萬文習作帖

山の青年医師の物語+警視庁山岳救助隊員ミステリー(陽はまた昇る宮田と湯原その後)ほか小説×写真×文学閑話

第66話 光芒act.7―side story「陽はまた昇る」

2013-07-09 23:50:24 | 陽はまた昇るside story
秘密、彼岸の君に 



第66話 光芒act.7―side story「陽はまた昇る」

かすかな声の遠い廊下、拳ひとつ握りしめる。
この拳でこの扉敲いたなら何を知る?
ただ微笑んで英二はノックした。

こん、こん…

密やかな音に扉向うが振り向く、そして開錠音が鳴る。
音無く開かれた扉から穏やかな笑顔が現われて、黒目がちの瞳が見上げてくれた。

「こんばんわ、英二…どうぞ?」
「うん、」

頷いた自分の貌は今、笑っている?
そんな確認をするほど今が遠い、そんな自分の心が堪える。
だって今もう解ってしまう、こんな瞳で見上げられたなら自分には見える。

―周太、やっぱり今日だったんだな?今日もうSAT入隊テストの話が、

心が問いかけ声を呑む、この訊けない現実に涙は肚に墜ちる。
瞳あふれない分だけ涙は心映して熱い、その熱に灼かれる傷みすら声に出来ない。

特殊急襲部隊 Special Assault Team 通称SAT

あの場所に配属されたなら、エリートコースへの扉にもなる。
だからこそ選ばれたら名誉と言う、その志願者は毎年10名ほど栄誉に浴す。
けれどその涯にある軛と枷は軽くない、それは命から尊厳すら時に奪いさる。

『合法殺人』

法的殺人、Legal Murder、様々に呼ばれても「殺人」の現実は変らない。
法に護られた殺人、任務化された生殺与奪、それは罪の裁き受ける権利すら奪う果て無い罪悪。
永遠に贖罪のチャンスは訪れない、その絶望に自死した現実は幾人隠されているのだろう?

「英二、どうしたの?部屋に入らないの?」

声に瞳ひとつ瞬いて、意識が目の前に戻される。
つい竦んでいた脚に気づく、そんな本音に自分の臆病が哀しい。
もう目の前の人は覚悟している、そう微笑む黒目がちの瞳に英二は笑いかけた。

「ぼんやりしてごめん、周太に見惚れてた、」
「…そういうのはずかしいから廊下とかでいわないで?」

困り顔が見上げてくれる、そのトーンも前と同じに恥ずかしがりが可愛い。
そんな貌が嬉しくて、嬉しい分だけ泣きそうになりながら英二は部屋に入った。
静かに扉を閉めて空間が二人きりになる、この静謐に幸せを見つめて穏やかに笑いかけた。

「周太、今日は黒木さんの事ありがとうな?仕事以外に話す機会を作ってくれて、」

黒木の心を掴むこと、それは光一のセカンドである自分の責務でもある。
けれど一筋縄で墜ちる相手じゃない、そんな黒木は過去の周太と似てると会話から感じた。
そうした全てを把握して朝晩と食事に同席する機会を周太はくれた、その感謝に黒目がちの瞳が微笑んだ。

「ん、俺も黒木さんと話してみたかったから…大学の山岳部ってどんなところか聴きたかったの、お祖父さんも山岳部だったらしいんだ、」

いつもの穏かなトーンは優しい、こんなふう話してくれるようになって幾月だろう?
そう歳月を数えてまた泣きたい、まだ一年も恋人の時間は経っていないと気づかされて、そして自分の罪が痛い。

―どうして俺は気づけなかったんだ、周太はもう時間が無いかもしれないのに、なぜ、光一のことまで俺は、

後悔が、鼓動を廻って全身に涙が熱い。
もう泣けない涙、もう今は見せられない涙、その全ては自分が招いたこと。
いま目の前の人を見つめられる、けれど残り時間を想うほど泣きたくて泣けなくて英二は腕を伸ばした。

「…っ、」

涙を呑みこむ、その分だけ腕は強く求めて小柄な体を引寄せる。
もう涙あふれそうで見せたくなくて抱きしめた黒髪を掌に梳く、自分の貌を見られないように。
もう泣いてしまっているかもしれない?そう想うほど心は泣くまま抱きしめた懐で優しい声が微笑んだ。

「英二、そんなに抱きしめたら俺つぶれちゃうよ、英二は力持ちなんだから…もう少しゆるめて?俺は逃げたりしないから、」

言ってくれる言葉ひとつずつに、オレンジの香あまくて切ない。
この香に抱きしめる体の現実が迫る、それすら気づけず今日まで傷つけた全てを自分が負いたい。
そう願うけれど叶わないと解っている、叶わない分だけ罪の重みと愛しさを募らせるまま抱きしめ、贖罪に微笑んだ。

