萬文習作帖

山の青年医師の物語+警視庁山岳救助隊員ミステリー(陽はまた昇る宮田と湯原その後)ほか小説×写真×文学閑話

第80話 極月 act.4-side story「陽はまた昇る」

2014-11-19 09:51:06 | 陽はまた昇るside story
predawn 夜の穹盡



第80話 極月 act.4-side story「陽はまた昇る」

天涯を朱色きらめく、もう朝だ。

はるかな山嶺を緋いろ昇る、今年の初日がやってくる。
菫色ゆるやかに中天へ刷かれて金色の雲ひるがえす、月も星も空に融けてゆく。
もう昨日は去年になってしまった、そうして最初の朝に英二は呼吸ゆっくり微笑んだ。

「おはよう周太…今年もよろしくな?」

ひとり呼びかけて、けれど声など戻らない。
今どこにいるのかも訊けない相手、明日の居場所も解らない。
それでも逢いたくて、今年もその先も逢いたい笑顔はるか見つめた背に呼ばれた。

「宮田?」

ぶっきら棒にも響く低い声、この声は知っている。
懐かしくて振向くと顔馴染に笑いかけた。

「おはようございます、原さん、」
「やっぱり宮田か、」

低い声こちら来るごと足音が霜を砕く。
ざぐりざくり、登山靴に踏む音から冬の山が懐かしくて微笑んだ。

「相変わらず霜柱すごいですね、」
「もう氷の花もある、」

応えてくれる声に陽が射して日焼顔あかるます。
相変わらずの無愛想な貌、けれど笑っている眼が闊達に訊いた。

「ずいぶん早いな、七機の皆は?」
「それぞれ巡回に出ています、ご来光のハイカーも多いので、」

話しながら歩きだして靴底ざくり鳴る。
踏みだすごと氷砕けて懐かしい、その傍ら白い雪に笑いかけた。

「やっぱり奥多摩は良いですね、空気が冴えて冬らしいです、」
「ああ、府中の空気とは違うな、」

頷きながら無愛想な貌も笑っている。
この先輩に思いだしたことを英二は口にした。

「そういえば原さん、前に言ってた彼女はプロポーズしたんですか?」

秋、そんな話を深夜のビバークで聴いている。
あの時から信頼関係が始まった、その記憶のまま先輩が口籠った。

「…正月休みに帰ったらな、」

まだしていないんだ?
それも無理ないだろう、この勤務状況に笑いかけた。

「実家に帰る時間、なかなか難しいですよね?」
「まあな、」

短く応える横顔へ朝陽ゆるく赤くなる。
今日も初詣に混むだろう、そんな山上で低い声が言った。

「なあ宮田、おまえのこと訊いてきた爺さんがいたぞ?」

ほら、やっぱり追いかけてきた?

心当たり二人いる、でも一人はまず来ない。
たぶん招きたくない方だろう、けれど好都合かもしれない展開に微笑んだ。

「どんな人?」
「白髪で上品なカンジだ、宮田に救助されたヤツの祖父だとか言って御礼を言ってさ、宮田の評判を訊いてきた、」

話してくれる足元は着実に山道を踏む。
ざくり霜柱を聴きながら笑いかけた。

「なんて答えてくれたんですか?」
「真面目なヤツとだけ言った、岩崎さんは奥に居ていなかったけど、」

答えてくれる吐息ゆるやかに白く昇る。
夜明の気温は底に低い、そんな山の冷気に続けてくれた。

「宮田が何処にいるのかも訊かれたぞ、初詣の警備中だってぼかしといたけど、」

余計なことは言わない、それは警察官なら当然だろう。
何げない会話がどんな機密に触れるかも解らない、こんな職場の仲間に笑いかけた。

「ありがとうございます、せっかく尋ねてくれたのに申し訳なかったですけど、」
「仕方ないだろ、ほんと宮田は人気あるな、」

なにげない返答すこし笑ってくれる。
本当に救助の礼で尋ねたと思っているだろう、そう自分も想えたら良いのに?

―御岳まで来るなんて観碕、身辺調査か牽制か、

観碕征治、あの男が来た目的は何だろう?

この自分を調べて弱みを探す、それを利用して操作する?
または牽制、無言の圧力で自分から祖父へ話が行くことを望んでいる?
それとも最後の選択肢、この自分と「亡霊」の関係を確かめようとしているだろうか。

「冬富士また行く予定です、原さんは里帰りでしょうけど、」
「まあな…でも俺も地元で三千峰に登ってくる、」
「赤石岳ですか?前に話してた高校の先生と、」
「おう、山岳部OBの定例登山だ、」

山の会話しながら斜面に雪が見えてくる。
足元の霜柱も深まらす、頬ふれる冷気から冴えて心地いい。
凛と澄む新春の山に楽しくて笑って、それでも頭脳は思考をやめない。

―どちらにしても俺を調べてる、それとも観碕自身が奥多摩に拘ってるのか?

