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誰の上にも青い空

実父と義父は要介護、弟は重度精神障害者。息子は小5→中3まで不登校、2024年春から高校生。飼い猫がカウンセラーです。

弟よ・久しぶりの面会(2022年7月下旬)&くりはま花の国(神奈川県横須賀市)

2022-08-10 22:04:52 | 弟よ(統合失調症)
久しぶりに弟へ会いに行ってきた。

10分以内・2名以内・平日が条件。

各病棟1組ずつの順番。


今回も一人で行った来た。


ボクが病院に着いたときは、先の面会者が来ていて

その方が終わるのを待ってから、病棟内に入ることが出来た。




2部屋あった面会室は一つ閉鎖されていた。

弟が看護師さんに連れられてくる。


いつものことだけど、落ち着きが無いようだ。

キョロキョロしている。

幻聴が聞こえているのだろう。





ボク「ひさしぶり!」

弟「うーん」

ボク「元気だった?」

弟「げ...ん...き...でし...た」


ボク「兄ちゃん以外の声が聞こているの?」

弟「うーん」

ボク「その声は、一日中いつでも聞こえているの?」

弟「うーん」


ボク「どんな感じの声...怖い声?楽しい声?」

弟「たの...し...い...こ...え」

ボク「そうなんだぁ~、楽しい声が聞こえるのかぁ...」

弟「うーん」


ボク「写真撮るから、テーブルに手を置いて」


※ボクの手、弟の手(左手でカメラ持って、上から撮影するの難しかったぁ!)


弟の身長は176cmでボクと同じ。

だけど、体重はボクより10キロ以上軽い。

弟のBMI=17未満。

るい痩(病的な痩せ)のレベル。


子どもの頃からやせっぽちだった。

か細い手は昔からずっと変わらない。


それに比べて自分の手をこうして観ると

ボクの手はハンドボールや登山をする人の手だなぁ...って思う。

手のひらが分厚くデカイ。

ハンドボールを掴んでシュートするにはいいサイズ。

手の甲は山の紫外線を長年浴びてシミやホクロだらけ(^^)/



※神奈川県久里浜港~千葉県金谷港を結ぶフェリー(対岸に見えるのは房総半島)


弟と手の写真を撮ることが出来た(^_^)


だけど落ち着きが治まらずに

わずか3分ほどで、弟は面会室から出て行ってしまった。


元気でいてくれるだけで、兄ちゃんは嬉しい(^^)v

元気=健康、とは言えないけれど。


弟の顔つきはいつも幼く感じてしまう。

小学生の頃を思い出してしまうくらいだ。

会話も、小さな子と話をしているかのよう。

『いつまで経っても、かわいいヤツめ...』と思えてくる(*^_^*)


弟が入院してからちょうど20年が経過した。

(2002年8月から入院、もう21年目が始まる)

弟は『人生の約4割』を精神科の閉鎖病棟で生きている。

今後も、この割合は大きくなり続けることだろう。


この20年間、外出をしたことがないことを考えると胸が痛む。


いつも思うのは...

ずっと季節感のない空間にいる弟に、外の景色を見せてあげたい。

今年は猛烈に暑い夏であることを体感させたい...。





面会を終えて数日後に...

神奈川県横須賀市にある《くりはま花の国》へ初めて行ってみた。


最寄駅から20分以上歩くし

起伏の大きい丘にある公園なので

上り坂が多く

猛暑の夏に行くのは厳しい場所だった。

(いや~マジで厳しいッス)


炎天下で山登りをしているかのようだ。

歩く道は舗装されたアスファルト。

これが余計に暑くさせているのかな。


真夏に来る人はとても少なくて空いている。

元気な子どもを連れた親子か

ハードなウォーキングを楽しんでいる方ぐらい。

(トレイルランニングと呼べそう)


ここの良さは丘の上から海が見えて爽快なこと。

そして無料であること(^^♪





炎天下、水分補給無しでは倒れちゃう...


行ってみると分かるのだけど

《花の国》と呼ぶには、敷地のほとんどは森と丘で

花の種類が少ないように(?)感じてしまった((+_+))

真夏だからであろうか???

季節を過ぎた紫陽花は多かったように思える...





