最終日、なんとか晴れてくれました。
古着のお店が寄ったところを写したのですが、もたついているうちに
人が固まって写ってしまいました。肝心のお店が見えてなくすみません。
京都の古い「市」で、歴史が長く有名なものは二つ、
一つがこの「北野天満宮」で、毎月25日開催の「天神市」、通称「天さん」、
もう一つは新幹線八条口(京都タワーと反対側出口)から、
大阪方面に向かって少しいったところにある「東寺」で、
毎月21日開催される「弘法市」、通称「こうぼさん」の二つです。
こうぼさんの方が境内も広いので、露店も1000ほども出て盛大です。
天さんはそこまで行きませんが、逆にこじんまりなので、
目的が決まっていれば、短時間でちゃっちゃと回れます。
今回最初にめっけたのがこちらの帯、「六歌仙」柄ですね、六通です。
「服部織物製」で、けっこう締めたあとがあります。
帯はまたいずれ詳しくご紹介しますね。
こちらはその帯と、それを売っていたおじさんの写真です。
ここのオジさんのお店は場所的にはけっこう広くとってまして、
後ろにきれいな着物をずらりとつるしていて、前にはたたんだ着物を並べ、
いつも奥さんと二人でやっています。
この帯、実はオジさんの後ろに桐箱に入って立てかけてあったのですよ。
柄が珍しいのと、帯の一番下に「服部」製の印である織マークが見えたので、
ちょっと見せてと頼みました。ところが、桐箱のふたの裏、箱書きを読んだら、
違う帯の箱でした。「ええ帯やからほかのと別にしといたんや」、
ということらしく、箱ごと持ち帰るのはたいへんなので送ってほしいといったら、
「違う箱やのんにやめとき、小そう丸めたら持って帰れるで…」。
あーそうか「箱はまた使える」わけだよねぇ。
締めあともあり、薄い汚れもありましたので、加工用にと丸めて持ち帰りました。
「写真とっていい?」と聞くと「こんなじーさん写してどないすんねん、
帯だけ写しや」とテレながらもいい笑顔を見せてくれました。
長年連れ添ったらしいおばさんも、ニコニコ笑って見てました。
実は露店にもいろいろタイプがあります。場所も広さも「定位置」がありますが、
お店の広げかたや内容については、そりゃもーさまざま…。
そのお店の人の「趣味」とか「好み」も反映されたり、
お客さんの層を想定している場合もあるわけで、こういう言い方は失礼ですが、
ちと雑で、ブルーシートに絹もウールもごちゃごちゃてんこ盛りで、
勝手にひっくり返して探してやー…のお店もあれば、
全部ハンガーにつるしてキレーに並べたり、ハギレは全部透明の袋に入れて、
価格も全部シールで貼ってあるお店もあれば…です。
こちらは黙って撮っちゃいました、お店のかたごめんなさい。
ずらりと並んだ丸帯、暖簾状態ですがな。ここのお店は帯が多いお店で、
以前細帯を買いましたが、こちらが言う前に「○○円でよろし」と、
おまけしてくれました。
これは買おうかどうしようか、ものすごーーーく迷ってあきらめた着物、
現代モノですが、私の好きな「誰が袖柄」、私にはもう着られませんが、
羽織にしたらイケるかなーとか、いろいろ考えたのですけれど、
とりあえず「価格」がねぇ、お近づきにはなれなかったのです。
そしてこちらが今回文句なしに一番の「羽裏」をみつけたお店です。
行くと必ず覗きます、いつも状態もセンスもいいものが、たくさんあります。
店長さんに、ブログに載せていいですか、とおたずねしたら、
ブログ名を聞いてくださってメモしてくださいました。
明日かあさって書きます、と言ったのに、遅れてすみません!
名刺までいだきました、京都市伏見「古布・着物 天府の国(てんふのくに)」。
ブログを探してみましら「中之島きものいち」というグループのかた、
いつも市のときはお店を出しておられるとのことです。
そして出会ってしまったのが、この羽裏です。奇跡の邂逅ですよぉ!
