ほばーりんぐ・とと

ただの着物好きとんぼ、ウンチク・ズッコケ・着付けにコーデ、
あちこち飛んで勝手な思いを綴っています。

民族衣装

2012-03-27 17:41:41 | 着物・古布

 

「民族衣装」、日本は島国で、しかもイースト・エンドといわれる海を隔てた国でしたから、

他国の侵略や民族の大きな出入りや、文化の交差による衣服の変化はほとんどなく「着物文化」を育ててきました。

外国だと、一つの国でいろいろ民族がいたり、国と国とが地続きだったりして、

一つの国の中で全く違ったり、似ていたり、混ざったり、滅ぼされてなくなったり…いろいろなんですね。

私は、特別服飾を学んだとか、そういうことは全くなくて、単に「布が好き」…だけなのだと思うのですが、

よその国の衣装を見るのも、大好きです。

ただ、知りたくていろいろ見ていると、あららそんなに単純なものじゃなかったんだとか、

ほんとはこんなのだったのね、とか…なかなか奥の深いものだと思います。

 

私はインドのサリーが好きなので、トップ写真は、これも以前アップした(最近これが多い…)本。

「夢かマハラジャ」という題の写真集です。買ったときは4000円近くしたのに…

いまじゃ中古で600円切ってますがな…(大泣)。

アフェリエイトでは、画像なしなので、こちらです。

裏表紙もステキなので…。マハラジャと王妃です。王はわたしより二歳年上…まだお元気でしょう。

王妃はネパール出身、占星術によって選ばれたそうです。

 

    

 

マハラジャは「藩王」と訳されます。かつてインドの中には何人もの王様がいて、それぞれ領地を持っていたわけです。

このマハラジャ制度はガンジーが首相になったときに廃止されましたが、インドは広い国ですから、

中には「よき領主ならば民は慕う」というわけで、制度の廃止を喜ばなかったところもあるわけです。

結局、時代の波に押されて「王」は、領地を治めるというよりは、事業を起こし、職業を与え、

また学校や公共施設を作る…と言ったような形で「民を守る」方法に変わったわけですね。

この写真集が出版されたのは、1988年ですから、今から24年前。

まだ10人のマハラジャが残っていたそうです。

マハラジャの写真集ですから、ほとんどのページがキンキンキラキラの素晴しい宮殿と、

そこに住まう王家の人々。たまたま結婚式に遭遇して、まぁキレイなサリーが出てくる出てくる…。

 

あっそんなお話しじゃありませんでしたね、すみません。

で、このサリーですが…今のような形になったのは、まだ100年かそこいらなのですと。

元々、インド全体がサりーだったわけではなく、ある地方では有名な「パンジャビ」だったりとか、

地域とまた宗教によるのだそうです。

元々サりーは「はさみも針も入れぬ、一枚の布をまとうことがもっとも清浄」とされた、

ヒンドゥー教の教義から出た着方だったそうで、だから5~6メートルから長いと9メートルもあるという

一枚の布をヒダを取り、挟み込み、巻きつけて着るわけです。着方も、様々あるそうです。

私はインドへ行ったこともないし、インド人の知り合いもいませんので、

本当のところはわかりませんが、いろいろ書物や新聞、またネットでのブログなどを見ると、

すでに都会ほど「若い子がサりーを一人で着られない」という傾向があるようです。似てますねぇ。

 

民族衣装があるようでないようで…なのが「中国」。チャイナドレスでしょ…ですか?

あのボディコンシャスでセクシーなものを、何百年も前から着ていたわけではありませんよね。

中国の場合は、インドより更に国土が広いですから、民族衣装の変遷は「支配」の結果です。

ものすごーく大雑把ですが、漢民族が支配したころは「漢服」と呼ばれるタイプを着ていました。

これも一種類ではないので、大まかな言い方ですが、着物と似た感じで、もっとおおらかなもの。

着物のような打ち合わせのものを着て、ゆったりと袖の大きい上着を着る感じです。

これが漢のあとの満州系の「清」になったとき、この形を全部廃止して

「旗袍(チーパオ)」という満州民族の服装に替えさせました。

これがあのスタンドカラーで、前をチャイナボタンで止める打ち合わせのタイプです。

騎馬用に、袖も細く、横にスリットが入った形を現代風に女性用としてアレンジしたのがチャイナドレスです。

但し、昔のチーパオはゆったりしていて決してボディコンではありません。

まあ細かいことを書いているとキリがありませんので、ほんとにつまんだ程度のハナシですが、

全く違うタイプの民族衣装の基本があって、片方が一時期押さえ込まれ、しまいこまれたわけですね。

 