この公園、丘の途中で突然ゴジラが見えてくる。

ゴジラが立つ背後には

子どもが花で飽きないようにするためか(?)遊具が設置してある。

この日、遊んでいる子は誰もいなかった。





ゴジラの足の間の階段を登ると

尻尾側に降りる滑り台になっている。


花がテーマの公園なのに

なんとも不釣り合いなゴジラの登場は

汗だくのボクを和ませてくれる(#^.^#)






本来ならば、丘の上や下まで運んでくれる

園内バス(汽車のデザイン)に乗れるはずなのに...

来園者が少なすぎるためか、運行休止となっていた(>_<)


ボクは奥の方にある入り口(駅から徒歩30分)から登り始め

起伏のある丘を1時間ほどかけて歩き...

公園内を縦走して正面入り口(駅から徒歩20分)に降りた。


ここは体力のある若者向け?→実際に若者は皆無。

健康じゃないと歩き回れない!→年配者も皆無。

来園者にはキツ過ぎ~(爆)

バリアフリーの逆を行っている気が???


※日陰の休憩場所は正面入り口だけでした(汗)途中のカフェも休業中(涙)

道の途中に所々ベンチと自販機があり、飲み物を買えるのが救い。


久しぶりの山歩き(丘歩き?)だったため、翌日は足が筋肉痛になった。

ふくらはぎや腿も痛い....こんなのいつ以来??

5年前は北アルプスの槍ヶ岳や白馬岳を登っていたのに...(/o\)


日ごろの運動不足を感じた花の旅でした(^_^;)


手の写真以外は、全て『くりはま花の国』で撮ったものです(^^)/



弟よ・2022年1月下旬

2022-01-21 10:14:15 | 弟よ(統合失調症)
先週、弟の入院する病院から電話があった

弟を担当するPSWさん(精神保健福祉士)から

「感染症対策で入院着がレンタルに変わりますので、ご案内を送ります」

とのことだった


弟の病院からの連絡先は実家ではなくボクになっている

これは弟が入院してからだから、もう20年近くになる

地元に住んでいるのに弟と距離を置いている父や兄だと

手続等を敬遠するし、話が通じない

根本的に弟を受け入れようとしていない...悲しい状況にある



※旭川市内より真冬の大雪山連峰を望む


月曜日(1月17日・月曜日)に送付されてきた書類によると

①全患者、1月1日より入院着がレンタルになる

②病院とではなく、専門業者との契約が必要である

③レンタル料金は医療費ではないので、保険は適用外なので個人負担となる

(弟の場合、1ヶ月当たり約13000円の負担増となる→大きな出費増だ)

④これまで着用していた衣類は後に引き取りに来て頂く

⑤契約書は1月21日(金)必着で郵送、または病棟まで届けるように

かなり急な話であるのに驚いた


今週金曜日までに提出?

え?今年元日から始まっていたの?

事後報告でレンタル開始したの?



※旭川市内のある公園で見つけた「雪と光と影」


ボクはPC教室に予約を入れていない

水曜日(1月19日・水曜日)に病院へ行った


病棟師長さんが対応してくれた

「閉鎖病棟に関しては4月1日から開始です

大変申し訳ありませんでした

事務職員の手違いにより

全入院患者さんのご家族に発送してしまいました

御足労頂きお詫びいたします」


解放病棟は元日から始まっているという

弟のいる閉鎖病棟は4月開始だ


コロナ感染拡大の影響がきっかけで

衣類を外部から持ち込まないようにするという

それと各入院患者の衣類が全員個別だと

紛失する場合もあるので管理上の理由もある



※大雪で視界が霞み、太陽の熱も伝わらない


面会も申し込んだけど、弟に会うことが出来なかった

今週の月曜日から再び面会制限となり

解除になるまで会う事が出来ない

昨年は1度しか会えずに、今年もどうなるかは不透明である


病院へ来たついでに、市役所へ寄った

母が眠る市営霊園の管理費引き落としを

兄名義に変更する書類を貰いに行った


兄には昨年夏から言っているのに全く動かないからだ

基本的に父も兄もルーズな人→あ、ボクもか??

その書類を実家に届けて、昼食を父親と食べた


父は、耳が遠い以外だいぶ回復したようだ

本人は「充分元気だ、元に戻った」と言っている

ある程度の歩行も出来るようになったのは助かる


テレビを爆音で観ているので、外まで聞こえているのが恥ずかしい

ボリュームを50近くまで上げている

メーカーによって違うかもしれないけど

おそらくどの機種でも「ヤバイ」と感じる音量だと思う←マジヤバイよ!

