萬文習作帖

山の青年医師の物語+警視庁山岳救助隊員ミステリー(陽はまた昇る宮田と湯原その後)ほか小説×写真×文学閑話

第53話 夏至act.4―side story「陽はまた昇る」

2012-08-30 19:58:44 | 陽はまた昇るside story
ひとすじの赤、時超える祈りに呼ばれて



第53話 夏至act.4―side story「陽はまた昇る」

周太の勉強机には、4通の書類が広げられた。
戸籍全部事項証明書が1通、この戸籍の平成改製原戸籍を1通、それから紙面タイプの除籍謄本を2通。
これらの書類を取得することが、区役所での周太の用件だった。この幸運に英二は微笑んだ。

―この書類を見たかった、

こうした戸籍証明の請求は、戸籍に記載されている者の直系であれば出来る。
けれど英二には湯原家の戸籍証明を請求する権利は無くて、歯痒く思っていた。
もちろん弁護士などの資格者を通せば請求取得できる、けれど、そこまでして怪しまれることを避けたかった。

―運命は、味方してくれてる。そうですよね、お父さん?

証明書に記された名前に、そっと英二は微笑んだ。
いま机の上で、周太から馨、晉、敦までを4通の書類は途切れなく繋げられている。
きちんと周太は勉強をして書類を揃えたのだろう、けれど、この目的は何だろうか?
こうして一連の書類を周太は取得した、その理由と意図を考えながら英二は黒目がちの瞳へ微笑んだ。

「ちゃんと全員が繋がるように請求してあるな、周太、」
「ほんと?…抜けているのとか無いかな、改正があったからそれも貰ってきたけど…」

心配そうに見上げてくれる貌が、頼ってくれていると解って愛おしい。
微笑んで英二は書類を手に取ると周太に尋ねた。

「川崎は電算化されたの、平成19年?」
「ん、そう…お父さんが亡くなった後だった、ね、」

答えながら頷いた顔が、寂しげになった。
戸籍全部事項証明書は同一戸籍内全員の身分関係を公証し、電算化されていないものを戸籍謄本という。
この電算化以前に死亡等で除籍された場合は全部事項証明には記載されない。
だから馨も戸籍全部事項証明では「周太の親」としか記載は無く、馨自身の記載は抹消されている。
これでは馨の存在が希薄に見える、このことが周太の寂しさの原因だろう。英二は優しい婚約者に笑いかけた。

「改正前に亡くなった人のことも載せたら良いのにな、元の戸籍通りにさ。なんか寂しいよな、」

言葉に、黒目がちの瞳が「どうして言わないでも解かるの?」と尋ねてくれる。
そんなふう目で問いながら嬉しそうに周太は微笑んでくれた。

「ん、そうだね?…ありがとう、」
「思った通りに言っただけだよ、周太?」

さらっと笑って英二は、机に広げた書類へと目を落とした。
その視線の先、いちばん古い除籍謄本に予想への答えを見た。

湯原 敦  出生地 山口縣阿武郡萩町
妻 紫乃  出生地 山口縣阿武郡萩町

―やっぱり山口…長州藩だ、

長州藩は明治維新後、政権を握った派閥であり陸軍創設に関わっている。
この長州で砲兵指南を務める家だったと光一が調べてくれた、その可能性を「出生地」が裏付ける。
砲兵指南は銃火器の専門職であり、その時代ごと最高の軍事技術者として勤めてきた。
その世襲を、この家がしてきたという事実は今、馨と周太の立場からも頷けてしまう。

やっぱり「銃の連鎖」は、何世代にも亘ってきた?
この連鎖は途切れなく絡まりつき、時に犠牲を捧げながら護り繋ぎ、紡がれた?

