萬文習作帖

山の青年医師の物語+警視庁山岳救助隊員ミステリー(陽はまた昇る宮田と湯原その後)ほか小説×写真×文学閑話

第63話 残照act.1―side story「陽はまた昇る」

2013-03-18 23:39:22 | 陽はまた昇るside story
途惑い、残していくものは 



第63話 残照act.1―side story「陽はまた昇る」

遅い午後の太陽、けれど8月は日が長い。

西日ふるガラス戸を時おり眺めながら向かうパソコンデスク、手許のペンに陽が射し込んだ。
画面にはデータ提出された登山計画書が写しだされて、そのチェックをしながらメモを執っていく。
いま英二の他は誰もいない駐在所をキータッチとペン先の音だけが響く、そんな静謐に来月のことが想われる。

―俺が異動したら御岳は二人だけになる、でも原さんも大分慣れたから大丈夫だろうけど、

思案しながら書類に意識を走らせ手はキーボードを敲いていく。
今も原は単独で御岳山から大岳山までの巡回に出ている、あと30分ほどで戻るだろう。
どちらの山も土曜日の今日は登山客が多い、その割に登山計画書が少ないのは気になってしまう。
夏休み期間だと初心者も多くて登山計画書の存在自体を知らないハイカーもいる、もっと周知の徹底が必要だろう。
明日の日曜は登山口での声掛けをしようか?そんな思案と書類整理の大半を終えたとき奥の扉から岩崎が出て来てくれた。

「すまんな宮田、奥にばっかりいて。すこし交替しよう、」

申し訳なさそうに笑いかけてくれる、その笑顔は少し疲れていても明るい。
いつもタフで優しい上司に微笑んで、パソコンの手を止めると英二は立ちあがった。

「ありがとうございます、でも俺は大丈夫ですよ?息子さんのおかげんはどうですか、」
「おかげで熱は下がったよ、今は眠ってる。ただの夏風邪らしいし、母親の留守で緊張もしたんだろう。いつも気を遣わせて悪いな、」

微笑んで教えてくれる顔が父親になる、そんな様子どおり岩崎の家庭は温かい。
まだ岩崎の息子は4歳、きっと具合が悪い時に大好きな父親がいることは嬉しいだろう。
そういう親子の時間は自分には少なかった、だからこそ岩崎には大切にしてほしくて英二は綺麗に笑った。

「大したこと何もしてないですよ、俺は。さっき差入でプリン頂いたんです、息子さんに持って行ってあげて下さい、」
「ありがとう、好きだから喜ぶよ、」

嬉しそうに笑ってくれる顔に、こちらも嬉しくなる。
冷蔵庫から3つ取出して袋に入れ手渡すと、受けとりながら岩崎が言ってくれた。

「そういえば宮田、そろそろ異動の挨拶を始めていいぞ?町の皆さんには世話になったろうし、御岳の剣道会にも言っておきたいだろう?」

異動まで後十日を切った、そんな日限に寂しさと喜びが綯い混ざる。
異動すれば光一と再びパートナーを組める、周太とも同じ七機の同僚になれる、それは素直に嬉しい。
けれど馴染んだ奥多摩の日常から離れることは寂しい、そんな想い素直に英二は微笑んだ。

「はい、そうさせて頂きます。剣道会の練習は行けてないですけど、皆さんには仲良くしてもらってますし、」
「宮田は忙しいからな、吉村先生のお手伝いもあるし。でも異動したら逆に少し時間出来るだろう、練習にも顔出させてもらうと良いよ、」
「はい、そうします。異動しても吉村先生のお手伝いには来ますし、ここにも顔出させて貰って良いですか?」
「もちろんだよ、大歓迎だ。国村も一緒に来るよう言ってくれな、」

笑顔で勧めてくれる声はいつものよう明るくて、すこし寂しさが滲んでくれる。
こんなふう惜しんで貰えることは嬉しい、その感謝と岩崎を奥へ見送って踵返すとガラス扉から笑顔が覗きこんだ。

「こんにちは、宮田くん、」

可愛らしい声に振り向くとブラウスにサブリナパンツ姿の美代が笑っている。
今日は土曜日で聴講の日だから大学の帰りだろう、その推察に懐かしい俤を見ながら英二は微笑んだ。

「こんにちは、美代さん。大学の帰り?」
「うん、さっきまで湯原くんと一緒でした、ごめんね?」

ちょっと自慢気に笑ってくれる、その雰囲気に周太への親愛が優しい。
きっと今日も大学で楽しい時間を周太と過ごした、そんな空気が本音すこし羨ましい。
なんだか嫉妬してるかな?そう自分に笑った前に美代は紙袋を1つ差し出してくれた。

「これね、いつもと同じでJAの試作品なんだけど。また感想を聴かせてほしいの、皆さんで食べてもらえる?」
「ありがとう、岩崎さん達も喜ぶよ、」

素直に受け取ると袋は持ち重りがする。
中身は何だろう?軽く首傾げると美代は教えてくれた。

「柚子のゼリーなの。常温保存が出来るタイプよ、でも冷やして食べてね?ポイントは3つの味が楽しめるとこです、」
「へえ、面白いな。美代さんの開発?」
「そうよ、ちょっと自信作、」

