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とどちゃんの縁側でひとり言・・・。

日々の生活の中で見たこと感じたことを記録していきます。

とぼけた顔して・・・。

2008-01-24 23:48:08 | 家族
子供の頃から、「とぼけた顔してババンバ~ン」と母親によく言われていた私。
最近は、夫にも言われる様になってしまった・・・。
これが・・・。
写真やビデオを見ても自分でも「とぼけた顔してんな~」
と思ってしまう今日この頃・・・。

今週は風邪をひいた私・・・。
下痢と吐き気が続いており、食欲も無い・・・。
夫は残業続きで、今日になってマジマジと私の顔を見た・・・。

夫「何だ、本当に具合悪そうだな」
私「あら?そう?顔色悪い?下痢も続いてるからねぇ・・・。」
夫「うん、何だか青白いよ」
私「あらら・・・鏡見して」

この後、鏡に映った自分の顔がとぼけ顔でびっくり。
「なんだかとぼけた顔してんなぁ」
と感想を言う私を見ながら大爆笑。

夫「具合悪くてもとぼけた顔してんなぁと思って・・・」


顔って変えられないよねぇ・・・。
アホな事ばっか言ってるから顔が冗談みたくなっちゃったのかしらん・・・。
きっと死に顔も「とぼけた顔して・・・」とか言われるんだろなぁ・・・。

でも、本当に調子悪いんですよ・・・。

どうにも納得がいかないこと。

2008-01-03 11:39:04 | 家族
結婚とは当人はもとより、家同士のものだという。
全くその通りで、しかし、全く違う家同士が親戚になるのだから、当然お互い理解不能な事もおきてくる。

夫は正月早々、顔もよく知らない従兄弟の家にパソコンの取り付けに行った。
これを段取りしたのが、以前、このブログにも出てきた夫に何でも頼む我が家の近くに住む従姉。
年末30日に電話をよこし、その、夫もよく知らない従兄弟のパソコンはどれを購入したらいいのか、ついでに取り付けに来てよ。と言ってきた。

私がこの家に嫁に来て、何とも納得いかないのがこの従姉。
確かに面倒見は良い。
親戚の事を気にかけて走り回っているのだが・・・。
この従姉は当然、嫁に行っいる。
だけど私が知る限りでは、どうも気にかける割合が自分の実家の方が多い気がするのだ。
長女で、妹は病気で片麻痺。弟は結婚してあまり実家に帰らず。となれば、自分が何とかしなくちゃと思うのはわかるけど。
だからと言って、やれ電化製品の接続だ、スカパーのアンテナつけろ、パソコンつないでと家に何で来るのかな?
私にもいとこは沢山いる。
付き合いも夫のいとこ同士に比べればかなり親密だ。
だからと言って、例えば、電気に詳しいとか頼りたい事があってもお願いしようという考えにはならない。
いとこも結婚してるのがほとんどだし、大体電気屋がやってくれるし、どんなに仲が良くても、その家その家があるのだから、そういうことは気を使う。
まして、私は嫁に出た身。
実家の親戚に頼るのもどうかと思うし、あえて頼るような事でもないだろう。

嫁に来て今年で8年になるけど、どう考えても納得いかないのだ・・・。
かと言って。
付き合いを辞めるわけにもいかないので、私の考えを治さなくてはいけないのだけど・・・。
これまで色んな風に考えを変えてきたけど解決策が見つからない。
このままだと、いつか爆発して、言わなくてもいいことも言ってしまいそうだなぁ。

何かうまい方法ありませんかねぇ・・・。

余談ですが・・・。
この従姉の家は先日泥棒に入られまして・・・。
実はこれで2回目。
従姉の家に限らず。
どんなに警備や戸締りをしっかりしてても泥棒に入られる家はどうしても繰り返してしまう。
何故かわかりますか?
色々理由はありますが。
その一つに・・・。
家人がちゃんと家の中に目を向けていないというものもあります。
家の中とは、家族一人一人のことや、家そのものもあります。
外のことばかりに気を使いすぎて、肝心な自分の周りに気が向いてない。
家族を含め、家の中は隙だらけということになります。
そうなると、家自体がそんな気を発してしまうんですね。
泥棒はそういうのが何となくわかってしまう。
全く同じ家でも、住んでる人によって見た目も変わる事ってありますよね?
ほとんど留守にしてても泥棒が入らない家もありますし、どんなに厳重に警備や防犯対策をしてても泥棒に入られる家もあります。
あなたの家はどうですか?
我が家?
う~ん・・・。
最近はちょっと危ないかもしれない・・・。

