街と山、それぞれの場所で二人
第57話 鳴動act.6―side story「陽はまた昇る」
桜田門の空も、青い。
ビルの谷間に緑豊かな公園がある、その深緑に英二は入った。
木洩陽ゆらめく小路、すこし埃っぽい空気と光の明滅を辿っていく。
その先に樹林涼やかなベンチで、スーツ姿が転がっていた。
「国村、」
呼びかけて傍らに立つと白い手は動き、仰向けた顔の上から本を取った。
文庫本を手に起きあがり伸びをする、その底抜けに明るい目は楽しげに笑った。
「おはよ、宮田。今朝も美人だね、」
「お陰さまでな、待たせた?」
答えながら黒髪に付いた木の葉を取ってやる。
その手を嬉しそうに見上げながら、テノールの声は飄々と答えた。
「思ったより道路、空いていたからね。ま、ノンビリ朝寝出来て良かったよ」
ポケットに文庫本を入れて立ち上がると、白い両手は髪をざっくり掻き上げた。
その髪型がいつもと違って軽くセットされる、珍しい姿に英二は訊いてみた。
「今日は髪、セットしたんだ?」
「うん?まあね、スーツで公務だしさ、この方が貫禄出るだろ?」
からり笑って歩き出す横顔に、木洩陽ゆれて目を細める。
その容子は確かに大人びて、文学青年風の容貌が知的なエリートの空気を醸す。
秀麗な美貌に有能が映える、いま初めて見るパートナーの姿へと英二は率直な感想を述べた。
「似合うな、かっこいいよ?キャリアっぽいっていうか、本物のエリートって感じだな、」
「キャリアねえ?ま、俺は、ホンモノの美形で天才だからね。眼福だろ?」
すこし皮肉っぽく言いながらも眼差しは底抜けに明るい。
こんなことも明朗に言えてしまう光一が楽しくて、英二は笑いかけた。
「美形で天才って、おまえが言うと反論できないな、」
「だってホントのことだからね。変に謙遜したら、逆に嫌みだろ?」
飄々と笑いながら端正に長い脚が進んでいく。
いつも制服か登山ウェア、あとは農作業スタイルでいる光一の私服姿はカジュアルが多い。
精々が川崎の家を訪問する時にジャケットを着るくらいで、光一のスーツ姿はブラックスーツしか見たことが無かった。
だから今の馴染んだ着こなしが少し意外で、何げなく英二は訊いてみた。
「光一のスーツ姿って俺、喪服以外は初めて見るけど。着こなし巧いな、」
「あ、おまえ初めてだったっけ。まあ、こういう座学で講師の時は着るよね。あと、JA関係のめんどくさい会合とかさ」
―JAの会合、そうだ…光一は農家なのに異動したら
からり笑ってくれる答え「JAの会合」に、英二の甘さが引っ叩かれた。
兼業農家の警察官である光一は、後藤の肝煎りで地元に配属されて家業も営んでいる。
だから光一にとって第七機動隊に異動することは、もちろん田畑の管理に支障があるだろう。
そうした事情を自分は失念していた、配慮に欠けていた自責に英二は立ち止まり、頭を下げた。
「ごめん、光一。おまえの農業のこと、俺、ちゃんと考えてなかった。異動したら畑の管理とか困るのに、すまない、」
英二自身は農業を知らない、けれど周太と美幸が大切にする家庭菜園なら少し解かる。
家族だけの小さな菜園だけれど毎朝いつも美幸は手を入れて、周太も休日には作業を怠らない。
光一のよう家業で営むなら、もっと毎日の仕事が多いはずだろう。だから光一は業務の合間でも、朝や昼休みに実家へ帰る。
こういうパートナーの事情を考えていなかった、この迂闊さに唇噛んだ英二に、けれど光一は笑ってくれた。
「ソレくらいね、俺も警官になった時から考えてあるよ?いずれ異動はあったんだ、祖父さん達もまだ現役だしさ、心配いらないね、」
底抜けに明るい目が可笑しそうに笑って、向き合ってくれる。
そして白い指で英二の額を小突くと、温かい眼差しで笑ってくれた。
「でも気遣い嬉しいよ?ありがとね、英二、」
さらり呼んで笑ってくれる、その貌は明眸に美しい。
本当に美人だな?そう感心しながら英二も笑って、また並んで歩きだした。
「そっか、ありがとう。そういえば、資料とかは?」
「まだ車だよ、セッティングから一緒にやろうと思ってね。そのうち宮田も、講師やってもらうからね、」
話しながら公園を抜け通りに出、駐車場に入りトランクを開く。
登山ザックと書類ケースを出し携えると、ふたりエントランスを潜った。
ホールを横切っていく視界の端に自販機コーナーが映り、自分がした事を思い出させられる。
月曜の夜に自分が犯したこと、その結果がこの場所で起きた。この現実に英二は密やかに微笑んだ。
―あそこで署長は倒れたんだな
通り過ぎていく心がすこし重い、けれどそれ以上に肚は嗤ってしまう。
やっぱり思った通り新宿署長も暗示に罹りやすい、それは「50年の束縛」畸形連鎖の番人に共通する傾向だろう。
何げない言葉のコントロールに操られ易いからこそ「あの男」の手の内に収まっているのだから。
―そういう意味では俺も、あの男も、同じだ
そして多分もうひとり、似ている人間がいる。
そんな想いと歩いていく視界の自販機から、ひとつ人影が現われた。
―蒔田さん、
音の無い声が呼んで、呼吸が一瞬止められる。
この予測どおりの事態に微笑んで、英二は隣に声をかけた。
「国村、蒔田さんがいらっしゃるよ、」
「うん?ああ、やっぱりね、」
飄々と笑って光一も顔を向けると、ふたり立ち止まった。
向こうから長身のスーツ姿は歩み寄ってくれる、その姿へと室内の敬礼を向けた。
「おはようございます、」
「おはようございます、今日は講習会お願いしますね、」
気さくに挨拶しながら、英二の背負う登山ザックに目を止めた。
山ヤの警察官らしい実直な笑顔は、懐かしげに目を細め微笑んだ。
「私も山岳講習の助手をしたことがありました、後藤さんがボスでね、」
「あれ、俺と宮田と同じパターンなんですね?」
答えながら底抜けに明るい目が笑い、蒔田も楽しそうに頷いてくれる。
その明るい笑顔のままで蒔田は、英二と光一を真直ぐ見つめ提案した。
「講習会、今日は午前午後の2部ですが、明日は午前中で終わりでしたよね?明日は昼飯を一緒にいかがですか?」
やっぱり蒔田から、時間の提案がされた。
