通過
周太24歳3月
第83話 辞世 act.36-another,side story「陽はまた昇る」
これで、今は終わるのだろうか?
「湯原はそれで後悔しない?岩田さんをこのままで、」
穏やかな深い声が訊いてくれる、その視界ふる雪あわくなった。
けれど頬なぶる冷気さっきより低い、ただ凍える息白くうなずいた。
「はい、…でも箭野さんは?」
この先輩だって言いたいことがある、さっきも言っていた。
その想い解かるから見あげた隣、長身の制服姿は制帽の翳すこし笑った。
「俺は湯原に言われて頷けちゃったからな、生きるほうが苦しいって、」
制帽つばの翳で涼やかな瞳が微笑む、その深く想いどれだけあるのだろう?
そんな眼ざしは大きな掌の上、にぶく艶めく拳銃に溜息ついた。
「俺も両親が死んでから何度も想ってるんだ、生き残るのと死ぬのと、どっちが辛いんだろうなってさ。だから頷けるんだ、」
そうだ、このひとも親を亡くしている。
『俺、中1の時に事故に遭ってさ。そのとき両親が死んで、祖父さんに育ててもらったんだよ、』
夏の朝、通学の道そんな話をしてくれた。
あのときから尊敬している人は穏やかに微笑んだ。
「生き残った俺が人殺しなんかしてちゃだめだな、どんな理由でもさ?」
低く深い声そっと微笑んで銃身をにぎる。
もう撃つ意志はない、そんな貌に後ろ振りむいた。
「お母さんは?…このままで後悔しない?」
さっきから沈黙している母、だからこそ聴いてあげたい。
雪ふる駐車場の一隅、華奢なコート姿は静かに口開いた。
「後悔するかもしれないわね、私は…でも、周太が決めたならそれでいい、」
ほら、こんなふう託してくれる。
それだけ見守ってくれた瞳に笑いかけた。
「ありがとうお母さん、」
「ううん…お母さんこそありがとうよ?周太、」
白い貌そっと笑ってくれる。
まとめ髪ほつれた後れ毛きらきら光ふる、その黒目がちの瞳も光やどす。
きっと今も堪えさせている、そうわかるからただ微笑んで背中むけて、そして低い声が徹った。
「箭野さん、湯原たちを送ってくれますか?その拳銃は俺があずかります、」
淡々、落ちついた声が雪夜を徹る。
いつもと変わらない声に街燈のした影ふたつ佇む、どちらも制服姿の紺青ふかく沈む。
跪く影は髪つかまれ動かない、その傍ら立つ制帽の顔に問いかけた。
「伊達さんは後悔しませんか?このまま…班長のこと、」
このひとが納得するだろうか、このまま?
そんな疑問よぎって、けれど沈毅な声しずかに答えた。
「俺は後悔するような判断はしない、湯原もよく知ってるだろ?」
淡々いつもの声が応える、そのトーンいつものまま澱まない。
制帽の眼ざしも雪透かして静かで低い声また徹った。
「箭野さん、湯原は喘息の発作が出ています。冷えきって辛いはずです、早く送ってやってもらえませんか?その拳銃は証拠として出しておきます、」
静かで落ち着いた低い声、沈毅な生真面目な貌。
いつ変わらない明敏な警察官に隣が一歩ふみだした。
「わかった、でも送る前に岩田さんを連れて行かないと、」
「俺ひとりでも大丈夫です、湯原たちのほうが心配なのでお願いします、」
さくり、さくり、雪に歩く背中は白く凍える。
制服の肩もう紺色が黒く濡れて硬い、気がついて母にふりむいた。
「お母さん、寒いでしょ?ごめんね…っこほっ、」
「あ…周太こそ、」
華奢なコート姿ふみだして駆け寄ってくれる。
すぐ近づいた小さな顔は白く凍えて、きらめく涙の軌跡に抱きとめた。
「ごめんなさいお母さん、こんな寒いところで…ごめんなさい、っこほっ」
ごめんなさい、本当に僕は親不孝だ。
―ごめんねお父さん、お母さんにまでこんな想いさせて、
今きっと父も母を抱きしめたい。
そんな想いごと華奢な腕も抱きとめてくれる、その白く凍える肩が切ない。
ふるえる頬も冷えきっている、心配と抱きしめ歩きだした背後、声があがった。
「やめろ伊達っ!」
なにが起こった?
「っ、」
腕ほどき駆けだして、がくり膝くずれ落ちる。
思うよう体が動かない、それでも上げた視界に拳銃きらめいた。
「箭野さん、動いたら撃ちます、」
いつもの落着いた声は低く徹る、沈毅な瞳も変らない。
傍らの男つかんだ手も冷静で、そして拳銃かまえる右手に叫んだ。
「どうして伊達さんっ、」
どうして今更なぜ?