決まりました。

2007-09-27 23:00:41 | 家族
一番下の弟の就職先が決まりました。
弟は来春高校卒業予定。
私の17歳下であります。

大学に進学するのかと思いきや・・・。
いきなり就職・・・。

まあ、我が実家は母子家庭ですので・・・。
「働かぬ者、食うべからず」なのですが。

実は、実家のPCがただ今、インターネットに接続できないのであります。
ええ、いつぞやの雷の後からおかしいようで・・・。
その後もNTTで修理にきたりしたのですが、どうにもうまく接続できず・・・。
母が面倒くさいので辞める!!と言い出し・・・。
そのまま現在に至る・・・。です。

なので、弟のブログも更新できないままです・・・。
まあ、働く様になって、お給料取ったら自分のお金で好きにすればいいさ。

ちなみに・・・。
弟の就職先は、福島市内の企業でして・・・。
山形などにもお店を構えるホームセンターです・・・。

地場産業?に貢献して福島を盛り上げて欲しいものです。

葬式もお祭り騒ぎ・・・。

2007-09-10 23:32:43 | 家族
昨日はしんみり祖母の事を思い出していた私ですが・・・。
その流れで、本日は祖母のお葬式の時の事を思い出しておりました・・・。

何てったって、10人も子供を産んだ祖母(2人は子供の頃死亡)、そして、その祖母のキャラクターもどこかとぼけた感じだった・・・。
お陰で、残った8人の子供達、(うちのオカンの兄姉)のキャラクターもまた格別だった・・・。
ちょっとしんみりしていたのは、祖母が亡くなった当日くらいで、(しかも1~2時間くらい。)その後は、親戚に連絡したり、通夜の用意やらで大人達は大騒ぎ、あっ、失礼、大忙し。
その時点で、いとこがうちの兄弟まぜてもすでに8人くらいおりましたので、これが、いつも悪いことする面子・・・。子供達は子供達で大賑わい。
祖母の側で眠りたいという私の願いは却下され、みんなで我が家で雑魚寝となった。これが興奮して喋り捲っておりました。

翌日には、母の他の姉兄達、親戚などもみんなきておりました。
なんせ、狭い家に何十人もの親戚、祖父母の家と、我が家と分かれて寝泊りする事になり、酔っ払った大人たちも加わって何だか楽しいお葬式になってしまいました。

そう言えば、祖母は生前こんなことを言ってました。
「子供が10人もいればみんなが集まるのはせめて自分の葬式くらいだろう、せっかくみんな集まるんだから紋付羽織袴で楽しんで欲しい」

さすがに、紋付羽織袴は着ませんでしたが、何とも賑やかなお葬式でした。
中でも盛り上がったのは、神戸のおじさんが来たときでしたね。
私達いとこも同じ座敷にいたのですが、おもむろに
「は~い、じゃあ小遣い欲しいひと~!!」何て言うもんだから、みんな乗っちゃって手を上げてました・・・。
台所にいたはずのうちの母までも戻ってきて手をあげてました。
そんな事も許される家族なのです・・・。

その後も、何故か母の身内のお葬式は「あれは楽しかったな・・・」何て思うものばかり・・・。
何てったって、私の結婚式の前日に母の兄のお葬式があったのですが・・・。
とてもそんな風には見えない盛り上がりっぷりでした。