あの男が「奥多摩」に拘るとしたら理由なにがある?

―晉さんだよな、山岳部って田嶋教授も言ってたけど、

なぜ観碕が馨を追い詰めたのか、周太にまで拘るのか?
その全ては晉だろう、それは晉の小説にも田嶋の証言にも示されて尋ねた。

「原さん、二年参りで山に来る人は毎年恒例が多いですか?」

この訊き方なら意図は特定されない。
その通りなにも気づかぬ微笑は頷いた。

「そうだな、同じ山で毎年って多いかもな。宮田を訪ねた爺さんもそうかもしれん、」
「毎年ずっとって良いですね、」

なにげなく相槌うちながら確信また見つめだす。
もし「毎年恒例」だとしたら観碕は去年もここに来たろうか?

―俺を見たかもしれない、去年もここで、

去年の自分は何も知らなかった、けれど観碕はどうだったろう?

そんな思案にも仲間と笑いあう山行は楽しい、そして懐かしくなる。
この一年前はただ山の年越が楽しかった、メールも電話も繋げられて幸せだった。
あの温もりを一年後には笑えるだろうか、それとも今のよう隔てられたまま山だけが居場所だろうか?

―逢いたいよ周太、

どうして君に逢えないのだろう、唯ひとり願いたいのに?

去年の終わりも今年の初めも願い一つだけ、ただ君に逢いたい。
いま仲間と歩く山は楽しい、けれど君の笑顔ならと願って餓えてしまう。
せめて記憶だけでも歩きたくて先輩へ笑いかけた。

「原さん、ちょっと寄りたいところあるんで先行ってください、」
「おう、黒木さんに伝言しとくよ、」

無愛想な貌、けれど瞳は笑って頷いてくれる。
この山ヤともまたザイル組んで登れたらいい、その単純な願いに微笑んだ。

「原さん、たぶん2月に三スラ行きますけど一緒しますか?」
「国村さんと宮田のペースだろ?さすがに自信ねえけどさ、」

分岐点むこうへ歩きだしながら日焼顔が首傾げさす。
その目すこし迷って、けれど頷き笑ってくれた。

「予定が合えばだけど、俺も黒木さん誘ってみるよ、」

そういえば原は黒木と親しかった?
こんな要点を忘れていた迂闊が可笑しい、そのままつい笑った。

「そっか、原さんって黒木さんと仲良かったよな?」

原は高卒任官で自分より5期上、黒木は大卒の6期上でいる。
身長も同じくらいで隣県の出身、そんな近似に先輩は頷いた。

「同じ南アルプスがフィールドだからな、割と一緒に登ってる、」
「そういうの良いですね、」

笑いかけ応えながら本音すこし羨ましくなる。
こんなふう「フィールド」と呼べるほど長い山歴はまだ自分にない。
そう改めて気づかされながら登山道それぞれ分かれて、懐かしい道を歩きだした。

「…は、」

息そっと吐いて白く昇らす、その道に残雪あわい。
この雪にまた積もるだろう、そうして厳冬期はやってくる。
あの白銀まばゆい峻厳を今年も見られるだろうか?その願いに春の雪が映りこむ。

『おはよう、英二…帰ってきてくれてありがとう、』

ほら、黒目がちの瞳が泣きながら笑ってくれる。
あのとき雪崩に呑まれて受傷して、高熱から醒めたベッドは幸せだった。
あんなに心配して泣いてくれた人は今どこにいるのだろう、今も自分を想ってくれるだろうか?

ただ逢いたい、そんな願いと薄雪の道を踏んで一本の樹に辿りついた。

「久しぶりだな、雪山?」

笑いかけ仰いだ樹上、純白の花あふれさす。
明けてゆく暁の緋色が花ゆれる、常緑あざやかな葉が朝陽を照らす。
花木なのに「雪山」と呼ばれる山茶花は逢いたい人に縁深くて、だから見つけたとき嬉しかった。

『お父さんが庭に植えてくれたのと同じ木なんだ、僕の誕生花で…ベンチも作ってくれて、』

見あげる花に懐かしい声が笑ってくれる。
あの声は今日この元日に家へ帰られたろうか、美しい庭の静かな家で母子ふたり笑っている?
そうあってほしいと願って、けれど帰られない自分の孤独は軋んで溜息こぼれた。

「…帰る場所なんてないな、」

自分には帰る場所なんてない。

去年の今日は帰宅を楽しみにしていた、あの家が居場所だと信じていた。
けれど今は帰られない、だって今あの家にどんな顔で帰れるというのだろう?