この目的は異動の件、それから「ココア」のことだろう。
そんな予想を見つめながら英二は上司とパートナーへ綺麗に笑いかけた。
「ありがとうございます。国村の予定は大丈夫?」
「うん、明日は夕方の巡回までに戻ればいいからね。蒔田さん、旨くて量の多い店ってありますか?」
いつもの調子で飄々とねだって、山っ子は亡父の旧友に微笑んだ。
その透明な眼差しに、かすかな「探索」を英二は見た。
家の玄関を開くと、どこか、がらんとした空気が出迎える。
今夜は周太も美幸も留守、いわゆる家族不在の寂しさが玄関ホールにもう出遭う。
―こんなこと、実家では思ったこと無かったな
心の溜息つぶやきながらスリッパを履いた隣、からり明るい声が言ってくれた。
「おふくろさんも周太もいない夜って、お初なんだろ?」
「うん、そうだよ。だからお母さん、寂しいだろうから、光一を呼べばって言ってくれたんだ、」
階段を昇りながら話す美幸の配慮に、今も温められていく。
この家に英二が初めて来たときから漸く一年、家族になる約束をしてから9ヶ月しか経っていない。
それでも実の息子同然に想ってくれていると、今回の留守番についても示してくれた。
―ありがとうございます、
心で感謝を想いながら、また父の俤が過ぎってしまう。
こういう彼女だからこそなのだと自分にも解る、けれど、どうしたら良いのか解からない。
そんな想い見つめながら書斎の前を通り過ぎ、客間の扉を英二は開いた。
「光一、今夜はこの部屋を使ってくれな?お母さんと周太が用意してくれたから、」
「お、良い部屋だね、ふうん?」
ランプを灯した部屋に入り、ぐるり光一は見渡した。
クラシックな木製のベッドに小振りな書棚、サイドテーブルとビロード張りの安楽椅子。
永く大切に遣ってきた調度品の優しい部屋、温かみある空気に今夜の客人も微笑んだ。
「この家のどこもそうだけどね、ここも優しくて温かい。この家の人たちの人柄がわかるね、」
言いながらベッドに置かれた籐籠に目を止めると、白い手を伸ばした。
タオル類と歯ブラシなどをセットされてある籠、その上に添えられたカードを光一は手にとり微笑んだ。
「へえ、ウェルカム・カードってやつだね?優しいな、おふくろさんも周太も、」
やわらかな笑顔に雪白の貌ほころばせ、英二にも見せてくれる。
きれいな白いカードに綴られた優しい言葉の2行、その筆跡の色に英二は微笑んだ。
「古典ブルーブラックだな、書斎の万年筆で書いてる、」
「だね、」
ちいさなカードに記される言葉の、インクの色彩。
この色に思い出すのは、銃痕えぐられ血に染まった古い手帳のページたち。
あの手帳に綴られたブルーブラックの筆跡は、この家の主だった男の苦悩と幸福だった。
―お父さん?今夜、ひとつケリをつけます、
馨が愛する妻と子の筆跡に祈りを見つめて、英二はカードを白い手に返した。
そして扉へと踵返しながら、アンザイレンパートナーに今夜の計画と微笑んだ。
「着替えたら飯食おう、周太いろいろ支度してくれたんだ。そうしたら仏間な、」
「うん、すぐ行く。周太の飯、楽しみだな、」
明るく笑って光一はジャケットを脱ぎ始めた。
その頼もしい背中に笑いかけて、そっと英二は扉を閉めた。
周太の部屋に入り、ルームランプを点けた空間はやはり広すぎる。
鞄を降ろして勉強机を見る、そこに活けられた白い花の甘い香に英二は寂しく微笑んだ。
「…周太、周太がいないと寂しいよ?」
この場所にいるときは周太が一緒にいる、それが当たり前になっている部屋。
3月の静養中はいない日もあった、それでも周太の母が家に居たから寂しさは紛れていた。
母と息子の、黒目がちの瞳と穏やかでも根が明るい雰囲気はよく似ていて、彼女を透して周太を感じられる。
あの優しい寛がす空気がいつも家にはある、それが無い今つい恋しくなってしまう。
そんな恋慕の感傷に浸りかけて、けれど今夜は時間が惜しい。
すぐにスーツのジャケットを脱ぐと英二は、作業の服へと着替え始めた。
Tシャツにデニムシャツを着、履いたミリタリーパンツのポケットへと道具をセットしていく。
食事が済んだらすぐ作業に入る、その支度を整え終えると作業後の着替と軍手を携えて、英二は階下に降りた。
軍手をポケットに入れて着替を浴室に置き、ダイニングの扉を開く。
テーブルの上には食器のセッティングにきちんとナプキンを掛けてくれてある。
今朝、出掛ける前に夕食の支度を周太はしてくれた、そんな心遣いに温もり見つめて英二は微笑んだ。
「ありがとう、周太?留守でも、ちゃんと居てくれるんだね…」
刺繍の美しい布を外し、台所に入る。そして冷蔵庫のメモスペースに英二は目を遣った。
きれいな陶器のマグネットが4つそこにある、そのうち周太用に挟まれたメモに笑いかけて、英二もペンを取った。
備え付けたメモ用紙を1枚とり、ペンを走らせる。それを自分用のマグネットに挟んだとき、扉が開いた。
「お待たせ、なに、メモ?」
「うん、今のうちに書いておこうと思って。この後は忙しいし、」
答えた英二の横から覗きこんで、底抜けに明るい目がメモに微笑んでくれる。
白い指でそっと紺青色のマグネットにふれて、透明なテノールが言ってくれた。
「これ、オヤジさんのメモをずっと取っておいてあるんだ?おふくろさんも周太も、本当に愛してるんだね、」
紺青色の陶器のマグネットは、馨のもの。
そこには14年前の春の朝、馨が遺して行ったメモが挟まれている。
すこしセピア色になり始めたブルーブラックの筆跡のメモは、今も鮮やかに家族への想いを示す。
家族で夜桜を眺めるときココアと桜餅を3つ用意してほしい、そんな文章の他愛もない日常に籠めた馨の願いに、英二は微笑んだ。
「うん、愛してるよ?お父さんも二人を今も愛してるんだ、」
「だね?」
透明な目は優しい眼差しに笑ってくれる。
そしてキッチンスペースに光一は立つとガスのスイッチを入れてくれた。
「味噌汁温めて、冷蔵庫のをレンチンすれば良いんだね?こんなにしていくなんてさ、周太ってホント嫁さんだよね、」
嫁さん、そう明るく光一は言ってくれる。
けれど英二を恋愛感情で光一も見ているはず、それなのに辛くないのだろうか?
