撮り鉄ブログ

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信楽高原で桜満喫

2024年04月11日 | 撮り鉄
雲井駅にて狸+SHINOBI TRAIN+桜
この日の撮影中はずっと311形のラッピング車両が走っていた

4月6日の「お花見電車」あたりがこの近辺ではベストのお花見タイミングでしたが、遅ればせながら10日に3年連続で信楽高原鐡道と桜の撮影に行ってきました。
本館の過去の信楽高原鐡道に関するキャプションにも書いているように、信楽付近は大津あたりより100m程標高が高く、もちろんそれぞれの木によって多少違うとはいえ、開花状況がざっと数日から一週間程度遅く、大津付近の桜満開の後、再び満開の桜を楽しむことが出来ます。

今回も行ったのは雲井から勅旨のあたりで、似たようなアングルの写真しか撮れなかったりはしたものの、青空の下、桜を楽しませてもらいました。

勅旨駅の周りにも種類の異なる桜が咲き誇っていた


お花見電車で桜見物

2024年04月07日 | 鉄是好日
今年のお花見電車は左側の「光る君へ」ラッピング車両
石山寺駅は柱やホームが紫色に化粧直しされていた(三井寺駅は緑色に塗装)

今年は2月に春の様な陽気が続いたかと思うと、3月の半ば過ぎに雪が降るといった異常気象(というかこれからはこんなのが普通に?)でしたが、ようやく桜の季節になりました。
4月6日は京阪電車を愛する会の「お花見電車」。今回は「光る君へ」大河ドラマに合わせて石山寺と三井寺を巡るコースで、600形/700形の京津線運転が無く鉄道ファン的にはいささか残念だったのですが、「お花見電車」そのものにはそこそこの参加希望があり(抽選で選ばれた方が参加)、まあ一般的にはそんなことはあまり注目されていないという事実を改めて認識することになりました。

私も誘導係のボランティアついでに桜を楽しませてもらったのですが、低視聴率とはいえ流石NHK「光る君へ」効果というべきか、何処も結構な人出でした。


石山寺といえばやはり珪灰岩と多宝塔のこのアングル

紫式部も月見亭の辺りからこんな感じで瀬田川や琵琶湖を眺めた?
瀬田唐橋は当時もあったが、加えて今はJR、国道1号線、新幹線、名神の橋梁が視界を妨げる

疏水に掛かる鹿関(かせき)橋から見た桜も満開、トンネルの上部は三井寺の桜


以前の撮影ポイントに行ってみたが、桜の枝が伸びて桜+京阪電車は撮りにくくなってしまった

雪景色を満喫、早春の函館・津軽旅行 昔日編

2024年03月20日 | 乗り鉄
今は思い出となった青函連絡船

いつものように昭和43年(1968年)10月、ヨンサントオの時刻表で56年前を振り返ってみます。
北海道新幹線は2016年3月26日の開業、青函トンネルは1988年3月13日の開業なので当時の主役はもちろん青函連絡船。時刻表から当時の本州➡北海道連絡の一端を拾い出してみました。


下り本州➡北海道連絡(不定期列車は除く)

大きく分けると①本州夜行➡青函・北海道昼行パターン(上野発の夜行列車降りた時から・・・♫)、②本州・青函昼行➡北海道夜行パターン、③本州昼行➡青函昼行➡北海道昼行の3つがあり、特にこの改正では東北本線電化で大幅にスピードアップした583系の電車特急はつかりや寝台電車特急はくつるがそれぞれのパターンでの最速列車として、最小の接続時間で網走、稚内、釧路などへ向かう列車に接続しています。
経由線区を見た場合、北海道側は函館本線のいわゆる山線経由の優等列車が多い事、本州側は勾配の緩やかな常磐線経由の列車が多い事があげられます。特に今の函館本線の山線は、優等列車が走らないどころか北海道新幹線の開業時には長万部~小樽が廃止決まっている程の閑散線区になっており様変わりです。
関西方面からはこの時点では夜行ブルートレイン日本海もまだ運転されておらず、新幹線+東北・常磐経由以外の直通列車としては、延々15時間キハ80系の「白鳥」に乗車するか、「きたぐに」で18時間の夜行旅をするか・・・という選択肢しかなかったことになります。


