ほばーりんぐ・とと

ただの着物好きとんぼ、ウンチク・ズッコケ・着付けにコーデ、
あちこち飛んで勝手な思いを綴っています。

編む と 織る 

2014-01-26 22:34:41 | 着物・古布

 

このところすっかりとまっているカテゴリー「きものばなし」、すみません。書きかけばかりたまっています。

とりあえず、「織るということその1」では、布が織られ始めてからのことを書きました。

2年も前の記事でして…今回はその前の「織ること」そのもののナゾといいますか、そんなお話しです。

あ、「きものばなし」は続ける気持ちでいますので、お見捨てなきようお願いします。

 

さて…「編むと織る、について書きかけている」といった記事を引っ張り出しまして、

今こうして添削を始めています。とりあえず、昨日書いたところまでは削除…。

内容が内容なので、昨日と同じことを書いている部分もありますが、

あれこれ付け足したり削ったりしながら進めます。

トップ写真は「おもちゃ織機」の部分拡大。経糸が、1本おきに上下に分けられているところ。

 

過日、興味深い記述を発見しまして、それを読みました。長くなるのでまたしても要点のみですが…。

ある展示解説書、なのですが、この解説書は、いろいろな考古学者の研究の結果をまとめて

編む織るということの変遷を、わかりやすく説明しているもの…ですかね。

考古学ですから「確定要素」のないことも多く、あくまで「と思われる」というお話しが多いのですが…。

 

この解説書によれば、縄文のかなり古い時代から弥生まで、

昨日書きました「土器の底に網代のあと」がみられるのだそうです。

材料は何かと考えたとき、金属や化石のように現存している原材料はない…けれど、

土器を作るのに(縄文はロクロは使いませんので)底を安定させるために敷いたものであろうから、

それについた跡から、竹とか草とか、そういうものではなかったか、ということだそうです。

その網目が粘土に押し付けられて残ったわけです。

さて、この「網代」は「編む」わけですが、こういう技術が「布を織る」というところまで、

どうたどり着いたか、この間のことを考古学的立場でかかれたものが、その記述でした。

この解説書では「編む」と「織る」のほかに「編み組む」という表現が使われています。

 

やわらかい素材で編む、織るということは、その目が詰んでいれば布ができることを意味します。

では最初の布はどう作られたのか…この記述の中に「編布(あんぎん)」というものがでてきます。

文字通り「編んだ布」です。

一般的に「織機(しょっき)」の歴史を調べると、この場合の「編布」について、

これが織物の最初」という記述が多く見られます。

なんで「編む」のが「織る」になるか…ここがややこしいところなのですが、

織機の歴史を見ると「垂直織機」と「水平織機」というのが出てきます。

これは「経糸」の状態を言うのですが、

「垂直織機」は例えば長い棒に経糸をたくさん結びつけて、木と木の間に、

暖簾のようにかければこれで原型はできます。

今でも中近東のじゅうたん製作は、垂直織機の原理でつくられているそうです。

「水平織機」は、経糸を寝かせたもの、今の機織のカタチです。

この経糸の間を交互になるように緯糸を動かして通していくと、布ができるるわけですね。

 

では「編布、あんぎん」は?

経糸は「立った状態になっていて、動かすのは経糸のほう」…えっちょっと待ってよ…。

実はこれが「編布(あんぎん)」と呼ばれるものです。

でも私が読んだこの解説書には、これは、捩り織りの基本と同じなので、厳密には編んでいるのではない…。

「捩り織り」については、きものばなしの「織るということ 5」で、織り目を図で描いています。

要するにこんな風に糸がもじられていくよ…なのですが、これは技術がすすんで、

複雑な模様を織りだせるようになっての話。その原型と言えるのが「編布」というわけです。

 

布の歴史としては、おおざっぱに「縄文は編布・弥生は機織」と分けている記述が多いです。

元々「ハタオリ」というのは、絹が入ってきて、絹の布を織るためのもの、なわけで、

それはつまりは「貧富や貴賎」の差がでてきているということですね。

やがて、絹でなくても織れるじゃん、で麻も織るようになったりして、

人々は原始的な編布から織り布にと、クォリティを高めていったのだと思います。

 