「光一、」
名前を呼んで腕を伸ばす。
けれど長身しなやかに躱して光一は微笑んだ。
「言ったよね?あのひとの気配があるところで俺は、あくまでアンザイレンパートナーだって。この家ではエロは全面禁止、いいね?」
―…あのひとが居れば俺は、おまえにとって二番目の恋人だろ?俺は一番じゃないと気が済まないし、あのひとを傷つけるのは嫌だね
周太の気配がある所では恋人ではいられない。何より俺は英二の唯一のアンザイレンパートナーだ、この関係を最優先してよね
昨日の朝、言ってくれた言葉を光一は守っている。
その想いを自分は忘れかけていた、ひとつ呼吸して英二は微笑んだ。
「ごめん、ありがとう。でもひとつ教えてくれる?」
「うん、なに?」
気軽に応えてガスを止め、味噌汁を椀に寄そってくれる。
その馴れた手つきを眺めながらレンジから惣菜をだし、英二は率直に尋ねた。
「光一は俺のこと、恋人って想ってくれてるだろ?それなのに周太が俺の嫁さんだって言うの、辛くないのか?」
「うん?別に辛くないね、」
からっと笑って底抜けに明るい目がこちら振向いてくれる。
可笑しそうに透明な目は笑んで、テノールの声は笑いだした。
「確かに俺は英二にべた惚れだね、でも嫁さんになりたいとは思わないね?俺はワガママで自由人だし、家庭を護るなんてガラじゃない、
親友で恋人なのは嬉しいけど、おまえの奥さんにはなりたくないね。アンザイレンパートナーとして一緒に山登っているのが幸せだよ?」
手際よく盆に汁椀を載せ、惣菜の皿も一緒に持つと運んでくれる。
きれいに配膳を整えながら光一は、悪戯っ子の貌で英二を見ると綺麗に笑ってくれた。
「俺にとって英二は唯一の恋人で『血の契』でアンザイレンパートナーだ、人生を一緒に楽しんでいく相手だよ?でも夫じゃないね。
俺たち似た者同士だから夫婦は無理だ、それに俺だっていつか女と結婚するからね。旧家の長男としてガキ作んなきゃないしさ?
だからね、俺からしたら英二が周太と結婚してくれんのは、いちばん幸せで嬉しいね。大好きなふたりが一緒に居てくれんだ、最高だろ?」
冷静に現実を大切にする、そんな強さが明るい。
こういう男が自分をアンザイレンパートナーとして、恋人で『血の契』の相手として唯ひとり選んでくれた。
それが男として誇らしくて、けれど雅樹への自責は微かに痛いまま英二は再び訊いた。
「本当に光一は、それが一番幸せ?」
「うん、だね、」
綺麗な笑顔みせて茶碗に飯をよそい、運んで膳に据える。
また可笑しそうに英二を見ると、白い指で額を小突き笑ってくれた。
「なあ?おまえってね、マジ考えすぎだよね?俺はこれでホントに良いんだよ、よく考えてみな?俺は周太とは違う、俺は俺だよ?
俺には俺の幸福ってモンがある、俺は英二と絶対に対等で同格のまんまいたいんだ。夫と妻だなんて役割分担も、俺には邪魔だね。
上司と部下とか先輩後輩とか、組織だと仕方ないけどさ?山ヤで男としては、お互い何の肩書も要らない。そうじゃなきゃ無粋だろ?」
本当に、その通りだ。
同じような体格で能力で、同じように夢を追いかけ戦うことが出来る。
そんな相手に何かの肩書を必要以上につけることは、無粋で、不要なことだろう。
そういう潔い単純さが良い、綺麗に笑って英二は頷いた。
「そうだな、俺も光一とは対等がいい。でもセックスするんなら、俺は受身は嫌だよ?」
「あー、そこだけは仕方ないんじゃない?おまえの意志は尊重するよ、だから初心な俺の覚悟も待ってね、」
からり明るく笑って光一は席に着いた。
英二も座り箸を持つと、ふたり食事を始めながらテノールの声が訊いてくれた。
「おまえ、何に悩んでるワケ?」
「え?」
汁椀を置いて、訊き返す。
意外な質問にザイルパートナーを見つめる、その視線に透明な目は笑ってくれた。
「この家に帰ってきてからね、なんか溜息が多いよ?おまえは無意識だろうけどね、」
「あ…、」
それは、父のこと。
そう解っている、けれど話して良いのか解らない。
解からないまま微笑んで、箸を運びながら英二はアンザイレンパートナーに笑った。
「ちょっと整理してから話したい、今は自分でもよく解からないんだ、」
「ふうん?」
こちらを見、焼茄子のお浸しに光一は箸をつけた。
英二も鯵の南蛮漬を口に入れると、香ばしいコクに出汁と酸味が旨い。
レンジで温めた煮物はすこし甘めな味付が疲れた体に優しい、汁椀も暖かく腹にしみる。
飯もタイマーで炊きたてにしてくれた、こんなふうに周太は不在でも食膳を豊かに整えてくれる。
こまやかに優しい気遣いの家庭的な周太、そんな婚約者が食事にすら恋しい。
―今ごろ周太、山小屋で何してるかな?
