
この本は「文庫版」です。
今はなくなってしまったのですが(惜しい)「京都書院」という出版社が昭和期に出版したものをベースに、
平成15年に編みなおされたもの…の第3刷です。
「日本の女性風俗史」、こちらです。
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日本の女性風俗史 (紫紅社文庫):The History of Women’s Costume in Japan |
クリエーター情報なし | |
紫紅社 |
「着物1700年の…」と書きましたが、これは「古墳時代」のものからあるので、ざっと計算して…です。
元々この本は、かつて行われていた「染色まつり」という、京都のお祭の記録ともいうべきもの。
京都の祭りと言えば…で、祇園祭も葵祭も歴史ある古いものですが、
「染織まつり」は、昭和の初期に初めて行なわれたもの。
宗教的な意味での祭事ではなく、京都という土地柄から日本に残るすばらしい「染と織り」の技術を結集し、
時代衣装として復元したもののパレードであったようです。
最初にまず昭和の初期に、日本の衣装と意匠、技術を「官民一体」(とありました)となって、
その再現に奮闘努力した…という経緯があります。
これは、どちらかと言うと「カタチ」より「色柄」で、どんな染があったか、織があったか…、
それを現存する正倉院御物や、壁画、図書絵画などを調査して、再現したもののようです。
これを、いよいよ「カタチ」にして着物に作り上げ、そを身に着けてパレードした…というわけです。
着物だけでなく、持ち物や結髪などに関わるものや技術、これを再現したり古いものを保存したり…
そういうことがたいへんな努力によって、なされていたようです。
このお祭は、昭和6年に行なわれたそうなのですが、結局「毎年継続して」と言うことにはなりませんでした。
もちろん、合間に戦争ということもあったわけですが、元々が神事に関わるものではありませんから、
そういう意味でも継続は難しかったのだろうと思います。
というより、元々が「これから毎年やっていこうね」という意味合いのものではなかったわけで…。
今はこのとき製作されたり保存されたりしたものが、時代祭などに継承されています。
その後、昭和59年、といいますから今から30年ほど前ですが、この年は「宮崎友禅斎」の生誕330年…
なんか半端な気もしますが、それを記念して、一日だけこのお祭が再現されたわけです。
もちろん、最初のお祭のあとも、服飾の研究は進んだわけだし、製作や保存の技術も進んだわけで、
今もこういう意匠や小物などは、昔にまして大切に保存されているそうです。
この本は、そのときの記録…と、まぁやっとここまできました。
そして、実はこの文庫版の「元」になったものがこちら。縦が30センチ近くある大型本です。
文庫よりも写真は大きいですし、文庫のほうには入っていない文章のページなどもありますが、
衣装だけを見るなら、文庫版の方で十分です。
でてくる衣装は「染織」がメインの製作ですので、本来は庶民は絹など着ない…場合でも、
絹に染めたりしています。そのときは説明に「おそらく当時は麻にこういった文様を…」など説明が書かれています。
私はこの本を、着物の形を見たくて買いました。
表紙なので、一部画像をお借りしてもいいかと思いますので拡大しますが、こちらの着物。
なんかぼてっとして、コート風のものを着て外出するところ…に見えますが、
江戸初期の遊女の着物。普通にこうして着ていたわけです。まだ桃山の色濃く、髪もようやく結い始めたころですね。
今でこそ、着物の相方は帯…で、私たちも「この着物にこの帯はどうかな」とか、
「いい帯だけど、合う着物がないな」とか、そんなふうに当たり前に考えていますが、
「帯」がしっかりと「着物の相方」として、今のような地位を確立したのは、江戸時代もかなり進んでから、です。
昔々を言うならば、帯は単に「腰紐」で、着物の前が開かないための「おさえ」だったわけです。