ヨンサントオ時刻表私鉄ページより

次に巻末の津軽方面の私鉄を見てみます。
この時刻表から読み取れる五所川原発の列車本数は18本、現在は12本ですから現在の1.5倍です。始発列車、終列車共に今より20分ほど早いのは生活パターンの差かも知れませんが、平均すれば40分に1本程度の列車本数があったことが分かります。
また、弘前~弘南黒石の弘南鉄道は30分毎と表記されているのでこれは現在の1時間毎と比較して約2倍、「その3」に記したように1970年に弘南鉄道大鰐線となる大鰐~中央弘前の弘前電鉄も約30分毎とありますのでこちらも現在の1時間毎の約2倍の本数が運転されていたということになります。
ただ、自家用車保有台数推移によると、青森県の1968年の自動車保有台数は28,616台、2018年は729,768台と25倍、一方で青森県の人口は1968年頃は約140万人、現在は約120万人とむしろ減少しており、自動車普及率を考えれば、これらのローカル私鉄が行政から多少の補助金を受け取ってはいるにせよ、これだけの運転頻度で存続しているというのはむしろ「奇跡的」とも云えるのではないでしょうか。因みに福島以北の東北6県で第三セクター以外の私鉄はこの2私鉄しか残存していません。

その1」の本文記事にも書きましたが、北海道新幹線の札幌延伸についてはトンネルなど建設工事での諸問題に加え並行在来線の問題、貨物輸送の問題などが山積しているようで、今のところ2030年の開業予定は崩していないものの、順風満帆とは言えないようです。
津軽鉄道や弘南鉄道も赤字の中で車両の老朽化や線路保守の問題などを抱えながらの苦しい経営が続きます。
遠方なのでなかなか訪問が難しいといった面もありますが、北国の鉄路がいつまでも元気であってくれるよう願うばかりです。

北陸新幹線金沢~敦賀開業直前 北陸本線特急乗り納め

2024年03月13日 | 鉄是好日
鯖江駅に進入する特急しらさぎ53号(12:51発)

東北から帰った翌日、いつものHさんのお仲間で北陸本線の特急の乗り納めに行ってきました。最後の北陸特急の乗車と敦賀、武生、鯖江、福井、芦原温泉、加賀温泉、小松で下車しながら新幹線開業直前の駅を見、さらに福井鉄道などプラスアルファのお楽しみ付という盛り沢山な計画です。いつものことながらHさんがバッチリと計画を作って下さるので団体ツァーよろしく気楽に楽しませてもらいました。

先ずは武生で下車し、スーパー平和堂の中を通り抜けて(もちろん一般の道路を通っても行けます)福井鉄道の「たけふ新」駅へ、1駅乗車して車庫のある北府(きたご)駅に向かいます。

福井鉄道たけふ新駅 左が元名鉄の770形、右が低床車フクラムF1000形


連接構造を持つ200形保存車両 屋根もあって保存状態は良好
1軸あたり2枚のディスクブレーキが装備されたボルスタアンカの付いたオリジナル連接台車
「西武生工」(にしたけふ工場)の表記も見える

北府駅付近は駅本屋(これは再建されたもの)、車両工場、写真の200形電車などを含めて鉄道ミュージアムとなっています(見学無料)。駅本屋には写真や年表の他備品なども展示されており、同鉄道の歴史についても知ることが出来るようになっています。今更ですが多少予習しておくとより楽しめそうですね。
ミュージアムの後は武生駅に戻って駅そば「今庄そば」で昼食。今や駅そばの食べられる駅も少なくなりましたが、武生駅は新幹線の越前たけふ駅からは約2.7kmの距離があり、新幹線開業後現在の武生駅の賑わいが失われるのは必定で、こういったお店や、乗り換え客のフィーダー輸送を担う福井鉄道などにどういった影響が出るのか心配です。