きれいな明るい瞳が楽しく笑って、どことなく周太と重ならす。
やっぱり二人は似ている部分がある、そこに寛ぎながら英二はずっと訊きたかった事を口にした。

「あのさ、美代さん。光一は女にも男にもモテる?」
「うん、モテるね、」

あっさり答えて美代は微笑んだ。
いま「男にも」と入れたのに頷かれてしまった、この意味に困ってくる。
自分で訊いたクセに困るなんて可笑しい、そう苦笑した前から美代が教えてくれた。

「光ちゃんって男だけど黙ってれば美人でしょ?でも喋ると気さくなとこが人気みたいで、小さい時から色んな人に告白されてるの。
でも断っちゃってばっかりよ、自分から好きにならないと駄目だって光ちゃんは言うのよ。だけどそんなひと、なかなか居ないみたいね?」

想っていた通りの答えを言われて、罪悪感と哀惜が傷みだす。
この通りなら光一はもう、誰とも寄添わずに生きてしまうだろう。
そんな未来予想に心裡ため息こぼれて、それでも英二は訊きたいことを続けた。

「美代さん、内山って覚えてる?いちど周太と会ってると思うけど、」
「うん、覚えてる。真面目で、根が素直そうな感じの人よね、」

なにげなく答えてくれる、その回答に確信が落ちてくる。
やはり内山は「根が素直」だと美代も見た、この評価はたぶん正解だろう。

―たぶん内山はあの男に利用されている、でも、どんな目的を持って?

内山を周太の同期に「させた」あの男の意志は何だろう?
その利用価値を意識の片隅に留めて、英二は会話に微笑んだ。

「そっか、内山って本当にそんな感じだよ。あいつ、美代さんによろしくって言ってたよ、」
「こちらこそよ、あ?」

気軽に答えて美代は軽く首傾げこんだ。
なにか想い出したのだろうか、その答えを待ってすぐ美代は教えてくれた。

「そういえば私、内山くんにも同じ質問されたね?国村さんってモテるんでしょうね、って。もしかして光ちゃんのこと好きなのかな、」

ほら、美代は人間の核心を突くのが巧い。
こんな油断ならない聡明が美代にはある、だから怜悧な光一とも姉弟のようつきあえる。
それは周太に対しても同じだろう、そんな美代だからこそつい嫉妬したくなる。

―もし周太が女の子と恋愛するなら美代さんだろな、花屋のひとは憧れって感じだし、

心のなか自分勝手に嫉妬を想いながら、今の解答に困る。
このまま黙ってやり過ごそうか?そう思案した向うから救助隊服姿が入口を潜った。

「原、戻りました。あ、」

すぐに精悍な瞳は美代を見つけて、日焼顔がすこし困りだす。
一見は仏頂面、けれど本当は照れ始めている原に、美代は気さくに笑いかけた。

「こんにちは、原さん。JAの試作品を差し入れさせて貰いました、また感想を聴かせてくださいね、」
「どうも、」

いつもの短い返答で会釈して、原はロッカーに入っていった。
その背中を見送って美代は可笑しそうに英二を見上げた。

「無口だけど面白そうな人ね、原さんって。光ちゃんとは正反対って雰囲気だけど、ちょっと似てるとこあるね?」

やっぱり美代は原にも真直ぐな視線を向けている。
そんな信頼ごと英二は美代に笑いかけた。

「うん、良いヤツだよ。だから美代さん、俺が異動した後も仲良くしてやってね?」
「え、」

小さく息呑んで、きれいな明るい目が大きくなる。
もう十日前だから話して良い、そう岩崎とさっき決めたよう英二は微笑んだ。

「9月の一日で光一と同じところに異動するんだ。その後も訓練とかで奥多摩には来るし、いつかまた青梅署に戻るけどね。今までありがとう、」

本当に色々、ありがとう。

そう感謝をこめて笑いかけて、けれど美代の貌が動かない。
こんな美代は初めて見る、すこし驚いて英二は美代の瞳を覗きこんだ。

「美代さん?大丈夫?」

呼びかけて、けれど応えないまま美代の瞳がゆらいだ。
そして明るい綺麗な目から雫ひとつ、あわい日焼けの頬へ零れて息呑んだ。

「…あ、」

ちいさな声が美代の唇もれて、そのままブラウス姿は踵返し出て行った。
開けられたままのガラス戸からは風ゆるやかに吹きこんで、足音は遠くなる。
すぐに遠ざかって消えてゆく、その靴音と空白を英二はただ見つめた。

―なんで美代さんが泣くんだ?

