ほばーりんぐ・とと

ただの着物好きとんぼ、ウンチク・ズッコケ・着付けにコーデ、
あちこち飛んで勝手な思いを綴っています。

メリー・クリスマスでございます。

2017-12-24 15:00:38 | つれづれ

 

おぉぉっ次の日曜日は大晦日ですがな。何かもぅ毎年のことながら、お尻にムチが入ってるぅ。

と、騒いでみてもしかたないので、今日は楽しくクリスマスぅ!?

何するわけでもありませんが、今夜はイブなんだなぁと思うだけで、なんかタノシイです。

プレゼントはないけどねぇ。

 

昨日コンビニに行ったら…なんでこういうものを売りますかね。

かわいいじゃないの、おいしそうじゃないの、ミッキーさんじゃないのっ…と、すんなりカゴにいれちゃった…。

 

             

 

おいちかった…デス。

 

さて、クリスマスといっても、我が家では何をするわけではありませんが、

テレビではあちこちのイルミネーションや、イベントの紹介をしています。

今朝のニュースでは、神戸とえっと宮城だったかしら、とにかく東北震災の被災地。

あぁどうしてこう記憶力がわるいんだろ、なにかやりながら見ていると、肝心なところが記憶に残らない…。

神戸のほうは「ルミナリエ」ですね。とにかくどちらも「被災地」。

たいへんな大地震や津波にあって、何もかも壊れ、失い、人もなくなり…。

そんな中で「立ち上がろう、がんばろう」という気持ちから始まったことは同じです。

ところが、今、どちらも存続の危機にあるとのこと。

こういうイベントは、個人の資産でやっているわけでも、会社が経営しているわけでもありません。

ほとんどが寄付や援助によって続いているわけです。

それがどんどん資金不足に陥り、ルミナリエも距離を縮めたり、期間を短くしたりでなんとかやっているのが現状。

 

今でもイベントにかかわっている方たちは「これはただのイベントではなく、『震災』から始まったということを

忘れないでほしい。風化されることが一番こわい」と言っておられました。

当地の人間でなければ、記憶はどんどん薄れるし、阪神大震災は、すでに震災を知らない人が大人になっています。

 

あぁ忘れられていくんだな…そんなことを思いながらニュースを見ていたのですが、東北のかたが

「あの時はいつまでたっても電気が復旧せず、毎夜毎夜真っ暗な日が続いた。

車を走らせると、自分の車のライトが照らす前しか見えない。それが不安で不安で、この先のことや、

人生そのものまで不安になってたまらなかった。イルミネーションを見たときは、明るさに感激した」

というようなことをおっしゃっていました。

確かに…灯りというのは不思議な力があります。

私たちはもう「電気」という文明の中で、当たり前のように、夜でも明るいという安心感の中で暮らしてきました。

最近は停電しても、よほどのことがない限りすぐに復旧します。

東北震災の時は計画停電がありましたが、わかっていたことでしたから準備をしてランタンやロウソクを付けて、

わずか2時間足らずをぼやーっとすごせばよかったけれど、実際の天災で、いつつくかもわからない闇は、

やっぱり不安を掻き立てるものだと思います。

 

かつて灯りが今ほどなかった昔々、人は「闇」を恐れました。

「見えない」ということで、闇の中に「何かがいる」と疑い「いるとしたら」と想像してしまう。

それがさまざまな妖怪や幽霊話につながっていったわけです。

もしかしたら、日の光と闇、というはっきりした分かれ方で、この世はちゃんと「人と、人でないもの」も、

分かれていたのではないかと、私そんなことも思います。

世の中が明るくなりすぎて、人でないものの居場所がなくなった…それがほんとのような気がします。

今だって、夜遅くに外を歩くと、街灯やよそ様の家の明かりがあるだけで、不安は随分軽くなります。

だから歩きスマホでモタラモタラと歩いていたりもするのでしょうか。

 

光があること、明るいこと、は、大昔から「そこが人の居場所」ときまっていたから、光がないと不安になる…のかな?