今日のフィールドワークは大学生と聴講生の混合で10人位と言っていた。
もちろん美代も一緒に参加している、だから心配は無いだろうと思う。
けれど、天然で集中力が高いあまりボンヤリしがちな周太だから、つい心配になる。
丹沢山頂からのメールが昼間に入っていたけれど、大丈夫だろうか?そう首傾げた英二に光一が笑ってくれた。
「今、周太からの連絡待ち?」
「あ、解かる?ごめんな、」
素直に笑って英二は夏野菜の寒天よせに箸をつけた。
冷たい喉ごしが食べやすい、いま食卓にある献立のどれもが作りおいて旨い料理になっている。
こういう配慮の優しさに微笑んだとき、携帯が振動した。
「光一、電話出ていい?」
そう訊いた向こうで、光一はもう携帯電話を開いていた。
「うん、周太んち。美代もおつかれ、そっちどう?」
美代からも同時に電話らしい。
たぶん同じ電波ポイントに2人でいるのだろう、そんな周太と美代は微笑ましい。
きっと今夜も仲良くお喋りを楽しむだろうな?微笑んで英二も携帯を開いた。
「おつかれさま、周太、」
「ん、英二こそ仕事、おつかれさまでした…あの、ごはん大丈夫?」
いつもより弾んだ声に、今日が楽しかったと解る。
それなのに自分たちの食事の心配してくれる、嬉しくて英二は綺麗に笑った。
「どれも旨いよ?いま美代さんも光一と電話してるだろ?」
「ん、今日は私が山から架けるんだって言ってね、すごく楽しそうだよ?」
可笑しそうに笑っている声が、周太も楽しくて仕方ない雰囲気でいる。
きっと美代と周太で同じ考えなのだろう、英二も楽しくなって笑いかけた。
「周太も今、山から俺に電話してるな?いつもと逆だけど、楽しいだろ?」
「ん、なんか楽しいね?いろんなブナ林も見たし…あ、蛭もいたけどね、大丈夫だったよ、」
「良かった、光一の対策が効いたんだな、」
「ん、他の人達も同じにしたから、俺たちのグループはみんな大丈夫…青木先生からね、光一と英二にお礼を伝えて下さいって」
山頂からの楽しげな空気が電話越しに伝わって、ほっと安堵が温かい。
いつも自分が山に立ち周太にメールや電話をする、その待つ側の気持ちが今、すこし理解できる。
―そういう意味でも良い機会だな、今夜
お互いの立場の想いを理解すること、それは共に生きるなら必要だろう。
今回のフィールドワーク山行は、周太と英二の2人にとって良かった。それは美代と光一も同じだろう。
幼いころから光一の山行帰りを待ち続けていた美代、それが今、初めて逆転している。
この姉弟のような幼馴染たちにとって今、どんな感慨があるのだろう?
そんな想いも廻らせかけたとき、電話の向こうから婚約者が訊いてくれた。
「英二、今夜はどれが一番おいしい?」
その質問、山頂でもしてくれるんだ?
こんな「いつもどおり」が嬉しい、笑って英二はいつもどおりに応えた。
「どれも旨いよ、周太が作ると何でも旨いな。でも今夜の一番は、牛肉のタタキかな?」
「ん、それ英二が好きだと思って作ったんだ、作り置きできるし…おふろも沸かしてね?」
ほら、山にいるのに周太はきちんと世話を焼いてくれる。
本当に奥さんみたい?嬉しくなって正直に英二は微笑んだ。
「うん、そうさせてもらうな。周太、ほんとに奥さんみたいだね?色々とありがとう、」
電話の向こう、気恥ずかしげに羞んでしまう。
きっと今頃は首筋がきれいに赤い、見たいなと思いながら笑ったとき、遠慮がちな声が微笑んだ。
「ん…だってそうなんでしょ?だからそうしてるだけ…あ、ビール冷えてるから飲んでね?おやすみなさい、英二、」
「ありがとう、周太。おやすみ、」
言葉の最後に、心のなかでキスを送ってしまう。
昔、当時の彼女に電話越しのキスをねだられたことはあったけれど、自分からしたいと想ったことは無かった。
けれど今は自分こそしたくなる相手がいる、その幸せに微笑んで電話を切ると、光一も同じよう携帯電話を閉じた。
「さて、お姫さまたちも無事だしね?俺たちも飯食ったら、やっちゃおっかね?」
明るくテノールが言って、白い手は箸を持った。
この後が自分たちにはある、英二も箸を取り直すとパートナーへと微笑んだ。
「今夜中にケリつけよう?冷蔵庫にビールあるから、0時前に呑まないとな、」
明日も光一は運転がある、だから早いうちに呑まないと拙いだろう。
そう笑った英二へと、底抜けに明るい目は愉しげに笑ってくれた。
「お、周太ってやっぱり気が利くね?イイね、俺こそ周太を嫁さんにしたいな、」
「ダメ、」
ひと言で綺麗な笑顔と断って、英二は箸を動かした。
(to be continued)
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第57話 鳴動act.6―side story「陽はまた昇る」
桜田門の空も、青い。
ビルの谷間に緑豊かな公園がある、その深緑に英二は入った。
木洩陽ゆらめく小路、すこし埃っぽい空気と光の明滅を辿っていく。
その先に樹林涼やかなベンチで、スーツ姿が転がっていた。
「国村、」
呼びかけて傍らに立つと白い手は動き、仰向けた顔の上から本を取った。
文庫本を手に起きあがり伸びをする、その底抜けに明るい目は楽しげに笑った。
「おはよ、宮田。今朝も美人だね、」
「お陰さまでな、待たせた?」
答えながら黒髪に付いた木の葉を取ってやる。
その手を嬉しそうに見上げながら、テノールの声は飄々と答えた。
「思ったより道路、空いていたからね。ま、ノンビリ朝寝出来て良かったよ」
ポケットに文庫本を入れて立ち上がると、白い両手は髪をざっくり掻き上げた。
その髪型がいつもと違って軽くセットされる、珍しい姿に英二は訊いてみた。