涙の理由が解らなくて、友人の消えた空間に途惑ってしまう、
あんなふうに美代が泣くなんて驚かされる、いったい美代はどうしたと言うのだろう?
ひとり駐在所に立ったまま見つめるガラス戸の向こう、繁れる森から風が水の香を運ぶ。
その涼やかな香と風にほっと溜息こぼし振り向くと、すこし笑った貌の原が制服姿で立っていた。

「おい、なに泣かしてんだよ?」

低くても透る声は気遣うよう、重苦しさを払うトーンで訊いてくれる。
その問いかけこそ自分が知りたくて、英二は困ったまま微笑んだ。

「岩崎さんから許可を頂いたので異動のこと話したんです、それだけなんですけど、」

本当にそれだけしか言ってない、なのになぜ美代が泣くことがあるのだろう?
この謎が解らなくて途惑ってしまう、そう首傾げた英二に精悍な瞳が困ったよう笑った。

「それだけだから泣いたんだろ?」
「え?」

どういう意味だろう?
そう見返した先で呆れたよう原は唇の端を上げ、休憩室を指さした。

「差入あるんだろ、」

それだけ言って踵返すと原は給湯室に入り、コップに水を汲んで向うの扉を開いた。
英二もパソコンを閉じると、冷蔵庫に美代の差入をしまって箱を出し麦茶を2つ注いで休憩室に座りこんだ。

「美代さんの差入は冷やしてからだそうなので、先にこっちからどうぞ、」
「ああ、」

頷いて原はプリンを黙々と食べだした、きっと巡回で腹が減っていたのだろう。
そんな雰囲気を眺めながら英二はスプーンを取らず、ただ麦茶のコップにだけ口付けた。
いま原の健啖を前にしているのに食欲が無い、こんな自分に途惑う。

―女の子に泣かれるの、慣れてたはずなんだけどな、

たぶん自分も空腹のはず、それなのに今は食べる気になれない。
こんな事は周太のこと以外では珍しい、初めて死体見分をした時でも食事が出来た自分なのに?
こんな自分に途惑いながら麦茶を啜る前、さっさと食べ終えた原は麦茶を一息に飲んで英二を見た。

「今の子は『しゅうた』じゃ無いよな?」

原には美代が男に見えるのだろうか?

そう質問が浮んでつい笑ってしまう、可笑しくて英二は笑い出した。
そんな英二に仏頂面も愛嬌の笑顔ほころばせて、一緒に笑いながら低い声は微笑んだ。

「あの子が泣く理由なんか解かりそうなモンなのにな?ホント意外に不器用だな、」
「じゃあ原さんには解るんですか?」

原のほうこそ不器用だろう、それどころか女性経験も1人しかいないのに?
それでも原は1人と深く付き合うタイプだから、自分に解らないことも解かるのだろうか?
それなら教えてほしくて見つめた向こう、不器用で寡黙な男は困ったよう笑った。

「宮田に惚れてるからだろ?」

ひと言でもストレート、だから余計に鼓動を突かれる。
いつも言葉少ないだけに一言が肚に重たい、その重量に英二は降参と微笑んだ。

「原さんにも解るんですね、そういうの、」
「毎日のよう見てたら解かる、」

ちょっと呆れた、そんな語調が無口にも笑っている。
空のコップを片手に遊ばせながら、原は率直に言ってくれた。

「宮田がココにいると色んな女が挨拶してくよな。宮田は誰でも挨拶は返すけどマトモに会話するのはあの子だけだ、仲良いんだろ?」

原はよく見ている、けれど普段は黙っているだけだ。
その観察眼は言葉と同じにストレートで的を射てくる、そして今も核心近くを指摘されて英二は微笑んだ。

「美代さんは国村の幼馴染で、周太の大事な友達なんです。だから俺も大事な友達だと思ってます、でもそれだけです、」

それだけ、あとは御岳の同じ剣道会に所属する仲間でしかない。
ただ「友達」としか自分は美代を想えない、けれど原は困ったよう微笑んだ。

「それだけでもデカいだろ?」

返された短い言葉に、真直ぐな指摘が堪える。
その通りだと本当は解かってしまう、つい唇を噛んだ英二に精悍な瞳は笑ってくれた。

「大事な友達なら逃げんなよ、」

さらり短い台詞は図星を突いて痛い、けれど実直な優しさが温かい。
そんな言葉をくれた本人はコップ2つと空の容器を手に提げ、立ち上がった。
そのまま給湯室に向かう背中がいつもより大きく見えて、もう少し話したい気持ちに英二は声かけた。

「原さん、今夜は飲みませんか?吉村先生のお手伝いの後になりますけど、」

酒を挟んで原と話してみたい。
先週のビバークでも酒と焚火で話せた、あの続きが出来たら良い。
そんな想いに笑いかけた向こう、1歳年上の先輩は振向いてくれた。

「いいぞ、藤岡も声かけるか?」
「はい、」

藤岡も誘って良い、そう原が思ってくれることは嬉しい。
自分が異動すれば藤岡と原は差し向かいになる、互いに酒を誘いあえたら良いだろう。
そう想うまま笑って英二も立ちあがると休憩室を片づけて、駐在所へと出た。







(to be continued)

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