「ごめんな、周太、」

本当にごめん、何も出来なかった自分でごめん。

もっと早く救けたかった、もっと早く君の時間に気づきたかった。
もっと君だけを見つめていればよかった、君のために全てを懸ける約束を壊さなければよかった。
もっと君を笑顔に出来たはず、それなのに今もう逃したチャンスが幾つあるのか解らないほど後悔が軋んで、腕が解けない。

「ごめん、…ごめん周太、」

ごめん、それしか声に出来ない。

どんなに謝っても言葉だけじゃ償えない、けれど償う時間はどれだけあるの?
こんなに謝りたくて償いたくて君との時間がほしい、それだけが願いなのに叶うのか解らない。
もう迫ってしまう刻限は予想よりきっと速い、そんな時流に押し分けられて今、もう二人の間に秘密の隔て生まれている。

このままSAT隊員になれば、その日の居場所すら嘘を吐く義務が生まれる。
今日どこで食事をしたのか?そんな些細な日常すら嘘を吐かないといけない。
今日どこで誰と話したのか?その相手すら本当の名前を言えなくなる、そうして秘密が増えてゆく。

そんな秘密達の涯に馨が追い込まれ「殉職」した、その死を招いた真実を自分は見つけかけている、だから今、泣きたい。

「ん…謝らないで、英二?」

穏やかな声が微笑んで、そっと背中を抱きしめてくれる。
頬ふれる黒髪は爽やかな香が優しい、この香ごと自分の懐に唯ひとり留めたい。
そう願うけれど小柄な体は身じろいで、すこし離れると黒目がちの瞳が見上げ笑ってくれた。

「謝ってもらうようなこと何も無いと想うから、だから謝らないで…ね、英二?」

どうして君は、いつもそうなんだろう?
どうして自分を赦すと言ってしまえる?

「今は謝らせてよ、せめて、ごめんってだけは言わせて、周太、」

微笑んで願う先、黒目がちの瞳はただ穏やかに笑ってくれる。
その眼差しは今朝よりも勁い、澄みきった瞳は勇気ひとつ眩しい。
そして笑顔が綺麗になった、そんな貌にもう逃げられない覚悟を迫られて、泣きたい。

―でも泣かない、俺は富士で約束した、最高の山ヤの警察官と最高峰の神に約束した、

男なら護られるより戦うことを選ぶ、それは宮田こそ解かるだろう?
立派な男なら自分の意志を貫くことが本望だ、それを手伝ってやればいい。
周太くんの誇りと意志を壊したらいけない、たとえ結果が命を縮めることだとしても周太くんの選択なんだ、
それが周太くんの幸せなら仕方ない、

そう後藤に言われて自分は約束をした、周太の意志を妨げるような護り方はしないと決めた。
だから今日この瞬間は訪れた、その全てが周太には必要だと解っている、それでも自分の未練は止まない。
だからこそ最高峰に願った祈りを今も見つめて、大好きな手を取ると自分の左頬にふれさせて綺麗に笑いかけた。

「周太、最高峰の竜の祝福をあげるよ?傷痕は周太につけるの嫌だけど、祝福だけは受けとって?」

最高峰の雪崩が刻んだ、自分の頬の一閃の傷。
普段は見えなくとも熱を持つとき浮びあがる一閃の深紅あざやかな氷の爪痕。
この傷を周太は最高峰の祝福だと言祝いでくれた、だから自分は富士御中道で神に初めて祈った。

 自分の頬に爪痕を刻んだことが祝福ならば願いを聴いて下さい、
 どうか自分の生命を周太に分け与えて下さい、そして二人離れずに生きられる時間を下さい。
 一秒でも永く一緒に生きさせて下さい、雪崩の爪痕にくれた祝福を自分ではなく周太へ与えてほしい。

そんなふうに祈った場所は天地の境と呼ばれる場所だった。
あの場所から祈ったなら富士の神は聴いてくれる、そう信じて自分は母国最高峰へ祈った。
あれが初めてだった、神と言う存在に祈ったのはこれが初めてで、きっと唯一度の最後になる。