「今日は髪、セットしたんだ?」
「うん?まあね、スーツで公務だしさ、この方が貫禄出るだろ?」
からり笑って歩き出す横顔に、木洩陽ゆれて目を細める。
その容子は確かに大人びて、文学青年風の容貌が知的なエリートの空気を醸す。
秀麗な美貌に有能が映える、いま初めて見るパートナーの姿へと英二は率直な感想を述べた。
「似合うな、かっこいいよ?キャリアっぽいっていうか、本物のエリートって感じだな、」
「キャリアねえ?ま、俺は、ホンモノの美形で天才だからね。眼福だろ?」
すこし皮肉っぽく言いながらも眼差しは底抜けに明るい。
こんなことも明朗に言えてしまう光一が楽しくて、英二は笑いかけた。
「美形で天才って、おまえが言うと反論できないな、」
「だってホントのことだからね。変に謙遜したら、逆に嫌みだろ?」
飄々と笑いながら端正に長い脚が進んでいく。
いつも制服か登山ウェア、あとは農作業スタイルでいる光一の私服姿はカジュアルが多い。
精々が川崎の家を訪問する時にジャケットを着るくらいで、光一のスーツ姿はブラックスーツしか見たことが無かった。
だから今の馴染んだ着こなしが少し意外で、何げなく英二は訊いてみた。
「光一のスーツ姿って俺、喪服以外は初めて見るけど。着こなし巧いな、」
「あ、おまえ初めてだったっけ。まあ、こういう座学で講師の時は着るよね。あと、JA関係のめんどくさい会合とかさ」
―JAの会合、そうだ…光一は農家なのに異動したら
からり笑ってくれる答え「JAの会合」に、英二の甘さが引っ叩かれた。
兼業農家の警察官である光一は、後藤の肝煎りで地元に配属されて家業も営んでいる。
だから光一にとって第七機動隊に異動することは、もちろん田畑の管理に支障があるだろう。
そうした事情を自分は失念していた、配慮に欠けていた自責に英二は立ち止まり、頭を下げた。
「ごめん、光一。おまえの農業のこと、俺、ちゃんと考えてなかった。異動したら畑の管理とか困るのに、すまない、」
英二自身は農業を知らない、けれど周太と美幸が大切にする家庭菜園なら少し解かる。
家族だけの小さな菜園だけれど毎朝いつも美幸は手を入れて、周太も休日には作業を怠らない。
光一のよう家業で営むなら、もっと毎日の仕事が多いはずだろう。だから光一は業務の合間でも、朝や昼休みに実家へ帰る。
こういうパートナーの事情を考えていなかった、この迂闊さに唇噛んだ英二に、けれど光一は笑ってくれた。
「ソレくらいね、俺も警官になった時から考えてあるよ?いずれ異動はあったんだ、祖父さん達もまだ現役だしさ、心配いらないね、」
底抜けに明るい目が可笑しそうに笑って、向き合ってくれる。
そして白い指で英二の額を小突くと、温かい眼差しで笑ってくれた。
「でも気遣い嬉しいよ?ありがとね、英二、」
さらり呼んで笑ってくれる、その貌は明眸に美しい。
本当に美人だな?そう感心しながら英二も笑って、また並んで歩きだした。
「そっか、ありがとう。そういえば、資料とかは?」
「まだ車だよ、セッティングから一緒にやろうと思ってね。そのうち宮田も、講師やってもらうからね、」
話しながら公園を抜け通りに出、駐車場に入りトランクを開く。
登山ザックと書類ケースを出し携えると、ふたりエントランスを潜った。
ホールを横切っていく視界の端に自販機コーナーが映り、自分がした事を思い出させられる。
月曜の夜に自分が犯したこと、その結果がこの場所で起きた。この現実に英二は密やかに微笑んだ。
―あそこで署長は倒れたんだな
通り過ぎていく心がすこし重い、けれどそれ以上に肚は嗤ってしまう。
やっぱり思った通り新宿署長も暗示に罹りやすい、それは「50年の束縛」畸形連鎖の番人に共通する傾向だろう。
何げない言葉のコントロールに操られ易いからこそ「あの男」の手の内に収まっているのだから。
―そういう意味では俺も、あの男も、同じだ
そして多分もうひとり、似ている人間がいる。
そんな想いと歩いていく視界の自販機から、ひとつ人影が現われた。
―蒔田さん、
音の無い声が呼んで、呼吸が一瞬止められる。
この予測どおりの事態に微笑んで、英二は隣に声をかけた。
「国村、蒔田さんがいらっしゃるよ、」
「うん?ああ、やっぱりね、」
飄々と笑って光一も顔を向けると、ふたり立ち止まった。
向こうから長身のスーツ姿は歩み寄ってくれる、その姿へと室内の敬礼を向けた。
「おはようございます、」
「おはようございます、今日は講習会お願いしますね、」
気さくに挨拶しながら、英二の背負う登山ザックに目を止めた。
山ヤの警察官らしい実直な笑顔は、懐かしげに目を細め微笑んだ。
「私も山岳講習の助手をしたことがありました、後藤さんがボスでね、」
「あれ、俺と宮田と同じパターンなんですね?」
答えながら底抜けに明るい目が笑い、蒔田も楽しそうに頷いてくれる。
その明るい笑顔のままで蒔田は、英二と光一を真直ぐ見つめ提案した。
「講習会、今日は午前午後の2部ですが、明日は午前中で終わりでしたよね?明日は昼飯を一緒にいかがですか?」
やっぱり蒔田から、時間の提案がされた。
この目的は異動の件、それから「ココア」のことだろう。
そんな予想を見つめながら英二は上司とパートナーへ綺麗に笑いかけた。
「ありがとうございます。国村の予定は大丈夫?」
「うん、明日は夕方の巡回までに戻ればいいからね。蒔田さん、旨くて量の多い店ってありますか?」
いつもの調子で飄々とねだって、山っ子は亡父の旧友に微笑んだ。
その透明な眼差しに、かすかな「探索」を英二は見た。
家の玄関を開くと、どこか、がらんとした空気が出迎える。