たいへんな地震や津波で、大昔と変わらない「昼間と闇」を経験した人たちは、

イルミネーションのイベントを「なぜ今こんなに美しく光らせているのか」を考えながら、楽しんでほしい、

そう思っておられるのでしょう。暮らしは元に戻っても、また自分の生まれる前のことであっても、

自分の地域と離れたところのことであっても「それが実際にあったことなのだ」と、それは忘れてはいけないのですよね。

おりしも阪神大震災の被害者の名前を刻んだプレートに、ばかとかアホとか、書き込んだいたずらがありました。

やった人こそばか・アホです。人の心の痛みがわからない…。

経験しないことは、なかなか実感はしないけれど、想像することはできます。

どちらのイベントも、つづけたいけれど来年はわからない…そんなことでした。

今夜はちょっとあかりを消して、クリスマスキャンドルをつけての時間を、

ほんの5分ほどでもいいからすごしてみようかなと思っています。

幸せな、穏やかな暗さでしょうけれど、一つ間違えば「コワイ闇」が、本当はあるのだということを考えながら。      


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4 コメント

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Unknown (サザエ)
2017-12-25 06:25:18
今年もあと残すところ1週間になってしまいましたね。
広島もイルミネーションしているのですけれど、なかなかゆっくり見に行くことが出来ず。。早何年?(笑)
いつも車で素通りなのですけれどね。
それで十分だったり←寒いですしw
神戸のルミナリエは一度見に行きたいって思ってはいるのですけれどそれもなかなか。。
震災復興のイルミネーション。。全国の原発を稼働したい電気会社が電気代無料にするか寄付するくらいのことしても罰は当たらないだろうに。。って思う今日この頃です。
まぁ、申し出があっても被災者の方々にとっては拒否したい気分でしょうけれどね。
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Unknown (とんぼ)
2017-12-25 11:05:23
サザエ様

毎年のことながら、今日あたりから「あきらめ」が出てきて、
「ま、いっか、これで」と、大掃除だのなんだのを縮小する…です。でへへ。

イルミは、個人宅でもやるようになりましたね。町内でやるところもあって、
少し離れた町では、毎年家族で見に行く…なんてところもあります。
実家の近くにも、1軒あるのですが、私暗くなってからの外出はめったにしないので、
父に話として聞くばかりで、いつも見るのは「昼間のコードだらけの壁面」…。

原発もいつまでたっても…で、ほんとにいらだちますが、
もういいわ、は絶対ない!いつまでもちゃんと見ていなければと思います。
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Unknown (古布遊び)
2017-12-26 07:52:33
北海道は暴風雪のクリスマスになりました~
クリスマスもすっかり関係なしの世界に突入してしまって、なんか世間様が色々しているなあと傍観者になってしまいました。
これはこれでさみしい。。。

私が子供のころ(もう半世紀以上も前だ!)クリスマスツリー用のモミの木(?)が花屋さんで売られていました。今考えると贅沢ですね。
それに小さな豆球が付けられて、赤や青の光がチカチカとついたり消えたりするのを眺めているのはなんとも幻想的でしたねえ。。
思えば一年のうちで一番の楽しみでした。

原発問題もなんだかすっかり遠いところに行ってしまって、こうして先延ばしにされていくって本当に実は怖いと感じています。
ツケは必ず戻ってきますものね。
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Unknown (とんぼ)
2017-12-26 18:54:33
古布遊び様

今日も北野「大暴れの風雪」、ニュースでみました。
大変なことになってますね。小樽も実況していました。
どうかご無事で。

モミの木、売ってましたね、思い出しました。
最近みたいなおしゃれなオーナメントじゃなかったけど、
我が家の古いツリーにも、金モールや豆電球がついてましたっけ。
今は飾り付けも済んだツリーを、ポンとだすだけ…みたいなのも
多いみたいで、なんかワビシイ…。親子で飾り付け、なんて
そんなこともなくなっているんですかね。

「先延ばし」→「風化」→「忘却」…怖いですよね。
今日、賞味期限が間近い防災食のドライカレーを、夕食にしました。
食べながら、ちと柔らかすぎ、だの、干しブドウがあれば…だの
ふと思ってから「あー何言ってるんだ。実際の災害の時は、
こんなにおいしいものはないだろに」と、あわてて反省しました。
頭の片隅でもいいから、消さずにいつまでもおぼえておかなければと、
そんなことを考えました。

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