萬文習作帖

山の青年医師の物語+警視庁山岳救助隊員ミステリー(陽はまた昇る宮田と湯原その後)ほか小説×写真×文学閑話

第48話 薫衣act.1―side story「陽はまた昇る」

2012-06-29 23:40:19 | 陽はまた昇るside story
馨、風の消えた先は



第48話 薫衣act.1―side story「陽はまた昇る」

22時30分。

壁の向こう、やさしい気配が温かい。
この今も勉強を進めている隣へと微笑んで、英二は携帯電話を開いた。
架ける番号を電話帳から探す、こんなことからも毎日一緒にいた相手なのだと思い知らされる。
架けてコール0、すぐ繋がった奥多摩の空へと笑いかけた。

「おつかれ、光一。ちょっと勉強を中座してきたよ、」
「…っ、」

電話の向こう、そっと息を呑む気配が伝わる。
ちいさな沈黙の後、声は想いを載せてくれた。

「ほんとに、架けてくれたんだね……英二、」

泣き出しそうなテノールが、名前を呼んでくれる。
切なくて、それでも透けるよう明るい声に微笑まされる、和らぐ想いのまま英二は微笑んだ。

「昨夜、約束しただろ?俺は約束、絶対守るよ、」
「だね、…ん、ありがと、」

ため息まじりにも嬉しそうに笑ってくれる。
そんな様子に慕ってくれる想いが愛しい、素直に英二は笑いかけた。

「可愛いな、おまえ。なんか、調子狂うよ、」
「ん…そりゃ、ね?俺は可愛いからさ。で、どんなふうに調子狂うわけ?」

ちょっと悪戯っ子の調子戻して笑ってくれる。
そうなるとつい苛めたい気持と本音が混じって、英二は正直に言った。

「抱きたくなるよ、キスの香とか思い出させられて…知りたくなる、」
「…、」

ふっと黙り込んだ静謐が訪れる。
それでもテノールの声は笑って言ってくれた。

「うれしいけど、まだダメ。生娘なんだから許してよね」
「まだ、って言うなら『いつか』があるんだ?」

さらり聞き返した自分に、本音が見える。
もう自分はこの親友にそんな望みを持ってしまった、この自覚が甘く傷みだす。
傷みにも素直に微笑んだ向こう、ためらいと含羞が頷いた。

「…うん、ある…ね、」

とくん、鼓動ひとつ胸を撃つ。

心ごと体を繋ぐこと。
もし光一が望んでくれるなら応えてやりたい、最初はそんな想いだった。
そんな想いにも「親友を失う可能性」が怖くて吉村医師に相談した、あの迷いは習性のよう今は馴染んでいる。
そして今の自分は婚約者を他に持ちながら、この親友を体ごと愛してしまいたい。
こんな想いは罪だと、自責が傷むけれど。

「うれしいよ、光一、」

傷み微笑んで、英二は想いを告げた。
告げた向こう気配ゆらいで溜息がこぼれだす、けれど透明な声は笑ってくれた。

「さっきさ、知りたくなるって言ったよね?何を知りたいワケ?」

この質問に正直に答えたら、また戸惑わせるだろうな?
そう解りながらも英二は本音を告げた。

「おまえの、肌の香、」

呼吸ひとつ、電話の向こうで止められる。
こんな雰囲気の会話になるのは予想外、けれど嫌じゃない。
でも光一は困っているだろうな?そんな心配の向こうは困ったよう笑ってくれた。

「ホントおまえって悪い男で、エロ別嬪だね?ソレは剣道大会の夜に知ったんじゃないの?…腰のとこ、キス、したときに…さ、」

笑った声の最後はすこし、ふるえた。
この最後の言葉の瞬間から自分は、いま話す相手の肌と体温を望み始めている。
けれど同じ瞬間から光一は途惑いを見つめ始めた、きっと今も困惑と緊張をしているだろう。
そう解るのに直情のまま言ってしまった。

「もっと深い、特別な場所の肌。光一が感じてくれる瞬間の、香を知りたい、」

光一は生来の香を持っている。
花のような高雅な香をいつも纏い、キスする唇からもこぼれだす。
その香は風呂で温まるとき、訓練などで汗かく時こそ豊かに昇ってしまう。
そして剣道大会の夜、悪戯心で捲りあげたカットソーから顕れた素肌は、まばゆい純潔と馥郁の香で心奪った。
もし体を重ね交わしたなら、どんなふうに香るのだろう?そんな正直な想いに、テノールが一言放り投げた。