電光サインやしらさぎやサンダーバードの停車位置看板ももうすぐ見納め(武生駅にて)

鯖江や加賀温泉で下車しながら次は小松に向かいます。小松駅の西側を200m程北に歩くと土居原ボンネット広場という公園があり、ボンネットスタイルのクハ489 501が保存されています。生憎この日は修理中でボンネットのカバーが無いという姿でしたが、普段は車内にも入れるような雰囲気でした。ま、この特急車もまさか北陸本線から特急が無くなるとは思っていなかったかも知れませんね。


保存されているボンネット型特急電車

小松駅の東側には「こまつの杜」というコマツ(小松製作所)の運営するミュージアム
があり、超大型の油圧ショベルやダンプカーが屋外展示されているほか、歴史館、キッズ館、未来館などの博物館が併設されています。ここも入場無料で「働くクルマ」好きの子ども(おとなも)には非常に興味深いのではないでしょうか。


運転台に上がる階段からも巨大さが想像できる超大型重機

今回下車した駅の中で、新幹線駅が併設される敦賀、福井、芦原温泉、加賀温泉、小松の各駅はいずれも気合の入った改装工事がされて綺麗になっていました。新幹線開業は間違いなく東京とこれらの町の距離を縮めてくれるとは思いますが、一方で敦賀での乗り換えを強いられる関西からは不便になります。
何もかもが東京中心になっていくのが本当に良い事なのか、その先に地方の未来が開けるのか、蓋を開けてみるのが少し怖いような新幹線開業前夜の北陸訪問となりました。


非常に凝った意匠に改装された芦原温泉駅(西口)
福井駅前は恐竜一色 福井鉄道も駅前広場に乗り入れる

雪景色を満喫、早春の函館・津軽旅行 帰り掛けの駄賃編

2024年03月13日 | 撮り鉄
相鉄西谷駅から横浜方面を見る 一番左がJR・東急線直通羽沢横浜国大方面
中央の複線は横浜方面への相鉄本線、一番右はJR・東横線から海老名方面

今回の旅行の帰路、東京で下車して行き掛けの駄賃ならぬ帰り掛けの駄賃で相鉄(相模鉄道)直通線(鶴見~羽沢横浜国大)に乗車してきました。
JRの相鉄直通線は2019年の開業で、JRが既設の東海道貨物線横浜羽沢貨物駅までの線路と新設された羽沢横浜国大駅の間に約1kmの連絡線を建設し、相鉄が相鉄本線西谷駅と羽沢横浜国大駅の間を建設(西谷~新横浜の新横浜線の一部)してJRと相鉄の相互乗り入れを可能にしたものです。営業キロ的には鶴見~羽沢横浜国大の8.8kmとなっていますが東海道貨物線の鶴見には旅客ホームは無いので実際に鶴見から乗車することは出来ません。

武蔵小杉駅の掲示物、一番下が相鉄直通線
今回乗車した13:53発海老名行きはJR233系だった
次の停車駅である羽沢横浜国大(14:11着)まではノンストップ

とにかく武蔵小杉で乗車した後は羽沢横浜国大までノンストップな上に、鶴見から先、横浜羽沢貨物駅付近までは地下トンネルなのでただ乗っているだけですが、本来は貨物線なので当然といえば当然というものの、結構都心なのに駅も無い「地下鉄」は少し勿体ない気もしました。

羽沢横浜国大からは相鉄線になり、2分で相鉄本線の西谷(にしや)駅に到着します。(冒頭の写真)西谷駅は海老名~横浜の相鉄本線と、羽沢横浜国大からのJR線、新横浜から東急線に接続する新横浜線のジャンクションになっており、長編成の通勤列車が頻繁に発着して非常にダイナミック。前日までは津軽のローカル線に浸っていたので、同じ鉄道とは思えないほどのギャップがあります。

