普通を失って普通であることの大切さを知る。このことは、我々はコロナ禍や東日本大震災を経験したから分かるだろう。普通であることの大切さである。
大切なことは、このことを常に意識して生きていくことだろう。意識して生きることと生きないこととは大きな違いになる。そして、我々は経験することが大切である。すなわち、百聞は一見に如かずである。
確かに、「雨ニモマケズ・・・」の詩で有名な宮沢賢治は、「普通」の人ではなかったように思うが、私は脳出血の後遺症で障害を持っており、障害を持ったことにより人生観・価値観も変わったように思う。人間の幸せには様々な幸せがあると思うが、極力、自分は幸せだと思うようにしている。普通であることの大切さである。
なぜなら、不幸だと思っても何も良くならないからである。それよりもむしろ、幸せになるように努力することが、人生にとって大切ではないかと思っている。そして臨終に際して、「自分は本当に幸せであった」と思えるような人生にしたいものである。
ある時、お坊さんが人生には運と不運があり、それこそが“縁”であるといっていたが、自分もそのように思う。そうでないと、今回の知床観光船の事故が不便でならないからである。息子によれば、今回の事故で亡くなった20代の男性のお母さんは同じ会社の従業員で、息子さんは、20代の若さであった。 (合掌)
「十勝の活性化を考える会」会員
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