
「あの日」から10日…今日はお彼岸のお中日。24日で彼岸明け。
こちらはいきなり寒い雨の日ですが、これで春もくるのでしょう。
今回の地震の名前には「関東」が入っていますが、今ここは、少しばかり余震がつづいているだけです。
原発のことがなければ、きっと暮らしもすっかり元に戻って、毎日「早く被災者に救援を」と、
テレビのこちらで思っていただけだったと思います。
原発は、まだ天秤の真ん中で、プラスに行ったりマイナスにいったり、ゆらゆらと揺れています。
原発は、いくらハラハラしたところで、私にはどうにもできません。
このままなんとかプラスでおわったとしても、電力がどうなるのか、
一応4月いっぱい、という「計画停電」ですが、それで終わる保証はありません。
被災者のことを思えば、毎日数時間の停電など、文句を言うほどのことはありませんが、
それでもいつもどおりには暮らせません。でもその程度です。
被災者へのインタビューもあいかわらずですが…答えは確かに変わってきました。
直後の茫然自失、悲しい苦しい…から「それでもここにいたいしな」「またイチからやり直しだぁよ」
「やらねばなんねっぺ」「なんとかせねばよ」…そんな声もきかれるようになりました。
地震直後に「はぁ長生きなんかするもんじゃねぇなぁ」といってたおばぁちゃん、
きっと今頃は「それでも生きねば」と、ちゃんと避難所ですごしていることでしょう。
そして私は…今回、ほんとにたくさんの皆さんからお力をいただきました。
電話がきてメールがきて「大丈夫?息子さんは?」「お父さんもご無事?」
そして次には「あれを送ります。これはありますか。」…お目にかかったことがない方からも、です。
なんって私はしあわせ者でしょう、なんと恵まれていることか…本当本当にありがとうございます。
おかげさまで、何も心配せずにすむようになりました。お店のほうも少しずつ平静になってきています。
北国のかたに「私のように、どうか、たくさんのみんなの思いが届きますように」と祈っています。
いつまでも縮こまっていてもはじまりません。
今、私にできることは、もちろん被災者や被災地に向けては、募金と節電くらいですが、
このブログにおいでくださる皆様には「とんぼは元気でやってます」というお知らせです。
当初はあまりにのことに、実際何も書く気にもなれなかったし、
まだいろいろ落ち着かない今は、着物のことなど不謹慎でもあるのではないかと思っていましたが、
前に進むことにしました。少しずつ、また書きます。
しばらくは停電のこともあり、とびとびかもしれませんが、少しずつ「元にもどる」努力をしていきたいと思います。
こんな拙いブログですが、自分の知っている限りのことを、書き綴っていこうと思っています。
また、よろしくお願いいたします。
写真は父がもってきてくれた小型ラジオ、ネンダイモノ…。
「防災用の懐中電灯が小さくて、ついているラジオが音が小さい」と見せたら、
「これはほんとに『とりあえず』のものだよ」と、自宅から小型ラジオを持ってきてくれました。
ほんっとに物持ちがいいんだから…。なんたって「カセットも聴ける」式、いまやカセットがありませんが。
母の手作カバーがかかってました。とってもうれしかったんですけど…じーちゃん、これ…電池6個も使う…。
計画停電の間は、雑音の多い「防災用」を使います…。でも、ありがとね。
何だかホッとしますね。
今は便利になりすぎて、少しアナログな時代に戻っても良いかなと思ったりします。
とんぼ様のおっしゃるように気持ちの切り替えをしていかなければと思っています。
余震と原発早く終息してほしいですね。
ご実家やとんぼさんちで買ってもらった品物は
大事に使ってもらえて幸せですね。
カセットなんて、もうどこにしまったか…。
懐かしいですよね。
これはテレビの音も入ります。
当時としては画期的だったんでしょうね。
少しアナログなくらいの方が、
人間動きますね。
余震はだいぶ減りましたが、
毎日停電の予定表と首っ引きです。
まだ終わってないんだなぁと思います。
何をするのもお知りが落ち着かなかったのですが、
やっとなんとか気持ち的には、一区切りで
ツギの段階かなと思えるようになりました。
なんにしても、実家は「アナログ」道具の宝庫です。
こういうときは、文明ってなんなんだろ、と
思いますねぇ。