萬文習作帖

山の青年医師の物語+警視庁山岳救助隊員ミステリー(陽はまた昇る宮田と湯原その後)ほか小説×写真×文学閑話

第86話 花残 act.15 side story「陽はまた昇る」

2020-07-28 23:55:09 | 陽はまた昇るside story
約束の場所へ、
英二24歳3月末


第86話 花残 act.15 side story「陽はまた昇る」

届かない、

「周太っ!」

叫んだのは自分の声、呼んだ名前は君へ。
けれど横顔ふりむかないで、そのまま消えた。



戻って、最初に見た門どこか懐かしい。
ただ「学校」という共通点だろうか?

「問い合わせ先は受験要綱のこちらです、また見学いつでもどうぞ?」
「ありがとうございます、」

きれいに笑いかけた先、職員も笑ってくれる。
まだ30歳くらいだろうか?髪ひとつに束ねた彼女は微笑んだ。

「お仕事との両立は大変でしょうけど、受験がんばってください。お待ちしています、」

たしかに「大変」だろうな?
そんな現実と微笑んで、英二は専門学校の門を出た。

「11時半過ぎか、」

仰いだ太陽の角度つぶやいて、左腕に眼を落とす。
手首の文字盤は11:33、時間感覚に微笑んで封筒を抱え直した。

―予定より時間かかったな、

歩きだした道は人が流れる、飲食店へ入ってゆく。
ちょうど昼時、あの職員には休憩時間すこし削らせてしまった。
それでも楽しげだった女性の顔はある意味よく知っていて、そんな過去が街角に遠い。

―ああいうの面白かったな、2年前の俺なら、

女性から好意を示される、注目され、褒められ、持て囃される。
そんな日常すこし昔まで楽しんで、当然で、けれど今は面影ひとつ探している。

―外泊日はいつも一緒だったな、土曜の午前と、日曜の午後はこの街で、

新宿、この駅がおたがい実家に帰る分岐点だった。
だから警察学校の外泊日は新宿駅まで一緒に帰る、そして翌日は待ち合せた。
それが当たり前のようになった最初は、あの道の向こうにあるラーメン屋だ。

―あの暖簾、なつかしいな、

温かな空気ゆらぐ、そう感じさせる暖簾はためく。
すこし前に出したばかりだろう、そんな時刻に君の声が懐かしい。

『…らーめん、』

ぼそり、そんな口調だった2年前。
まだ2年、それでも全て変わってしまった。
あのころ自分はただ家から離れたくて、だから全寮制の警察学校を選んだ。
そうして君に出逢って今、こんなところに立っている。

ことん、

レザーソール鳴って歩きだす、暖簾の先を期待する。
あの布一枚くぐった向こう、君がいたら?

―さっきのスーツ姿は周太だった、新宿にいるなら今もしかしたら、

この店がいちばん好きだと君は言った、だから期待する。
だって見間違えるなんてない、君のこと。
それでも、いないかもしれない?