なんかすごい難しいことを書いてるみたいですが、実はこの「編布」の作り方は、

あの「すだれ」や「ムシロ」の作り方と同じです。だから「編む」というのですが、

すだれの作り方、ご存知ですか?簡単に言うと、こんなカタチ。

枠の中に、スダレの材料「葦」を1本ずつ横に寝かせます。

すみません、図の中の字のマチガイにきがつきませんで、

「こま槌」ではなく「こも槌」、この「こも槌」というのは、いわば「糸巻き」です。

こも槌に巻き取ってある麻ひもなどを、葦を1本載せるたびに、

手前のを向こう、向こうのを手前、とクロスしてひもで葦を縛るカンジ、

終わったら次の葦を載せて、またこも槌をあっちとこっち…これの繰り返しですね。

これで葦が順々につなげられていくわけです。

 

    

 

ムシロは、この「葦」が、藁にかわり、こも槌がすだれの麻ひもよりもっとすきまをつめて、

たくさん並ぶわけです。

これを糸でやったら…つまりは「布」になるわけですね。これが「編布」ということです。

 

今の時代は、機織りの時、まっすぐ張って動かさないほうの糸を経糸、として考えます。

上下には動きますが…。

だとすると「垂直織機」というのは、経糸が縦に垂直にぶら下がっている、

そこに緯糸を交互にくぐらせていく…です。 

スダレはこれに当てはめてみると、緯糸に当たるものが「葦」ってことに…あらら?

経糸が動いて、緯糸は動かないじゃありませんか…ムシロもそうですね。

だから学者様は「もじり織と絡み方は同じだけど、織っているのではなく、編んでいる」で「編布」…。

わかりづらいですねぇ、そんなこと、どっちでもいいよぉと思うのではありますが…

このすだれを作る絵を90度傾けてみます。よっこいしょ…。

こうすると、立っている葦が経糸で、組むための麻ひもが緯に見えてきませんか?

        

動かない「葦」が経糸で、止めつける紐が緯。これで例えば布を作ったとしたら、

実は今言うところの「反幅」はいくらでも伸ばせることになり、代わりに長さはスダレの場合の葦の長さです。

このまま葦の長さにあたる部分に、5メートルの糸をかけ、

横はいくらでも長く作ったら、縫い合わさなくても横断幕ができちゃいますね。

もちろん、設備的なことや材料を考えたら、昔はムリですが…。

 

こうしてみると、専門家ではない私からすると、織るということは、

要するに経糸を「動かないもの」として考えて、どこに何を当てはめるか…だなと。

 

はにわとして出土したものの中に、機織をしている姿、というのがあります。

原始機といわれるものですが、よく資料館などでお人形として作られているのがこちら。

あっイラストというには余りにもオソマツですみません、要するに「カタチ」だけご理解ください。

黒柳徹子さんは「黒船を見た」といわれていますが、とんぼは弥生のころから機織してたわけ?

 

      

 

こういうカタチなので、このころから布幅はそれを織る女性の肩幅くらい…といわれています。

もちろん、がんばればもっと広いものも織れたのでしょうけれど、

一番作りやすい状況で作るのが、結局は効率もよく、早く織れたでしょうから。

 

これより前のもう少し原始的なものは、ハニワとして出土したものの中にみられるそうですが、

イラストのように杭に紐をつけて引っ張るのではなく、経糸をまきつけた板を、

伸ばした自分の足で押すようにして織る…というカタチです。きっと疲れたでしょうね。

この上のイラストの織り方は、今でもペルーなどで似たような形で行なわれています。

原理が同じということは、何千年経とうと、それが人の体を全部使おうと、機械が全部やろうと、

できることは同じというわけです。

 