最近、何度か中国で結婚式や結婚事情などのリポートを見ましたが、

みんないわゆるウェディングドレスのスタイル。まぁ地方の少数民族では違うのでしょうが、

都会ではみんな西洋式です。漢服やチーパオを着る人はいません。

人民服を着る時代もあったりして、暮らしの中から伝統的な衣服がなくなっているんですね。

日本のテレビドラマなどで結婚式のシーンがあると、大体はウェディングドレスで教会…。

ドラマの設定上、そのほうがいい場合もあるのかもですが、

私が子供のころは、大きくなったらお嫁さんになる…と、あの角隠しに振袖姿にあこがれたものです。

今はどんどん洋風が増えていて、なんだか寂しいと思うのです。日本人なら文金高島田に憧れてほしいわぁと。

まだ十分あるのですから。

 

チマ・チョゴリは韓国。「韓服」と呼ばれます。

これはチョゴリが上着、チマが下のあの広がったスカートみたいなものです。

男性もチョゴリは同じ形で、但し丈長、下はパジというズボンです。

韓国の「美的感覚」では、上はピッチリ、下は大きく豊かなほうがよいとされたので、

あのチマはほんとにテントのように広がる大きいものですね。

かの国の方々は、片ヒザを立てて座られますから、その時にまた大きく広がるチマはきれいですよね。

ところで、かつて女性のチョゴリの丈は、時代をおうごとにだんだん短く、袖はだんだん細くなったそうです。

これも変化のひとつですね。そして、つい近代になるまでは、嫁いで「男子」を産んだ女性は、

その証として、チョゴリの丈を更に短くし、バストをフルオープンで見せる着方だったそうです。

跡継ぎを産んだという誇りでもあったそうで…女の子しか産めなかった女性は、肩身が狭かったでしょうね。

それにしても、これ写真見たことがありますが、みごとに丸出し丸見えです。

近代になって、ちとまずかろう…と、それをしなくなったのだそうで。男性にはオキノドクなことだった?。

 

おつぎは「スコットランドのキルト」、男性のスカートといわれるアレです。

でも、スカートとは間違っても言ってはいけない…のだそうですよ。あれは「キルト」と呼ばねば失礼!

実は、これまたイングランドの歴史ということになりますが、最初に着たのは、スコットランドの「ハイランド」と呼ばれる

高地地方の人たち、彼らは「キルト」ではなく「フェーリア」と言ってました。

今のキルトはまさしく(いっちゃいけないけど)スカートの形で、前は平ら、後ろはプリーツのものですが、

元々は一枚の長く大きな布の両端の、前にあたるところを平らにし、後ろにまわるところにプリーツをたたんで、

腰の部分をベルトや紐で締めた…。大きい布ですから、腰から上がたっぷりあまるわけで、

これを肩にかけたり、寒いときは被ったり…落ちないようにピンなどで留めたのだそうです。

この上の部分をなくしたのが今のキルトと言うわけです。

ちなみに、前は二重になっていて、まん前に必ず「スポーラン」という小さいバッグのようなものを提げます。

昔、タータンの巻きスカートがはやりまして、私も持っていましたが、

買うと必ず、オシャレな飾りつきの「安全ピン」がついてました。

巻きスカートですから、前がはだけないようにかと思いきや、二枚留めてしまうと、

座ったときにすわりにくい…。だから上側一枚に、アクセとして留めていました。

ところが、本式では女性はめくれないように二枚とめるのだそうです。男性は1枚目だけ。

キルトは本式ではだいたいヒザより少し上くらいの、いわばミニスカートみたいなものですから、

風にあおられるとめくれてしまうので…。但し男性はまずめくれないように、

さっきの「スポーラン」をぶら下げます。ピンは裾の方に重さを少し掛けて押さえている程度。

ことほどさように、めくれることをなぜそんなに気にするのか…

実は正式には男性の場合、下は下着を着けないのだそうです。最近は、いくらなんでも…で、

若い世代は穿くらしいですが、伝統を重んじる人は今でも「すっぽんぽん」なのだとか。

寒くないんですかねぇ…と考えたら、なぁに、日本の女性だって、かつては「すっ……」だったんですよね。

 