「馬鹿、」

短いキツイ言葉を投げて、けれど電話は切らないでくれる。
今まで散々にエロトークと悪戯をしてきて、今だって悪ふざけを一部止めていない。
そのくせ英二から言われると恥ずかしがって、すっかり可愛くなって困惑してしまう。
きっと今ごろ雪白の貌は、きれいな桜色だろうな?微笑んで英二は親友に口を開いた。

「今朝も話した同期に、周太と俺のこと話したよ。でも大丈夫そうだった、」
「お姉さんの恋バナの件だね?じゃあ、うまくまとまったんだね、おふたりさん。良かったな、」

うれしそうにテノールが祝辞に笑ってくれる。
こんなふうに光一は素直に喜んで、けれど光一と自分の真実の関係は誰に言うことも出来ない。
例外は唯二人だけ、吉村医師と周太は繋がりを知っている。こんな公に出来ない関係を美しい山っ子が負う、それが切ない。
それでも「血の契」のもと互いの秘密にされることは、どこか誇らしく愛しい。
この誇りだけ見つめていけばいい、そっと覚悟また1つ見つめて英二は微笑んだ。

「うん、まとまった。ありがとうな、話すこと認めてくれてさ、」
「俺はね、おまえのこと信じてるからさ。でなきゃ生涯のアンザイレンパートナーなんて、やってらんないね、」

明るい声が率直に言って笑う。
こんなふうにアンザイレンパートナーとしての関係は安定が築けている、親友としても。
けれど「血の契」交わした相手としての関係は、まだ途惑いが残されてしまう。
この途惑いの素は、山っ子の純粋な恋愛なのだと知っている。
それが愛しくて早く安定したくて、すこしだけ焦りそうな想いに英二は笑いかけた。

「そんなに信じてくれてるのに光一、えっちしよ、って言わなくなったよな?」
「…だから、するのとされるのとは、違うんだって…馬鹿、」

きっとまた赤くなったな?
そんな途惑いの声が可愛くて、つい虐めたくなる。こんな自分はちょっと危ないかもしれない?

―周太のことは、虐めたくならないのにな?

周太はひたすら可愛くて愛しくて、恋するまま言うこと聴いて、本当に自分は奴隷のよう。
最近は光一も可愛いと思う瞬間が増えて、本音を言えば、きれいだと見惚れるまま欲しい時がある。
この差は「恋」の差なのだろうか?どうして光一だと虐めたくなるのだろう?
そんな疑問を想いながら暫く話して、静かに電話を閉じた。

そのまま消灯の静謐に暗い廊下に出て、自室の鍵を掛ける。
施錠の音を聴いて、すぐ隣を静かにノックすると気配が鎮まって動かない。
もしかしてそうかな?そんな予想と一緒に扉を開くと、デスクに伏せた寝顔が迎えた。

「やっぱり、寝ちゃったんだね、周太?」

寝顔に笑いかけながら英二は、閉じた扉に鍵を掛けた。
分厚いファイルのページに頬よせて、ペンも手に持ったまま眠りこんでいる。
やさしい夢に安らいでいる、そんな寝顔を邪魔しないようデスクライトを消すと、そっと抱きあげベッドに運んだ。

ぎぃっ…

ちいさな軋みがスプリングから響く。
眠る体を布団に包みこもうとしたとき、すこし小さな掌がペンを握ったままなのに気がついた。
やわらかく掌開いてペンを抜きとる、その長い指を恋人の掌は握りこんだ。

「…周太、」

呼びかけた名前と見つめる、握りこまれた指に記憶が懐かしい。
あの卒業式の夜も、そうだった。

―…『いざよい』って、どう書くんだ
 …なに急に?

英二の質問に、ぼそっと周太は答えた。
それからあの一室の、ベッドサイドに備え付けられたメモ帳に2つの漢字を書いてくれた。

「『十六夜』と『不知夜』、ためらい、って意味だったよな…」

あの夜に書いてくれたメモは、ほんとうは今でも手帳に挟んである。
あのときも周太はペンを持ったまま墜落睡眠に墜ちこんで、ペンを取ろうとした英二の指を握りこんだ。
そのまま抱きしめてベッドに横になって、けれど眠れないまま夜を過ごした。
あの夜と同じように周太の寝顔は、あどけなく清らかに安らいでいる。

「…可愛いね、周太?あの夜と同じに可愛くて…すごく、きれいになったね、」

あの夜の寝顔より、どこか艶やかな陰翳が美しい。
けぶるよう長い睫は相変わらず頬に翳落とす、かすかに紅潮した頬が愛らしい。
そして今は清楚な色香が艶めかしくて、つい惹きこまれ見惚れてしまう。
優しい眠り微笑んだ唇が愛しくて、そっと英二はキスをした。

「…ん、」

ふれたキスに恋人がすこし瞳を披く。
起きてくれるのかな?そう見つめた先で、黒目がちの瞳は幸せに笑った。

「…だいすき、えいじ…いっぱいしてね?」
「え、?」

いま、なんて仰って下さいましたか、俺の恋のご主人様は?

