快読日記

日々の読書記録

読書中『「反戦・脱原発リベラル」はなぜ敗北するのか』浅羽通明

2016年03月12日 | ノンフィクション・社会・事件・評伝
3月11日(金)

「誰が悪いのかを言いあてて、
どうすればいいかを書き立てて、
評論家やカウンセラーは米を買う
迷える子羊は彼らほど賢い者はいないと思う
後を着いてさえ行けば何とかなると思う
“見えることとそれができることは別物だよ”と米を買う」


…っていう中島みゆきの歌があった。
この「評論家やカウンセラー」という人種は、浅羽通明が『「反戦・脱原発リベラル」はなぜ敗北するのか』(ちくま新書)で言う「知識人と呼ばれる人」とたぶん同種だ。

彼らを「セカイ系の中二病」と言い当てたあたりに膝を打つ思いがする。
そして、彼らが昨日や今日出現したわけではなく、福田恒存の時代には既にいて、福田恒存が見事にそれをしっかりとらえているのがおもしろかった。
振り返ってみても“偏差値が高い人”の話ってすぐ地面から足が浮くなあという実感はたしかに高校時代からあった。
例えば、浅田彰を読みながら“この人には親兄弟や祖父母がいないのだろうか。近所の人は彼をどう思っているのだろうか。結婚式や法事には行くのだろうか”などと考え、インテリというのはずいぶん恰好いいもんだなー、共感しにくいなーと思った。
浅羽通明の「知識人」分析でその違和感の正体がわかった気がする。

そして、浅羽通明が分析する“おたく”と、斉藤環の“ヤンキー”で、今の日本ほとんど説明つくんじゃないかとさえ思う。
…なわけないか。