10年ほど前に一閑張りに出会い初めていまになっています
私の先生は福島市松川におられます もう一人初めて一閑張りキットを購入させて頂いた
静岡の先生がおられます 椿の絵を描いて張っています(椿の絵発案者)
その先生の最近のブログを紹介したいです 私も「う~そうだ」とうなずきました。
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元々の一閑張りには絵は普通入らない。古文書などの墨文字に柿渋が塗られているだけだ。
残念に思うのは、一閑張りを飾り物と思っている人が多いことだ。
飾られたままで、埃をかぶった一閑張りを見るのは悲しいものだ。
一閑張りも同じことが言えそうだ。
本来は道具であるから、いろんなモノを入れて使って欲しい。
そして、折に触れ手で撫で愛でて欲しいのだ。
それによってより艶も出るし風格も増す、つまり育つのだ。
20年とは言わない。5年先を楽しみにして欲しい。
破れたり傷がついたりもするだろうが、
それを直すのも一閑張りの楽しみの一つだ。
生徒さんたちも上達し、展示会や販売を望むようになった。
私は、やる気のある生徒さんにはそれを勧めた。
他人の眼や評価を受けることは、良い鍛練になると思うからだ。
おかげで、あちこちに同じような椿の柄があふれ出した。
「おい、お前の偽物が売られているぞ!」
友人からそんな連絡をもらうこともあった。
最近は、自分の教室を開いている生徒さんも多い。
私の生徒さんだからといって、全員が上手だということは無い。
中には、生徒だと言って欲しくないような下手な生徒さんもいる。(笑)
だが、皆さんが楽しみながら夢中になっている姿は、とても美しく愛しい。
そして、そんな場を提供できることが、なにより嬉しいと思っている。
個性で自由に楽しんで欲しいと思うのだ。
当然、教室を開けるような師範を養成するつもりは無い。
だから、初心者もベテランも同じ場で楽しんでもらっている。
個展を開くにも、教室を開くにも、資格も何も無い。
熱い想いと責任感があれば、誰でもやれることなのだ。
でも、長いあいだにそんな空気が生まれているとしたら、
師範としては、自戒せねばならないことと思う。
いろんな意味で、区切りの時期が来ているのかも知れない。
最近の一閑張りの世界に、妙な変化が現れた。
作る人が増えるとともに、一閑張りがここまで流行した要因は、それほど難しい技術も用具も要らず、
身近にあるもので手軽に楽しめるということだろう。
我々が一閑張りと称して作っているものは、伝承されている本来の一閑張りとは大違いなものだ。
ちょっと評判が良かったからと、売ることを目的に作る人が増えたからだろうか、
玄人気どりの素人が増えたからだろうか、
それにしても、イヤな風潮である。その責任の一片は、自分にもありそうだ。
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と書かれていました 御免なさい 長くって
私が言いたいのは、誰でも簡単に一閑張りは作れて、楽しむ事が出来ますが
奥が深いと言う事でしょうか・・・
10年位一閑張りに手を触れていますが、張れば張るほどだんだん深くなっていきます。
日々努力 勉強 良い物を見て歩く事です。 美味しい物を食べて歩く事です
それだから頑張っていかなければと思います。