羽織としての状態もいいんですよ。
船の中の二人のアップがこちら、
いい絵でしょう?どこにもそうだとは書いていないのですが、
どう見ても四十七士…のいでたち、でも実は物語でいうところの
「忠臣蔵」の中では、討ち入り当日に船を使う場面って思い浮かびません。
本懐を遂げたあと、彼らは回向院で開門を拒否され、
更に当日は大名の登城日であったため、本所から泉岳寺へのルートを、
武家屋敷の多い通りをさけて両国橋を渡らず、
町人街の続く隅田川沿いにくだり、永代橋を渡って江戸市中に入りました。
そのときも橋をそのまま渡っています。
よくよく見ると、絵の船の中の二人は同じような兜をかぶっています。
そこでハタと思いつきました。こりゃ帰りじゃなくて「往き」じゃないかと。
つまり大石親子が、討ち入りのための待ち合わせ場所に行くところ。
まず当時の武士は、ある程度の身分であれば鎧兜は武士のたしなみとして
持っていたでしょうが、身分の低い武士はすでに持っていなかったと思います。
この討ち入りのとき、実際には浪士たちは当時の火消し装束風で、
その着物の下に鎖帷子を着込んだり、鉢金(額を割られないための
オデコに巻く金属の入った鉢巻)を巻いたり、
家の中で使いやすいように槍を短く切ったり…。
つまり、戦ではなく家の中で斬り合いをするための武装でした。
兜をきちんとかぶるとすれば、この徒党を組んだ集団の総大将たる大石と、
副将の立場の主税の二人だけだったのではないかと思います。
仮に誰かが用意よろしくかぶっていたとしても「絵」の題材として捉えるなら、
当然この二人をあらわすでしょう。
そこで思いだしたのが「帰りのルート」ではなく「行きのルート」なわけです。
お芝居や映画では、当夜は「蕎麦屋の二階で俳句の会と称して集まり…」、
そこで全員そろって着替えをし…とそういう場面が強調されています。
確かに最終的には、そば屋うどん屋に集合して、腹ごしらえをしてから出発した、
ということなのだそうですが、その前があるわけです。
実際には当夜は前原伊助宅、堀部安兵衛宅など、
年月かけて吉良邸近くに住み隠れていた者たちの家に分かれて集合し、
更にまとまって…と、そういう手順でした。
そのとき、大石親子は、実は少し離れた日本橋に隠れ住んでいました。
そこから彼らの住んでいる本所近くへ行くには、隅田川を渡らねばなりません。
当時の江戸と言うのは、夜はめったなことでは外に出ないものでした。
木戸というものもあり、一定の時刻になると木戸は閉まって通れなくなります。
そんな夜中に歩いていたら、いまでいう「職質」モノ…。
まぁ当日はそれより前から降り続いた雪のこともあって、
誰も夜の家の外など、気にかけなかったかもしれませんが、
大望ある彼らは「決して誰にもみつかってはならなかった」わけで、
全く隠れるもののない橋をわたるのを恐れて船で渡ったとしても、
あながちフシギではないですね。
もちろん、実際に船を使ったとしても、こんな姿ではなかったと思いますが
これを描いた人は、そういうところを切り取り、
場面設定として強調したのではないか…というのが、
今回の「とんぼの勝手ストーリー」です。そーぞーですよ、あくまでも。
そんなわけで、物語を持つこの羽裏に出会って一目惚れしたわけです。
店長さん、出会いをありがとう!
