約束の場所へ、
第86話 花残 act.15 side story「陽はまた昇る」
届かない、
「周太っ!」
叫んだのは自分の声、呼んだ名前は君へ。
けれど横顔ふりむかないで、そのまま消えた。
戻って、最初に見た門どこか懐かしい。
ただ「学校」という共通点だろうか?
「問い合わせ先は受験要綱のこちらです、また見学いつでもどうぞ?」
「ありがとうございます、」
きれいに笑いかけた先、職員も笑ってくれる。
まだ30歳くらいだろうか?髪ひとつに束ねた彼女は微笑んだ。
「お仕事との両立は大変でしょうけど、受験がんばってください。お待ちしています、」
たしかに「大変」だろうな?
そんな現実と微笑んで、英二は専門学校の門を出た。
「11時半過ぎか、」
仰いだ太陽の角度つぶやいて、左腕に眼を落とす。
手首の文字盤は11:33、時間感覚に微笑んで封筒を抱え直した。
―予定より時間かかったな、
歩きだした道は人が流れる、飲食店へ入ってゆく。
ちょうど昼時、あの職員には休憩時間すこし削らせてしまった。
それでも楽しげだった女性の顔はある意味よく知っていて、そんな過去が街角に遠い。
―ああいうの面白かったな、2年前の俺なら、
女性から好意を示される、注目され、褒められ、持て囃される。
そんな日常すこし昔まで楽しんで、当然で、けれど今は面影ひとつ探している。
―外泊日はいつも一緒だったな、土曜の午前と、日曜の午後はこの街で、
新宿、この駅がおたがい実家に帰る分岐点だった。
だから警察学校の外泊日は新宿駅まで一緒に帰る、そして翌日は待ち合せた。
それが当たり前のようになった最初は、あの道の向こうにあるラーメン屋だ。
―あの暖簾、なつかしいな、
温かな空気ゆらぐ、そう感じさせる暖簾はためく。
すこし前に出したばかりだろう、そんな時刻に君の声が懐かしい。
『…らーめん、』
ぼそり、そんな口調だった2年前。
まだ2年、それでも全て変わってしまった。
あのころ自分はただ家から離れたくて、だから全寮制の警察学校を選んだ。
そうして君に出逢って今、こんなところに立っている。
ことん、
レザーソール鳴って歩きだす、暖簾の先を期待する。
あの布一枚くぐった向こう、君がいたら?
―さっきのスーツ姿は周太だった、新宿にいるなら今もしかしたら、
この店がいちばん好きだと君は言った、だから期待する。
だって見間違えるなんてない、君のこと。
それでも、いないかもしれない?
期待と不安と、ただ暖簾くぐる。
「へいっ、いらっしゃーい、」
低い渋い、けれど明るい声かけられる。
その声が顔こちら向けて、にっこり笑ってくれた。
「おっ、ひさしぶりだねえ、兄さん?今日は一人かい、」
温かい声、でも言葉は無情に響く。
期待ひそやかに消しながら英二は穏やかに笑った。
「おひさしぶりです、」
「本当にひさしぶりだねえ、さあさあ座ってくれ、」
温かな声が笑って、いつものカウンターにおしぼり置いてくれる。
けれど並んで座る人はいない、ただ微笑んで席に座った。
「今日は何にしますかい?」
訊いてくれる声の向こう、出汁と胡麻油が香りたつ。
ひさしぶりの匂いだな?ふわり寛いだ腹から笑いかけた。
「チャーシュー麺の大盛と五目丼ください、」
「いつものだねえ、ちょいとお待ちくださいよ、」
気さくな笑顔くしゃくしゃ笑って、厨房むこう踵を返す。
後姿が引きずる左脚に、ワイシャツの胸もと触れた。
指先ふれて硬い、ちいさな合鍵の輪郭。
―このひとは馨さんの殺人犯にされたままなんだ…発砲だけでも罪だとしても、冤罪の被害者だ、
15年前、この店の主は警察官に銃口を向けた。
そのまま殺人犯として裁かれ、服役し、それでも今ここで温かに人を迎えている。
けれど馨を殺害したのは彼じゃない。
―警官が警官を殺したんだ、警察が罪を公表するわけない、けれど、
馨を殺害したのは狙撃手、馨のパートナーを務めていた男。
そうして馨の息子まで追いつめて、けれど今もう警察を去る。
―あの岩田も裁かれる、でも本当の主犯は…観碕は裁かれないままだ、
観碕征治、あの男が馨を、その父親と祖父も殺害した。
自ら手を汚していない、けれど殺害は観碕の意志。
―馨さんも解ってはいたんだ、でも殉職を選んだのは、
なぜ馨が「殉職」という自殺を選んだのか?