風俗習慣というものは、本当に興味深いもので、少数民族の宝庫中国のミャオ族

ミャオでもいくつか種族が分かれていて、山一つ越えると違う…のだそうです。

その中の長角ミャオ族が、あの、とてつもなく大きな髷を頭に載せる民族です。

同じミャオでも、全く違う、銀の飾りをびっしりつけるミャオ族もいます。

あと、タイのカレン族などの「首長」…高校生のころでしたか、初めて写真を見たとき、コッチが息苦しくなりました。

あれは首が伸びているのではなく「肩が下がっている」のだそうです。

つまり首よりも、肩から下に負担がかかっていて、肺などが圧迫される場合もあるそうです。

あらら?またハナシがそれてるし…。

そう、髪や首じゃなくて「衣装」の話でしたね。

 

民族衣装には大体の形で分けると、布に穴あけて、頭から被る「貫頭衣」のタイプ、

体に布を巻きつけるタイプ、肩から掛けて前を合わせるタイプ(着物はこれ)、

体の形に添った布をつなぎ合わせるタイプ(これが洋服の元)…

えっとあとは…そう、腰だけ何か巻きつけるタイプ。

それぞれの形を考えると、当然ですがその土地の気候や、地形などによって、原型が決まってくるわけですね。

もちろん時代と言うものもあります。

今「世界の民族衣装」と検索すると、それこそいろんな国のものが出てきますが、

特にヨーロッパなどではほとんどが「体の形に添った布をつなぎ合わせた服」になってからのものが紹介されています。

文明の進んだ時期…という次元の問題もありますが、

たとえば、ギリシャというと、白くて大きな布を巻きつけて、わざわざあまり布を手に持ったような…。

私などはそれを思い出します。元は体に巻きつける形だったのでしょうが、時代とともに全く様変わりして、

1800年代のはじめ独立後の衣装は洋服タイプで下は「フスタネッラ」という、これまた男性のスカート…。

逆に、アジア圏や、まだ発展途上国などでは、昔のままのものが、装飾などだけかわって、

今も原型をとどめているものがあります。

砂漠のある国では、昼と夜の気温差や、直射日光と砂を防ぐのに、暑くても全身を包み、風をはらむ大きいものとか。

 

こうしてみると、着物の形のかわりようは、他国に比べればさほどでもない…と思えてきます。

確かに身幅だの帯の幅だの、寸法のかわりようや、髪型の変わりようはありますが、

基本的な形はほとんど変わっていないのですね、1000年も…。

着物って、そういう民族衣装なのです。

そして、今も普段「民族衣装」を着ている民族は、激減しつつあります。

着方がそれほど難しくない感じに見える衣装でも、イベントや結婚式にしか着ないとか、

すでに着られない世代が増えているとか…。

 

古いからそれがなんだ、かわっていないからそれがなんだ…そういうこともいえるかもしれません。

なくなっても別にどうということもないものだし…。

それでも、私たちの先人が、日々の暮らしの中で「こうしたらもっときれい」「こうすると形がよくなる」と、

作り出し、みがきをかけ、大切に伝えてきたものです。

すでにいろいろな「伝統の技」が、なくなりつつあります。

後継者がいない、実際には育てることができない現状は、これからも続くのでしょう。

着たくても、ホンモノ○○は、もう作る人がいない…ということが、たくさん増えてくるのでしょう。

 

「辻が花」という染があります。

実は「辻が花」が、実際にはどんなものであったか、ハッキリわかってはいません。

ただ、絞り染めの技法としての特徴、と言う点では、それまでの絞り染めのように、

例えば偶然の産物のような柄とか、板締め絞りのような連続模様とか。

そういうものとはちがって、花の輪郭とか枝葉などを絞りであらわす…というもの。

実は今でも「辻が花」を再現したという久保田一竹氏の辻が花は、「再現ではない」と言う人もいます。

まぁ元が何も残っていないのですから、その是々非々は専門家にお任せするとして、

とりあえず…辻が花というものは、資料や現物があまりにも少ないので「こういう染でこういう柄だった」という

はっきりしたものがありません。

だから、いくら再現されたといっても、それは「新しくできたもの」になってしまうわけです。

つながっていかないということは、そういうことなのです。

暮らしの形に合わせて、いろいろな変化をしていくことは、実はその文明や文化が

「まだ生きている」ということです。生きたまま伝えることで、育って形を変えていくものだと思うのです。

生きているのに、大事なことを「ここはいいわ、眠ってることにしとこ」と、

勝手にあれこれ変えてしまうことは、伝承にはならないと思います。

好きに着る、のではなく「知って選ぶ」ということは、別に着物の歴史を全部学ぶとか、

ぜったい変えないように努力することではなく、残してくれたものを素直に受け取り、

よく見て、残すべきよいところよいものを認めることだと、私は思うのです。

 