まあ、そんな母の兄弟、母系のいとこ達も当然いろんなネタが満載なのですが、それは追ってお話しましょう・・・。

みなさんも、故人は明るくお見送りしましょうね。

命日

2007-09-09 13:30:19 | 家族
昨日、庭先にこちらで言う「神様トンボ」(糸トンボとも言う)が一匹やってきた。
今日は祖母の命日。
あの日も今日の様に蒸し暑い日曜日だった・・・。
日中から容態が悪かった祖母。
当時、私は中学1年生。
母や、大人たちが気を使ってか?最後の日は私は面会できなかった。
少し年上のいとこが面会に行ったとき、
「ばあちゃん」と呼ぶと
「todoか?」と私と間違えたそうだ。
正直、今でもあの日何故周りから怒られても面会に行かなかったのかと悔やんでいる。
そして、この仕事についてもうすぐ20年目になるが、今でも病院を選んでいれば助かったかもしれない・・・という思いがしょっちゅう頭を過ぎる。
今となってはどうしようもない事、だから助かる命は助けたい。余命を宣告されている命は悔いの無い時間をすごして欲しい。
祖母の病名は当時「心肥大」と言われていた。
祖父が半身不随でその介護をしていた祖母の心臓はオーバーワークになり、心臓に水が溜まり心肥大を起こしていた。心臓の機能も相当弱っていたのだ。
本来なら、尿量チェックをして、飲水量も制限される。塩分も勿論制限される。
当然、もう祖父の介護などできるわけもないのだが・・・。
水分は全く制限されていなかったようだ。水を欲しがる祖母に付き添っていた母達は何の抵抗もなく水を与えていた。
結局、それが祖母の命を縮めるとも知らずに・・・。

あと5年、祖母の病があと5年遅かったら私が祖父母の介護をすることができたのに・・・。

そんな思いをずっと抱きながらこの仕事をしてきた。

亡くなったのは夜。
当時、「家族揃って歌合戦」がテレビで放送されていた。
他の病室では音量も高くテレビを見ている患者さんもいた。
あまりの音量に、父がその部屋のドアをしめると・・・。
「何だべ!!誰だいドア閉めだの!!」と怒られたそうだ。
子供たちに見守られ、遠のく意識の中、おばちゃんが
「ほら、母ちゃん!!お茶飲むんだから起きっせよ!!」
その声に応えるように祖母は微笑んだ・・・。
それが祖母の死に顔だった・・・。

私が会ったのは、家に戻ってきてから。
寝かせれている祖母の顔があまりにも優しく微笑んでいて「死」を実感できなかったのか?
不思議と涙は流れなかった。

私は小さい頃から「いつか祖父母は死ぬ」というのを覚悟していたおかしな子供だった。
大好きゆえに、その様に思っていたのか?
大好きな人の死は辛い。耐え難いものがある。だからこそ、死を自覚していなければ、本当に死んだとき、どうにかなってしまいそうな気がしていたのかもしれない。

形見分けの時、着物などを奪い合う叔母達に対して、私が欲しがったのは、私がお小遣いを貯めて誕生日にプレゼントして、祖母が気に入ってよく着てくれていた前掛けと、買い物に行くとき持ち歩いてた巾着。冬によく巻いていたスカーフ、そして「入れ歯」
どれも祖母が一番身に着けていたもので、誰も欲しがらないものだった。
そして、どれも祖母の匂いがした。

祖母が亡くなって、祖父は子供達の家を転々とする日々が続いた。
そして、祖母が亡くなった翌年の4月。
再度脳梗塞の発作を起こし、意識不明に・・・。
当時は長男のいる埼玉にいた為、私達家族も駆け付けた。
誰もいない病室で、止められていたが、母はどうにも我慢ができず、祖父に声をかけたそうだ。
「父ちゃん、目あけな!!todo達も来たんだから!!一緒に二本松に帰ろう!!」
すると、意識が無く、昏睡状態の祖父が涙を流したそうだ・・・。
昏睡状態のまま、とりあえず容態は安定ということで、私達は一旦家に帰った。
母は洗濯を毎日しないと気がすまない人。
それを知っていた祖父。
家に着いて、洗濯が終わった時だった。
電話が鳴り、祖父が亡くなった事を知らされた。
4月29日。
祖父の命日。

祖母が亡くなり、翌年の春には祖父が亡くなり・・・。

祖父が亡くなった年の夏。
何故かペアの神様トンボが私達家族の周りを飛ぶ様になる。
一番最初は、私が学校の花壇の辺りで遭遇。
ペアの神様トンボは私の胸元に止まり、そのまま家に帰ってきた。
母に「神様トンボが離れないの」と言うとその時は「珍しいね」位の返事だったが、その後から家の中に神様トンボが入ってくる様になった。
母の車の中に入っても、信号待ちの時は車から出て行くのに、青に変わるとまた戻ってきたり、不思議な事が相次いだが、何となく「祖父母ではないか」と私も母も思っていた。