「曾おじいさん達、山口の人だったんだ…ね、英二?」

黒目がちの瞳が見上げてくれる、その眼差しは幸せが優しい。
ずっと知りたかった自身のルーツを1つ探しだした、その素直な幸せが笑っている。

―でも、このルーツがお父さんを追いこんだんだ…

14年前の哀しい連鎖反応を惹き起した、家のルーツ。
その相関を知ったなら周太は、一体どれだけ傷ついてしまうのだろう?
出来るなら永遠に知らせたくない、そっと秘匿の覚悟を想う隣で周太は、嬉しそうに言葉を続けた。

「それなら夏みかんの砂糖菓子も、山口のものかな?…あの夏みかんの木、曾おじいさんが植えたっていうし、」
「うん、そうだな、」

微笑んで頷いた英二に、明るい瞳が幸せに笑ってくれる。
嬉しそうな瞳の笑顔で、周太は教えてくれた。

「俺の親族って、お母さんしかいないでしょ?他に誰もいない…だから自分のルーツみたいなのだけでも、知りたかったんだ。
それに俺、この家に残っている習慣とか好きだから、それが何所から来たのかも知りたくて…きっと、どれも山口から来たんだね、」

その通り、どれも山口から来たことを、既に自分は知っている。
祝膳の甘い澄し汁も、丸い漆塗りの人形も、夏みかんの樹と砂糖菓子も、きっと敦夫妻が大切に山口から持ってきた。
そのとき敦が抱いていた想いは、故郷を後にしても「家の本分」を全うする明るい責務だけだったろう。
だから敦も想像すらしていない、この家の本分が「銃の連鎖」が畸形化していく事を、いったい誰が想像出来たろう?

明治維新、敦が生まれた時代。
あの時代は、この国の転換期であり近代日本創世の時だった。
その新しい時代に立って敦は、ふるさと萩を愛しながらも川崎へ居を移した。
きっと、自家に伝わる銃火器の知識と能力を、新時代に活かすことが責務だと誇りをもって生きていた。
そのために近代の洋式技術を学び、望まれて川崎に移転し、ここで自分の才能と家伝の知識経験を以て勤めていた。

敦の心にあったのは純粋でひたむきな情熱。そんな性格は周太に、馨に晉に繋がっているから解かる。
新しい国家の為に、「家」の誇りの為に、自分の才能と時間の全てを懸けて敦は川崎で生きることを選んだ。
それなのに、その情熱の報いは「50年の束縛」哀しい畸形の連鎖を生み出すことだった。
この現実を敦は今、いったいどんな想いで見つめている?

―切ない…赦せない

赦せない、こんなことは。
こんなふうに純粋な想いが覆される、この切なさが胸を締め上げて痛い。
この痛み閉じ込めた微笑で机上を眺めている、その隣で周太は晉の除籍謄本を広げた。

湯原 晉  出生地 神奈川縣橘樹郡川崎町
妻 斗貴子 出生地 東京府東京市世田谷区

そう記された書面のなかに、英二は哀しみを見た。
あの紺青色の日記に記された哀しみの記憶、あの事実がこの書面に証される。

死亡地 フランス国パリ市第5区

晉はパリ第三大学で殺害された、その事実が一通の除籍謄本に明かされた。
もう馨の日記から教えられていた事実、それが今、現実に公証されて突きつけられる。
こうして見れば改めて心は軋む、たとえ知っていたことであっても「殺害」は嬉しくない現実だから。

けれど、どうして、この家は3代続けて「殺害」された?

馨は他殺に見せた自殺幇助だった、それでも「殺害」であることは変わらない。
同じ殺害でも敦の場合は「殺す目的」が見え隠れする、それは第三者の意図による「教唆」の可能性が昏く影おとす。
そして晉の「殺害」は親友による無理心中だった、けれど、ここにも教唆の可能性を考えさせられてしまう。

―お祖父さんの友達と、あの男の接点はあるだろうか?

無い、とは言い切れない。
あの男と晉は学部違いでも大学の同期だった、そう馨の日記には書いてある。
それなら晉との共通の友人が存在しても不思議は無い、その友人を介して晉の心中相手に影響を及ぼした可能性は?
そんな考え廻らしながら晉の除籍謄本を見ていく、その視線が一点に止められた。