今夜は周太も美幸も留守、いわゆる家族不在の寂しさが玄関ホールにもう出遭う。
―こんなこと、実家では思ったこと無かったな
心の溜息つぶやきながらスリッパを履いた隣、からり明るい声が言ってくれた。
「おふくろさんも周太もいない夜って、お初なんだろ?」
「うん、そうだよ。だからお母さん、寂しいだろうから、光一を呼べばって言ってくれたんだ、」
階段を昇りながら話す美幸の配慮に、今も温められていく。
この家に英二が初めて来たときから漸く一年、家族になる約束をしてから9ヶ月しか経っていない。
それでも実の息子同然に想ってくれていると、今回の留守番についても示してくれた。
―ありがとうございます、
心で感謝を想いながら、また父の俤が過ぎってしまう。
こういう彼女だからこそなのだと自分にも解る、けれど、どうしたら良いのか解からない。
そんな想い見つめながら書斎の前を通り過ぎ、客間の扉を英二は開いた。
「光一、今夜はこの部屋を使ってくれな?お母さんと周太が用意してくれたから、」
「お、良い部屋だね、ふうん?」
ランプを灯した部屋に入り、ぐるり光一は見渡した。
クラシックな木製のベッドに小振りな書棚、サイドテーブルとビロード張りの安楽椅子。
永く大切に遣ってきた調度品の優しい部屋、温かみある空気に今夜の客人も微笑んだ。
「この家のどこもそうだけどね、ここも優しくて温かい。この家の人たちの人柄がわかるね、」
言いながらベッドに置かれた籐籠に目を止めると、白い手を伸ばした。
タオル類と歯ブラシなどをセットされてある籠、その上に添えられたカードを光一は手にとり微笑んだ。
「へえ、ウェルカム・カードってやつだね?優しいな、おふくろさんも周太も、」
やわらかな笑顔に雪白の貌ほころばせ、英二にも見せてくれる。
きれいな白いカードに綴られた優しい言葉の2行、その筆跡の色に英二は微笑んだ。
「古典ブルーブラックだな、書斎の万年筆で書いてる、」
「だね、」
ちいさなカードに記される言葉の、インクの色彩。
この色に思い出すのは、銃痕えぐられ血に染まった古い手帳のページたち。
あの手帳に綴られたブルーブラックの筆跡は、この家の主だった男の苦悩と幸福だった。
―お父さん?今夜、ひとつケリをつけます、
馨が愛する妻と子の筆跡に祈りを見つめて、英二はカードを白い手に返した。
そして扉へと踵返しながら、アンザイレンパートナーに今夜の計画と微笑んだ。
「着替えたら飯食おう、周太いろいろ支度してくれたんだ。そうしたら仏間な、」
「うん、すぐ行く。周太の飯、楽しみだな、」
明るく笑って光一はジャケットを脱ぎ始めた。
その頼もしい背中に笑いかけて、そっと英二は扉を閉めた。
周太の部屋に入り、ルームランプを点けた空間はやはり広すぎる。
鞄を降ろして勉強机を見る、そこに活けられた白い花の甘い香に英二は寂しく微笑んだ。
「…周太、周太がいないと寂しいよ?」
この場所にいるときは周太が一緒にいる、それが当たり前になっている部屋。
3月の静養中はいない日もあった、それでも周太の母が家に居たから寂しさは紛れていた。
母と息子の、黒目がちの瞳と穏やかでも根が明るい雰囲気はよく似ていて、彼女を透して周太を感じられる。
あの優しい寛がす空気がいつも家にはある、それが無い今つい恋しくなってしまう。
そんな恋慕の感傷に浸りかけて、けれど今夜は時間が惜しい。
すぐにスーツのジャケットを脱ぐと英二は、作業の服へと着替え始めた。
Tシャツにデニムシャツを着、履いたミリタリーパンツのポケットへと道具をセットしていく。
食事が済んだらすぐ作業に入る、その支度を整え終えると作業後の着替と軍手を携えて、英二は階下に降りた。
軍手をポケットに入れて着替を浴室に置き、ダイニングの扉を開く。
テーブルの上には食器のセッティングにきちんとナプキンを掛けてくれてある。
今朝、出掛ける前に夕食の支度を周太はしてくれた、そんな心遣いに温もり見つめて英二は微笑んだ。
「ありがとう、周太?留守でも、ちゃんと居てくれるんだね…」
刺繍の美しい布を外し、台所に入る。そして冷蔵庫のメモスペースに英二は目を遣った。
きれいな陶器のマグネットが4つそこにある、そのうち周太用に挟まれたメモに笑いかけて、英二もペンを取った。
備え付けたメモ用紙を1枚とり、ペンを走らせる。それを自分用のマグネットに挟んだとき、扉が開いた。
「お待たせ、なに、メモ?」
「うん、今のうちに書いておこうと思って。この後は忙しいし、」
答えた英二の横から覗きこんで、底抜けに明るい目がメモに微笑んでくれる。
白い指でそっと紺青色のマグネットにふれて、透明なテノールが言ってくれた。
「これ、オヤジさんのメモをずっと取っておいてあるんだ?おふくろさんも周太も、本当に愛してるんだね、」
紺青色の陶器のマグネットは、馨のもの。
そこには14年前の春の朝、馨が遺して行ったメモが挟まれている。
すこしセピア色になり始めたブルーブラックの筆跡のメモは、今も鮮やかに家族への想いを示す。
家族で夜桜を眺めるときココアと桜餅を3つ用意してほしい、そんな文章の他愛もない日常に籠めた馨の願いに、英二は微笑んだ。
「うん、愛してるよ?お父さんも二人を今も愛してるんだ、」
「だね?」
透明な目は優しい眼差しに笑ってくれる。
そしてキッチンスペースに光一は立つとガスのスイッチを入れてくれた。
「味噌汁温めて、冷蔵庫のをレンチンすれば良いんだね?こんなにしていくなんてさ、周太ってホント嫁さんだよね、」
嫁さん、そう明るく光一は言ってくれる。
けれど英二を恋愛感情で光一も見ているはず、それなのに辛くないのだろうか?
