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快読日記

読書とともにある日々のはなし
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「本が好き、悪口言うのはもっと好き」高島俊男

2012年09月11日 | エッセイ・自叙伝・手記・紀行
《9/8読了 大和書房 1995年刊 【日本のエッセイ】 たかしま・としお(1937~)》

例えば、「…が望まれる」という言いまわし、よくありますよね。
筆者は、ある新聞の「…との疑念が起きないよう、細心の配慮が望まれる。」との表現を取り上げて、
「この言いかたは、曖昧、かつ気持がわるい。注文はつけるが、注文をつけた責任は取らないよ、というつもりか」(59p)と叱り、
「こういう文章を見てわたしが感じるのは、何より、不潔感である」(同p)と締めくくる。
あ~、気分がいい。

こんな調子の日本語(の特に誤用)に関する歯切れのいいエッセイがスカッとしました。
呉智英と似た雰囲気があって、共通する主張も多いけど、あんなにカリカリしていない、もうひとまわり大きいかんじ。
(いや、攻撃的な呉智英も大好きなんですが。)

「よくわからない言葉は使うな」(同p)

って、本当にそうだよね~。
しかもそれが、自分をちょっと賢く見せようとか、言質を取られないように逃げようとか、そういういやらしい気持ちがあっての表現だと最悪ですな。
気をつけねば。

中盤では書評十番勝負(この人が養老孟司の本を絶賛するのは、すごく分かる気がする)、「支那」という言葉についての論考、っていうか説明(呉智英も同様の主張をしているが、それよりさらに詳細な説明になっている)、李白と杜甫の話(これが一番よかった。李白と杜甫に初めて会った気がした)、そして、終盤の身辺雑記的な文章もおもしろかったです。

使われなくなった言葉は国語辞典から抹消しろとの別役実の意見に対しては、
“国語辞典は過去との対話のためにある”と反論した上で、こう言っています。

「日々死滅してゆくことばを削除してはならない。辞書の項目の増加は、われわれが過去と対話する便宜の増加にほかならぬ。辞書が削除してしまったら、われわれはどこへ聞きにゆけばよいのだ」(46p)

/「本が好き、悪口言うのはもっと好き」高島俊男
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