この歴史がとても長いんですね。それがどうして今のような位置づけまできたか…。
それを見て考えるだけでも、興味深いし、実は「着付け」ということにもおおいにかかわってくるわけです。
このことを考えていて書きたいと思ったのですが、このところ毎日時間が細切れでして…。
書きかけ原稿が、5本6本とたまっております。
とりあえず、今日は本のご紹介…でおわりますが、この元のほうの図録は、元は3800円、
今、倍くらいの価格で、しかもほとんど販売されていません。図録ですからねぇ。
文庫のほうは、元は1200円、古本だと1000円切って販売されています。
着物の写真だけでしたら、こちらで十分だと思います。
着物の好きな方なら、難しいことはこっちへ置いといて、着物の色柄や、髪型を見るだけでも楽しいです。
なにしろ絵ではなく全部写真ですから。
どんなにステキで粋な色柄でも、すらり細身の柳腰…って浮世絵のようなわけにはいかないんだなぁ…なぁんて、
モデルさんたちには、たいへん失礼な感想なんぞ持ってしまいました。
そのまえに、自分のぼでぇをなんとかせーやって…。
しまいますが、江戸初期にはこういう
衣装の遊女だったのですね。
文庫版なら、お手軽でよいですね。
染色や文様関係のカラーの文庫本のシリーズが2つくらいあって、結構重宝しています。
縞とか絣の柄を考えるとき、見ながら考えています。
以前、やはり文庫版で「髪型」の変遷、というのがあってこれは時代祭の結髪の写真集でした。
もうひとつ全体像のわからない写真が多くて購入しなかったですが…衣装版があったらな、と思っていました。
江戸初期だと、壷装束みたいな感じでまだ細帯ですらなかったんですね。
というか、これは打ち掛けみたいなものを端折って着ているんでしょうか。それにしては、袖が小袖ですが…。
この中には、細帯をした対丈の小袖を着ていそうな気がします。
下着から順に、何を着ているかがわかるような解説(できれば図も)あると、嬉しいですね。
テレビなどでも、花魁といえば江戸後期のあの姿が多いですから、
見ただけでは何をする人かわかりませんね。
髪型もまだシンプルですし。
私は着物と簪の関係で、あの本も買いました。
もう少し詳しく…ほしいところですね。
この写真のころは、身八つ口がありません。
つまり袖の振りがなくてが長く出来ないのです。
いわゆる「裄」は、桃山は短いです、七分袖の感じですね。
下は同じように、小袖を何枚も重ねています。
本の中には正面の写真もありますが、着物の仕立て方も違いますから、
グズグズの感じで重ね着していますよ。
打掛というより、こういう仕事の人は、家の中ではぞろりと引きずって、細い帯をしていたと思います。
はっきりしませんが…。
武家の奥方などは、対丈の小袖に打掛ですね。
庶民も同じように無地の小袖に上着を着て、それをたくし上げる着方です。
そういうことについても今書いているのですが、本日またしても時間切れになりました。
いずれアップします。
確か、DVDにしてあったはず…身頃が今の反物二幅分くらいあって、その分袖幅が短かったと思います。
当時は立て膝も正しい座り方だったのですが、前身頃の幅が広いので立て膝でも全然問題ない、と言っていたと思います。
袖の長さについては、細川ガラシャ夫人の腰巻き姿の肖像画でも、腰巻きにしている打ち掛けの袖は短いですね。
お能の一番上に着る唐衣も金襴や錦ですが、小袖ですし、あんな感じに染めのものも着ていたと思えばおおよそ合っているのかな?と思いました。
昔の反物の幅は、いまより広いですし、
七分袖くらいで着ていたのは、仕事がしやすいためと
いわれています。
体の方はゆったりのほうが、今でもいいとおもうんですがねぇ。
袖の裄、袖丈、身幅などについての記事を書いています。
続き物になりそうで…。
なかなかまとまった時間がとれなくて、時間がかかっています。
ついには下着の話まで書いちゃってますので…お楽しみに…とは、大きな声で言いづらい??