「ごめんな、周太…」

花に呼びかけて泣きたくなる、けれど自業自得だ。
そして泣く権利すら今は無い、だって2週間前に自分で棄ててしまった。

『僕が話したら英二も話してくれるでしょ、だから…英二、』

君は話して信頼をくれた、けれど自分は話さなかった。
秘密にすることが君を護ると信じて黙りこんだ、でも傲慢な裏切りでしかない。
あの夜に気がついていたら君はメールも電話もくれたろうか、あの家に帰ることも許された?

「ごめん周太、ばかにしてるって想わせたよな…ごめん、」

ごめん、

告げて名前を呼んで、だけど戻らない。
こんなふうに去年の後悔ひきずったまま新年に辿りついてしまった、それが皮肉で可笑しい。

―去年は後悔なんか何もしてなかったな、宮田の家を棄てたのに、

警察学校の卒業式の翌朝、実家と義絶した。
そのまま卒業配置で青梅署に赴任した、そして山ヤの警察官になって春の雪崩に遭った。
あのとき姉と母は来てくれた、それでも3月の終わりに分籍して法律上も正式に義絶している。
もう帰るべき家すべて自分で壊してしまった、それでも微笑んだ頭上を純白の花ゆるやかに舞いふる。

『きれい…うちの庭と同じ花だよ?』

花が舞う、その花びら一つずつ記憶が笑う。
あの笑顔と離れたくなくて家を棄てた、それなのに信頼ごと壊したのは自分だ。
こんな自分はどこへ帰ったらいいのだろう?ひとり見つめるまま隊服のポケットが震えた。

―誰だろ?まだ7時だけど、

こんな新年の朝に携帯電話が受信する、その可能性めぐりだす。
遭難の報や七機の呼出なら無線だろう?考えながら開いた画面に息止まった。

「っあ、」

待っていた名前が画面をコールする。
すぐ開いて耳元、懐かしい声が笑ってくれた。

「おはよう英二、あの…あけましておめでとう?」

これは本当だろうか、本当に現実?

「周太?」

ずっと昨夜から待っていた声、昨夜より前も待っている。
ただ嬉しくて、うれしい分だけ途惑うまま頬つねった。

「いてっ、」

ちゃんと痛い、これは現実だ?

「どうしたの英二?痛いって何かあったの、」

ほら心配して訊いてくれる、この声やっぱり夢じゃない。
なぜ電話をくれたのか解らないけれど現実だ、その幸せに笑った。

「大丈夫だよ周太、つねって現実か確かめたんだ、周太の声が嬉しくて夢かもしれないってさ?」

本当に嬉しい、もし夢なら永遠に眠っていて構わない。
けれど現実の朝風ゆるやかに頬へ冷える、笑った息も肺まで沁みて凍えさす。
仰いだ純白の花も甘い香は現実を告げる、その静かな冷厳に穏やかな声が微笑んだ。

「ちゃんと現実です、あの…メールありがとう、返事できなくてごめんね…しごとだったんだ、」

どこに居たとは言えない、それでも仕事だと教えてくれる。
その守秘義務に隔てられても声は温かい、この温もり素直に笑いかけた。

「俺も御岳山で巡回中だよ、いま山茶花のところにいる、周太の木だよ?」

君の場所に自分はいる、そんな今を笑ってくれる?
どうか笑って受けとめてほしい、その願いに優しい声が羞んだ。

「ん…僕も山茶花のベンチにいるよ、いま家に帰ってきたところで…」
「じゃあ同じ花を見てるんだな、周太と俺、」

笑いかけて嬉しくて今も「同じ」だと肚底から温まる。
今同じ種類の花を見ている、それだけで嬉しくてたまらない本音が瞳の深く熱い。
もう電話など来ないと諦めかけていた、それほど蝕まれる後悔にやさしい声が微笑んだ。

「同じだね…あの、英二はお正月休み決まった?帰ってくる支度しておくから、」

帰ってくる支度、その権利を今もくれるの?

「周太、俺…そこに帰ってもいいの?」

訊き返して鼓動ごとり響きだす、心臓ごと壊れそうに軋んでゆく。
もし拒絶されたら自分はどこに行けばいい?その不安に笑ってくれた。

「英二の家はここって約束したよね、違うの?」

まだ約束は生きている?

まだ終わらないのだと笑ってくれる声が優しい、だから痛む。
だって許されてしまう分だけ君を泣かせている、その後悔が声こぼれた。

「ごめんな周太、ほんとうにごめん…ありがとう周太、」

ごめん、ありがとう、どちらも今年最初を君に言える。
こんなふう結局は唯ひとりだけ自分は見ている、だからこそ秘密まだ言えない。
いま秘密ほどいて何もかも抱きあいたくて、けれど今もう五十年の涯は見つめてくる。

『宮田、おまえのこと訊いてきた爺さんがいたぞ?』

あの男が山に現れた、もう遁れる時は終わる。



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