Nasebanaru

アメリカで趣味と生活を綴る

テレビ初出演

2006-06-30 04:32:39 | アメリカの生活
昨日ローカル局の夕方のニュースのひとコマに登場させていただいた。日本では中学の頃、地元では有名な駅伝大会に市の代表として出たときに少し顔を出したことはあったが、あれは駅伝自体を取材していたので今回のように個人的にテレビに出て話をさせてもらったのは初めてだった。

と言っても話をしたのはほんの数秒で、しかも私の英語がアメリカ人に理解されていたかどうかは疑わしい。ただこうやってニュース番組というものは作られるのか、と少し勉強になった。

昼過ぎに一人のテレビリポーターが店にやってきて、うちの店の近くで今度大規模な工場が立ち上がると言う話をして、そのことについてどう思うかと聞いてきた。この人がテレビ局から来た、ということは、はじめに自己紹介をしてくれていたので知っていたが、地元のニュース番組でアナウンサーをしていることは、テレビを日頃ほとんど見ない私は知らず、はじめは聞かれたことにただ答えるだけだった。「この近くで新しい雇用が生まれている」「人通りが増えると思うがどう思うか」「そこでの平均給与はこのくらいだそうだ」「あなたのビジネスにどのような影響を与えると思うか」質問は大体こんな内容だったが、私は「この近くで新しい雇用が生まれ、今までより多くの人が店の前を通れば、当然私の商売にもプラスになると思います。」と答えた。それを聞いたりポーターはわが意を得たり、のような顔をして、「今日の夕方のニュースであなたのその意見を紹介させてもらってもいいか」と言う。私は即座に断った。お世辞にも私はテレビ向けの顔ではないと思っているし、恥ずかしがり屋だからである。結局リポーターの「お店の宣伝にもなりますよ」と言う言葉に負けて撮影を許可した。

「このマイクを付けて、普通に仕事続けてください。私が質問したらそれに答えてください」

仕事続けてくれと言われても、コーヒーとバラ屋なので、お客がいなければ仕事のしようがない。しかしカメラはもう回っているようなのでとりあえずコーヒーを何杯か作り、その間、投げかけられるさっきと同じ質問に対し、さっき答えたのと同じように答えておいた。

それから1時間ほどは店の中や外を撮影して、帰って行った。そしてその後、おまちかねのニュースを見てみたら、お店はいいところだけをうまく表現してくれていた。私がコーヒーを入れているところ、花を準備しているところが順番に紹介されたが、コーヒーもおいしそうだし、バラも何故かいつもよりきれいに見える。テレビの画面と言うものは不思議なものだ。そして最後に私の台詞、「通常、人が増えれば商売も忙しくなります。ですから私も幸せです」で締めくくっていた。

彼がここにいたのは小1時間ほど。だがニュースではほんの30秒ほどであった。あの日は妻に休みをあげる意味で、夏休み中の子供を2人つれてきていて、撮影中も私の周りをうろうろしていたが、見事にカットされていた。彼は生で現場からのリポートしながら、録画していた私の店と私の意見を紹介する形で話を進めていた。私が出てきた後に登場したのは地元の経済界の有力者で、彼は今回のこのプロジェクトが地元にとってどれだけいいかということをとくとくと話していた。

もしあの時、私が同じ質問に対して、「いやー困った。人通りが増えたら事故やら事件やらが起こる確率が上がるだけでまったく迷惑だ。」と答えていたらどうだっただろう。少数だとは思うが、それに近い考えを持っている人もいるはずだ。同じように撮影をしてその意見をニュースで流すだろうか。それはあの話の前後からしてまずありえなかっただろう。あのリポーターはあの質問に対して、ああ答えてくれるビジネスオーナーをこの辺で探していたに違いない。

今までなら、だからマスコミには気を付けないといけない、と書いていただろうが、今回、少し考えが変わった。自分の店が紹介されたからではない。全ての人の意見を紹介することなど時間的に無理だということを感じさせれたからだ。

あのリポーターはたった一人でここに来て、質問をし、カメラを回し、その後編集をして、夕方のニュースには生で現場からリポートしていたのだ。私だけでなくあと2人ほどインタビューをしていたから、言ってみれば、彼がリポートするたった3分の時間のために昨日1日をフルに使っていることは想像に難くない。リポーターも大変だ。

ともあれ、私はもともとマスコミに対してよくない先入観を持っていたことは事実だ。彼らを中立でない、と批判する前に私自身、よく知らないことには謙虚に見つめなければならない、と思わされた一件だった。

最後にひとつ、特筆すべきことは私の店と私の意見を紹介するとき、テロップできちんと私の名前の出していたことだ。誰がどのような意見を持っているのか、はっきりさせるためだろう。お店の経営者のみならず、通行人に声をかけたときも同じだ。意見を述べるほうも、いきおい、自分の意見に責任を持つことになる。これは日本でもやってみてはどうだろうか。


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