『ピーター・ブルックの世界一受けたいお稽古』、サイモン・ブルック監督、2012年、仏・伊合作。
今、この瞬間を生きるということは、とても難しいことなのだな、と改めて思う。
俳優さん達は、「嘘です」という世界を、「現前」させるために特訓を行う。それは体の動きであり、即ち「今生きている」ことへの集中力だ。それと共に、リアルに辿りつくには「想像力」が必要だということにも、やはり衝撃を覚える。
「本当です」ということの、いかに偽が多いか。
でもそれを見分け、認識するのはなかなかに困難だ。
そう思うと、例えば、
『大いなる沈黙へ グランド・シャルトル―ズ修道院』、フィリップ・グレーニング監督、2005年、仏・スイス・独合作、
こちらは脳に制限をかけた人たちの話だ。
善良な人達だと思う。ちなみに余計な話もしないから、その中ではもめ事もない(ように見える)。
脳にうまく制限をかければ、生きるための「合目的的行為」のみで足りる(ように見える)。いや、それでも祈らないと脱線するのかな。作品の中の祈祷の時間は、脳と意識に制限をかける、魔法の時間とも受けとれる。ここまでです、あとは神様にゆだねなさいと。
想像力の使い方について考える。
善良な人間でありたい。難しいけど。
今、この瞬間を生きるということは、とても難しいことなのだな、と改めて思う。
俳優さん達は、「嘘です」という世界を、「現前」させるために特訓を行う。それは体の動きであり、即ち「今生きている」ことへの集中力だ。それと共に、リアルに辿りつくには「想像力」が必要だということにも、やはり衝撃を覚える。
「本当です」ということの、いかに偽が多いか。
でもそれを見分け、認識するのはなかなかに困難だ。
そう思うと、例えば、
『大いなる沈黙へ グランド・シャルトル―ズ修道院』、フィリップ・グレーニング監督、2005年、仏・スイス・独合作、
こちらは脳に制限をかけた人たちの話だ。
善良な人達だと思う。ちなみに余計な話もしないから、その中ではもめ事もない(ように見える)。
脳にうまく制限をかければ、生きるための「合目的的行為」のみで足りる(ように見える)。いや、それでも祈らないと脱線するのかな。作品の中の祈祷の時間は、脳と意識に制限をかける、魔法の時間とも受けとれる。ここまでです、あとは神様にゆだねなさいと。
想像力の使い方について考える。
善良な人間でありたい。難しいけど。