(ちなみに実家のテレビはパナソニック)


※雪だるまくんの背中


元気そうに見える父親だが

時々物忘れを起こす


実家は閉め忘れ防止(防犯)のためにオートロックに変えた

カードをかざして開けるタイプにしたのだけど

そのカードを持たずに新聞を取りに玄関を出てしまい

家に入れない...という事が数回あったという


近所の床屋さんに店へ入れてもらい暖を取りながら

兄の帰宅を待ったそうだ...(>_<)


なので、玄関とリビングに

目立つ文字で「鍵を忘れないで」と書いた紙を貼っておいた

効き目があって欲しいものだが...



※写真は全て2012年1月、厳寒の北海道旭川市で撮影したものです


弟よ・障害年金申請で苦労した過去

2020-11-10 07:26:38 | 弟よ(統合失調症)
先日、弟の入院医療費助成についての記事を書きましたが
思い出したことがありましたので書いてみます。

(長文です)

十数年以上前のことです。

入院費用を毎月負担するのは大変です。
(現在は約9万円→慢性期治療)
初めのうち何年かは毎月約20万円近くもかかっていました。
(急性期治療のため高額)

このままでは経済的に実家は破綻する、と危機感を感じ
私は障害年金(障害基礎年金)の申請をしました。

数ヶ月して回答が届きました。

結果は、却下です。
「初診日に国民年金に加入しておらず、制度上支給出来ない」
「障害の程度としては2級である」ということが書いてありました。

当時の私には、意味がよく分らなかったので
社会保険事務所に行き、詳しい理由を聞きに行きました。
弟の年金の納付は20歳から支払っていることになっていました。 

だったらなぜ?

社会保険事務所の担当の方に詳細に調べてもらったところ
加入日は22歳になっており
20~22歳分を一度に全額納付していたことが判明しました。

確かに、形式上は20歳から支払っていたことになりますが(未納期間無し)
初診日には、未加入(22歳で加入)でした。
弟の「初診日は20歳と5ヶ月目」で「年金加入日(22歳)が遅すぎ」ました。

20歳以降に初診日&年金未加入>>>最悪!

障害年金受給の条件として、障害・疾病を持ち
①初診年月日が20歳誕生日より前であり、20歳の誕生日に国民年金加入
あるいは
②20歳の誕生日に国民年金加入済み、初診年月日が20歳誕生日以降である
のどちらかを満たせば支給されるのです。

普通に...ごく普通に...20歳の誕生日に国民年金に加入させていれば
こんなことにはならなかったのです。
このとき、両親を恨みました...というか呆れた...力抜けた。
ドン引きするやら...疲弊するやら...

自分の子どもの年金をきちんと加入させていなかったのかー!!

ついでに調べると、兄(長男)も私(次男)も
20歳で国民年金に加入されていませんでした。
あちゃ~、20~22歳は未納期間になったままで
お互いに就職して初めて年金に加入しました。

(私たち3人兄弟はルーズな親の元で育ったのか?)

しかし、全国には私の弟と同様に
「初診日」と「年金加入日」の食い違いで
障害基礎年金を支給されてない方達が相当数いるそうです。



それから4年もの年月が経過し
もう一度、障害年金の申請をしようと思いました。

初診日よりも前、つまり
「20歳になる前に病気になっていた」
ということを証明すれば良いのです。

なので、弟が高校2年生時(退学した頃)の担任の教師に
生活態度の変化を第三者の目から
一筆書いてもらおうと探し出しました。
何度か転勤されていて、当時とは違う高校にいることが分りました。

予め手紙を書いて送り
後に電話をして、お会い出来る日を伺いました。

とても親切な先生で快く引き受けてくれました。
その場で当時の生活態度などの記録簿を出して
文章をまとめて書いて頂き、印も押してくれました。
菓子折りを手渡してお礼をし、高校を後にしました。

この文章と、家族から見た弟の生活態度の変化を
文章化して、申立書として添付し
再度、社会保険事務所に申請しました。



約2ヶ月後、回答が来ました。
「第1級精神障害者を認め、障害年金を支給する」と。

やれば出来るものです!!