「光一、」
名前を呼んで腕を伸ばす。
けれど長身しなやかに躱して光一は微笑んだ。
「言ったよね?あのひとの気配があるところで俺は、あくまでアンザイレンパートナーだって。この家ではエロは全面禁止、いいね?」
―…あのひとが居れば俺は、おまえにとって二番目の恋人だろ?俺は一番じゃないと気が済まないし、あのひとを傷つけるのは嫌だね
周太の気配がある所では恋人ではいられない。何より俺は英二の唯一のアンザイレンパートナーだ、この関係を最優先してよね
昨日の朝、言ってくれた言葉を光一は守っている。
その想いを自分は忘れかけていた、ひとつ呼吸して英二は微笑んだ。
「ごめん、ありがとう。でもひとつ教えてくれる?」
「うん、なに?」
気軽に応えてガスを止め、味噌汁を椀に寄そってくれる。
その馴れた手つきを眺めながらレンジから惣菜をだし、英二は率直に尋ねた。
「光一は俺のこと、恋人って想ってくれてるだろ?それなのに周太が俺の嫁さんだって言うの、辛くないのか?」
「うん?別に辛くないね、」
からっと笑って底抜けに明るい目がこちら振向いてくれる。
可笑しそうに透明な目は笑んで、テノールの声は笑いだした。
「確かに俺は英二にべた惚れだね、でも嫁さんになりたいとは思わないね?俺はワガママで自由人だし、家庭を護るなんてガラじゃない、
親友で恋人なのは嬉しいけど、おまえの奥さんにはなりたくないね。アンザイレンパートナーとして一緒に山登っているのが幸せだよ?」
手際よく盆に汁椀を載せ、惣菜の皿も一緒に持つと運んでくれる。
きれいに配膳を整えながら光一は、悪戯っ子の貌で英二を見ると綺麗に笑ってくれた。
「俺にとって英二は唯一の恋人で『血の契』でアンザイレンパートナーだ、人生を一緒に楽しんでいく相手だよ?でも夫じゃないね。
俺たち似た者同士だから夫婦は無理だ、それに俺だっていつか女と結婚するからね。旧家の長男としてガキ作んなきゃないしさ?
だからね、俺からしたら英二が周太と結婚してくれんのは、いちばん幸せで嬉しいね。大好きなふたりが一緒に居てくれんだ、最高だろ?」
冷静に現実を大切にする、そんな強さが明るい。
こういう男が自分をアンザイレンパートナーとして、恋人で『血の契』の相手として唯ひとり選んでくれた。
それが男として誇らしくて、けれど雅樹への自責は微かに痛いまま英二は再び訊いた。
「本当に光一は、それが一番幸せ?」
「うん、だね、」
綺麗な笑顔みせて茶碗に飯をよそい、運んで膳に据える。
また可笑しそうに英二を見ると、白い指で額を小突き笑ってくれた。
「なあ?おまえってね、マジ考えすぎだよね?俺はこれでホントに良いんだよ、よく考えてみな?俺は周太とは違う、俺は俺だよ?
俺には俺の幸福ってモンがある、俺は英二と絶対に対等で同格のまんまいたいんだ。夫と妻だなんて役割分担も、俺には邪魔だね。
上司と部下とか先輩後輩とか、組織だと仕方ないけどさ?山ヤで男としては、お互い何の肩書も要らない。そうじゃなきゃ無粋だろ?」
本当に、その通りだ。
同じような体格で能力で、同じように夢を追いかけ戦うことが出来る。
そんな相手に何かの肩書を必要以上につけることは、無粋で、不要なことだろう。
そういう潔い単純さが良い、綺麗に笑って英二は頷いた。
「そうだな、俺も光一とは対等がいい。でもセックスするんなら、俺は受身は嫌だよ?」
「あー、そこだけは仕方ないんじゃない?おまえの意志は尊重するよ、だから初心な俺の覚悟も待ってね、」
からり明るく笑って光一は席に着いた。
英二も座り箸を持つと、ふたり食事を始めながらテノールの声が訊いてくれた。
「おまえ、何に悩んでるワケ?」
「え?」
汁椀を置いて、訊き返す。
意外な質問にザイルパートナーを見つめる、その視線に透明な目は笑ってくれた。
「この家に帰ってきてからね、なんか溜息が多いよ?おまえは無意識だろうけどね、」
「あ…、」
それは、父のこと。
そう解っている、けれど話して良いのか解らない。
解からないまま微笑んで、箸を運びながら英二はアンザイレンパートナーに笑った。
「ちょっと整理してから話したい、今は自分でもよく解からないんだ、」
「ふうん?」
こちらを見、焼茄子のお浸しに光一は箸をつけた。
英二も鯵の南蛮漬を口に入れると、香ばしいコクに出汁と酸味が旨い。
レンジで温めた煮物はすこし甘めな味付が疲れた体に優しい、汁椀も暖かく腹にしみる。
飯もタイマーで炊きたてにしてくれた、こんなふうに周太は不在でも食膳を豊かに整えてくれる。
こまやかに優しい気遣いの家庭的な周太、そんな婚約者が食事にすら恋しい。
―今ごろ周太、山小屋で何してるかな?
