誰の上にも青い空

場面緘黙症、その後

ほんのちょっぴりの勇気で

話が出来るようになった


短い会話はできるけど

学校では

手を挙げて答えを発表することが出来なかった


小学5年生ぐらいから、割と普通に話せるようになったし

発表も出来るようになった

場面緘黙症は過去のモノだと思っていた


時は流れて社会人になり

鬱病を発症した


自分なりにその原因を探ると

「イヤな上司のパワハラ」が

100%の原因ではなく


「遠い過去の生い立ち(場面緘黙症)」や

「生まれつき持っているDNA(人格)」なども

複雑に絡んでいるような気がしてしまう


精神疾患は一つの原因では語りつくせない

非常に厄介な病だと思う

コメント一覧

tochika
uparinさん、コメントありがとうございます。
私が場面緘黙症であったことを、家族の誰も気にはしていませんでした。今となっては当事者である自分だけが覚えていることです。
どうしても話せない・・・不思議な症状です。
幼稚園、学校と言う「場面」では何も話せない・・怖かったのかも分からない。
家では話せる。友達とも家では話せてしまう。これが何故か自分でも分からない。
小2でやっと少し話せるようになってからも会話がおぼつかないのと、気持ちの表現が上手く出来ないので黙ってしまうことも多く、小3小4ではちょっとしたイジメにも会いました。

中学生になっても国語の授業で音読させられると異常につっかえますし、音楽の歌のテストでは全身が震えていました。社会に出てからも人前で話すこと(自己紹介すらも)苦手ですし、緊張でカラオケを歌うことが出来なくて、場をしらけさせてしまうことも多々ありました。根っからの気質(DNA)なのでしょうね。

ウチは妻が社交性があり、どんな職場環境でもやっていけるタイプです。息子が不登校だったり、何をやってもすぐに辞めてしまう「私のマイナス部分のDNA」、友達と仲良く騒いだりできるのは「妻のプラスの部分のDNA」を引き継いでいるのだと思っています。

私が小中高と学校へはほぼ休みなく(嫌でも我慢して)通っていましたが、思い出はとても少なかったです。学校で友達と楽しむという体験が少なかったのですが、息子は友達が連日のように遊びに来てくれます。登校が出来れば楽しい学校生活になるはずなのです。親には見えない障壁があるようです。

今までブログには書いていませんでしたが、私は男性としては珍しい短大卒です。そこでは登山サークルに入り、素晴らしい仲間に出会えてようやく楽しめる学生生活を送れました。(その後社会人をしながら通信制の大学を卒業し、30代中盤にやっと大卒になれました)

uparinさんはブログを拝見する限り、社会性不安障害とは無縁で社交的なイメージを勝手に作り上げておりました。小中高と辛い時期を過ごされたのですね。大人=怖い...と心が反応してしまう。私のような「場面の変化」ではなく「大人」に対する何かが潜在意識に潜んでいたのかも知れませんね。
uparinさんのお兄様、リストラ、引きこもりで一人暮らしされているのは心配ですね。横浜在住というと、どこかですれ違っている可能性ありです。

私の兄も独身で生涯を終えそうな予感です。大卒後、小さな会社(勤務時間が長く低賃金の職場)ですが、ずっと一筋で勤務を続けています。アラフィフを超えていますが、アニメ・特撮が大好きで実家の兄の部屋には仮面ライダーのフィギュア10体以上飾ってあり、散らかり具合が酷いです。(ゴミではなくガラクタ屋敷?)本人の趣味なので仕方ありませんが、この先どうなの??という状態です。

我が家は母が20年以上前に亡くなってから、不安だらけです。父は80代で白内障により運転免許返納になりました。兄は生涯シングル?、弟は生涯入院確実、私はうつ病で無職(ハローワークに通っています)、息子は不登校...