前後しますが、初日の「やゝさん」で入手した帯とじゅばんも届きました。
明日は今日の続きの予定なんですが、
書けたら、新しくウチのコになったみんなのことも、
もう少し詳しくご紹介したいと思っています。
古着のお店が寄ったところを写したのですが、もたついているうちに
人が固まって写ってしまいました。肝心のお店が見えてなくすみません。
京都の古い「市」で、歴史が長く有名なものは二つ、
一つがこの「北野天満宮」で、毎月25日開催の「天神市」、通称「天さん」、
もう一つは新幹線八条口(京都タワーと反対側出口)から、
大阪方面に向かって少しいったところにある「東寺」で、
毎月21日開催される「弘法市」、通称「こうぼさん」の二つです。
こうぼさんの方が境内も広いので、露店も1000ほども出て盛大です。
天さんはそこまで行きませんが、逆にこじんまりなので、
目的が決まっていれば、短時間でちゃっちゃと回れます。
今回最初にめっけたのがこちらの帯、「六歌仙」柄ですね、六通です。
「服部織物製」で、けっこう締めたあとがあります。
帯はまたいずれ詳しくご紹介しますね。
こちらはその帯と、それを売っていたおじさんの写真です。
ここのオジさんのお店は場所的にはけっこう広くとってまして、
後ろにきれいな着物をずらりとつるしていて、前にはたたんだ着物を並べ、
いつも奥さんと二人でやっています。
この帯、実はオジさんの後ろに桐箱に入って立てかけてあったのですよ。
柄が珍しいのと、帯の一番下に「服部」製の印である織マークが見えたので、
ちょっと見せてと頼みました。ところが、桐箱のふたの裏、箱書きを読んだら、
違う帯の箱でした。「ええ帯やからほかのと別にしといたんや」、
ということらしく、箱ごと持ち帰るのはたいへんなので送ってほしいといったら、
「違う箱やのんにやめとき、小そう丸めたら持って帰れるで…」。
あーそうか「箱はまた使える」わけだよねぇ。
締めあともあり、薄い汚れもありましたので、加工用にと丸めて持ち帰りました。
「写真とっていい?」と聞くと「こんなじーさん写してどないすんねん、
帯だけ写しや」とテレながらもいい笑顔を見せてくれました。
長年連れ添ったらしいおばさんも、ニコニコ笑って見てました。
実は露店にもいろいろタイプがあります。場所も広さも「定位置」がありますが、
お店の広げかたや内容については、そりゃもーさまざま…。
そのお店の人の「趣味」とか「好み」も反映されたり、
お客さんの層を想定している場合もあるわけで、こういう言い方は失礼ですが、
ちと雑で、ブルーシートに絹もウールもごちゃごちゃてんこ盛りで、
勝手にひっくり返して探してやー…のお店もあれば、
全部ハンガーにつるしてキレーに並べたり、ハギレは全部透明の袋に入れて、
価格も全部シールで貼ってあるお店もあれば…です。
こちらは黙って撮っちゃいました、お店のかたごめんなさい。
ずらりと並んだ丸帯、暖簾状態ですがな。ここのお店は帯が多いお店で、
以前細帯を買いましたが、こちらが言う前に「○○円でよろし」と、
おまけしてくれました。
これは買おうかどうしようか、ものすごーーーく迷ってあきらめた着物、
現代モノですが、私の好きな「誰が袖柄」、私にはもう着られませんが、
羽織にしたらイケるかなーとか、いろいろ考えたのですけれど、
とりあえず「価格」がねぇ、お近づきにはなれなかったのです。
そしてこちらが今回文句なしに一番の「羽裏」をみつけたお店です。
行くと必ず覗きます、いつも状態もセンスもいいものが、たくさんあります。
店長さんに、ブログに載せていいですか、とおたずねしたら、
ブログ名を聞いてくださってメモしてくださいました。
明日かあさって書きます、と言ったのに、遅れてすみません!
名刺までいだきました、京都市伏見「古布・着物 天府の国(てんふのくに)」。
ブログを探してみましら「中之島きものいち」というグループのかた、
いつも市のときはお店を出しておられるとのことです。
そして出会ってしまったのが、この羽裏です。奇跡の邂逅ですよぉ!
