十勝の活性化を考える会

     
 勉強会や講演会を開催し十勝の歴史及び現状などを学ぶことを通じて十勝の課題とその解決策を議論しましょう

アイヌはどこから来たのか?

2022-10-13 05:00:00 | 投稿

日本社会学者 沖浦和光氏が、「日本人はどこから来たのか?」ということについて、以下のとおり分かりやすく書いている。

『 日本列島が今のように海に囲まれた島国になったのは、約2万年前の氷河期の終焉期です。気温が上昇し、海水面が約150m上昇したため、大陸から切り離されました。列島となった日本には、旧石器時代後期から東南アジアから北上してきた古モンゴロイド(=南方系モンゴロイド)の先住民が住んでいました。
 気候の温暖化に影響され生まれた「縄文文化」がこの日本列島で発展しますが、その後、中国大陸の江南地方に住んでいた倭人系が渡来してきます。倭人たちは稲作文化と金属器文化をもち、朝鮮半島を経由して九州へやってきました。

その後も何派にも分かれて朝鮮半島からやってきた倭人系の渡来集団は、その数を増やすにつれて九州・四国から西日本まで広がり、先住民と融合しながら古代文化の基礎となる「弥生文化」、さらに古墳文化の発展の推進力となります。

次に、東北アジアに住む騎馬民族系の集団が朝鮮半島北部に入ってきます。「高句麗」を建国し、さらに半島を南下して、「百済」「新羅」をおびやかします。北方系文化の影響を受けた朝鮮半島からの渡来人は、早くから九州北部にやってきます。そして縄文からの先住民や弥生時代の渡来民を制圧して融合しながら勢力を広げ、やがて近畿地方まで進出してヤマト王朝を建国しました。

しかし、北関東以北の地方と南西諸島を中心とした縄文人以来の伝統的民族は、新しい渡来集団の遺伝子を受けることが少なく、独自性を維持してきました。それがアイヌ民族と南西諸島の先住民です。(後略)』

既述の文章でも分かるとおり、北関東以北の人々が“アイヌ(エミシ)”であり、南西諸島の人々が“琉球人”なのである。このようなことが意外に知られていないことが、アイヌの差別につながっていると思う。

私の母方の祖父母は北東北出身なので、アイヌのDNA(遺伝子)が強い。このDNAに着目すると、北海道人の多くは東北にご先祖を持つ人が多いので、アイヌ系の人が多いと思う。一方、佐賀県に住む知人の話では、九州人の顔は縄文人系と弥生人系の二種類に分かれるようである。なお、アイヌは縄文人系である。

エミシ(アイヌ)は、次第に影響力を増大させていく大和朝廷により征服され、一部は中世のアイヌにつながり、一部は和人につながったと考えられている。エミシは学者によってアイヌとアイヌ系のふたつに分かれるが、いずれにせよアイヌの血が流れているということになる。

アイヌには、東北アイヌ、北海道アイヌ、樺太アイヌ、千島アイヌなどいろいろいる。私の従兄の奥さんは札幌市の隣の対雁(現在の江別市)で生まれたアイヌである。親が樺太アイヌであったために1歳の時に樺太にわたっているが、太平洋戦争により日本が負けたために、8歳の時に北海道へもどって来ている。

アイヌという自民族の呼称として使われだしたのは、本州の人々とアイヌとの交易が増加した18世紀前後といわれ、それ以前は、「アイノ」とか「カイノ」、「エゾ」など呼び名はいろいろとあったらしい。

なお、アイヌという言葉が古文書に使われ始めたのは、19世紀に入った江戸時代の後半になってからで、「アイヌ」という名称が初めて日本の文献に現れたのは、板倉源次郎氏が1739年に書いた『北海随筆』中の「アイノとは長者のことなり」という部分である。一方、「和人」という言葉が古文書に載ったのは江戸時代で、幕府がアイヌに対して自分たちの自称として用いていたという。

「十勝の活性化を考える会」会員