(現在の自分では、ここまで頑張るエネルギーがありませんが・・)

「教師」の書く文言は、「医師」が書く診断書と同様に
公的な効力を持っているのかも知れません。

以前、却下された時は2級だったのですが、1級と認定されました。
幻聴幻覚により、家族や看護師さんへ暴力を振るい
社会性が乏しく(モノを盗む等)常時援助・監視が必要なほどの
精神障害者は1級になることが常です。

(1級、2級、3級の違い→障害の状態の違いにより支給額が変わってきます)

※障害年金・精神障害者1級の基準(統合失調症の場合)
統合失調症によるものにあっては、高度の残遺状態又は高度の病状があるため高度の人格変化、思考障害、その他妄想・幻覚等の異常体験が著明なため、常時の援助が必要なもの 

これで1ヶ月当り、約8万円が支給されるようになりました。
実際は2カ月に1度支給で約16万円です。(口座振り込み)
とてもありがたいことです。

5年がかりでやっと受給が認められた弟の障害年金でした。

ぶっちゃけると、弟が入院してから障害年金支給開始までに
合計800万円以上は病院へ支払いをしたと思います。
恐ろしや~!マジやばかったっす!!

あれから...障害年金支給から...10年近くが経過しました。
実家は破綻せずに済みました。

現在は月8万円の障害年金と月16000円の補助のおかげで
入院費を賄う事ができております。

どなたかの参考になればと思い、書いてみました。

精神障害者保健福祉手帳は(こちらも1級=年金の等級が適用されます)
障害年金が支給されていることに加え
病院で代行申請して頂けたので簡単に頂けました。

昨年まで手帳は作っていなかったのですが
制度改正により2021年(令和3年)4月から
入院医療費の補助申請には障害者手帳が必須条件となりますので取得しました。



※障害基礎年金、精神障害者保健福祉手帳を検討されている方々へ
(年金と手帳の等級について)

障害年金の1級や2級という等級は
障害者手帳の等級とは、違う等級制度です。
 (申請も審査も別々です)

もし障害年金と精神障害者手帳の両方の申請を考慮されている場合は
先に、障害年金の審査を受けることをおすすめします。

障害年金と手帳の申請は別々に行う必要はあるものの、
年金受給が決定しますと手帳の取得も確実ですし
障害年金の等級がそのまま手帳の等級になるからです。 

〇年金を先に申請→障害年金1級=手帳1級、年金の等級を適用
✖手帳を先に申請→手帳1級→障害年金2級となってしまう事例もあるようです

我が家は初め何も分からずに、多額な入院医療費の支払いをそのまましているだけでした。世の中には様々な制度を知らないがために、長期的に大きな経済的負担や精神的苦痛を強いられている患者さんやご家族も多いかと思われます。

病院のケースワーカーさん(精神保健福祉士や社会福祉士=どちらも国家資格、生活援助や福祉制度のプロ)や市役所の障害福祉課に相談することから始めてみるのが近道です。病院により相談は予約制になっている場合もありますので、予め電話で予約制か確認しておくとスムーズになります。市役所の場合はその日の順番なので待ち時間が発生します。

以前無知だった私は、予約制など考えずいきなり弟が入院している病院の相談室へ行きましたら(私は迷惑な家族でした)「ご予約はされていますか?当院では予約制とさせて頂いております。ご希望の日時を教えて下さい」と言われ、後日再び病院の相談室へ行くことになってしまいましたので、是非とも事前にご確認を。

一人でも多くの患者さんやご家族の負担が軽減されますように願っております。

最後まで読んで頂きありがとうございました。

弟よ・2020秋(入院医療費助成制度&久しぶりの面会)

2020-11-06 08:41:15 | 弟よ(統合失調症)
久しぶりに弟に関する記事です。

堅苦しい話から...

10月は2度、父親から呼ばれ千葉の実家に行きました。
それは弟の精神障害者入院医療費の補助金の事です。

父親は耳が遠いことや年齢的にも(聞く気が無い?理解力が乏しい?)
ケースワーカーさんの説明が理解できないから私に来て欲しいという。

現在は①「〇〇市精神障害者入院医療費助成制度」により、毎月16000円が補助されています。
今回新たに②「〇〇市重度心身障害者医療費助成受給資格認定」という制度が施行されたので

こちら②のほうが補助額が大きいので申請してみてはどうか?という話でした。
たしかに制度の名称が長すぎて覚えられない
それだけで訳わからなくなる→父には大変だ。

②を申請して認定されると入院費用のうち
医療費負担分(保険診療分)が自己負担額、1日当たり300円になるという。
1ヵ月当たり300×30=9000円分の負担で済みます。

