10月30日 TUE 24℃
普天間基地・大山ゲートでの抗議行動も今日で22日になりました。
朝6時は、まだ暗い!
今日も**さんが低速運転でアメリカ兵の車を止めようとするのを、しつこく「説得」する警官たち
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今朝は、行動後の8時半ごろから、下の芝生でミニコンサートがありました。
な、なんと沖縄の人なら知らぬ人はない、有名な四人姉妹の沖縄民謡グループ「でいご娘」の長女、島袋艶子さん(64歳)が来てくださったのです!
パチパチパチパチ!
艶子さんのお父さん、比嘉恒敏さんは、戦争で愛する家族を亡くされました。(父と長男を米潜水艦に沈められた学童疎開船「対馬丸」で失い、さらに出稼ぎ先の大阪大空襲で妻と次男が目前で防空壕ごと押しつぶされるという悲劇に遭われたのです)
艶子さんたち姉妹は、恒敏さんが、戦後再婚して生まれた子供たちです。
比嘉恒敏さんは、戦後新たな家族に恵まれて幸せな家庭を築いておられたのに、復帰翌年の1973年、大山ゲートのすぐ近くで、米兵の飲酒運転の車と衝突、恒敏さん夫妻が亡くなるという悲運に見舞われました。「米軍に2度も幸せを奪われた父が残してくれた歌を、私は一人でも唄うよ」という艶子さん。
父の作詞作曲した「艦砲ぬ喰ぇーぬくさー」(艦砲射撃の喰い残し)を笑顔で唄う艶子さん
有名な反戦地主の有銘政夫さんも一緒に唄ってくださる
この有銘さんがとてもシブイいい声で、艶子さんの高く澄んだ声とのハーモニーが抜群でした!
この悲惨な戦争を力強く生き抜いた庶民の歌を、二人ともニコニコ笑顔で、実に楽しそうに唄われたことに、何より感動しました!
きっと、沖縄の人たちは、どのような困難な場面でも、めげず、あきらめず、楽天的に未来を見てここまで来られたのかなあ・・・と強く感じました。
「明日からまた笑顔でやるぞ~!」という元気を一杯、一杯いただきましたね、全員が。
素晴らしいミニコンサートでした。
よっしゃ、「命どぅ宝・さらばんじぬ会」 (ぬちどぅたから・さらばんじぬかい)、また明日~!
チョイさんは、夕方から泊まりがけで高江へ向かいました。高江ではヘリパッドの工事も完成していないというのに、連日オスプレイが飛来して大変らしいです。
これで、ヘリパッド(=オスプレイパッド)が出来たら、どんなに過酷な環境になることか、恐ろしいです。