今日のフィールドワークは大学生と聴講生の混合で10人位と言っていた。
もちろん美代も一緒に参加している、だから心配は無いだろうと思う。
けれど、天然で集中力が高いあまりボンヤリしがちな周太だから、つい心配になる。
丹沢山頂からのメールが昼間に入っていたけれど、大丈夫だろうか?そう首傾げた英二に光一が笑ってくれた。
「今、周太からの連絡待ち?」
「あ、解かる?ごめんな、」
素直に笑って英二は夏野菜の寒天よせに箸をつけた。
冷たい喉ごしが食べやすい、いま食卓にある献立のどれもが作りおいて旨い料理になっている。
こういう配慮の優しさに微笑んだとき、携帯が振動した。
「光一、電話出ていい?」
そう訊いた向こうで、光一はもう携帯電話を開いていた。
「うん、周太んち。美代もおつかれ、そっちどう?」
美代からも同時に電話らしい。
たぶん同じ電波ポイントに2人でいるのだろう、そんな周太と美代は微笑ましい。
きっと今夜も仲良くお喋りを楽しむだろうな?微笑んで英二も携帯を開いた。
「おつかれさま、周太、」
「ん、英二こそ仕事、おつかれさまでした…あの、ごはん大丈夫?」
いつもより弾んだ声に、今日が楽しかったと解る。
それなのに自分たちの食事の心配してくれる、嬉しくて英二は綺麗に笑った。
「どれも旨いよ?いま美代さんも光一と電話してるだろ?」
「ん、今日は私が山から架けるんだって言ってね、すごく楽しそうだよ?」
可笑しそうに笑っている声が、周太も楽しくて仕方ない雰囲気でいる。
きっと美代と周太で同じ考えなのだろう、英二も楽しくなって笑いかけた。
「周太も今、山から俺に電話してるな?いつもと逆だけど、楽しいだろ?」
「ん、なんか楽しいね?いろんなブナ林も見たし…あ、蛭もいたけどね、大丈夫だったよ、」
「良かった、光一の対策が効いたんだな、」
「ん、他の人達も同じにしたから、俺たちのグループはみんな大丈夫…青木先生からね、光一と英二にお礼を伝えて下さいって」
山頂からの楽しげな空気が電話越しに伝わって、ほっと安堵が温かい。
いつも自分が山に立ち周太にメールや電話をする、その待つ側の気持ちが今、すこし理解できる。
―そういう意味でも良い機会だな、今夜
お互いの立場の想いを理解すること、それは共に生きるなら必要だろう。
今回のフィールドワーク山行は、周太と英二の2人にとって良かった。それは美代と光一も同じだろう。
幼いころから光一の山行帰りを待ち続けていた美代、それが今、初めて逆転している。
この姉弟のような幼馴染たちにとって今、どんな感慨があるのだろう?
そんな想いも廻らせかけたとき、電話の向こうから婚約者が訊いてくれた。
「英二、今夜はどれが一番おいしい?」
その質問、山頂でもしてくれるんだ?
こんな「いつもどおり」が嬉しい、笑って英二はいつもどおりに応えた。
「どれも旨いよ、周太が作ると何でも旨いな。でも今夜の一番は、牛肉のタタキかな?」
「ん、それ英二が好きだと思って作ったんだ、作り置きできるし…おふろも沸かしてね?」
ほら、山にいるのに周太はきちんと世話を焼いてくれる。
本当に奥さんみたい?嬉しくなって正直に英二は微笑んだ。
「うん、そうさせてもらうな。周太、ほんとに奥さんみたいだね?色々とありがとう、」
電話の向こう、気恥ずかしげに羞んでしまう。
きっと今頃は首筋がきれいに赤い、見たいなと思いながら笑ったとき、遠慮がちな声が微笑んだ。
「ん…だってそうなんでしょ?だからそうしてるだけ…あ、ビール冷えてるから飲んでね?おやすみなさい、英二、」
「ありがとう、周太。おやすみ、」
言葉の最後に、心のなかでキスを送ってしまう。
昔、当時の彼女に電話越しのキスをねだられたことはあったけれど、自分からしたいと想ったことは無かった。
けれど今は自分こそしたくなる相手がいる、その幸せに微笑んで電話を切ると、光一も同じよう携帯電話を閉じた。
「さて、お姫さまたちも無事だしね?俺たちも飯食ったら、やっちゃおっかね?」
明るくテノールが言って、白い手は箸を持った。
この後が自分たちにはある、英二も箸を取り直すとパートナーへと微笑んだ。
「今夜中にケリつけよう?冷蔵庫にビールあるから、0時前に呑まないとな、」
明日も光一は運転がある、だから早いうちに呑まないと拙いだろう。
そう笑った英二へと、底抜けに明るい目は愉しげに笑ってくれた。
「お、周太ってやっぱり気が利くね?イイね、俺こそ周太を嫁さんにしたいな、」
「ダメ、」
ひと言で綺麗な笑顔と断って、英二は箸を動かした。
(to be continued)
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