十勝の活性化を考える会

     
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幻の大湿原

2019-09-29 05:00:00 | 投稿

令和元年8月13日の北海道新聞夕刊「今日の話題」欄に、以下の記事が載っていた。

 

『(前略)開拓前、石狩平野には北空知から札幌、千歳にかけ、いくつもの湿原が点在し、道内最大の大湿原が形成していた。6万㌶を超え、釧路湿原3倍を超えるそう。

「新篠津ツルコケモモを守る会」事務局長の斎藤央によると、その名残は美唄湿原、江別の越後沼湿原、石狩のマクンベツ湿原などに見られるが、往時の1%も残っていないはずだという。

大湿原が消滅したのは、明治から戦後の開拓で農地に姿を変えたから。先人たちは辛苦を重ねて泥炭地を排水、客土し、食糧基地を築き上げた。

一方、大湿原の記憶を残そうと、植物学者吉井義次は1919年、美唄と篠津の湿原を天然記念物に指定する意義を提言した。それは将来の住民が先人の努力を追想する意味でも重要だと説いた。

残存湿原は乾燥化で将来が危うい。斉藤さんらは「人間と自然が共生可能であることの証明」として保存を願う。(岩本茂之)』

 

この新聞記事に関して、湿原などについては以下のとおりである。十勝平野は、釧路湿原の5倍の湿原であったらしい。それが隆起などを繰り返しながら、現在のような平野になった。そして今、十勝平野にある帯広市野草園の植物も、乾燥化により半世紀で4分の一が消滅したそうである。

「十勝の活性化を考える会」会員

 

注)釧路湿原

(細岡展望台より宮島岬方面を望む)


(釧路湿原)

釧路湿原は、北海道釧路平野に位置する全国の湿原の3割を占める日本最大の湿原湿地である。面積1万8290ha釧路湿原国立公園の区域は2万8788ha。その大きさは山手線がすっぽり入りじつに大阪市面積に匹敵する。

 地理

釧路市の北部から4市町に広がる。大半は川上郡標茶町阿寒郡鶴居村釧路郡釧路町に属する。

湿原の中を釧路川が大きく蛇行しながら流れている。湖の東側には塘路湖シラルトロ沼達古武湖、エオルト沼、ポン沼、サルルン沼が並ぶ。湿原の中にも小さな湖沼が点在するほか、泥炭層の小さな穴に水がたまって底なし沼状になった「やちまなこ」(谷地眼)が各所にある。

自然とその保護・再生

[動植物]

ヨシ-スゲ湿原が大部分を占める。スゲ属が大きな塊となったものは谷地坊主(やちぼうず)を呼ばれ、釧路湿原の名物の一つとなっている。このほかハンノキの林、ミズゴケ湿原もあり、食虫植物モウセンゴケコタヌキモが生育する。湖沼や河川にはヒシ、ネムロコウホネなど水草が見られる。湿原内と周辺で確認されている植物は700種を超える。

動物は哺乳類39種、鳥類が200種程度、爬虫類5種、両生類4種、魚類38種、昆虫類が約1100種確認されている。日本最大の淡水魚であるイトウサケ科)やキタサンショウウオなどの希少な動物も多い。人の活動が少なく餌が豊富なため、タンチョウエゾセンニュウベニマシコなどの多くの鳥類の繁殖地・休息地となっている。タンチョウは夏季、釧路湿原を含む道東各地で繁殖し、冬には釧路湿原へ戻ってきて越冬する。

[自然の保護と再生]

釧路湿原の自然保護は、1935年(昭和10年)8月27日に「釧路丹頂鶴繁殖地」として2700haが国の天然記念物に指定されたことに始まる。その後1952年(昭和27年)3月29日に「釧路のタンチョウ及びその繁殖地」として特別天然記念物に指定変更され、面積も2749haに拡大された。さらに1967年(昭和42年)6月22日に「タンチョウ」を地域を定めない種指定の特別天然記念物に指定変更するとともに、同年7月6日に新たに「釧路湿原」を天然記念物の天然保護区域に指定し、その範囲を5011.4haとした。