西谷駅の案内板 一番下が東急線と直通する相鉄新横浜線で渋谷や目黒に直通
緑の線がJR直通線で新宿、池袋といった駅名が並ぶ
羽沢横浜国大の新横浜側にあるJRと相鉄新横浜線の分岐
中央の複線トンネルが相鉄新横浜線で東急線に、両側の線路がJRと接続する

最後にもうひとつおまけ。東京駅から武蔵小杉に向かう際、総武・横須賀線の東京地下駅で、定期運行からの引退が噂されている255系を見ることができました。
オハ33、旧東急7000系が現役の津軽の鉄道と、この255系がもう役割を終える東京・・・何となく納得できないような、そんな気分で今回の旅行を終えることになりました。

JR化間もなく登場したBOSO VIEW EXPRESS 255系

雪景色を満喫、早春の函館・津軽旅行 その3

2024年03月11日 | 撮り鉄
弘前駅で出発を待つ7:28発黒石行 車両は旧東急7000系

弘南鉄道

4日目は弘前から弘南鉄道弘南線に乗って黒石に向かいます。
弘前は現在の青森県西部を治めていた弘前藩(津軽藩)の藩庁があった地ですが、この弘前藩には黒石藩という支藩があり、その陣屋があったのが黒石です。また現在の弘南鉄道には弘南線と大鰐線の2路線がありますが、弘前と黒石を結ぶ弘南線が「元祖」弘南鉄道で、大鰐線の方は1970年に弘南鉄道に事業譲渡されるまでは弘前電気鉄道という別の会社でした。
弘南線沿線には弘前東校前、柏農高校前、尾上高校前と3つも高校があり、朝の列車はさぞかし高校生で混雑しているかと思ったのですが、ちょうど入試時期にあたっていたようで、乗車した3月6日は殆ど高校生は乗車しておらず、全体的にも立ち客は殆どいないような状況でした。


朝の通勤時間帯のみ田舎館(いなかだて)で列車交換がある
オリンパスの事業所があるからか、この日は田舎館で大半の乗客が下車してしまった

黒石駅 左側のホームはかつて旧国鉄黒石線(黒石~川部)を引き継いだ時のものか
7000系運転席 古い車両だが種々の機器が追加されていて運転席周りは賑やか
7000系車内 中央部のシートには仕切りが追加されていた

最高時速50km/h弱で走ること約35分、電車は黒石に到着します。
黒石の駅から1㎞程の中町には「こみせ」という主屋の道路側に冬季通行の為の木製の庇が設けられている建物が残っており、いわゆる伝統的建造物保存地区に指定されています。少し時間もあったので見に行ってきました。

道路側に突き出しているのが「こみせ」 新潟などでは「雁木」とも呼ばれている
最盛期には4.8kmも「こみせ」が連なっていたという
松の湯交流館

帰路は尾上高校前で下車し、弘南線の写真撮影。流石に神様も津軽の冬の気候を変更するまでは面倒見られないということだと思いますが、この日は岩木山は姿を見せてくれませんでした。代わりに・・・という訳でもないですが、ちょうど白鳥が飛んできたのでシャッターを押しておきます。


いい感じの群れを成して飛ぶ白鳥
尾上高校前に進入する弘前行

弘前に戻り、次に大鰐線に乗車するためにJR奥羽本線で2駅、大鰐温泉に向かいます。

大鰐駅にはED22とラッセル車がパンタを上げて停車中だった
ED22は1926年(!)ボールドウィン・ウエスチングハウス製 近江鉄道に居たこともある

弘南鉄道の大鰐線は2度目で、前回は弘前城の桜を見るために「乗っただけ」だったのですが、今回は写真撮影のために石川駅で途中下車しました。本当はこの記事のように岩木山を背景にJRをオーバークロスする列車を撮りたかったのですが、前述のようにこの日は岩木山のご機嫌が悪かったので急遽スポットを変更、石川駅手前の平川橋梁での撮影に切り替えました。

