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ほばーりんぐ・とと

ただの着物好きとんぼ、ウンチク・ズッコケ・着付けにコーデ、
あちこち飛んで勝手な思いを綴っています。

粋な男物じゅばん

2008-04-22 19:26:12 | 着物・古布
まずは、昨日はたくさんのお祝いの言葉、ありがとうございました。
とんぼ、またこの一年がんばってとびまーす!

ものは平織りの優しい絹です。シュルシュルと気持ちのいいすべり…。
柄はご覧のとおり「二八そば」の屋台とちょうちんですね。
とても細かいところまで描いてあります。
床机の上には緋毛氈でしょうか、そして小盆の上には丼と箸、それにタバコ盆。
蕎麦屋の屋号は、よくある「当たりや」ですね。


     


さて屋台の話しになりますと、これがけっこうまた…。
あれこれ話しが飛んでしまいそうなので、とりあえずは「そば」。
「二八そば」の名称の語源については今だ確定的なことがわからず、
もっとも有力とされているのは、二八の十六文という「価格」から、
もうひとつは「小麦粉とそば粉の割合」から、という説です。

屋台と言うと、私たちは時代劇の中ではおっちゃんが手ぬぐいなど被って、
ひょいひょいと売り歩き、川べりなどでひっそりと商うというもの。
しかし実際には屋台でも大きなものがあり「定位置」を持っていて、
人通りの多い場所、歓楽街系の近くの通りなどに並んでいたと言います。
今の博多のラーメン屋台とか、そういう感じですね。
もちろん、劇中のように担いで歩く屋台もあったわけで、
特にそばは人気があり、寒いときは暖かいそば、暑い時期は冷たいそば、と、
重宝されたようです。また夜鷹そば、といわれる深夜営業する屋台もいたので、
とくによろこばれたとか、もっとも今の深夜営業の時間帯ではありませんが。
面白いのは、江戸はそば、で京大阪はうどん、
夜鷹そばに対して「夜鳴きうどん」といいました。
当時の屋台ベストフォーが「そばや、てんぷらや、うなぎや、すしや」、
そのほかにも甘いものや、お茶などさまざまな食べ物やが、
屋台で店をだしていました。人々は、食事時になると、
あちこちの屋台をはしごしたといいます。なんで??
実は、屋台がはやったころの江戸というのは地方からでてきた人が多く、
特に独身の男性があふれていました。貧富の差が激しく、
働いてもたべていくので手一杯、たとえ所帯を持っても共稼ぎが多かったわけ、
昔はタイムカードなんてありませんから、店のしまる時間まで働くとか、
その日によって時間が違うとか…そんな状況では、
稼いだ金のいくらかをつぎこめばいろいろ食べられる、
屋台という「ファミレス」もしくは「コンビニ」が、便利だったんですね。

歩き回るほうの屋台を振り売りといいます。
またなんでもとにかく「担いで売る」のは「ぼてふり」。
江戸の町は夜明けと同時に、つけ木売り(つけ木は松や杉の板を薄く削り、
先に硫黄を塗りつけたもの、火打石などを使って火をおこすのに使う)、
更にしじみ、なっとうなど朝の食材売り、房楊枝(当時のはぶらし)売り、
とにかくいろいろなものが向こうからやってくるという、
実はコンビニより便利だったわけ…。合間に古着買いや反故買い(古紙回収)、
タレ流れたろうそくのしずく買い、毎日梳いて抜けた髪をまとめておけば
髪買い、かまどの灰買い、破れ傘の骨買い…、
そしていかけや(なべの穴などふさぐ)、扇子の地紙売り、古着売り…。
つまり買って使って売って、というサイクルが、実にうまくできていたんですね。

ほらね、屋台から話しが広がっちまいました。
とにかく、そば屋の屋台はとても人気があったということです。
さてもうひとつ、右のちょうちん、書いてある字は「辻う羅」、
つまり「辻占」です。そして、袖にはその辻占が描いてあります。


     


元々「辻占」とは、夕刻の辻に立って、通りすがる人々の話している言葉を元に
さまざまなことを占うものでした。万葉集などにも出てくるそうです。
また橋のたもとで占う橋占(はしうら)などもありました。
偶然に出会う人々の言葉を、神様からのご託宣としたわけです。
道や通りの交差するところは神の通り道でもある、と言う考えです。
だから神社の参道も真ん中をさけて通りますね。
また、橋は異界に通ずるものであると考えられていました。
以前ご紹介した私の好きなマンガ「辻占売」、これにもよく出でてきます。
辻で出会う人の三人目の言葉に耳を傾けなさい、とか。
元々はそういった、本当の意味での「占い」の用語でしたが、
江戸時代には、辻に立っておみくじを売るものが現れ、
やがて吉原や岡場所と呼ばれるような場所で、酔客相手に、
これを売る商売が始まりました。多くは子供でした。
「淡路島、通う千鳥の恋の辻占~」というのが売り声でした。

夜鷹そばは、文字通り「夜鷹」を生業とする人や、その客にとっては、
遅くまで営業するありがたい屋台であったわけで、
そんなところには「辻占売り」の子供も出没したのかもしれません。
こんな絵を背中にしょっていた人は、どんな粋人だったのでしょうか。
面白い柄、変わった柄を見ると、いつもそんなことを思います。

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3 コメント(10/1 コメント投稿終了予定)

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Unknown (陽花)
2008-04-22 21:39:16
素適な襦袢の柄から様々な事を
教えて頂き2度も3度も得をしたような
気分です。
返信する
おはようございます^^ (えみこ)
2008-04-23 08:22:08
ひとつぶで、何回も味わえますね。
さすが!とんぼさん。
返信する
Unknown (とんぼ)
2008-04-23 09:10:30
陽花様
お楽しみいただけてなによりです。
表に出せないのがねぇ、という柄ですね。


えみこ様
グリコ柄、と呼んでください??
ほんとに「物語」のある柄はステキです。
返信する

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