その選択の傷つづられた日記が心に映る。
……
なぜ、命を生かす為に命を殺さなくてはいけないのか?
他に方法は無いのか?
罪を罪で制することしか出来ないのだろうか?
それならば、この世から罪が消えることなどできない、だからこそ私の罪は裁かれるべきだ。
父、祖父、そして曾祖父。この家に連綿と続く人殺しの遺伝子、そして殺せば殺される運命、それも拳銃で狙撃されて。
父が、私が射撃を始めたことを止めてくれた、あの時に父の言葉に従っていたのなら、この罪の連鎖は消えていた。
この愚かな私こそが裁かれるべきだろう。だから、いつか私は拳銃に殺されて命を終える。
もう私の代で終わらせなくてはいけない、この殺人を殺人で止めていく哀しい運命の歯車は。
だから密やかに願う、この私が裁きを受ける瞬間は、誰かの尊厳を守るために射殺され、すこしでもこの罪の贖罪が叶うことを。
与えられた『任務』に惑わされ堕ちていく、今の自分は『化物』と変わらない。
こんな今の自分には、美しい英文学の心を伝える資格があるのだろうか?きっと、無いだろう。
この罪に穢れた掌は、あの美しい言葉の記された本を開くには、相応しくないのだから。
私はただの幽霊、虚しい夢の残骸に過ぎない。
殺し殺されていく罪の連鎖の虜囚、これが私の現実。
けれど、この罪の贖罪が少しでも叶うなら、この忌まわしい運命への抗いになるだろうか?
そして私の英文学者の夢は、美しい幻想のままに掴めない。それが20年の答え。
……
裁かれない「銃殺」の罪、そのままに馨は自身を裁くことで運命に抗おうとした。
それでも家族に「自裁の自殺」と知られないため、馨は狙撃される殉職を選んだ。
だから14年前の春の夜あの瞬間、馨には待ち望んだ瞬間だった。
―だから馨さんは銃口を向けられた瞬間、笑ったんだ…その笑顔に今も、このひとは自分を責めながら厨房に立ってる、
馨の自殺、その瀬戸際に立ち会った男は温かな食事を生業にする。
食べることは「生きる」ことだから。
『あの警察官はね、本当は俺を先に撃てたんです、けれど撃たなかった…警察官の目が一瞬だけ合いました。彼の目は、生きて償ってほしい、そう言っていると感じました…あのひとの目を、俺は一生忘れられません』
馨を殺害した男が教えてくれた、馨の最期の瞳。
だから今この目の前で男は厨房に立ち、その背中ふり向いて笑った。
「さあ、できましたよ?いっぱい食べてくださいねえ、」
丼ふたつ、ごとりカウンターに置いてくれる。
湯気くゆらす温もり芳ばしい、その大盛に英二は笑った。
「ありがとうございます、本当にいっぱいですね?」
「そりゃいっぱいにしますよ、ウンと食ってさ、元気いっぱいでいてもらわなくちゃあねえ、」
皺きざんだ笑顔くしゃり明るい、ほころんだ眼ほがらかに笑ってくれる。
こんなふうに今このひとは生きている、馨が遺してくれた温もりに英二は微笑んだ。
「はい、元気でいます。いただきます、」
食べることは生きること、そんな現実に胸もとの合鍵ひとつ温かい。
だから今、君に逢いたい。
※校正中
(to be continued)
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英二24歳3月末
第86話 花残 act.15 side story「陽はまた昇る」
届かない、
「周太っ!」
叫んだのは自分の声、呼んだ名前は君へ。
けれど横顔ふりむかないで、そのまま消えた。
戻って、最初に見た門どこか懐かしい。
ただ「学校」という共通点だろうか?