石川駅舎 もちろん今は無人

中央弘前駅近くで撮影した土渕川に沿って走る列車

ところで、この日のホテルの部屋からも弘前駅を通る列車が良く見えました。まあ私の場合の神様のご加護もこの程度ってことですかね。日頃の行いのレベルを考えればまあ妥当なところかも。

弘前駅を出発する上り特急つがる、3両目あたりの奥には弘南鉄道の車両も見える

雪景色を満喫、早春の函館・津軽旅行 その2

2024年03月11日 | 乗り鉄
レトロな雰囲気の漂う津軽鉄道の津軽五所川原駅 JR五所川原駅に隣接している
駅構内は共通だが出入りに関しては津軽鉄道に乗車する場合はこの駅の改札を通るのがルール

津軽鉄道

五所川原駅では一旦JRの改札から出て、北隣にある津軽鉄道の津軽五所川原駅に向かい、いよいよ今回のメインイベント、12時発のストーブ列車に乗ります。敢えてまだ寒さの残る3月に来たのもこのストーブ列車の運転が3月一杯までだからで、ちょうどこの日は時折吹雪く天気でお誂えのストーブ列車日和?になりました。
ただ、ストーブ列車はのんびりとローカル鉄道の雰囲気を楽しむというよりは、すっかりイベント列車化しているのが実情で、発車時間が近づくと一般客はストーブに近い席をめがけて行列し、さらにツアーバスの団体なども到着して写真の狭い駅舎が人であふれるといった状況でした。
この日のストーブ列車は一般の乗客がオハフ33、団体がオハ46の2両編成で、DD352機関車は不調のため2両の津軽21形(新潟鐵工所NDCシリーズ)がけん引するという4両編成でした。DD352は車齢65年程の老朽機でまさに老骨に鞭打っている訳で、まあ残念ですが仕方ありません。

最後尾が一般客用のオハフ33
発車時間が近づくといよいよ吹雪いてきてそれらしい雰囲気に・・・

津軽中里までの乗車中に2回ぐらいは石炭をくべていた なかなか手が掛かる

ストーブ列車に乗車する場合は乗車券(例えば金木迄だと560円)とは別に500円のストーブ列車券が必要で、さらに車内ではストーブの上でスルメ(800円)を焼いてもらって日本酒(400円)を飲む・・・というのが一種のお決まりになっているので、スチーム暖房が出来ないので苦肉の策として導入したストーブ列車は今や同鉄道にとっての冬場の救世主になっているようでした。
幸い半分以上の一般客と団体客は途中駅の金木で早々と降りてしまったので、金木から終点の津軽中里まではボックスを独占してのんびりと旧型客車の旅を楽しめました。

津軽中里駅では機回し線を使って気動車を編成先頭に移動
重い旧型客車を2両もけん引するため、気動車も2両必要なようだ

津軽中里で小休止、昼間から酔っぱらって火照った顔を少し歩いて冷ました後は、折り返しの列車に乗車、芦野公園駅で途中下車します。同駅では駅付近での列車撮影を行い、NHKのドキュメント72という番組で放映された旧芦野公園駅舎を再利用した「駅舎」という名の喫茶店に立ち寄り、さらに次の列車で金木に向かいます。


