
今日のミニチュアは、更に小さいほうのもの。
「元禄太夫」と、名前が入っていました。ん~~まちがってはいませんが、
これはちょっと後ろの「髱(たぼ)」の部分がばらけたといいますか、少し緩んでます。
カタチで言うと、もう少しふくらみの少ない、どちらかというと細長いめのたぼが主流。
ちょっと修正してみました。こちらの方がバランスがいいかなと思います。
もちろん、こういうものは「変化するのにかかる時間」がありますし、これは違う、というわけではありませんが、
「特徴的」に捉えるなら、長くて反りのある髱の方が自然かなと思います。
元々最初のころの「唐輪髷」くらいだと、鬢も髱もふくらみは少ないです。
その後はっきりと「女髷」として結うようになると、鬢よりも髱のうしろへの突き出しの方が大きくなっていきます。
「鶺鴒髱(せきれいづと)」とよばれる、鶺鴒の尻尾ほど長く後ろにのびあがったものが好まれました。
その後、鬢の方が張るようになっていくので、これはその過渡期だと思われます。
「太夫」ですから、当然遊女の髷ですが、まだまだかんざしの数も少なくジミめです。
私はこの、後ろにピンと立つ髷が結構すきなんですが、面長でないとゼッタイ似合わない髪型、
もし地毛で結うことがあっても、これは結えませんねぇ。
女性が髪を結うようになったのは、やはり大陸からの「お持ち帰り」で、
奈良時代は大陸風の髷、平安のころになると、逆に女性は結わなくなり、長く伸ばす「垂髪」が中心。
働く女性は一つに縛りましたが、さらしで包んだり結んだ先を袋に入れたりと工夫し、
短く切ることはありませんでした。
貴人の女性たちは普段は垂髪、儀式の時は「おすべらかし」、お雛様のスタイルですね。
いずれにしても、昔にさかのぼるほど、女性の髪は黒くて長いのが「美人」の証し、でした。
それでも、当時から「かもじ」はありました。そもそも「かもじ」というのは「髢」と書きますが、
元々は「女房言葉」、あの「遠まわしに言うために、下に文字という字をつけていう」です。
「杓子」を「しゃ、と呼ばれるもの」で「しゃもじ」、「お眼にかかること」だから「おめもじ」…の類です。
つまり「髪につけるもの」で「かもじ」ですね。まんま「髪文字」とあてることもあります。
普段はともかく、おすべらかしに結った後、後ろで一つに纏めた髪の先に、更に長く髢をつけました。
このあと、室町時代ころから、女性は再び髪を結い始めますが、
最初はやはり唐風、また男性の髷を模した感じで、髷そのものも小さく、かんざしなども少なくジミ目でした。
日本髪は肩より少し長ければ結えますが、ある程度は長いにこしたことはない、と同時にたっぷりしていた方がいい。
江戸時代、高々と結い上げ、膨らましたっぷりと見せるためには「あんこ」も「かもじ」も使いました。
当時のかもじ用の髪などは、遺体から切り取ることを商売とする人もいましたし、
「梳き髪買い」といって、毎日髪をとかすと抜ける髪をためて取っておくと、それを買う商売の人もいました。
髪としてまとまらないものは「あんこ」になったわけですね。このあんこ「シャグマ」とか「シャゴマ」と呼ばれます。
近代に入ると「ヤクの毛」などが使われましたが、今では化繊のもしゃもしゃ、
美容院で「梳き毛」といわれてますが、あれを入れるとかゆいんですよぉ。
10代のころは、毎年大晦日に「新日本髪」を結っていましたが、三日目くらいにはかんざしでガシガシ掻いても
痒くて痒くて「もぉぉぉぉいやっ!」と崩すのが定例?でした。
日本髪を結うときは「まず部分に分ける」から始まります。今風に言うと「櫛目をつけてブロックにわける」です。
前髪・左右の鬢(びん)、髷を作る部分は「根」といいます。テッペン部分ですね。そして髱(たぼ)の五つに分けます。
そこから結う髪型によって、鬢(びん)、髷(まげ)、髱(たぼ)になるところをあれこれいじっていくわけですが、
いずれもカタチを整えながら、かもじや毛たぼをたしていきます。
こちらに途中からですが、実際の写真があります。ページに直接飛べないので、
髪の毛というものは、健康であれば伸びてゆきます。それは「生きている命の証し」であり「長寿」にも結びつく…
ということで、髪もまた長い方がよかったわけです。ましてアタマをつつむものですからねぇ。
では男は…男だって、今から比べれば、みんな髷を結うだけの長さをずっと続けてきたわけですね。
時代劇で、侍の髷を切り落とす…なんて場面があります。
武士にとって髷を切られることは、首をとられることと同じくらい屈辱的なことでした。
元々武士の髷は、真ん中ツルツルの月代(さかやき)があり、その後の上で髪を纏めて元結でしめて残りを頭に乗せる…
月代は兜をかぶるときの滑り止めと通気のため。だからいざというときは元結を切ればいいわけです。