「問い合わせ先は受験要綱のこちらです、また見学いつでもどうぞ?」
「ありがとうございます、」
きれいに笑いかけた先、職員も笑ってくれる。
まだ30歳くらいだろうか?髪ひとつに束ねた彼女は微笑んだ。
「お仕事との両立は大変でしょうけど、受験がんばってください。お待ちしています、」
たしかに「大変」だろうな?
そんな現実と微笑んで、英二は専門学校の門を出た。
「11時半過ぎか、」
仰いだ太陽の角度つぶやいて、左腕に眼を落とす。
手首の文字盤は11:33、時間感覚に微笑んで封筒を抱え直した。
―予定より時間かかったな、
歩きだした道は人が流れる、飲食店へ入ってゆく。
ちょうど昼時、あの職員には休憩時間すこし削らせてしまった。
それでも楽しげだった女性の顔はある意味よく知っていて、そんな過去が街角に遠い。
―ああいうの面白かったな、2年前の俺なら、
女性から好意を示される、注目され、褒められ、持て囃される。
そんな日常すこし昔まで楽しんで、当然で、けれど今は面影ひとつ探している。
―外泊日はいつも一緒だったな、土曜の午前と、日曜の午後はこの街で、
新宿、この駅がおたがい実家に帰る分岐点だった。
だから警察学校の外泊日は新宿駅まで一緒に帰る、そして翌日は待ち合せた。
それが当たり前のようになった最初は、あの道の向こうにあるラーメン屋だ。
―あの暖簾、なつかしいな、
温かな空気ゆらぐ、そう感じさせる暖簾はためく。
すこし前に出したばかりだろう、そんな時刻に君の声が懐かしい。
『…らーめん、』
ぼそり、そんな口調だった2年前。
まだ2年、それでも全て変わってしまった。
あのころ自分はただ家から離れたくて、だから全寮制の警察学校を選んだ。
そうして君に出逢って今、こんなところに立っている。
ことん、
レザーソール鳴って歩きだす、暖簾の先を期待する。
あの布一枚くぐった向こう、君がいたら?
―さっきのスーツ姿は周太だった、新宿にいるなら今もしかしたら、
この店がいちばん好きだと君は言った、だから期待する。
だって見間違えるなんてない、君のこと。
それでも、いないかもしれない?
期待と不安と、ただ暖簾くぐる。
「へいっ、いらっしゃーい、」
低い渋い、けれど明るい声かけられる。
その声が顔こちら向けて、にっこり笑ってくれた。
「おっ、ひさしぶりだねえ、兄さん?今日は一人かい、」
温かい声、でも言葉は無情に響く。
期待ひそやかに消しながら英二は穏やかに笑った。
「おひさしぶりです、」
「本当にひさしぶりだねえ、さあさあ座ってくれ、」
温かな声が笑って、いつものカウンターにおしぼり置いてくれる。
けれど並んで座る人はいない、ただ微笑んで席に座った。
「今日は何にしますかい?」
訊いてくれる声の向こう、出汁と胡麻油が香りたつ。
ひさしぶりの匂いだな?ふわり寛いだ腹から笑いかけた。
「チャーシュー麺の大盛と五目丼ください、」
「いつものだねえ、ちょいとお待ちくださいよ、」
気さくな笑顔くしゃくしゃ笑って、厨房むこう踵を返す。
後姿が引きずる左脚に、ワイシャツの胸もと触れた。
指先ふれて硬い、ちいさな合鍵の輪郭。
―このひとは馨さんの殺人犯にされたままなんだ…発砲だけでも罪だとしても、冤罪の被害者だ、
15年前、この店の主は警察官に銃口を向けた。
そのまま殺人犯として裁かれ、服役し、それでも今ここで温かに人を迎えている。
けれど馨を殺害したのは彼じゃない。
―警官が警官を殺したんだ、警察が罪を公表するわけない、けれど、
馨を殺害したのは狙撃手、馨のパートナーを務めていた男。
そうして馨の息子まで追いつめて、けれど今もう警察を去る。
―あの岩田も裁かれる、でも本当の主犯は…観碕は裁かれないままだ、
観碕征治、あの男が馨を、その父親と祖父も殺害した。
自ら手を汚していない、けれど殺害は観碕の意志。
―馨さんも解ってはいたんだ、でも殉職を選んだのは、
なぜ馨が「殉職」という自殺を選んだのか?