太宰治の小説「津軽」にも往時の金木町長の逸話が残る芦野公園旧駅
今は赤い屋根の喫茶店「駅舎」として営業中

金木の町は作家太宰治の生誕の地で彼の生家は斜陽館として沿線随一の観光スポットにもなっています。(特に冬季は津軽三味線会館が休館なのでここだけになる)
太宰治の作品で知っていたのは教科書に掲載されていて津軽鉄道の気動車の愛称にもなっている「走れメロス」ぐらいだったのですが、今回金木を訪問するに当たって付け焼刃そのものですが「津軽」を読みました。五所川原や金木はもちろん、上述の津軽中里や芦野公園もこの小説に地名が出てきますし、斜陽館を訪れるにしても多少の予備知識があるとより印象が深まります。訪問を予定されている方はご一読をお勧めします。

金木では殆どの列車が行き違い交換する
津軽五所川原ー金木間はタブレット式閉塞、金木ー津軽中里はスタフ式閉塞になっている
斜陽館 内部を見ると太宰治の生家がたいへんな資産家であったことが良く判る

五能線乗車


駅北方の歩行者専用踏切から見た津軽鉄道のラッセル車
本館掲載の腕木式信号機(機械連動ではなく電気で動くようだが)もこの踏切の近く

3日目は朝、津軽五所川原駅近くで津軽鉄道の列車を撮影した後、五所川原11:08発の五能線で深浦へ、その後深浦発14:41で東能代、東能代からは奥羽本線に乗って弘前へと五能線を一周することにします。3月からは青春18きっぷのシーズンなので多少の混雑を予想していたのですが、もちろんそれらしい乗客はそこそこ見受けたものの、結論から言えばゆったりと車窓を楽しむことが出来ました。

五所川原11:08発の深浦行き
五能線普通列車は全てこの電気式気動車GV-E401系で運用されている
車内はJR東日本普通車の標準的なスタイル 右手にあるのは機器室

この日はなんとか岩木山が見えていた(木造~中田)
車窓風景写真が変な色調になるのはUVカットガラスのせい
津軽の殿様が畳を敷いて宴会をしたという千畳敷
起点の東能代からちょうど86kmの距離標が見える

深浦では2時間程あったので、ネットで見つけておいた深浦マグロのお店で昼食をとり、その後駅から15分程の観光スポット?である大岩に行ってみます。強風に多少恐れをなしながら遊歩道を歩き岩場の階段を上ると、日本海の荒波が打ち寄せる光景が広がります。。。

大岩の階段上から見る日本海
ちゃんとした柵があるから良いようなものの 落ちたら一巻の終わり

深浦からは東能代へ、同駅で奥羽本線に乗り換えて弘前に向かいます。雪の五所川原からそれ程離れていないのに東能代に雪が殆ど無いのには少し驚きましたが、ぐるっと回って弘前に戻ると再び雪景色。やはり津軽は雪ン中なんですね。

東能代 雪が殆ど見当たらない
ここで奥羽本線に乗り換え、ロングシートの701系で弘前に向かう


雪景色を満喫、早春の函館・津軽旅行 その1

2024年03月11日 | 乗り鉄
十字街電停から見た旧丸井石井呉服店函館支店ビルと函館山

まだまだ寒い日が続きますが、昨春の東北旅行が非常に好印象だったので、乗り残した津軽鉄道や弘南鉄道の弘南線への乗車、JR北海道に残る未乗区間である北海道新幹線への乗車などの目的で早春の函館・津軽に行ってきました。今回は鉄分濃いめなので一人旅です。

函館市電と青函連絡船記念館

今回はは早期予約で安く入手できたANA745便で函館に向かいます。新幹線が早くなったといっても空路は伊丹~函館が約1時間半、やはり早さでは比較になりませんね。
到着後、先ずは本館でご紹介しているように雪のぱらつく中、十字街付近や八幡坂で函館市電を撮影し、その後港に停泊している青函連絡船記念館摩周丸を見学します。青函連絡船には元は駅構内で繋がっていた訳ですから今でも駅から徒歩5分程ですが、徒歩での訪問者そのものが少ないのか、積もった雪に足を取られながらの訪問となりました。(従って船主側からの写真は撮れずじまい)
函館には1965年に就航した摩周丸が保存されています。青函連絡船は青森にも八甲田丸がメモリアルシップとして保存されており、こちらも2015年に訪問しているのですが、函館の摩周丸では車両甲板や機関室などがビデオ映像でしか見られない一方で、青森では見られなかった2等カーペット座席(これは再現されたもの)を見ることができました。まあ両方見てよ・・・ということなのでしょう。
私自身は青函連絡船に乗船したのは学生時代に2往復、社会人になって廃止直前に1往復の計6回だけですが、やはり船室などを見ると往時の記憶がよみがえります。「津軽海峡冬景色」の旅情は遠い昔の話になってしまったのですね。