まぁ正直なところ、私のような素人には、そんなこたぁどっちでもいいじゃん、なのですが、

要するに、どっちが縦でも横でもいいけれど、糸を直角にいろいろな組み合わせ方で絡ませると

それが面積を持つ「布」というものになる…この事実事象を太古の昔から、

「どうしたらそうなるか」「どうしたら長くできるか」「どうしたら薄いものが」「どうしたら丈夫なものが」と

あらゆることを考えて工夫したことが、今の「服飾文化」になり、

日本においては、着物はその集大成だ、と思うということです。

専門家は、細かいことを調べて定義づけをするわけですから、

ここが違うからこれは「織り」ではないとか、いや「編み」だろう…そういうややこしいことになりますが、

私が知りたかったのは、人はどうやって「糸から布を作ること」を思いついたのか…ただそれだけです。

 

英語では「織る」は「weave」、「編む」は「knit」。

でも、英語は一つの単語でいろんな意味を持たせて使いますから、日本語よりさらに「あいまい」になります。

実際には編むでも織るでもいいのですが、糸の送り方、使い方が違うだけで、

糸を「面積のあるもの」にしていく方法がわかれ、出来上がるものの状態も違い、使われる目的も違ってきた…

そういうことって、元々何もないところから、世界中の先人たちが試行錯誤のうえで作り出してくれたものです。

何千本も糸があったとしても、それを縦に並べて、その上に何千本もの糸を横に乗せても「布」にはなりません。

それを思うと、今私たちはとてもとても「ありがたい世界」にくらしているのだ、と思うわけです。

ますますハギレが…捨てられなくなりますわ。

というわけで、わかったようなわからないような、中途半端考察は、これで終わります。

で、結局スダレは「編む」でいいのね。いいんだってば!


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6 コメント

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Unknown ()
2014-01-26 22:57:32
はぁ
へぇ~
ほぉ・・・・

と 理解出来た様な 出来ない様な・・・

結局のところ
簾は編む 端切れは捨てられない ですね
返信する
Unknown (陽花)
2014-01-27 14:18:12
組紐ワークショップで何度も習いましたが、右から
左にすぐ抜けていきます。
編物はおおむね1本の糸をループを作りながら
繋げて組織をつくるもの、織物は経糸、緯糸で構成
されるもの、組物は3本以上の糸または繊維束を
すでに組み上がっている方向とは逆の方向へ斜めに
交差して作るものでありテキスタイル技術のひとつ
だとお聞きしましたが、ややこしいですよね。

子供の頃、この道具でムシロかこもか分かりませんが
伯父がしていたのを見た事があります。
返信する
Unknown (とんぼ)
2014-01-27 18:54:08
惠様

結局~~…そういうことです。
返信する
Unknown (とんぼ)
2014-01-27 18:58:26
陽花様

何か作り出した時に、これは何々である、と決まって、
それがそのまま伝わればいいのですが、
結局、後の人があれこれ考えて、
いろいろ考察する…それでゴチャゴチャになるんですね。

ムシロ編みはイナカで一度だけ見たことがありますが、
記憶のかなたに消え去り、道具の形も覚えていません。
今更ながらに、母の実家が家を建て替えたとき、
私が今の年だったら、片っ端から、
道具類を持ち帰ったろうにと、惜しんでいます。
返信する
Unknown (柾女)
2014-01-28 07:10:43
”越後あんぎん織”というのを、聞いたことがありました。

織物のルーツだったんですね。

「経糸を横に90度回転すれば反物になる」という知恵も、

越後の人たちが、縄文時代から雪深い冬にあれこれ工夫していた様子が浮かびます。

とんぼさんの記事は、インターネットで知る単なる情報を

”生活の知恵”として活き活きと伝えてくれる私にとって大切な塾です。





返信する
Unknown (とんぼ)
2014-01-28 20:08:50
柾女様

そのように言っていただいて、恥ずかしいけど
とても嬉しくてありがたいです。

今当たり前に使っているものも、それを考えた人がいる…と
ついそんなことを考えます。
今よりずっと不便だった昔、工夫する力は、
いまのひとより、ずっと大きかったのでは…と、
そんなことも思います。
せめてあるものは大切に…なんて気持ちも、
こんなことから生まれたのかもです。
返信する

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