萬文習作帖

山の青年医師の物語+警視庁山岳救助隊員ミステリー(陽はまた昇る宮田と湯原その後)ほか小説×写真×文学閑話

第84話 整音 act.1-side story「陽はまた昇る」

2016-02-16 22:50:00 | 陽はまた昇るside story
緋色の夢
英二24歳3月



第84話 整音 act.1-side story「陽はまた昇る」

人は、望まない選択に救われることもある。

Oh make thyself with holy mourning black,
And red with blushing, as thou art with sin;
Or wash thee in Christ’s blood, which hath this might
That being red, it dyes red souls to white.



まだ天井の隅うす蒼い、夜明に間に合う。

こんな場所からでも屋上ならたぶん美しい、そんな目覚めに薬品の匂いかすめる。
たしかめた嗅覚に視界めぐらせ手をのばす、サイドテーブルに載せて感触ひきよせる。
掌つかんだクライマーウォッチに文字盤を見つめて、その視界うつりこんだ色に英二は微笑んだ。

「ふ…あのひとらしいな?」

深紅一輪、ベッドサイドにバラが咲く。
この花どこか見憶えがある、たぶん庭から切って持ちこんだ。
そんなことする昔なじみは今すこし外しているのだろう、その隙に起きあがって顔しかめた。

「つっ…、」

痛み左肩ひきつれる。
左脚じくり軋んで額のはえぎわ痛覚はしらす、それでも降りたベッドの足もと笑った。

「さすがだな?」

スリッポン一組きれいに置かれている。
履いてサイズ感しっくりなじむ、置かれたミリタリーコートはおって廊下に出た。

かたん、

扉しずかに閉じた廊下、かすかな香すこし甘くほろ苦い。
消毒アルコールほの暗い空気を歩いて、見つけた階段を昇りだし痛み疼いた。

「…っ、」

左肩いちばん軋む、それよりも左手が違和感うずく。

―痛いっていうか感覚が鈍い、小指が特に、

どうしたのだろう?
違和感に階段のライトへ左手かざす、その見た目なにも異常はない。
肩の受傷が影響している?診たてながら扉を開けて、冷気に笑った。

「はっ…」

コンクリートの世界、けれど空は広い。
墨色の空から風がくる、冷たく髪ひるがえし包帯を透かす。
ずきり疼いた痛覚に眉しかめて、それでも踏みだした屋上に英二は笑った。

「夜明だ、」

朱色あざやかに陽が昇る。
薄墨ふかい蒼から黄金きらめく、朱金まばゆい光あふれる。
天穹はるか夜の群青おしあげ暁を呼ぶ、その色彩うつろう鉄柵に立ちどまり仰いだ。

「行きたいな、雪山…」

あの場所に立ちたい、今すぐに。
そんな願いに昨冬めぐる、まばゆい雪嶺の朝が懐かしむ。

黄金の空、薄紅あふれる雲、朱色きらめく稜線、波うつ金色の雪。
ナイフリッジ駈ける風は冷たく凍えて、冴えわたる大気の記憶がうたう。

The innocent brightness of a new-born Day  Is lovely yet;
The Clouds that gather round the setting sun  
Do take a sober colouring from an eye 
That hath kept watch o’er man’s mortality; 
Another race hath been, and other palms are won.

新たに生まれくる日の無垢な輝きは、まだ瑞々しく、
沈みゆく太陽めぐらす雲たちに
謹厳の色彩を読みとる瞳は 
人の死すべき運命を見た瞳、
時の歩みたどらせ、そしてもう一つの掌に克ちとらす。

「The innocent brightness of a new-born Day…」 

くちずさむ異国の詞はるかな空つむぐ、その光を自分も知っている。
昇らす太陽あざやかな光彩、黄昏しずみゆく壮麗、どちらも山に響く。
記憶は朱い朝陽にコンクリートの屋上を光って、ふっと別の言葉かすめた。

“That being red, it dyes red souls to white.”

この言葉、聴いたばかりだ?

「うん…夢?」

さっき夢を見た。

懐かしい人に会った、その声は何を話してくれた?
まだ5分しか経っていない夢、けれど戻らないまま昨日の雪嶺が映る。

『…帰ってください、独りのほうが集中できる、』

あれは本音じゃない、だって昨夜の病室で君は泣いた。

『だけど本当は英二と一緒ならここで死んでいいって想ったんだ、』

あの言葉ずっと信じても、いい?

「あいたいな…周太、」

そっと呼びかけて、名前くゆらす息が白い。
朱色あざやかな光に吐息が消える、摩天楼はるかな陽また昇る。
あのビル群いくつ超えたら逢えるだろう?届かないまま携帯電話ふるえた。

「お、」

たぶん「彼」だ、解かるまま開いた画面は非通知でいる。
やはり用心深い、思ったとおりに笑って通話つないだ。

「おはようございます、先輩?」

これが最初の「通話」になるだろうか?
欲しい繋がりへ低い声が応えた。

「いま屋上にいるな?」

ほら、ちゃんと見ている。
それだけの立場と粗漏ない有能に笑いかけた。

「もう扉にいますよね?」

もうそこへ来ている、そんな気配に鉄扉が開いた。

「…」

重たい扉、けれど音もなく開いてまた閉じられる。
コンクリート鳴ることもなく影は踏みだして、制服姿ひとり朝陽に浮んだ。

「おはようございます、伊達さん?」

笑いかけた先、制帽の翳から視線がくる。
この姿で現れた意図はなんだろう?量りながら見つめるまんなか低い声が呼んだ。

「鷲田英二、おまえに質問が三つある、」

問いかける右手は腰に当てられる。
その手元きらり朱色の光を跳ねかえす、ホルスターの蓋は開かれた。

さあ、この狙撃手は何を問うのだろう?


(to be continued)

【引用詩文:John Donne「HOLY SONNETS:DIVINE MEDITATIONS」/William Wordsworth「Intimations of Immortality from Recollections of Early Childhood」】

にほんブログ村 小説ブログ 純文学小説へにほんブログ村

blogramランキング参加中! 人気ブログランキングへ FC2 Blog Ranking

PVアクセスランキング にほんブログ村

コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 山岳点景:春嵐に富士 | トップ | 山岳点景:白銀、冬に »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。

陽はまた昇るside story」カテゴリの最新記事