船尾と可動橋 かつてはここから駅まで線路が繋がっていた
上階に再現された2等カーペットフロア 
かつては2等客室は出入口のある下側のデッキにあった

ところで今回は函館駅に隣接するJR系のホテルに宿泊したのですが、いつもの神様のご加護で部屋から函館駅が良く見えました。かつてのように連絡船到着に合わせて道内各地へ向かう長距離列車が踵を接するという姿とは程遠かったですが、僅かに特急北斗だけがなんとか長距離列車発着駅の雰囲気を見せてくれていました。


早朝の函館駅 長いホームを持て余し気味の列車は左が札幌行北斗1号、右は森行の普通列車
左に見える留置線群にも僅かな車両が憩うのみ

北海道新幹線乗車

2日目は少し早起きして函館駅7:00発のはこだてライナーで新函館北斗に向かいます。この列車に乗ると新函館北斗7:38発のはやぶさ14号に乗り継いで東京には12:08に到着できる一番列車ということになります。ただ、トータルの所要が5時間ちょっとというのはなかなか厳しい数字ですね。
北海道新幹線は函館北斗までの開業は2016年3月、今のところ2030年には札幌延伸の予定で、それまで待って一気にクリアという考えもあったのですが、工事の遅延や費用の増大、在来線の存廃など結構いろいろ問題があって開業が先延ばしになる可能性も否定できず、まあ勢いのあるうちにということでこの機に乗車することにしました。

新函館北斗~函館をリレーする函館ライナー(電車)
新幹線接続に加えて函館近郊の輸送も担っているようだ

今回、実はついつい安さに惹かれて通常の特急料金4,530円に比較して4,000円と少し安価な特定特急券というのを購入していました。座席が空いていれば座れる・・・というきっぷなので、窓際に座れるかなあと多少心配していたのですが、これは全くの杞憂というやつで、私の乗車した6号車には10人に満たないお客さんしか乗っておらず、席はどこでもOkという状況でした。ただ、海が見えることを期待して専らA席に座っていたのですが特に北海道側では高い防音フェンスに阻まれて殆ど車窓は楽しめず、海が見えたのは木古内付近の短い時間だけでした。

今回、はこだてライナーからの新幹線への乗り換えは全て同一平面で至ってスムーズだった
ただ、予想以上に乗り換え客は少なかった
さらに北へ向かう線路には現在は車止めが並ぶ
今のところ札幌までの開業予定は2030年と言われているが・・・

函館は薄日が差していたのですが新青森で下車すると外は吹雪。雪深い津軽を実感しながら奥羽本線、五能線と乗り継いで津軽鉄道と接続する五所川原に向かうことにします。

奥羽本線の普通列車は殆どが3ドアロングシートの701系電車
旅情とは程遠い車内なのがいささか残念だ






淡路屋JR貨物コンテナ弁当

2024年02月19日 | 鉄是好日
JR貨物コンテナ弁当 京都の鶏めし編

新聞の折り込みチラシを見ていた家人が「大津京のMaxvaluで駅弁大会やるみたい」と教えてくれました。チラシを見ると定番の蟹や牛肉の名物弁当に交じってなかなか魅力的なパッケージのJR貨物コンテナ弁当なる品が。またこんなものを買ったらガラクタが増えるだけかも・・・と思いながらも欲望?に抗しきれず、売り切れては大変なので少し早起きして買いに行ってきました。この弁当を作っているのは神戸の駅弁業者である淡路屋さんで、ホームページによると明治36年から駅弁を販売している老舗です。

