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グレイゴーストのある風景

2004年11月23日 23時26分10秒 | 世情雑感(ムウビイ)
 YF-23グレイゴースト――このYナンバーを付された米国の試作戦闘機は、冷戦後の大空の覇者を選んだYF-22との次期主力戦闘機選定に敗れて歴史の影に姿を消していった。このグレイゴーストが大空を舞いロシアのスホイ27戦闘機に追撃を受ける。このような状況は現実には存在出来ない。この情景が描かれているのは新進気鋭の映像作家新海誠の最新作「雲のむこう、約束の場所」である。この映画についての分析は近日中に小生のHP内のG2分類キネマ雑記内で詳細に行う事として、今回のBlogでは映画の感想に近いものを掲載してみたいと思う。
 米ソ両大国(作中では「ユニオン」と「連合」)によって分断されたもう一つの戦後。それは現在の日本と言う国家を考える上でありえた現実である。歴史の針が微妙に触れていれば、この映画が背景として用いた世界観は現実に存在していたのかも知れない。分断国家にとっての補完とは統一国家の形成にあることは旧東西ドイツや南北ベトナム、現在の朝鮮半島を見るにつけても明白である。一方でこの映画が描くのは少年と少女の「恋愛」の補完の側面を有している。そして、少女の存在はふとした事から長い眠りへと陥ってしまう。この少女の眠りは北海道に立つ巨大な「塔」に象徴されるこの世界の補完と密接な関係がある。三つの補完を成し遂げる為の最大公約数がこの映画が導き出した結論だ。この結論は種明かしになってしまうかも知れないので言及しないが、最大公約数が平成と言う現実を描いているのかも知れない。我々が生きる「現実」と言う世界、少年と少女の関係の補完、そして日本統一という補完を成し遂げる為に失うものは最小限度で無ければならない。それがこの映画の結論だ。
 グレイゴーストはステルス性能の極限を進めた戦闘機だった。しかしながら、其の代償として空戦能力は現行の機種と比べて悪かったとも言われている。米国空軍が現実に選んだのはステルス性能と空戦性能の最大公約数を有していたYF-22(現FA-22Aラプター)だった。ありえたかもしれない現実、それはもう一つの世界「平行世界」が存在する可能性を秘めているとも言う事が出来るかも知れない。表面的に類似している世界であっても、其の内面はこの我等生きるこの世界とは大きく異なっているのであろう。平行世界はSFで語られる世界ではない。IFというものも一種の平行世界を構築しようと言う作業でもあるからだ。ありえたかもしれない世界と其のありえたかもしれない世界を現実へ戻そうとする「補完」作業。その作業を「塔」というランドマークによって果させようとしている。この「塔」のモデルと言われる塔は東京都某区の清掃工場の煙突であると言われている。「塔」は存在している時は大きな影響を周囲にもたらしているが、なくなってしまえばそれは急速に人々の記憶から失われていく。
 現実は最低でもこの世界を生きる人々の意思の集合体であり、不作為であれど最善であるが小生の認識である。グレイゴーストは現実世界では、上述の結果として歴史と言う灰色の闇に消えていった。例え205系の埼京線が走っていて、新宿から某区の清掃工場の見える方向に「塔」が立っていようともグレイゴーストのある風景は「平行世界」でしか存在し得ない。