期待と不安と、ただ暖簾くぐる。

「へいっ、いらっしゃーい、」

低い渋い、けれど明るい声かけられる。
その声が顔こちら向けて、にっこり笑ってくれた。

「おっ、ひさしぶりだねえ、兄さん?今日は一人かい、」

温かい声、でも言葉は無情に響く。
期待ひそやかに消しながら英二は穏やかに笑った。

「おひさしぶりです、」
「本当にひさしぶりだねえ、さあさあ座ってくれ、」

温かな声が笑って、いつものカウンターにおしぼり置いてくれる。
けれど並んで座る人はいない、ただ微笑んで席に座った。

「今日は何にしますかい?」

訊いてくれる声の向こう、出汁と胡麻油が香りたつ。
ひさしぶりの匂いだな?ふわり寛いだ腹から笑いかけた。

「チャーシュー麺の大盛と五目丼ください、」
「いつものだねえ、ちょいとお待ちくださいよ、」

気さくな笑顔くしゃくしゃ笑って、厨房むこう踵を返す。
後姿が引きずる左脚に、ワイシャツの胸もと触れた。
指先ふれて硬い、ちいさな合鍵の輪郭。

―このひとは馨さんの殺人犯にされたままなんだ…発砲だけでも罪だとしても、冤罪の被害者だ、

15年前、この店の主は警察官に銃口を向けた。
そのまま殺人犯として裁かれ、服役し、それでも今ここで温かに人を迎えている。
けれど馨を殺害したのは彼じゃない。

―警官が警官を殺したんだ、警察が罪を公表するわけない、けれど、

馨を殺害したのは狙撃手、馨のパートナーを務めていた男。
そうして馨の息子まで追いつめて、けれど今もう警察を去る。

―あの岩田も裁かれる、でも本当の主犯は…観碕は裁かれないままだ、

観碕征治、あの男が馨を、その父親と祖父も殺害した。
自ら手を汚していない、けれど殺害は観碕の意志。

―馨さんも解ってはいたんだ、でも殉職を選んだのは、

なぜ馨が「殉職」という自殺を選んだのか?
その選択の傷つづられた日記が心に映る。
……
なぜ、命を生かす為に命を殺さなくてはいけないのか?

他に方法は無いのか?
罪を罪で制することしか出来ないのだろうか?
それならば、この世から罪が消えることなどできない、だからこそ私の罪は裁かれるべきだ。
父、祖父、そして曾祖父。この家に連綿と続く人殺しの遺伝子、そして殺せば殺される運命、それも拳銃で狙撃されて。
父が、私が射撃を始めたことを止めてくれた、あの時に父の言葉に従っていたのなら、この罪の連鎖は消えていた。

この愚かな私こそが裁かれるべきだろう。だから、いつか私は拳銃に殺されて命を終える。
もう私の代で終わらせなくてはいけない、この殺人を殺人で止めていく哀しい運命の歯車は。
だから密やかに願う、この私が裁きを受ける瞬間は、誰かの尊厳を守るために射殺され、すこしでもこの罪の贖罪が叶うことを。

与えられた『任務』に惑わされ堕ちていく、今の自分は『化物』と変わらない。
こんな今の自分には、美しい英文学の心を伝える資格があるのだろうか?きっと、無いだろう。
この罪に穢れた掌は、あの美しい言葉の記された本を開くには、相応しくないのだから。

私はただの幽霊、虚しい夢の残骸に過ぎない。
殺し殺されていく罪の連鎖の虜囚、これが私の現実。
けれど、この罪の贖罪が少しでも叶うなら、この忌まわしい運命への抗いになるだろうか?

そして私の英文学者の夢は、美しい幻想のままに掴めない。それが20年の答え。
……
裁かれない「銃殺」の罪、そのままに馨は自身を裁くことで運命に抗おうとした。
それでも家族に「自裁の自殺」と知られないため、馨は狙撃される殉職を選んだ。
だから14年前の春の夜あの瞬間、馨には待ち望んだ瞬間だった。

―だから馨さんは銃口を向けられた瞬間、笑ったんだ…その笑顔に今も、このひとは自分を責めながら厨房に立ってる、

馨の自殺、その瀬戸際に立ち会った男は温かな食事を生業にする。
食べることは「生きる」ことだから。

『あの警察官はね、本当は俺を先に撃てたんです、けれど撃たなかった…警察官の目が一瞬だけ合いました。彼の目は、生きて償ってほしい、そう言っていると感じました…あのひとの目を、俺は一生忘れられません』

馨を殺害した男が教えてくれた、馨の最期の瞳。
だから今この目の前で男は厨房に立ち、その背中ふり向いて笑った。

「さあ、できましたよ?いっぱい食べてくださいねえ、」

丼ふたつ、ごとりカウンターに置いてくれる。
湯気くゆらす温もり芳ばしい、その大盛に英二は笑った。

「ありがとうございます、本当にいっぱいですね?」
「そりゃいっぱいにしますよ、ウンと食ってさ、元気いっぱいでいてもらわなくちゃあねえ、」

皺きざんだ笑顔くしゃり明るい、ほころんだ眼ほがらかに笑ってくれる。
こんなふうに今このひとは生きている、馨が遺してくれた温もりに英二は微笑んだ。

「はい、元気でいます。いただきます、」

食べることは生きること、そんな現実に胸もとの合鍵ひとつ温かい。
だから今、君に逢いたい。

※校正中
(to be continued)
七機=警視庁第七機動隊・山岳救助レンジャー部隊の所属部隊

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