悩みって、尽きないから面白いのだ!
な~んて前向きになりたいものです...
uparin
こんにちは。
自分は場面緘黙症とまではいきませんが、似たような感じの子供でした。仲の良い友達とは話せるのですが、大人が怖くて先生の前では緊張して何も話せなくなりました。
小5の時に担任から「どうしてあなたは答えが分かっているのに手を挙げて発表しないのか」とクラスの皆の前で叱られて、自分はダメな人間だと思い、家に帰ってコタツに潜って号泣しました。その後母がパートから帰宅した時には涙を拭って何事もなかったように振る舞いました。先生に叱られて泣いているなんて、恥ずかしくて母に知られたくありませんでした。
中学生のとき、クラスの前で夏休みの作品発表をする時に緊張で声が上ずり、話せなくなってしまいました。それから私の苦悩が始まりました。本読みで授業中に当てられると動悸がして声がうわずってしまうようになり、毎日授業中に恐怖を感じていました。こんなふうでは大人になっても社会生活できない。もう死んだ方がいいとも思っていました。恥ずかしいので誰にも相談することなく、高校卒業まで授業中に当てられることにビクビク怯えながら学校に行っていました。
今思うと社会性不安障害だったと思います。でも当時は親に相談して精神科に通うなんて考えもしませんでした。
でも大学生になると授業中に本読みで当てられることがないので恐怖から逃れられ、活発になっていきました。
今でも大勢の前で話すのは苦手です。
親や親友や夫にも話したことはありません。夫はとても社交的な人なので、子供達が不登校になったのは自分のDNAだろうと思っています。
私の兄は独身で会社勤めしていましたが、数年前にリストラにあい、今は貯金と退職金で引きこもり生活しています。横浜で一人暮らししています。
長々とすみません。
とちかさんのブログを遡って読ませていただいたら、自分もプチカミングアウトしたくなりまして…^_^
tochika
@utawowasuretakanariya VIVAさんへ、コメントありがとうございます。

鬱病になったばかりの頃は

上司のパワハラが原因だと思っていました。

その後、調べていくと「病前性格」という

生まれつき持っている人格が関係している事が分かってきました。

いくつかの要因が複雑に絡み合って発病するようです。

VIVAさん、お強いですね。2人の男子を退治したなんて。

男子は、この人には敵わないと思ったら

その後は絡まなくなりますね。
utawowasuretakanariya
とちかさん、こんばんわ。

トチカさんの鬱発症についての考えがとても参考になります。
深いです。考え深いです。

因みに子供の頃(小学4年だった記憶です)
放課後、男の子に絡まれて、
叩いて来たので、私も叩き返したら、
なぜかその男子の連れも加わり2対1の叩き合いになったことがありました。

それ以来、私に絡まなくなりましたが、
私には嫌な記憶として残ってしまいました。

ぁぁ~思い出すと腹がたってきた!(笑)
tochika
コメントありがとうございます。

場面緘黙症は幼少児にしか発症せず
経験した方って滅多に会えないし
それを語る方も少ないのが現実です。

りりさんも場面緘黙症を経験されていたのですね。
とても貴重な出会いです。

私は文章を書くのが苦手なので
ブログは短文で表現しております。
(高校3年時に国語の先生から「小学生みたいな作文だな」と言われたほど)

稚拙な文章しか書けませんが
今後ともよろしくお願い致します。
りり
こんにちは
https://blog.goo.ne.jp/amihana6688
とちかさんのブログ丁寧で分かりやすく訪問が楽しみです。

読み進んで 大変戸惑いました。
私の身近にとってもよく似た経歴の男子がいるから・・・神奈川県だから 違うわね~


余談ですが この私も 幼稚園 小学校低学年の頃は先生に指されても
立ってるだけで 喉から声は出なかった。
おもらしも度々で先生は苦い顔してました
私はこれじゃダメ 変わらないと・・・と思ったりしたのは小学4生の頃


とちかさんと彼と私をひと縛りにするのは
違うと思いますが、
これからもとちかさんのブログ
時にはうなずきながら 楽しく訪問したいと思います(^^♪ 

 
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