「して、って、周太?」
「ん…そんなのはずかしいでしょ、きかないでして…」

そんな台詞で、そんな瞳で見つめるって、そういうことですか?

きっと今もう首筋から顔まで自分は赤くなっている、嬉しいどうしよう?
でも明日から一週間が始まるっていうのに、やっぱり日曜の夜はダメだろう?
また痕つけたら困る、でも俺って恋の奴隷だから命令絶対、逆らえないし?

「でも周太?日曜の夜だよ、明日から一週間はじまるし…」
「いうこときかないの?…あいしてるなら…」

また命令してくれる?つい、そんな期待に心ときめいてしまう。
けれど恋人の長い睫は、眠たげに閉じられた。

「…周太?」

清楚な寝顔は安らいだまま、もう瞳は開けてくれない。
やっぱり寝惚けただけだった?やっぱり寝ちゃうんだよね、熟睡中だよね?
そんな想いと一緒に、がっくり恋人を抱きしめて、けれど可笑しくて笑ってしまった。

「ほんっと可愛くて、天使で小悪魔だよね?周太は、…好きだよ、もっと振り回して?」

笑いながら見つめる寝顔は清らかで、窓の月明りふる黒髪には光の輪が優しい。
その黒髪やわらかな生際を、そっと長い指で掻き上げ見つめる。
あわい闇を透かし見つめた真中、小さな傷痕が目に映った。

「まだ残ってる…懐かしいね、周太、」

微笑んで傷痕にキスふれる。
この傷痕に刻まれた記憶が懐かしい、愛おしい。
この傷を英二がつけてしまった、あの日は特別だから。懐かしくて今も現実の想いに、そっと笑いかけた。

「ね、周太…あの日に俺は、君への恋を知ったよ?…初恋だよ俺の…唯ひとつの、恋だよ、」

自分達には初めての外泊日、初めて一緒にあのラーメン屋に行って、いま周太が着ている白シャツを買って。
それから初めてあのベンチに座って、驟雨ふる木蔭で生まれて初めての恋を自覚した。
あの瞬間は幸せで切なくて、ずっと秘密にしようと覚悟して。
だから今こうして抱きしめられる幸せが、尚更に温かい。

そして、あの日は。

「…書店に行ったね、周太?…『Le Fantome de l'Opera』を、買って、」

『Le Fantome de l'Opera』

紺青色の表装、フランス語で綴られた恋愛小説。
あの小説の想いになぞらえて卒業式の日、公園で聴いてしまった想い。
あの想いの切なさに自分は呑もうと誘って、そして恋人の夜に浚いこんだ。

それから家の書斎で見つけた、壊された本。
あの本を壊した馨の想いを知りたい、この謎解く想いから自分は見つけ出してしまった。
あの愛する家を縛りつけている「50年の束縛」そして哀しみの連鎖に、気づいてしまった。

『宮田、知っているなら教えてほしい。なぜ湯原は、新宿署に配属されたんだ?』

初任総合の初日、遠野教官の問いかけに知った事実。
周太の新宿署配属は警察学校の意図ではない、もっと上層部で決められた。
そこに周太の意志は零、本人の希望ではなく「意図」が裁可したこと。誰がこの配属をしたのかは、直に解かるだろう。
けれど、なぜ周太を新宿署に配属させたのだろう?

周太を監視するだけなら、本庁の膝元に卒業配置すれば良い。
周太の狙撃を磨かせるなら、術科センターに近い場所に配置して本部特練にした方が良い。
それなのに「新宿」を選んだ理由は、何?

「…なんの意図で、選んだ?」

新宿

馨が銃弾に命消した場所。
馨を死なせた犯人が贖罪に生きる場所。
馨が卒業配置され、最後に射撃指導した警察署。
馨が機動隊配属当時には同期と共に派遣されていた場所。
それから、馨が最愛の女性と出逢い、恋し愛し、唯ひとつの幸福を掴んだ場所。

そんな馨の俤が多すぎる場所に、息子である周太を配置した。
その「意図」は、なんだ?

