今日は、エイプリルフールだ。
子供の頃は、「では、一つ人をだましてみようか。」みたいな感じで、改まった行事か何かのように、家族をだましてみたりしていた記憶がある。だまされる家族の方も心得たもので、うやうやしくだまされてみたりする。
気の利いたものでもなく、どうでもいいような「だまし」だったと思われ、特に盛り上がった記憶もない。そしていつも通り、けだるい春の一日が、とどこおりなく過ぎて行く。
最近の4月1日は、エイプリルフールというより年度初めという印象が強いからか、忘れている方が多いし。
ところで映画や小説でよくある設定だけど、目の前の、現実だと思っていた世界が、突然「なんちゃってね」と崩れ去ってしまう、というのはどうだろう。
どうだろう、って何が?ですが。
ちょっと想像してみた。
が、
「なんちゃってね。」
と言われて、世界が反転して、ばーんと現れるはずの「ついに現れた本当の世界」が、全く想像できない。
「はっ、私は夢を見ていた。目が覚めた。今まで現実だと思っていた、あの世界は、あれは夢だったのか。」
と言っている自分。さて、では今どこにいるのか、いや、全く想像ができない。
夢だろうと現実だろうと、反転だろうと、大した違いはないだろうと思っているのかもしれないし、ただ単に、想像力に欠けているのかもしれない。
いずれにせよ、「なんちゃってね。」の後には、「なんちゃってね。」以上のものは来ないだろう。というのが現在の個人予測である。
うすら風邪っ引きのけだるい春の一日が、そしてとどこおりなく過ぎて行く。(昨日引いたこの風邪が、なんちゃってね。だったらすごく嬉しい)
子供の頃は、「では、一つ人をだましてみようか。」みたいな感じで、改まった行事か何かのように、家族をだましてみたりしていた記憶がある。だまされる家族の方も心得たもので、うやうやしくだまされてみたりする。
気の利いたものでもなく、どうでもいいような「だまし」だったと思われ、特に盛り上がった記憶もない。そしていつも通り、けだるい春の一日が、とどこおりなく過ぎて行く。
最近の4月1日は、エイプリルフールというより年度初めという印象が強いからか、忘れている方が多いし。
ところで映画や小説でよくある設定だけど、目の前の、現実だと思っていた世界が、突然「なんちゃってね」と崩れ去ってしまう、というのはどうだろう。
どうだろう、って何が?ですが。
ちょっと想像してみた。
が、
「なんちゃってね。」
と言われて、世界が反転して、ばーんと現れるはずの「ついに現れた本当の世界」が、全く想像できない。
「はっ、私は夢を見ていた。目が覚めた。今まで現実だと思っていた、あの世界は、あれは夢だったのか。」
と言っている自分。さて、では今どこにいるのか、いや、全く想像ができない。
夢だろうと現実だろうと、反転だろうと、大した違いはないだろうと思っているのかもしれないし、ただ単に、想像力に欠けているのかもしれない。
いずれにせよ、「なんちゃってね。」の後には、「なんちゃってね。」以上のものは来ないだろう。というのが現在の個人予測である。
うすら風邪っ引きのけだるい春の一日が、そしてとどこおりなく過ぎて行く。(昨日引いたこの風邪が、なんちゃってね。だったらすごく嬉しい)