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私が社会人になって初めて保守を担当したディスクドライブ装置の銘板写真
50年近くも昔の話ですが、学校を卒業して入ったのは日本ユニバックというコンピューターを扱う会社で(今は日本ユニシスを経てBIPROGYという会社になっている)、初々しい(多分?)新入社員だった私はハードディスク装置の保守を担当するエンジニアでした。
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当時のディスクドライブ装置のイメージ
担当していたディスクドライブ装置は米国スペリー・ユニバック社製で、1台の大きさは家庭用の洗濯機ぐらいあり、上のイラストの様に①直径30㎝程あるプラッタと呼ばれる磁性体を塗布した円盤を10枚重ねた、取り外し可能なディスクを装置に入れ、②スイッチを入れるとディスクが高速回転し、③その後装置に組み込まれているヘッドがプラッタの間に差し込まれて、④プラッタ上を僅かに浮上しながら読み書きするような仕掛けになっていました。
この大層な装置での記憶容量はディスクあたり300M(メガ) byteで、それでも当時は最新・最大容量だったのですが、50年たった今は100mm×69.8mm×9.5mmのポケットに入るサイズで2T (テラ)byteのものが、それも1万円程で入手出来るようになりました。
因みに1T byte=1,024G(ギガ) byte=1,048,576M byteですから、単純計算ですが50年ほどで記憶容量は約3,500倍(容積あたりで言うとさらに数千倍か・・・)での変化になりますね。まあこいうった機器を作る立場の方にすれば、喜んでよいのか悲しんでよいのか微妙だと思いますが。
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システム構成はこんな感じ
これらのドライブは大型コンピューターの周辺機器としてディスクコントロールユニットを介してメインフレームにぶら下がっており、OS部分などの収納されているディスクは半固定ですが、種々のデータについてはオペレーターがシステムコンソールに表示される指示に従ってディスクを架け替えるといった作業も普通に行われていました。
少なくとも記憶容量だけ見れば、当時の電算機室を占拠していた機器は今のスマホにも及ばない訳ですが、記憶容量を確保するのにお金と場所が掛かかった当時は、今とは違った苦労や工夫があったということですね。
また、今のディスクドライブは故障したら即交換・廃棄ということになりますが、当時はエンジニアが装置内の部品を交換して修理していました。
不良現象から判断して回路基盤を交換して終わりというケースが多かったですが、現場には回路図が置いてあり、時にはそれを睨みながらオシロスコープで信号を見て不良個所を特定する・・・といった職人技?も発揮していましたし、そういう丁寧な修理の仕方を好きな(要求する?)お客さんもいらっしゃいました。
まあ、今から考えればのんびりした時代だったんですね。。。