父  榊原 幸匡
母  榊原 とみ
続柄 長女

―あ、

密やかに息を呑んで英二は、その名前を見つめた。
この姓は恐らく自分は知っている、この3月に見たばかりだから。

「見て?お祖母さんって、世田谷の人なんだね?英二と一緒だね、」

周太が嬉しそうに笑いかけて、意識の片隅が引き戻される。
けれど、見つめる姓名から目が離せない。

―こんなことってあるのか?…でも、

予想外のことに少しだけ混乱が騒ぎ出す。
いま自分が廻らしている推測は正解だろうか?そうだとしたら納得出来ることも多い。
この自分だけではなく父が、姉が、なぜ周太に一目で好意を持ったのか?その理由への説明になるだろう。

「…英二、」

呼ばれた名前に意識が、完全に引き戻される。
戻された意識のなか、カットソーの袖が握りしめられていく。
見つめた先から黒目がちの瞳が見上げてくれる、その瞳に周太が「気がついた」と見取れてしまう。
きっと周太は「死亡地」に気がついた、この予想に微笑んで英二は問いかけた。

「どうした、周太?」
「あのね、俺…お祖父さんが誰なのか、解かったかもしれない…」

告げてくれる今にも震えそうな声が、愛おしい。
ほら、もう周太は気がついたから震えそうでいる、自分の祖父が誰なのか「死亡地」で知ったのだろう。
すこし首傾げて英二は、黒目がちの瞳を覗きこみながら穏やか尋ねた。

「俺にも教えてくれる?」
「ん、」

短く頷いた瞳が、真直ぐこちらを見つめてくれる。
ふっと少し寛いだよう微笑むと周太は、口を開いてくれた。

「あのね、前に俺、おじいさんのこと調べたって話したでしょ?名前と年代で…英二と光一が北岳から帰ってきたときだよ?
あのとき俺、5人いるって答えたよね?それで大学の先生が2人いるって…そのうち1人がね、フランス文学の先生なんだ、」

ひとつ言葉を切って、純粋な瞳が微笑みかけてくれる。
ただ祖父のことを知りたい、家族の物語を探したい。そんな無垢な願いだけが瞳に温かい。
この瞳を哀しませたくはないと心から願ってしまう、祈るよう見つめる先で周太はまた唇を開いた。

「その先生はね、東京大学の仏文学科の教授で、パリ第三大学…ソルボンヌ・ヌーヴェルの名誉教授なんだ。
それでね、この死亡地のパリ市第5区って、パリ第三大学のキャンパスがある場所だと思うんだけど…このひとなのかな?
書斎の本、フランス文学ばかりでしょう?他の本棚もフランスのが多くて、それにお父さんもフランス語を話せたんだ…ね、このひとかな?」

あなたはどう想う?そう問いかけてくれる瞳を英二は見つめた。
この今のタイミングで周太が晉について知ることは、どういう影響があるだろう?
いま絡みつく畸形連鎖の正体、それに周太が気づいてしまう可能性は高まる?それとも現状維持できる?

―あの男は今、生きていたら90歳を過ぎてるな…

安本が教えてくれた14年前の通夜、あのとき男は周太に接触した。
あれ以降、あの男は周太の前には現われていないはずだ。周太が出場した2つの拳銃射撃大会にも、もちろん臨席していない。
あの男の生死については安本も特に言わなかった、けれど「番人」の誰かは50年前の事件を知っているだろうか?
そうだとしても、周太が晉の事跡を知ることが即、50年前と30年前の事件を周太に気付かせることは無い。
それくらい法治の闇底へ埋没させられた、隠された真相なのだから。

だからこそ晉と馨はそれぞれ書残した、いつか真相が必要とされることを祈っていた。
いつか贖罪を遂げて「連鎖」に解放される、その瞬間を見つめて父子は小説と日記を綴ったのだろう。
この真相を統べて知るためには、紺青色の日記以外に見つけるツールは無い。だから晉の事跡を知らせても良い、英二は口を開いた。

「うん、そうだな?これだけ一致していると、その方が周太のお祖父さんだって可能性は高いな、」
「…そう、」

ぽつんと声がこぼれて、周太の瞳に水の紗が張りだした。

「あのね、英二…俺、本当は寂しかったんだ。お母さんと2人きりで寂しくて…だから知りたかったんだ、家と家族のこと」

ぽつり、本音が素直にこぼれだす。
この本音を全て聴いてあげたい、受けとめたい。どうか自分に縋ってほしい、他のどこにも行かないで。
そんな願い見つめる想いの真中で、もう片方の掌でも周太は英二の袖を握りしめてくれた。