解からなくて見つめる雪の底、低い声しずかに笑った。
「どうしてって湯原、さっき言ったろ?俺はこの男だけは赦せない、」
雪のなか拳銃うごく、その左手つかむ頭部にふれる。
銃口ぴたり突きつけて制帽の微笑は言った。
「俺を逮捕してくれてかまわない、この男を撃った後ならそれでいい、」
なぜ?
「銃をおろせ伊達っ、俺はおまえを逮捕したくない!」
長身の制服姿が首をふる、その制帽から雪こぼれて落ちる。
紺色の背中かすかに震えて、けれど拳銃たずさえた微笑は言った。
「それは困ります、箭野さんに聴取されたいですから。俺の証言すべて公表してくれないと困るんだ、倉田さんの死を無駄にできません、」
証言、公表、そんな言葉たちに要求が解かる。
なにを求め拳銃をかまえるのか、その想い叫んだ。
「伊達さんっ、そんな方法で告発なんかダメだっ!」
さっき言っていた、だから今こんなことをしている。
そこにある気持ち誰より解かって、解かるからこそ止めたい。
「正義感の強いひとだったんでしょうっ、伊達さんを人殺しに追いこんだのは自分だって責めますよっクラタさんは!」
そんな人だと言ったのは伊達だ、それなら解からないはずない。
ただ願いごと立ちあがった雪の底、まっすぐ見つめて言った。
「クラタさんが内部告発しようとしたのは、こういうこと止めさせる為じゃないんですか?なのにパートナーの伊達さんがこんなこと、っごほっ、」
叫んで喉せりあげる、咳きこんだ先から低い声が徹った。
「パートナーだからこそだ湯原、倉田さんが内部告発を決めたのは俺がきっかけだからな。湯原も見たろ?俺の手首の傷、」
どういうことだろう?
問い見つめる雪風に沈毅な声は続けた。
「あれを最初に切ったとき倉田さんが手当して叱ってくれた、こんなこと終わりにしようって言って出かけて、その直後あのひとは死んだ、」
静かな声ごと風は冷徹なぶる。
小雪まう頬が凍える、耳が痛む、唇かすかに震え昇らす。
もう時間どれくらい経つのか?気温低下してゆく駐車場にしずかな声が言った。
「雪の夜にスリップ事故で死んだよ、雪国出身なのにな?前日にスタッドレス履き替えたばかりの車で、雪なれた人間が都心の雪レベルで変だろ?」
だから疑ったんだ、このひとは?
たどれる想い見つめる冷厳の底、制帽の翳で口もと哂った。
「疑わない方がおかしいだろ?でもこの男は何ひとつ調べなかった、だから犯人だって解かったよ、」
言われる通りだとしか言えない、自分だって疑うだろう。
それが大切なひとなら尚更だ、諦めきれない未練が向かわせてしまう。
「こほっ…きっと僕でも疑います、諦めきれないから…かなしいぶんだけ捜します、こんっごほっ」
諦めきれない哀しい、だから自分も今ここにいる。
こんな自分だから解かって苦しい呼吸から叫んだ。
「だから伊達さん殺さないでっ、終わりにしたかったクラタさんを裏切らないで!」
彼が何を最期に願ったのか?
その想いどうか気づいてほしい、こんなこともう止めて?
ただ願いごと見つめ叫んだ真中、沈毅な瞳すこし笑ってくれた。
「裏切る、か、湯原の言うとおりだな、」
穏やかな落着いた声がうなずく、ほら、いつもと変わらない。
いつものよう今も聴いて受けとめてほしくて、けれど沈毅な声しずかに言った。
「でも、生かして逮捕したところで正しく裁かれると思うか?内部で隠匿して終わりだ、今までと何も変わらない、」
そうはならない、なんて誰が言えるのだろう?
「湯原警部補の時もそうだ、こいつが殺したのに別の人間が犯人にされて人生ねじまげられたろ?こいつがさっき言ったように次の犠牲があるだけだ、」
淡々つむがれる言葉に反論できない、どうしたら止められるのだろう?
なにかあるはず、どうか思いついてほしい、ただ願いめぐらす先で箭野が口開いた。
「それでも止めろ伊達、倉田さんは即時射殺に反対してた人だぞ?今のお前の姿を見たら」
「だから俺で終わりにしたいんです、」
遮るよう言って動かない。
もう決めてしまった、そんな声に髪つかまれた男が息吐いた。
「そうだな…終わりにしたいな伊達?私も疲れた、」
白い吐息あわく乱れ髪こぼれる。
街燈の下やつれた顔は蒼白い、疲れ果てた時間にエンジン音かすかに響く。
病院の外は車も走るのだろう?タイヤチェーン雪くだく音が近づいて扉ばたり鳴った。
「そこまでにしなさい、あとは引受けます、」
この声、なぜここに?
(to be continued)
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