なぜ?

見上げる天井に考え巡らしていく。
いま懐には寝息が優しい、安らかな体温が腕を胸を温めてくれる。
いま愛するひとの眠りを抱きしめる、この幸せを壊されたくはない。

いま自分は光一と想い交し始めている、けれど、この腕のひとは「特別」に過ぎて。
いま自分を恋い慕う光一も、この人を護りたい願いのまま共に危険に立っている。
この腕に今抱くひとだけは救けたい、幸せな笑顔を咲かせたい。

どうか、最愛のひとに「自由」を贈らせて?

「…周太、君だけは…ずっと、」

想い、唇から言葉になって、眠るひとに微笑み向ける。
いま見つめる寝顔の長い睫へと、一滴の涙がこぼれおちた。



カーテン透かす光がやわらかい。
見上げた天井はすこしだけ仄暗い、まだ朝には早い時間だと解ってしまう。
すこし微睡んだだけ、それでも頭は冴えて眠気はない。

―緊張してるんだな、

ほっと、ため息こぼれて英二は自分に笑った。
考えごとに脳髄から緊張が奔っている、そんな感覚が冴えてしまう。
なぜ?
その疑問が心廻って、浅い眠りに夜を終えてしまった。
けれど腕に抱きしめている温もりが幸せで、寝不足のはずが充ちている。

「…周太、」

そっと名前呼んでも、愛しい人の眠りは醒めてくれない。
安らかな寝息こぼれる唇が、暁の光のなか見つめてしまう。
惹かれるまま唇を重ねて、キスに想いの口移しをした。

「…ん、」

キスをした唇から吐息がふれる。
かすかなオレンジの香やさしい唇が甘い、微笑んで離れると英二は婚約者を見つめた。
ゆるやかに長い睫が披いてくれる、きっと今度こそ起きてくれる?
大好きな人の目覚め見守るなか、黒目がちの瞳は眠たげに開いてくれた。

「おはよう、周太。俺の奥さん、」

笑いかけて唇にキスふれる、ふれる温もりが幸せで温かい。
嬉しい想い笑いかけた英二に、婚約者は穏かな微笑を見せてくれた。

「おはよう、えいじ?…きのうは、おつかれさま、」
「周太こそ。昨日、疲れたんだろ?ことん、って眠っちゃったもんな、」

答えながら見つめる貌に惹きこまれてしまう。やわらかな暁の光に微笑んだ瞳は純粋で、幸せに明るみ美しい。
うれしい気持に抱きしめた腕のなか、なめらかな首筋が薄紅いろ昇らせだす。
こんなときは気恥ずかしがっている、どうしたのかな?そう見ると恋人は困った顔で謝った。

「ごめんなさい、英二が勉強教えてくれていたのに寝ちゃって…英二こそ救助隊で、疲れていたのに、」
「こっちこそ、ごめんな?周太が勉強してる時に俺、光一に電話かけたりして、」

ほんとうに、ごめん。

心裡から贖罪の想いこぼれだす。
君という人がありながら、自分は親友を電話ですら誘惑した。
このことは君が望んだことだけど、それでも自分の想いが恥ずかしくもなる。
最愛の恋人で婚約者、唯一のアンザイレンパートナーで「血の契」結んだ親友。
どちらの想いも真実、けれど、ふたりを同時に愛することは、どちらも傷つけてしまいそうで怖い。
ほんとうは怖い、本当はいつも泣きたくなる。
それでも嘘が吐けなかった昨夜の電話、この傷みは甘すぎ、どこか蝕まれてしまう。

どこか狂わさそうな感覚を、今すぐ冷たい水を被って鎮めたい。
けれど警察学校寮では浴室も自由に使えない、こんな自分には必要なことなのに。
こんな自分の馬鹿正直が厭わしい。けれど困りながら微笑んだ懐で、優しい笑顔がちいさく首をふってくれた。

「ううん、電話してあげて?光一、待ってたでしょ?」

どうして君はこんなに優しいの?

この言葉のトーンは純粋で、正直な気持なのだと告げられる。
いま見つめてくれる瞳は凛と無垢で、優しい率直が温かい。
ただ大切で護りたい、そんな意志が綺麗で愛しくて、英二は微笑んだ。

「うん、待っててくれた。ありがとう、周太、」

名前を呼んで、生際の傷痕にキスをする。
この傷によせる記憶と想いに、こんな自分でも約束することを、どうか赦してほしい。
この傷をつけた日に自分が見つけた初恋を、どうか生涯かけて護らせて?



(to be continued)

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