「俺、理系でしょ?それで戸籍とか思いつかなかったんだ…でも、警察学校で法律のこと勉強して、戸籍を遡る方法を知ったから。
だけど、俺ひとりは不安だったの…どんな人か解らないし、どんな事実が出て来るかも解からないから…だから英二と見たかったんだ」

握りしめたカットソーの袖を握りしめてくれる、その掌から体温が縋って温かい。
見つめる純粋な瞳から涙は、ゆるやかに愛しい頬を伝って微笑んだ。

「俺のお祖父さん、見つけられたかな?…こんな立派な学者さんなのかな、お祖父さん…庭を奥多摩の森にした人は、この人かな?」

―見つけたよ、この人なんだ、でも全てを教えてはあげられない…ごめん、

恋人の涙を指で拭いながら、密やかな謝罪を心で告げた。
小柄な体を座っている椅子ごと抱きしめる、ふわり黒髪から穏やかな香がふれていく。
近寄せた頬に頬よせて、そっと視線を隠しこんでから英二は、愛する婚約者に笑いかけた。

「うん…きっと、立派な優しい人だったよ、周太のお祖父さんは。たぶん今頃、孫に探してもらって、喜んでるな?」

きっと晉は喜んでいる、そして不安を見つめているだろう。
この純粋な嫡孫が傷つくことを恐れている。晉が犯した罪と陥った罠、この二つに綯われた畸形連鎖への自責に苦しんでいる。
この苦しみを解放してあげたい、必ずこの自分が絶ち切って終わらせる。そんな願いごと英二は恋人を抱きしめた。

―必ず護ってみせる、救けだす…絶対に殺させない、周太だけは

絶対に、殺させない。
もう誰も殺させない、どんな大義名分があろうと、この犠牲はもう赦さない。
もう二度とこの家の人間を殺させない、その為に自分はきっと周太に出逢い、恋をして愛して、ここにいる。

「ありがとう、英二…」

想い籠める腕のなか、優しい涙を湛えた瞳が見上げてくれる。
抱きついてくれる掌が背中で温かい、この温もり護りたい想い見つめる真中で、恋人は綺麗に笑った。

「ね、コーヒー淹れるね?そしたら庭の梅を一緒に摘んで?お菓子やお酒を作るんだ、」

コーヒー、庭、どれも幸せな言葉たち。
この唇からは、こんな言葉ばかりを聴いていたいのに?切ない願いと今の幸せに英二は微笑んだ。

「周太のコーヒー久しぶりだな。梅を摘むのって俺、初めてだよ?」

答えながら英二は、そっと幸せな言葉ごと唇を重ねた。
この今のまま時が止まればいい、そんな正直な願いがこみあげてしまう。
朝、あのベンチで見つめた怒りと挑みかかる想いは、この今も肚底を冷たく灼いていく。
それでも抱きしめた温もりも、重ねる想いも愛しくて壊したくなくて、ずっと時間よ止まれと叶わぬ願いが胸に熱い。
こんな埒も無い願いを自分はずっと知らなかった、このひとに出逢い、この想いに出逢うまで、本当の傷みを知らなかった。

こんなふうに人は、唯ひとつ恋したら、どこまでも弱くて強くなる?

想いに唇を熱で包みこんでいく、ふれる唇こぼすオレンジの香が少しほろ苦いのは、真昼の夏みかんの菓子だろうか?
この家にまつわる夏蜜柑の香が今この瞬間も融けている、この家にきっと自分は「呼ばれた」と、香にすら確信してしまう。
いま見つめる確信に微笑んで、離れて見つめた首筋が薄紅いろに染められていく。

―きれいだ、

ほら、こんなふうに美しい色彩で淑やかに恥ずかしがる。
こんなところが可愛くて惹かれてしまう、本当に腕のなか閉じ籠めていられたら良いのに?
すこし身勝手な愛しさに微笑んで見つめてしまう、この懐に羞んで周太は立ち上がった。