おしまいに…「夢かマハラジャ」の裏表紙の二人は「ジョドプールのマハラジャと王妃」。

ジョドプールは民家の色が「青」であるところから「ブルーシティ」と呼ばれるところで観光地になっています。

一番の見所「メヘラーンガル城砦」は町を見下ろす高台にあり、今もマハラジャが管理しているそうです。

もちろん中へはいれますよ。暑くなきゃ行って見たいところですねぇ。 

 

 

追記…

最初、日本は単一民族なので…という表記をしまして、ご指摘を頂きました。

専門家でも、論議される問題ですから、軽率に使う表現ではなかったと反省しております。

自分だけわかっている考え方での、言葉選びのマチガイです。

書き直しましたことが、私のいいたかったことです。

不快に思われた方もいらっしゃったと思います。申し訳ありませんでした。


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8 コメント

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Unknown (佃煮)
2012-03-27 23:14:17
「民族衣装」、日本は一国で単一民族ですから「着物」…。
ーと書かれているが、
アイヌも琉球もあるから、これはおかしい。
Unknown (陽花)
2012-03-27 23:34:31
韓ドラにはまっている私としては
チマ・チョゴリを一番よく見ている
のですが、これもドラマの中だけで
現実に街中で見かける事は少ないと
思います。
いずれの国も日本と同じような事で
寂しいですね。
Unknown (とんぼ)
2012-03-28 02:27:54
佃煮様

あぁ、そういうご意見が出るかなと思いつつ、書いておりました。
専門家でも意見が分かれる問題ですので、カンタンに並べる言葉ではなかったと、
反省しております。
まぁいいわけにはなりますが、大きく世界を見た場合の
「民族衣装」での分かれ方…といいますか、アイヌは1300年ごろから、
琉球は、1600えーと3年だったか9年だったかに島津が侵攻するまで、
別の国といいますか、島別に分かれていたようなところでしたので、
今の着物の誕生…ということ、つまり平安のころは、別の国…という感じだったかなと。
それなのにアイヌも中国と交易があり、攻め込んだりもしていたり、
琉球も中国東南アジアと交易があったにも関わらず、
どちらも衣装が「着物式」のつくりであったことに
私は驚いているわけで…。
そういう意味では、逆に別の国であっても、文化的なねっこは、
やはり一かたまりの「島国」であったのかなと。
こりゃ私の中で矛盾していますね。
いずれにしましても、独りよがりの表現であったと思いますので、
記事を訂正させていただきます。
ご指摘、ありがとうございました。
Unknown (とんぼ)
2012-03-28 02:38:58
陽花様

きれいなのになぁ、とか、すてきなのになぁとか
そういう思いは、たぶん自国の人にもあるのでは…
なんて思っています。
いろいろ言っても、まだ日本はいいほうなのかもしれませんね。
東アジアの着るものは (tama)
2012-03-29 04:42:47
韓国は、チマテョゴりは観光地でしかみられまえん。ステージなどで。
街には洋服をきてる人ばかりですし。結婚式にはウェディングドレス。
そして案外目立つのは、キリスト教徒の多さ。
韓国は、自分の分文化は残さないつもいりだと思います。
暑い東洋のラテン国家韓国は、多分勢いで行くのでしょう
Unknown (古布遊び)
2012-03-29 09:49:22
民族衣装と言うのは本当に魅力的ですよね。
私のツボなんですーサリーも素敵、チマチョゴリも素敵。なんでも素敵に思える~~

ちなみに大昔、披露宴の衣装は着物の後サリーを着ました。今考えると笑えますが!
Unknown (とんぼ)
2012-03-29 20:12:04
tama様

私は外国には行ったことがないので、
ひとさまのお話しをきくばかりですが、
町のなかで普通に着姿を見られない…
というのは、寂しいですね。
日本はまだマシなのかもしれません。
いっしょけんめ着ようという気になります。
Unknown (とんぼ)
2012-03-29 20:13:56
古布遊び様

あらーお色直しがサりーだったんですか!
私、一度着てみたいと思うのですが、
着てどこ行くよ…なので、やっすーい布でも
6メートル買って、やってみるか…って。

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