①と②は併用は不可で
②が認可されたら②に固定されるという。
不認可の場合は①のまま。

①は毎月病院窓口で支払いをした後に
市役所へ行き「病院が発行した領収書」と「申請書」を提出して
銀行口座へ後払いで振込まれる。
(毎月役所へ申請→翌月口座入金→面倒)

②は毎月病院窓口で支払いの段階で割引される。
(認可→毎年自動更新→簡単)

※ぶっちゃけ、弟の入院費1ヶ月およそ90000円
(お小遣い含む=ジュース代等)ほど病院へ支払いしています。

そのうち医療費分(保険診療適用分)は
およそ半分弱の44400円(不思議と毎月同額)です。
入院費は保険診療適用外の負担(45600円)も大きく
こちらは補助対象になりません。

※とちかは時々ぶっちゃける
→その方が現実的で参考になる方がいるかも知れませんので。
①のまま→44400-16000=28400円
(保険診療適用外分を含めて計74000円の支払い)
②が認定→300×30日分=9000円となる
(保険診療適用外分を含めて計54600円の支払い)
1ヵ月当たりの支払額の差が約2万円も違うのでとても大きい。

重度の統合失調症の弟は、生涯入院し続ける可能性が大きいため
②が認定されて欲しいのが家族の願いです。



但し、制度には制約があり
(A)世帯の納税額(年収)によって認定の可否が関わってきます。
(実家では兄だけ収入があって、父と弟は扶養家族となっている)
(B)さらに、この医療費(保険診療適用分)44400円が
高額療養費と認められる金額かどうかでも変わってくるという。

兄と一緒に〇〇市役所に行って、相談してみたら
「兄の納税証明書では規定額を超えているのですが・・・申請できますか?」
「医療費が44400円なのですが高額療養費に含まれますか?」

と聞いても

「え~っと、ん~っと・・この場ではお答えできません。
まず申請をなさって下さい。
審査に1ヶ月ほどかかります。
結果を郵送で送りますのでお待ちください」とのことでした。

う~む。さすがお役所だ。
障害福祉課の担当者であっても
この場ではよく分からんから1ヶ月時間をくれ...

とりあえず申請書を提出しただけで終わりました。
1ヶ月後(今月末)にどうなっていることやら...
認定されますように...と祈るばかりです。


コロナの影響で久しぶりに弟との面会です。
(父は面会制限解除後に数回来たらしい)

「よう、トチゾー!(仮名)元気にしてた?」
トチゾーは非常に小さな声で「う...ん...」

「朝ごはん何食べたの?」
トチゾー「う...ん...た..べ..た..」

「美味しかった?」
トチゾー「う...ん...た..べ..ま..し..た..」

私の声や顔よりも
弟には「幻聴が強く聞こえ、妄想や幻覚が目に映る」ので
面会時はいつもこのような会話です。

トチゾーは面会室に長居することが出来ません。
幻聴や妄想・幻覚が強いために数分でそわそわしてきます。

「じゃぁ、また来るね!」と言うと
トチゾーは無言で面会室を出て、病棟内をウロウロしていきます。

これからもオレは、お前に会いに何度でも来るからな...
顔色は以前と同じで悪くなかった、変化なし。

今年の上旬以来の面会でした。

弟よ8

2020-06-07 06:30:16 | 弟よ(統合失調症)
弟はあの夏の日以来

15年以上ずっと精神病院の閉鎖病棟に入院したままだ


初めのうちは

「兄ちゃん...家に帰りたいよ...帰ろうよ...」

と面会の度に言っていた

弟の声を聞くと、涙がこぼれてしまうボクがいた


入院半年後ぐらいに

看護師さんを殴ったと連絡を受けた

その後

薬が強くなったのか

劇的に大人しくなった


最近は、口が動かなくなってきている

弟の声が小さすぎて聞こえないくらいだ

幻覚幻聴のため落ち着きが無いのは相変わらずで

面会室に3分もいることが出来ずに出て行ってしまう


お前の声が聞きたい


母親は他界した

父親は高齢だ

兄は面会に行こうとしない


ボクは数カ月に1度、会いに行っている

今でもかわいい弟だ


弟は妄想に支配されたまま

精神病院で生涯を閉じるのだろうか...


彼を看取るまで

ボクは生き続けなければならない


うつ病になったボクの

「死にたい」

という気持ちを抑止しているのは

弟がいてくれるから...かも知れない