「先に下、行ってるね?コーヒー支度してるから…あまいもの欲しい?」
「お母さん帰ってきたら、お茶するんだろ?そのとき一緒に食べるから、」

彼女が帰ってきたら、話すべきことがある。
話すことを脳裡にまとめながら笑いかけた先、幸せに微笑んで周太は部屋の扉を開いた。

ぱたん…たん、たん、…

扉が閉じてスリッパの足音が遠ざかる、その音に注意を向けながら英二は鞄を開いた。
そして中からコンパクトデジタルカメラを取りだすと、机上の書類にレンズを向けた。
今回は幾つか証拠を撮影したいものがある、だから青梅署に帰ったときカメラを持ってきておいた。
それが思いがけなく今も役に立つ、机上の4通をそれぞれ撮影し終えると英二は再生画面を確認した。

「よし…読めるな、」

これなら細部の文字も読みとれるだろう、微笑んでOFFにすると英二はミリタリーパンツのポケットにカメラを納めた。
それから手帳とペン、メジャーと手袋を仕舞っていく。このパンツはラインが緩くポケットも多いから、道具類を隠し持ちやすい。
これから時間のチャンスを縫って家中の物証を集めていく、そのつもりで今日はこの服を選んだ。
けれど戸籍証明書まで読取り、撮影出来た事は予想外だった。

「ラッキーかな?」

独り言に笑って封筒をとり、丁寧に一通ずつ戻し入れていく。
周太はキスに恥ずかしがって、書類を放りだしたまま行ってしまった。
お蔭で撮影謄写も出来た、やっぱりキスしたのは色んな意味で正解だったろう。
本当にラッキーだったな?考えながら書類を仕舞いながら、その中で最も「予想外」の情報をくれた一通を改めて見つめた。

湯原 晉  出生地 神奈川縣橘樹郡川崎町
妻 斗貴子 出生地 東京府東京市世田谷区  

父  榊原 幸匡
母  榊原 とみ
続柄 長女

―そうかもしれない、やっぱり

3月に分籍手続きをとる時に取得した、宮田家の戸籍証明たち。
もう分籍するけれど自分のルーツを残しておきたくて、あのとき遡れるだけ戸籍証明を取得した。
そのとき見た祖父の除籍謄本には「榊原幸則」の名前があった。

宮田 總司 出生地 東京府東京市世田谷区
妻  顕子 出生地 東京府東京市世田谷区

父  榊原 幸則
母  榊原 妙
続柄 長女

同じ榊原姓、「幸則」と「幸匡」、同じ世田谷区出身。
これらの要素から導かれる解答は「幸則と幸匡は兄弟」が妥当だろう。
これが正答ならば、英二の祖母と周太の祖母は、共通の祖父を持つ従姉妹関係になる。

その場合、英二の父と馨は傍系血族七親等、所謂「はとこ」に当り、その子供同士は傍系血族八親等となり「三いとこ」と呼ぶ。
この三いとこに英二と周太は当たる、けれど法定親族は血族六親等または姻族三親等までだから、法律上の親族関係は無い。
自分から8代前、しかも傍系では普通は親族だと解からない。こんな遠縁だと互いに親戚と知らない方が普通だろう。
もし知るとしたら相続や家系図作成で戸籍を遡るとき位だろう、自分も分籍のとき遡及取得しなかったら解からなかった。
今から1世紀以上前の遠い血縁、それでも英二と周太は共通の高祖父に繋がっている。

―だから血の繋がりは、零じゃない、

とくん、

鼓動がひとつ叩いて、けれど納得が出来てしまう。
馨と周太と、自分の間に血縁がある。そう考えれば馨と英二が似ている事も不思議ではなくなる。
もし自分の推測通りだとしたら、今まで周りから言われたことも、ここに自分が惹かれる理由も道理だ。

―…俺、本当は寂しかったんだ。お母さんと2人きりで寂しくて

さっき周太が告げた想いを、自分が受けとめられるかもしれない?
この自分が周太の血縁者であるならもう、周太は母親以外の親族が遠縁でも存在することになる。
けれどこの可能性は、今はまだ周太に言わない方が良いだろう。今の周太は「親族がいない」方が安全なのだから。
そんな結論を想いながら、そっと肚の底が熱くなった。

―こんな微かな糸を頼って俺のこと、呼んでくれたんですか?

