こういうのは論旨の開始点をどこから始めるかで結果が異なっていく訳で、どれが正解でどれが間違いという訳ではないのだと思います。残念ながら俺らの世代はリアルタイムの戦争世代ではないので「個人的な切実さ」は持ち合わせていないですので、正直どうでも良い。中国人の方や韓国人の方も教育の方針はあったとはいえ、同じくリアルタイムではない世代に突入してしまっている訳で、なんとなく交渉テクニック的な側面が強く感じられてしまう。

そんな中でちょっと変な事を考えてみた。つまり、もし日本が戦勝国だったらどうなっているのだろうか?という論点。

靖国神社自体は第2次世界大戦以前に設立されていて、その当時から戦没者の慰霊を目的とされていた訳なので、戦争に勝っていたとしても存在しているはず。そして戦争に勝ったとしても犠牲となった人は居ると思うので、戦没者は同様に祀られることになる。「戦犯」という人たちは存在しなくなるから彼らは祀られることはない。アメリカで言うベトナム帰還兵みたいなものだろうから、ヒーロー扱いだろう。そして、日本がアジアの国々の宗主国になっていたりする訳で、政治はもちろんのこと教育やらも「日本サイコーッ!」みたいなノリになっているに違いない。で、その国で産まれてきた人々は緩やかな洗脳によって「靖国イエーイ!」なノリにでもなっているのだろうか?修学旅行に大挙して「宗主国の戦没者の慰霊に行こう!」みたいな施設になっていたかもしれない。

バカバカしい仮説を立ててみたのには訳がある。つまり日本は戦争に負けた国なのに戦争責任を取らされているという変な構図。これってリコールによって売上激減した挙句経営責任も問われてさらに弱体化する企業とか、最下位に陥って主力選手を放出した挙句フロント総入れ替えされた球団みたいな感じ。でも、これらの場合は一旦リセットされて「一番弱いところから再度這い上がっていく」事で一応許される。ところが第2次世界大戦に関して言うと「日本は戦争に負けたにもかかわらず最弱国にならなかった」という矛盾なんだろうと思う。むしろ結果的に経済発展して、少なくとも20世紀はアジアでは「強い国」になってしまった事に非難が集まるのかとも思う。日本が未だ戦争から立ち直れずに貧困と政情不安にあえぐ国だったら、中国や韓国は非難しないような気がする。ジャンケンで負けたくせに先生から庇われている子供はイジメにあうと言う理屈なのかな、と。

第2次世界大戦は世界中の国が「これ以上エスカレートすると誰もが破滅する」事を自覚した初めての戦争なんだと思う。それの証拠にイラク問題もイスラエル問題も「国際的に局地戦でとどめよう」としている風潮がありありだ。第2次世界大戦の時点では思いっきりみんなが「連鎖反応」していた。吹出物をかきむしって一瞬爽快でも余計に傷口が広がっていくなら、少々の痒みや痛みは我慢しなくちゃいけないという事を悟らせた戦争なんだと思う。その結果として、戦争に負けた日本を「完全支配下にせず自浄作用に期待する」という恩情が働き、「ジャンケンに負けたくせに庇われて生徒会長になった子供」みたいな位置づけになっちゃったのかな、とも思う。

戦争自体は誉められる行為ではないけど、戦争による勝ち負けを重要視できなくなった事が最大の問題なんだろうと思う。ジャンケンに勝っても負けても答えが一緒ならばジャンケンの意義はなくなる。ただ、それまで負けて損をしてきた人たちが不公平を唱えるのはごく自然な話。でも、それは単にゲームのルールが変わってしまったというだけなのかもしれない。残念ながらそんな話で全ての国が納得するかどうかは別として。