唯一度きりの願いなら神に祈ることも赦される、そう信じて祈り願う人に英二は精一杯で笑いかけた。

「俺の幸運も周太にあげる、だから俺の嫁さんに必ずなって?もう周太以外は無理だから、お願いだから俺と家族になってよ?」

もう一度、赦されるならもう一度だけ約束をさせてほしい。
今この時に約束しても叶うのか解らない、それでも祈るまま英二は涙を呑んで笑いかけた。

「家も庭ごと奥多摩に引越すよ、墓ごと皆も奥多摩に連れていく、お母さんも一緒に暮らして貰えるようにする、全部ちゃんと俺がする。
周太が大学院に通う学費とかも俺が出したい、周太の夢を俺が手伝いたいんだ、こんな俺だから困らせる事いっぱいあるだろうけど信じて?
俺は一生ずっと山ヤで警察官だから心配も沢山かけるけど、笑ってもらう努力はもっと沢山する、いつも絶対に無事に帰るから、信じてよ、」

信じてほしい、もう一度だけ。
もう今は時間が無い、それでも未来を信じるなら自分を信じてほしい。
どうか信じて約束をもう一度、そう願うまま祈り見つめて大好きな瞳に笑いかけた。

「もう二度と俺は周太を裏切らない、最高峰の神に懸けて誓うよ?だから俺の嫁さんになって下さい、俺と一緒に幸せになろう、」

きっと秘密がふたりを隔てる、そう解っているから約束をしたい。
唯ひとつ信じられる懸け橋を結びたい、ふたり未来の約束で心だけは離さないでいて?
そう願うまま見つめて笑いかけた真中で、黒目がちの瞳は綺麗に笑ってくれた。

「ん、一緒に幸せになろうね、英二…今すぐは無理でも、いつかきっと、」

ほら、君は「いつか」としか言えない。
そんな約束の刻限は「いつか」で解からない、それでも約束の橋は受けとってくれる。
七月のベンチで見つめあった約束を今ようやく本当に結べる、その想いごと英二は笑った。

「絶対の約束だよ、周太、」

名前を呼んで、見つめて額を近寄せる。
やわらかな黒髪ふれて熱ふれあう、重ねた額から体温は優しい。
いま互いに同じ瞬間を生きている、その喜びだけ見つめて英二はオレンジの香ごと唇を重ねた。

―周太、今日は幾つの飴を食べた?喘息は辛くないのか、訓練の後はうがいしたか、吸った埃は出来るだけ吐きだせたのか、発作は?

オレンジのど飴の香に問いかけが廻る、けれど一つも訊けない。
あの薬袋は今も周太の鞄にしまわれているだろう、そっと隠して誰にも秘密にしている。
そんな秘密を唯ひとり託した相手が羨ましくて、けれど彼を選んだ理由も気持ちも納得できる。

―雅人先生、どうか周太の体を支えて下さい。本当は俺が全部を支えたいけど、あなたしか今は頼れない、

オレンジのキスに願いを想い、遠い北西の空を想う。
まだ2晩めの別郷、それなのに奥多摩の空が懐かしくて堪らない。
こんなふう想ってしまうのはきっと時間ごと帰りたい所為、そんな想い微笑んでキス解いた真中で恋人は笑ってくれた。

「あのね、英二…俺ね、大学の研究生にならないかって言われたんだ。田嶋教授が大学に話してくれて、授業料も免除なの、」

告げてくれる笑顔がすこし赤いのはキスに恥ずかしがっている。
こんな恥ずかしがりが可愛くて幸せになってしまう、なにより告げてくれる言葉が嬉しくて訊いてみた。

「それって周太が優秀だからってことだろ、どういう経緯か聴かせてくれる?」
「ん…あのね、田嶋先生はお父さんの友達で、お祖父さんの教え子なの、」

ふたりベッドに腰掛けながら嬉しそうな声が教えてくれる。
その内容に光一からの電話がなぞられて、焦慮の記憶を想う隣で大切な人は話してくれた。

「まだ先生にはね、お父さんとお祖父さんのこと話してないの、遠慮されそうだから悪いなって思って…翻訳のお手伝いしてるから。
それを先生が気に入ってくれてね、俺が研究生になれるようにしてくれたの。翻訳のプロを雇うより学費免除の方が安いって言ってくれて。
農学部と文学部の両方で研究生でね、どっちの講義も出て良いの。でね、翻訳した時にお礼ってお祖父さんが書いた小説をくれたんだ、」

話してくれるオレンジの香は甘くて、けれど香の理由を知ってしまった今はもう、ほろ苦い。
そんな想い微笑んで聴く話には「鍵」が見え隠れする、そして夏の記憶からブルーブラックの筆跡が心映る。

“Confession” 

祖母の顕子へと晉が贈った著作には、そう記されていた。
ただ一語、けれど一人の男の願いも祈りも時間を越えて自分を誘う。
あの言葉は自分に向けられた言葉、そんなふう今この時にこそ想えてならない。

Confession、その意味は告解、または懺悔と有罪の自白。










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