ずっと「湯原家」の直系親族を調べてきた、けれど傍系の血縁関係は盲点だった。
この家に嫁してきた傍系親族は周太の母しか考えに無くて、しかも彼女には親族が無いから視野から外している。
でも馨の母親の実家があった、この係累なら感覚的にも遠くは無いだろう。けれど現在の湯原家にはどの親族からも助力はない。
もう、斗貴子の実家とは交流が絶えて久しいのだろう。

周太の祖母・斗貴子は30歳の若さで早逝した。
その直後に晉は7歳の馨を連れて渡英し、オックスフォードで5年間の研究生活に入っている。
当時は昭和40年代、今ほど連絡ツールも無い時代だから音信が滞っても仕方ない。そして歳月に世代交代してしまった。
半世紀前に嫁ぎ若く亡くなった女性の係累を、忘れたとしても責められないだろう。

―お祖母さんに聴いたら、なにか解かるかな…斗貴子さんのこと、

祖母の顕子は今、葉山のマンションでお手伝いさんと暮らしている。
祖父の死後も同居を断って、気楽な暮らしを邪魔されたくないと世田谷から引越してしまった。
まだ70半ばの祖母なら従姉妹のことを憶えている可能性が高い、もし祖母が「斗貴子」を知っていたら英二の推測は正解だ。
そうしたら英二と湯原家の関係は遠い血縁に結ばれる。けれど法定親族ではない事はきっと、自分に味方してくれる。
今はまだ周太と英二の関係は、公には隠されている方が都合が良いのだから。

―無関係の方が動きやすい、気取られないで済む

いま湯原家に絡みつき苦しめる「畸形化させられた連鎖」を生み出したのは、周太の祖父をめぐる「あの男」という束縛の鎖。
この「連鎖」を解くのは、もう一本の係累である周太の祖母をめぐる、血縁の彼方から来た自分になる?
そう思うとこの血縁が、一本の赤いザイルのように想えて英二は微笑んだ。

「周太…本当に俺は周太のザイルかもしれないよ?君が自由を掴むための、」

これは運命だ、きっと。

きっと運命が、遠い血縁の糸を手繰り寄せ呼び寄せた、きっと斗貴子の祈りが自分を呼んだ。
あの古い家族アルバムに納められた写真のなか、この家で斗貴子は幸せに笑っていた。
この家に嫁いだ喜びに、愛する夫と家族と、息子に出逢えた幸福に彼女の笑顔は輝いていた。
彼女がこの家で生きたのは8年間、その十年にも満たない時に彼女は、幸福の喜びと惨劇の哀しみを見つめて、逝ってしまった。
義父の無残な射殺事件、夫の犯した罪と哀嘆、何も知らない幼い息子。
この罪と愛情のなかで彼女が祈ったことはきっと、夫と息子の無事と幸せだけだったろう。
けれど愛する夫と息子を死後すら縛りつける「連鎖」は、会うことの叶わなかった孫まで捕えかけている。

「…斗貴子さん、あなたの望みですか?俺がここに来たのは、」

静かな呟きと見つめる書面に、光がふれてくる。
ゆるやかな午後の陽は部屋に射しこんで、光の梯子が窓から伸ばされていく。
明るい輝きはが足元に届いて、書面を映す視界をまばゆく照らしだす。この光は半世紀前も変わらないだろうか?

半世紀前、この家で斗貴子は眠りについた。
そのとき最期に彼女が願った祈りは、息子と家族の幸福な未来。そして夫の贖罪のチャンスだろう。
けれど夫も義父のよう殺害され、遠く異国の地で無理心中を象られ斃された。そのとき彼女は泣いただろうか?
そして馨は「殉職」した、39歳になる直前だった、早過ぎる死に逝った息子を墓所に迎えたとき、彼女は何を想ったろう?

「斗貴子さん…あなたが俺を呼んでくれたんですか、息子さんの合鍵を…あなたが愛した家の鍵と、記憶を、俺に託させて」

呼びかける書面の名前から、そっと「運命」が微笑んだ。





(to be continued)

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