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人類の代替可能性

2004年11月17日 01時24分43秒 | 世情雑感(社会情勢)
 NHKスペシャル「地球大進化~46億年・人類への旅-第6集ヒト果てしなき冒険者-」の取り上げているテーマは極めて面白い。現在のところ人類はホモ・サピエンス・サピエンスという単一種族のみが地球上に存在しているが、この単一種族へ至るまでには19種類の人類が登場しては消えていっているという。例えばほんの3万年前までホモ・ネアンデルターレンシス(ネアンデルタール人)が並存して存在していたのであるが、氷河期の最盛期に言葉を我々ホモ・サピエンスと異なり身体的特徴から自由に操れなかった為に生存する事が出来なかったという。しばしば、人類はホモ・サピエンスは選ばれた人類であると言う意識があるが、実態ではそうでもない。ネアンデルタール人の外見は殆ど変わらず、この言語能力という点の自由度以外において人類と同等であったと言えるだろう。つまり、ほんの小さな身体的特徴によって人類の命運は決まっているとさえ言えるのかも知れない。
 選ばれた人類というのはあたかも人類が生物の頂点に君臨しているかのような印象を与える。しかし、人類の歴史において多くの時期に於いて代替可能性というものが存在していた事も事実である。ほんの3万年前まではネアンデルタール人という代替可能性が存在していた。その代替可能性が失われているのは人類文化の安定性(類似種族同士の闘争がないという点において)を保障する一方で、疫病や気候の大規模な変動で人類と言う種族が滅び去ってしまうという可能性をも示している事になると言えるのではないだろうか。人類の優越性というものは自滅との表裏一体の関係にあるといっても過言ではないであろう。
 しかしながら、人類はその代替可能性というものを現在獲得しようとしている。それは自然の進化によって起こっていると言うよりは人工的なものだ。スポーツ選手が薬物等を用いて肉体を強化しようとする事はその現実的側面であるし、将来的には遺伝子改良等による改良された人類が人類自らの手で生み出される可能性は十分にあるのである。毎週土曜日に放送されている「機動戦士ガンダムSEED DESTINY」は遺伝子改良されたコーディネーターと通常の人類ナチュラルとの戦いを描いている。このような闘争はホモ・サピエンスとネアンデルタール人との間で起こった事かも知れないし、今後起こり得る現実かもしれない。人類の代替可能性は現在のところ存在しない。それは文化の発展に貢献してきたが、人類の存続と言う地球的規模で考えるならば別の側面も指摘出来るだろう。無論、人類が地球規模で拡散した現在において地球上での人類の変化というものは生まれてこないと言う指摘も出来るかも知れない。人類の宇宙開発によって地球外へ人類が進出していけば全く違った人類が生まれる事になるかもしれないが、これは将来に属する話でしかない。地球規模で考えた人類の代替可能性という問題は生物学的に考えると極めて面白い事実である。