その選択の傷つづられた日記が心に映る。
……
なぜ、命を生かす為に命を殺さなくてはいけないのか?
他に方法は無いのか?
罪を罪で制することしか出来ないのだろうか?
それならば、この世から罪が消えることなどできない、だからこそ私の罪は裁かれるべきだ。
父、祖父、そして曾祖父。この家に連綿と続く人殺しの遺伝子、そして殺せば殺される運命、それも拳銃で狙撃されて。
父が、私が射撃を始めたことを止めてくれた、あの時に父の言葉に従っていたのなら、この罪の連鎖は消えていた。
この愚かな私こそが裁かれるべきだろう。だから、いつか私は拳銃に殺されて命を終える。
もう私の代で終わらせなくてはいけない、この殺人を殺人で止めていく哀しい運命の歯車は。
だから密やかに願う、この私が裁きを受ける瞬間は、誰かの尊厳を守るために射殺され、すこしでもこの罪の贖罪が叶うことを。
与えられた『任務』に惑わされ堕ちていく、今の自分は『化物』と変わらない。
こんな今の自分には、美しい英文学の心を伝える資格があるのだろうか?きっと、無いだろう。
この罪に穢れた掌は、あの美しい言葉の記された本を開くには、相応しくないのだから。
私はただの幽霊、虚しい夢の残骸に過ぎない。
殺し殺されていく罪の連鎖の虜囚、これが私の現実。
けれど、この罪の贖罪が少しでも叶うなら、この忌まわしい運命への抗いになるだろうか?
そして私の英文学者の夢は、美しい幻想のままに掴めない。それが20年の答え。
……
裁かれない「銃殺」の罪、そのままに馨は自身を裁くことで運命に抗おうとした。
それでも家族に「自裁の自殺」と知られないため、馨は狙撃される殉職を選んだ。
だから14年前の春の夜あの瞬間、馨には待ち望んだ瞬間だった。
―だから馨さんは銃口を向けられた瞬間、笑ったんだ…その笑顔に今も、このひとは自分を責めながら厨房に立ってる、
馨の自殺、その瀬戸際に立ち会った男は温かな食事を生業にする。
食べることは「生きる」ことだから。
『あの警察官はね、本当は俺を先に撃てたんです、けれど撃たなかった…警察官の目が一瞬だけ合いました。彼の目は、生きて償ってほしい、そう言っていると感じました…あのひとの目を、俺は一生忘れられません』
馨を殺害した男が教えてくれた、馨の最期の瞳。
だから今この目の前で男は厨房に立ち、その背中ふり向いて笑った。
「さあ、できましたよ?いっぱい食べてくださいねえ、」
丼ふたつ、ごとりカウンターに置いてくれる。
湯気くゆらす温もり芳ばしい、その大盛に英二は笑った。
「ありがとうございます、本当にいっぱいですね?」
「そりゃいっぱいにしますよ、ウンと食ってさ、元気いっぱいでいてもらわなくちゃあねえ、」
皺きざんだ笑顔くしゃり明るい、ほころんだ眼ほがらかに笑ってくれる。
こんなふうに今このひとは生きている、馨が遺してくれた温もりに英二は微笑んだ。
「はい、元気でいます。いただきます、」
食べることは生きること、そんな現実に胸もとの合鍵ひとつ温かい。
だから今、君に逢いたい。
※校正中
(to be continued)
七機=警視庁第七機動隊・山岳救助レンジャー部隊の所属部隊
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