その後、人は亡くなってお釈迦様の所に行くときにトンボに姿を変えて旅立つと言う話をラジオで聞いた。

やっぱりね。私と母は納得。
その後から、私達の周りには神様トンボがよく飛び交う様になった。

昨日は家の様子を見に来たらしい・・・。
私は元気でやってます。
失敗は沢山あるけど、大丈夫。心配しないでね。
じいちゃん、ばあちゃん、ありがとう。

あっ!!だけど、じいちゃん!!
オカンに告げ口するのはもう止めてね。
私だってもういい大人なんだから自分で何とかできるよ。

ああ・・・いつまでも小さい頃で止まってんだなぁ・・・。

偉大なるオカン

2007-09-06 14:52:29 | 家族
私の実家は吉本新喜劇を地でいくようなお笑い一家だ・・・。
私も実家に帰ればお笑いモードになる。
家族が言うには「大姉の言う事は9割冗談」だそうな。
お笑いもばっちり、真面目な話もばっちりの素敵な大人を目指してるのだ。
文句ある?

結婚してからはモッパラ夫に突っ込まれてばかりですっかりボケキャラになってしまった私ですが、実家では突っ込みキャラでした。
って言うか、どんだけボケボケなんだよ。

所で、先日実家へ言った時。
妹が職場で手に入れた「フォアグラ」があった。
妹は某ファミレスの職員。
期間限定メニューであまった食材や、賞味期限が切れそうな食品は安く購入できる。
お陰で、母子家庭のうちの実家は助かってるわけですが、珍しい食材が手に入るという面白さもある。
そこで「フォアグラ」
世界三大珍味と言えば「キャビア」「フォアグラ」「トリュフ」じゃあ~りませんか。
一般家庭でこの食材を使用するのって、ほとんど聞きませんよね?
そんな「フォアグラ」(しかも小さい)をおもむろに冷蔵庫から取り出すと・・・。
「これ、持ってく?」とオカンは私に言った・・・。
高級食材とも言われる「フォアグラ」(しかも小さい)を目の前に私の心はグラついたが、冷静に考えた。
出された「フォアグラ」は1個しかも小さい。
「フォアグラ」ってソテーしたりして、何か上にこじゃれたトッピングをして頂く感じじゃなかったっけ?
少なくとも私のイメージはそう。
我が家は夫と二人だけ。
それにしても1個ではしかも小さいし、ケンカの元ではないか。
それでなくても2人なのにエンゲル係数は4人家族並みの我が家・・・。
色々考えて・・・。
「いらないよ、大体1個じゃ足りないし、どうやって食べるのかもイマイチよく解らんし」
と言った。

するとオカン・・・。

「な~に、小さく切って野菜炒めに入れだらいいべした~」

や・・・野菜炒め・・・。

無敵だ・・・。
うちのオカンは無敵なんだ・・・。

朝から不機嫌なんだから!

2007-09-03 22:45:10 | 家族
今朝・・・。
私は本日の夕飯の事を考えていた・・・。
おでんを作ろうかと思って、ヨークから昨日安かったおでんだねを購入。
本当は昨日作ろうかと思っていたのですが、煮込んだほうがおいしいよねぇ~。と言うことで、昨晩から煮込んで作ろうか迷っておりました。
昨日の時点で、今日の気温が30度まで上がるということでしたので、悪くなったらがっかりだし・・・。と思い、本日作ろうと思ったのです。

テレビを見ながら、夫に・・・。
「今日は何時くらいに帰れる?」
と聞くと・・・。
「そんなきっちり何てわかんないよ!!」
と何故か切れ気味・・・。
続けて夫が。
「あっ、7時だっけ?9時だっけ?食べれないんだっけ?」
とまたちょっと怒り気味に言うので・・・。
「まあ、1時間も煮込めば大丈夫だと思うけど」と返事すると・・・。

「何の話してんだよ!!」
「俺は明日ドックだから今日は夜何時からだか食べれなくなる話してんだよ!!」

「ああ、そうかそうか」と私が言いますと・・・。

「まったく、お姉ちゃんがあれもこれも検査しろっていうから言われたとおり、色々いれたのにさ。何にも考えでないのがいで!!」


・・・。

検査で不安だったのか・・・?
何故か判りませんが、いきなり不機嫌。
その検査は明日なですけどね・・・。
こんな事で、何でとばっちりを食うはめになったのか・・・?
私が「おでん」の事ばかり考えていたのが面白くなかったのか?
ツー・カーといかなかったのが不満だったのか・・・?
その後は何でもないのでいいんですけどね。

何だったんでしょう?