紙箱から取り出すとまさにコンテナそのもの
寸法を測ってみると、実物のおよそ27.5分の1だった

商品説明ページを見ると、今回の商品は神戸のすきやき編、明石の鯛めし編に続く第三弾で、それぞれコンテナの意匠が異なる第一弾、第二弾も結構な人気だったようです。いつも思うんですけど、鉄道ファンって結構チョロイのかも知れませんね。

中身はこんな感じ 鶏肉とつくねの照り焼き、うす揚げ、京漬物の下は味付きご飯になっている

食べるときは写真の様に天板を外します。まあ弁当箱としては深くて食べにくいですが、もとより中身より入れ物で買っているのでそれぐらいは我慢します。
京都編は1,680円。同社の似たような中身のきつねの鶏めし弁当は980円なのでいささか高いとは思いますが、中身は美味しかったし、何よりなかなかリアルな外観で容器もしっかりしたプラスチック製で再利用出来る(何に使うか問いただされると困るけど・・・)ので、貨物列車ファンにはお勧めの商品です。重ねて積むことも出来るので、富裕層?の方は多数買ってコンテナヤードの大型ジオラマにすることも出来そうですよ。(因みにオンラインショップでは3種類とも購入できます)



電源タップ進化論

2024年02月07日 | デジタル・電気系
上が古い製品のプラグ部分、下が最近の製品のプラグ部分

最近はACアダプターなどを使う電気小物が増え、コンセントが不足気味・・・という方も多いと思いますが、我が家でもテレビ周りやパソコン周りは壁コンセント(通常は1か所2個口)ではとても足りなくて、ケーブル長さ1mぐらいの口数の多い電源タップを使っています。
電源タップなど十年一日だろうとお思いかも知れませんが、家に転がっている古い製品と比べると結構進化?しています。今回は最新の電源タップ事情について書いてみます。

冒頭の写真、まず電線についてみると①二重被覆コードになっていることに気付きます。つまり旧製品ではそれぞれビニールで被覆された電線が2本張り付いただけの構造ですが、最近の製品にはその上をさらにもう一重、ビニールでくるんだような二重被覆コードが使われています。擦れなどに対してより丈夫になったと言えるでしょう。

プラグも最近は②スイングプラグのものが殆どです。差し込み角度が自由になるので体裁よく配線できるだけでなく、コードを無理に折り曲げたりする必要も無くなり、これも安全に寄与しそうです。


最近は差し込み角度が自由に変えられるスイングプラグが主流
トラッキング防止の絶縁スリーブも装備されている。

さらにプラグ部分を拡大すると、③トラッキング防止の絶縁スリーブが付いています。差し込み部分の根元を覆っている黒い袖状のものがそれで、コンセントに差し込みっぱなしで電極間に埃が溜まり、そこに電気が流れて発火したりするトラッキング事故防止に役立ちます。


差込口には蓋が付いたものが多くなった

コンセント部分を見ると、④差込口に蓋のついたものが多くなりました。もちろんプラグを差込むと自動的に開くようになっており、これも不用意に異物が入る事故を防ぐことができそうです。
さらに一般の方にはあまり関係ないとは思いますが、以前はコンセント部分がネジで分解できるものが多かったですが、最近は一般のネジ回しでは分解できない特殊なネジで固定されたものが増えました。私の様な素人が勝手に分解して電線の長さを変えるなど改造したり出来ないようになったということですね。

というように最近の電源タップは安全対策が随分進みました。さらに雷サージ保護のついた製品も数百円アップで手に入りますから、プラスチックや電線の色が変わったような古い電源タップをお使いの方は更新を検討されては如何でしょうか。