羽織としての状態もいいんですよ。
船の中の二人のアップがこちら、
いい絵でしょう?どこにもそうだとは書いていないのですが、
どう見ても四十七士…のいでたち、でも実は物語でいうところの
「忠臣蔵」の中では、討ち入り当日に船を使う場面って思い浮かびません。
本懐を遂げたあと、彼らは回向院で開門を拒否され、
更に当日は大名の登城日であったため、本所から泉岳寺へのルートを、
武家屋敷の多い通りをさけて両国橋を渡らず、
町人街の続く隅田川沿いにくだり、永代橋を渡って江戸市中に入りました。
そのときも橋をそのまま渡っています。
よくよく見ると、絵の船の中の二人は同じような兜をかぶっています。
そこでハタと思いつきました。こりゃ帰りじゃなくて「往き」じゃないかと。
つまり大石親子が、討ち入りのための待ち合わせ場所に行くところ。
まず当時の武士は、ある程度の身分であれば鎧兜は武士のたしなみとして
持っていたでしょうが、身分の低い武士はすでに持っていなかったと思います。
この討ち入りのとき、実際には浪士たちは当時の火消し装束風で、
その着物の下に鎖帷子を着込んだり、鉢金(額を割られないための
オデコに巻く金属の入った鉢巻)を巻いたり、
家の中で使いやすいように槍を短く切ったり…。
つまり、戦ではなく家の中で斬り合いをするための武装でした。
兜をきちんとかぶるとすれば、この徒党を組んだ集団の総大将たる大石と、
副将の立場の主税の二人だけだったのではないかと思います。
仮に誰かが用意よろしくかぶっていたとしても「絵」の題材として捉えるなら、
当然この二人をあらわすでしょう。
そこで思いだしたのが「帰りのルート」ではなく「行きのルート」なわけです。
お芝居や映画では、当夜は「蕎麦屋の二階で俳句の会と称して集まり…」、
そこで全員そろって着替えをし…とそういう場面が強調されています。
確かに最終的には、そば屋うどん屋に集合して、腹ごしらえをしてから出発した、
ということなのだそうですが、その前があるわけです。
実際には当夜は前原伊助宅、堀部安兵衛宅など、
年月かけて吉良邸近くに住み隠れていた者たちの家に分かれて集合し、
更にまとまって…と、そういう手順でした。
そのとき、大石親子は、実は少し離れた日本橋に隠れ住んでいました。
そこから彼らの住んでいる本所近くへ行くには、隅田川を渡らねばなりません。
当時の江戸と言うのは、夜はめったなことでは外に出ないものでした。
木戸というものもあり、一定の時刻になると木戸は閉まって通れなくなります。
そんな夜中に歩いていたら、いまでいう「職質」モノ…。
まぁ当日はそれより前から降り続いた雪のこともあって、
誰も夜の家の外など、気にかけなかったかもしれませんが、
大望ある彼らは「決して誰にもみつかってはならなかった」わけで、
全く隠れるもののない橋をわたるのを恐れて船で渡ったとしても、
あながちフシギではないですね。
もちろん、実際に船を使ったとしても、こんな姿ではなかったと思いますが
これを描いた人は、そういうところを切り取り、
場面設定として強調したのではないか…というのが、
今回の「とんぼの勝手ストーリー」です。そーぞーですよ、あくまでも。
そんなわけで、物語を持つこの羽裏に出会って一目惚れしたわけです。
店長さん、出会いをありがとう!
前後しますが、初日の「やゝさん」で入手した帯とじゅばんも届きました。
明日は今日の続きの予定なんですが、
書けたら、新しくウチのコになったみんなのことも、
もう少し詳しくご紹介したいと思っています。
この絵をみて色々想像できるとんぼ様は
スゴイなぁ・・・
色々珍しいもの ありますね
羽裏いいですね。 古着を洋服に作り変えるとき 背中に羽裏を入れて 黒のコートにしてあるのを 見ました。
来ている方が 粋な方で似合っていましたよ。
季節もよく 素敵なお出かけでしたね。
なんか見ているだけで楽しくなってきます。
意識したわけではなかったのですが、
いつのまにか「赤穂浪士」柄が増えました。
穴熊の女房様
ぜひ一度、お出かけください。
こうぼさんのほうが、店が多いです。
常連さんは、朝7時くらいから行くそうです。
福岡からの出店も多いですよ。
こういう市は、みているだけで楽しいですね。