だから武士は、たとえ戦のない世の中でも毎朝月代をきれいに剃り上げ、きちんと元結で髪を纏め、
いつでも兜を被れる準備をしていたわけです。それができなくなるということは、武士としての屈辱だったのですね。
男にとっても女にとっても、時代時代で、その意味するところに変遷はあっても、
大切なものであることに変わりはなかったわけです。
こちらは「日本髪の結い方」のDVDです。
一応持ってはいるのですが、これを見るためには、ケータイでPWをゲットして…というややこしい手順を踏んで
パソコンで見られるようにしなきゃならない…ので、いまだに見ていないというアリサマ…。ちなみに525円です。
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江戸時代ですと、まぁ月に2~3回です。
シャンプーがありませんから、ふのりや米の研ぎ汁を使いました。
ひねればお湯が出るわけではありませんから「水」…。
今では考えられませんね。
着物をおいかけてくと、髪のことも…だったんですよ。
かもじ、シャグマ不足、なるほど。
昔はそれこそ「はいて捨てるほど」だったのかもですね。
今なら私、カットしたのとってありますから、「自前シャグマ」で…?!。
今のあのてんこ盛り、つぶしてみたい…。
この10年は、肩甲骨の下より短くしたことがありません。
十分結える長さだと思いますが、なんせ染めないと…。
以前の写真は、たぶん「成人の年」のもの。
後はいたずらお絵かきです。
結いたいと思いますねぇ。こぶりの丸髷。
昔は、母親たちがなにかあると「アップ」…でしたよね。
スプレーの匂いプンプンさせて、触るとバリバリで。
私もずっと自分でなんとかしちゃって、美容院で結ってません。
長いとなんとかなるものですが、ショートにもあこがれます。
若いころはジャマにしながら、カーラー毎晩まいてましたっけねぇ。
日本人の体格は戦後飛躍的に伸びていますが、
江戸時代の平均身長は男性でも150そこそこです。
時代時代で「美」の定義も違いますし、
写実的な絵や彫刻は、時代が下がらないとありませんが、
今の日本人の顔つきとは、少しは違うかもしれませんね。
犬は人間が誕生する前からいますが、
日本には「縄文犬、弥生犬」と呼ばれる犬がいました。遺骨がでているそうです。
ヒトもまた太古の昔大陸から渡ってきたのでしょうから一緒にきたのでしょうね。
狆は「ちんくしゃ」といわれるように、鼻筋が短い犬種ですが、
今はそういう種類の祖先はチベット原産と知られています。
彼らが海を渡ってきたのは、奈良時代とかそれより前とか…。
身分の高い人への贈答品でしたから、縄文犬とは「育ち」が違うわけですね。
あらかたの日本犬と呼ばれる種類は、柴系のカオです。甲斐犬とか秋田犬とか…。
江戸、明治で狆は大人気でしたから、帯の柄にもよく使われていますよね。
ズーラシアが近いので、たまにパンフなどもらいますが
ヤブイヌって、マレーグマっぽいとんがり鼻ですよね。
一度見に行きたいと思っています。
着物については勿論、髪形についても細かいところまで・・・いつもありがとうございます。
某所で書かれたいたのですが、今、かもじ(しゃぐま)が不足しているんだそうです。
使った後の物を捨てずに再利用してください、と・・・・
それだけあんこを入れて髪を結う人が減っているのでしょうねぇ。
今時の盛り髪だとあんこより付け毛ですし。
ここでは常に貴重品ですから、出した後は美容師に戻してました。
今でも日本髪を結えるのでは?
以前にとんぼさんの日本髪を見た気がします。
今日の髪型なら現代でも似合う人が居るのではと思いますが。
辛抱すれば、ちょっと恥ずかしいくらいで。
辛抱する必要はありませんが、流行ると楽しいでしょうね。
いうと、たぼをいっぱい入れて膨らませて
くれましたね。
アップにしたのは10年前、髪も伸ばして
いるといろんな髪型楽しめるんですけどね。
今じゃ巻くのも困るほど短いです。
この髪型、舞台なんかで似た感じのを見ますけど、ここまでちゃんとした形に結ってあるのは多分見たことがありません。
昔の日本人はほんとに華奢で小さくて、昭和の初期の時代劇なんかだと皆まだ背が小さくて、かすかにその時代ってこんな感じだったのかなあと思います。
タイムスリップしたらどう見えるんだろう?
引き目鉤鼻の絵巻より、外人が「日本人てこんなんでしたぜ!」って描いた絵の方が似てると思ってしまうかも。。。
どうでもいいですけど、京都の動物園で飼われてる東南アジアから来たらしい「ヤブイヌ」すごい既視感あるんですけど。。。
平安時代の犬は、絵巻とかだと今と変わらないので、(あとはお犬様の狆とかですよね)多分思い違いなんだろうけど、、、