また、1958年(昭和33年)11月1日には、国指定釧路湿原鳥獣保護区(希少鳥獣生息地)に指定されている(面積1万1523ha、うち特別保護地区6962ha)。ただし哺乳類のうちエゾシカについては希少植物を食害したり、踏み荒らしたりしている面もあるため、環境省が頭数調査と試験捕獲を行っている。1980年にはラムサール条約登録地に、1987年に湿原周辺を含む約2万6861haが国立公園釧路湿原国立公園)に指定されている。現在の釧路湿原一帯は釧路湿原国立公園の特別地域に指定されており、開発は厳しく規制されている。

植生保護や谷地眼への転落事故防止のため、湿原内に入る自動車が通行できる道はない、観光客は遊歩道を通るよう求められる。ゴミのポイ捨て、釣り糸釣り針の遺棄とそれによる鳥類への被害も起きており、有志による「釧路湿原騎馬隊」が乗馬による自然保護パトロールやゴミ拾いなどを行っている。

かつては湿原を農地化する試みも行われていたが、現在は湿原の開発よりも保全に目が向けられている。湿原内では国土交通省環境省等により「釧路湿原自然再生プロジェクト」による自然再生事業が行われている。

主な事業として、湿原上流部に当たる茅沼地区において直線化された釧路川流路を再蛇行化させ自然環境の復元を図る事業や、達古武地域において森林、湿原、河川、湖沼と連続的につながる生態系の復元を図る事業が行われている。

[湿原の歴史]

1万年前までの氷河期には、地球上の水が氷河として大量に地上に堆積したため海水量が減って海水面が低下し、釧路湿原一帯も完全に陸地化していた。その後、気温が上昇して海水面が上昇した。約6000年前には気候が現在より温暖化し、海水面も今より2から3m高くなった(詳しくは縄文海進を参照)。当時、釧路湿原一帯は大きな浅い湾を形成し、気温も現在より平均2℃から3℃高く、現在の東北地方と似た気候であった。湿原周辺に存在する当時の貝塚からはハマグリシオフキなどの貝殻が見つかっており、これらは現在は宮城県以南に生息している種である。

その後、気温の低下にしたがって海水面も低下し、4000年前には現在の海岸線が形作られた。釧路湿原では湾口部に砂洲が発達し、内陸部は水はけの悪い沼沢地になった。沼沢地に生い茂ったヨシやスゲが冷涼多湿な気候のもとに泥炭化して湿原が形成され、約3000年前に現在のような湿原になった。北海道にあるサロベツ原野霧多布湿原も、同じ経緯で形成された。

[眺望と探勝]

一般の観光客は、高台にある複数の展望台から眺めるか、遊歩道の散策やカヌー等による川下りで湿原の景色・自然を楽しめる。また、JR釧網本線は一部の区間が湿原内を通るため、列車に乗車したまま観察する方法もある。

湿原の東端には、「細岡展望台・ビジターズラウンジ」がある。蛇行する釧路川を一望でき、正面に宮島岬やキラコタン岬が望める[7]。展望台の下にはJR釧網本線釧路湿原駅が設けられており、臨時の観光列車である「くしろ湿原ノロッコ号」も停車する。また、JR釧網本線塘路駅付近には「サルボ展望台」、道道1060号沿線には「コッタロ展望台」があり、著名ではないが釧路川の流れと釧路湿原東側を眺めることが出来る。

西端には「釧路市湿原展望台」と「温根内ビジターセンター」がある。こちらからも湿原を一望できるが、湿原内を蛇行する釧路川は視界に入らない。それぞれの施設付近に探勝歩道が整備されており、植物や鳥類などを観察しながら湿原に触れることができる。また、両施設の間(約4km)を、旧鶴居村営軌道の廃線跡を転用した探勝歩道が結んでいる。

(出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』)


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